あらすじ
春さんが、帰ってこない――。
深夜一時半。
最愛の夫の帰りを待つ三津子。無理な残業をする彼を心配する彼女の心は、決して夫には届かない。
その想いを記した日記は、やがて幻聴、幻覚、幻影、幻想に飲まれていく。そして迎える《おしまいの日》に三津子は……。
春さんは、まだ、帰ってこない――。
正気と狂気の狭間を描く、サイコホラーの傑作!
感情タグBEST3
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Posted by ブクログ
最愛の夫の過労死を心配しすぎるあまりに、ちょっとづつ、でも確実に壊れていく専業主婦のみっちゃんのお話。
だいぶ前に読んでいて、新装幀が素敵でまた買っちゃった。秀逸。
みっちゃんの行動や思考がとんでもなくて怖いんだけど、最終的に失踪するという決断の、そこにいたる理由が、春さんが大好きだから、それを失う恐怖に耐えられないっていう。
正直、当時はイマイチ実感できなかったんだが(今も旦那では実感できないが)対象が「子ども」で、それを失うという事を考えたら、それはそれは恐ろしい。
考えるのをやめないと発狂しちゃうのはわかる。
で、思考(というか想像だね)を止められなければ、それが二倍になったら耐えられないというのは、実感を伴った。
あとがきも面白い。
時代ごとのあとがきが読めるのは良い。
携帯電話がなかったり、個人情報の緩さとか、気になる部分もあるけど、30年位前のお話なのでね、それはそういう社会だったよねって言う事で。
Posted by ブクログ
これ、30年ぐらい前に発表されたものの新装版なんだけど、その30年前にも持っててんだよね。
結婚するときに、自分の本のほとんど処分してしまって後悔したうちの一冊なので、2025年の新装版がありがたかった。見つけたら買おう!と思って、なかなか出会えず,ようやく見つけて買った。
30年ぶりに読んだら,やっぱ今でも面白い!!
旦那さんのハルさんが好きすぎる、三津子さん。
でも、ハルさんは仕事が忙しくでなかなか帰ってこない。12時過ぎても帰ってこない。下手したら2時とか。でも朝はきっちり起きて出ていく。
そんなハルさんを支えるのが自分の幸せで楽しみ。
たとえ2時であっても、晩御飯を用意していつ帰って来ても食べられるようにしているし、お風呂だっていつでも入れる様にしておく。接待やなんやで食べない事もあるけど(ほとんどの日がそれ)、それでもいつでも食べられるように。
あるとき野良猫が入って来た。通いのその猫ににゃおんと名付けた。首にリボンをつけてあげて、
他に飼い主がいるなら連絡して来てくれる様に。だけど,今のところその様子はない。
ハルさんににゃおんのこと話さなきゃ。
でも、ハルさんはいつも疲れていてそんな話より1分1秒でも長く睡眠をとってほしくて言えてない。にゃおんもハルさんがいる時はどこかにいっちゃうから、なかなか紹介もできずにいた。
ハルさんと自分とにゃおんのためにクッションカバーを刺繍していたとき、にゃおんが帰って来た。いつもの様に「にゃおん」と鳴かない。どうやら何が加えてる?それ,まだ生きてる?!
パニックになる三津子。そして・・・
三津子の日記によるとその記憶がない。
にゃおんは帰ってこなくなった。どうしたんだろー?
刺繍していたカバーもない。あれ?
相変わらずハルさんはなかなか帰ってこない。
三津子の様子がおかしいことは、唯一の友達、久美が気がついてどうにかしようとした。家の中にずっといるからダメなんだ!と、バイトに誘う。ハルさんも外に目を向けるのはいい事だと賛成。
三津子は渋々バイトをする。それは、ラジオ局に届いたハガキの整理。
そのラジオではUFOの話題になってるらしくそのようなハガキが多くて思わず興味を持って読んでしまう。宇宙からUFOがきて、洗脳されてしまう。口の中に入って取り込むらしい。
三津子は体調がすぐれない日々が続いていた。微熱、吐き気、貧血。お腹を蠢くものが。これは、まさか、UFOから飛んできた白い虫に私も取り憑かれて?!
にゃおん、にゃおんはどこにいったの?
にゃおんのことを思い出したら、だめ。忘れた頃にしか、見えないもの。ナルニアへの扉のように。
夢に見た、椿の木の下。シャベルを持つ私。掘り返したら出てくる、クッションカバーと痩せ細ったにゃおん。それに群がる白い虫。
白い虫の母体は、にゃおん?
体調を崩した三津子をみた医務室の医者から、久実は三津子が精神的におかしくなっていることと、おそらく妊娠している事を告げられる。
だが、妊娠の話をすると三津子は無表情になり何も聞こえてない様子。
聞きたくないから無視してるのでなはい。
聞こえないのだ。
まさか、ハルさんが望んでいる子どもを三津子が否定するはずない。あれだけハルさん一筋すぎてやばいのに。
まさか・・・
って話なのですが、
まぁ30年前に読んで衝撃だったし、今もこれはヤバい本だと思ってるし、一歩間違ったら私が三津子だったなと思った。
でも、今になって思う。
三津子は、甘えだ。
旦那だけ好きで,旦那だけに尽くすのは簡単。何も考えないでいい。でも、子どもがいて、旦那に申し訳ないと思う,もしくは、旦那にも責任?の一端を担わせる、それでも両方愛する。
家も,外も,そして自分もちゃんと愛する。
それができて一人前、だと思う。
旦那だけーって、それは究極の思考停止。
まぁ、30年前の私はこの三津子を「究極の愛の形」の一つと思っていたんだけどねー
Posted by ブクログ
結婚7年目の主婦、坂田三津子が、ワーカホリックで連日深夜までの残業、休日も接待ゴルフ等に明け暮れる夫の忠春の帰りを心配しながら日々待ち続ける中で、幻聴、幻覚、幻想に呑まれていき、ついに「おしまいの日」を迎えるという、一種のサイコホラー小説。
人間が精神を病み、壊れていく様が、リアリティをもって描かれていた。三津子がメンヘラ気質であることに間違いはないだろうが、長時間労働を当然とし三津子にまともに向き合わない忠春、そして、それを強いる会社、社会が狂っているというのもそのとおりだと思い、よくできた社会批判小説でもあると思った。この小説が最初に執筆されたバブル崩壊直後の1990年代前半と比べ、令和の現代は、働き方改革も進み、当時とだいぶ状況は変わってきているとはいえ、また別種の長時間労働を強いるブラック企業と呼ばれるような企業も跋扈していて、この小説の問題提起はまだまだ有効だと感じる。
ただ、「三津子、思う」のような主語と述語の間の助詞を省く独特の文体は、ちょっと苦手に感じた。
Posted by ブクログ
こちらもリバイバルで再読。初読時はこれほどSNSのようなインタラクティブなコミュニケーションツールが発達していなかった時代なので、三津子の孤独がリアルに伝わってきた。
日記のスミ塗り部分の仕上がりは新潮版単行本のほうに軍配。どう表現するか苦心しただけある。あのページを開いたときはゾッとした。
曖昧な自他境界と極端な白黒思考が状況(病状?)を悪化させたおもな要因だと思うけどそれが生来のものなのか生活環境によるものなのか。あるいは両方か。
住民票の閲覧制度が改正されたのが2006年でこの作品の出版年度が1992年なので、そのへんはどう想定しいたのだろう。手紙は忠春に見せないことにしていたようだし、探したりはしなかったんだろうか。とはいえ(決意はどうあれ)諸々かんがみても母子ともにハッピーエンドの結末は想像しにくいので、あまり突きつめないほうがよさそう。
Posted by ブクログ
とにかく気持ちの悪い後味が残る作品だった。
新井素子むかし読んだ記憶はあったけどなんとなく、じわじわと、啓示されているような、そんな気持ち悪さがあった。
人間が狂うのを読むのは好きだが狂わされているのはこっちなのでは?と思う感覚。
日記の持ち主、三津子の精神がおかしくなっていくところから何が本当で何が幻なのか何が何だかわからなくなってその“わからない”はわからないまま終わってしまった。
これを読んでこう感じろという名目がないことが本の良さだが自分が理解するにはまだ早いのかもしれない