【感想・ネタバレ】第二次世界大戦 2のレビュー

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Posted by ブクログ 2018年10月17日

独ソ戦開始まで
戦時内閣の首班当事者かつ文学賞を得る筆力を備えた人物による記録は
ガリア戦記を思わせるものがある
これはブリテンでなくイギリスの戦いと書かれているけれど
日本にとってはわりと関係ない大西洋の戦いやアフリカ戦線も興味深い

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2018年06月10日

ついに本格的に第二次世界大戦が始まり、フランスは早々に敗れる中有名なダンケルク撤退戦(ダイナモ作戦)などを含む大陸からの撤退、そしてこれも有名な「イギリスの戦い(バトル・オブ・ブリテン」など様々な戦いが縦横無尽に具体的な日付や担当者、部隊名や兵力を可能な限り明示して描かれる。戦線は大西洋や地中海、北...続きを読むアフリカなどにとどまらず、ギリシア、マルタ、クレタ島などに及びこの巻の最後にはナチのソ連侵攻を持って終わる。この時チャーチルは、既に事前にナチドイツ軍のソ連侵攻の可能性が高い事を知悉しておりすぐさま世界に向けて演説を行っているがその演説が中々自由人や民主主義を報じる国民やソ連一般人への激励を含み感動的であった。いよいよ次巻は凄惨極まる東部戦線と日本の参戦が描かれるものと思われ楽しみである。極上の当事者による客観性も高い第二次世界大戦の回想録であると言えよう

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Posted by ブクログ 2015年06月02日

「最初の40日間以降は、勝ち誇ったドイツとイタリアが、われわれに必滅の攻撃を加え、ソ連は敵対的中立の立場で積極的にヒトラーを応援し、日本は計りがたい脅威であった。われわれは単独であった。」

第2巻はヒトラーの侵攻でズタズタにされるフランスとロンドン空襲に耐え忍びながら反撃の機会を狙うイギリス。アメ...続きを読むリカは兵器の支援を約束したがそれを含めても兵器の足りないイギリスがそれでも各国を支援し進撃するナチスドイツをなんとか防ぐ。イタリアはドイツと協同で作戦をしてるというよりは英仏が弱った好きにどさくさ紛れに領土を広げようとしている。

フランスが早々に占領されたため1944年上半期まで連合軍はイギリスにかかっていた。アメリカが西部戦線の主力となったのは45年になってからだ。海運の被害総数の半数がイギリスならUーボートを中心に敵潜の半数を沈めたのもイギリスだった。

挙国一致の戦争内閣を率いたチャーチルは実質に重きを置いて組織を改変した。「憲法は短く、あいまいにしておくべきだ」現代日本でこう言うとかなり叩かれるだろうが、チャーチルは自分の義務と権利を規定しないように気を配り法的手続きで時間が浪費されるのを避けた。臨時招集した下院で信任投票を行い、あらゆる政党からの信任を受けた。遅ればせながらイギリスは勝利を目指して戦うことで団結した。フランスが陥ちればイギリスは戦争を諦めると読んだヒトラーの目論見はすでに外れていた。

1940年5月9日の空襲を皮切りにドイツはフランスに進撃を開始した。ドイツの126個師団に対し連合軍は135師団と拮抗していたがドイツの攻撃力が上回り、フランスの防衛戦には50マイルもの穴が空きドイツ軍が流れ込んだ。15日にはフランス首相のレイノーは我々は負けたといい、オランダは降伏した。フランスは後詰めの機動部隊を用意していなかったため前線が崩れると後は後退しかなかった。包囲されたイギリス軍はダンケルクからの撤退に成功し34万人が逃げ延びた。3万人の捕虜とほぼ全ての陸軍の装備を失ったがドーバー海峡の制空権と制海権はまだイギリスが握っており、イギリスは闘志を保っていた。

ムッソリーニが参戦、ソ連はドイツの勝利を祝福し、踏みにじられたフランスはイギリスとの同盟のために単独講和を結べない。フランスではイギリスに対する反感が沸き起こり、イギリスはフランスの植民地を奪い取ろうとしているというものがあれば、ナチの一州になった方がましだというものまで現れた。しかしイギリスは空軍が負けなければドイツの上陸は防げる、量的には優勢なドイツ空軍に対しても士気が落ちなければ対抗できると信じ、そしてそれは実行された。

ドイツがイギリスに上陸しようとすれば秋になり海が荒れる前に制海権を保持しなければできない。そして制空権を握れなければ一度上陸したとしても補給ができず後が続かない。陸海空軍がチャーチルのもとで団結したイギリスと違いドイツはバラバラで、上陸しさえすればなんとでもなるという陸軍、ノルウェー沖で敗れ上陸に悲観的な海軍、そして回廊を形成する責任は空軍に押し付けられた。空軍のゲーリング元帥は威信の高い陸軍に対抗するため空軍だけで勝利を得ようとした。

バトル・オブ・ブリテンでは両空軍の性能はほぼ同じだった。数で上回ったドイツが当初は優位に立ったが最終的に損害数は変わらずドイツは制海権を手に入れることはなくやがて上陸作戦は破棄された。おそらく攻撃目標をロンドンにして士気を折ろうとしたのが戦術的なミスで、空軍の消耗戦をしかけた方がイギリスは困っていたのだろう。瓦礫の下でロンドンは耐え忍びながらイギリス軍は空港と航空機の修理に回ることができた。「人類の歴史の中で、かくも少ない人が、かくも多数の人を守ったことはない」というのがチャーチルの有名な演説として残されている。

ヒトラーはバルカン、アフリカ、中東と戦線を拡大しついにソ連に戦線を布告する。ソ連を落とせばイギリスには後で戦力を集中できるからだ。しかしイギリスの戦いでも途中から制空権ではなくロンドン空爆でイギリスの心を折ろうとした様に、戦線拡大も上手くいかなかったところは置いといて転戦している様にも見える。一方のイギリスは本土防衛の戦力を割いてでも他国を支援した。敵対的中立から一転して援助を訴えた傲岸不遜なソ連に対してさえもだ。

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Posted by ブクログ 2020年01月27日

第二巻はイギリスがやられまくる。ドイツ強すぎ。フランスがやられるとフランスもドイツに協力するので益々差が開いて行く。ドイツによる本土抗戦に多くページが費やされる。この頃はまだアメリカが参戦してくれていないので、孤軍奮闘、孤立して先が見えなく精神的にも苦しかったと思う。さらにイギリスは世界帝国でもあっ...続きを読むたので戦線が広い。広がる広がる。これは本当に大変だ。最後にドイツがロシアに宣戦布告するところで終わる。ドイツはロシアに戦線を拡大しなければ歴史は変わっていたのだろうか。本当に不思議だ。しかしドイツ強い。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2018年09月23日

頭の整理

1939年9月1日
ドイツがポーランドに侵攻
1939年9月3日
英仏がドイツに宣戦布告

→ドイツは東部戦線に戦力を集中し、英仏との戦闘はほぼなし
→まやかし戦争、奇妙な戦争と呼ばれる

1940年4月9日
イギリスはノルウェーに先制攻撃
チャーチルの発案だったが、ドイツ軍を前に大敗を...続きを読む喫した。

1940年5月10日
ドイツはフランスに侵攻。
マジノ線を突破し、戦車部隊により破竹の勢いで侵略。

イギリスではチェンバレンが退陣し、チャーチル首相のもと挙国一致内閣が成立。

1940年5月24日〜6月4日
ダンケルクの戦い
フランス駐留のイギリス軍を始め同盟国側軍隊、40万人の撤収戦(ダイナモ作戦)

1940年6月10日
イタリアが英仏に宣戦布告

1940年6月14日
パリ陥落

1940年6月16日
抗戦派のレイノー首相が退陣。
休戦派のペタン元帥が組閣。

1940年6月17日
抗戦派のド・ゴールがイギリスに亡命。

1940年6月21日
フランスが独伊に休戦申入れ
同22日、独仏休戦協定が締結されペタン元帥を首相とするヴィシー政権が成立。
親ナチのラヴァルが副首相に。やがて1942年には首相に。

1940年7月10日〜10月31日
バトルオブブリテン
7/10〜8/18 ドーヴァー海峡
8/24〜9/27 ロンドン空襲
10月 ロンドン及び各地の軍需工場無差別爆撃

その後もロンドンへの空襲は続く
年末の12月29日がそれまでで最大級の空襲。
機雷に加え、大量の焼夷弾により猛火となった。

1940年9月15日
ドイツのとど作戦(イギリス上陸作戦)の当初のDデー(決行日)
→ドーヴァー海峡の制空権、制海権を確保出来ず、逐次延期。9/17には無期限延期に。

1940年7月〜1941年7月
大西洋の戦い。ドイツのUボートにより、植民地や同盟国からイギリスへの輸送船が次々と撃沈。イギリスはカナダ、アメリカ、ニューファンドランドの協力を得て、なんとか制海権の確保を行った。

1940年11月5日
米大統領選→ルーズベルト異例の3選
1940年12月16日
ルーズベルトがイギリスへの武器貸与を声明
→1941年3月レンドリース法(武器貸与法)成立

1941年3月20日
ユーゴスラビア政府はドイツと協定
→しかし、3月28日、革命により政府は打倒され、対ドイツ政府が成立
→ヒトラーは激怒。隠密裏に進めていた、対ソ戦計画(バルバロッサ作戦。1940年12月18日に指令され極秘で準備)のDデーを5月から6月に延期し、ユーゴスラビアへ侵攻。
→4月17日、ユーゴスラビア降伏
→その勢いでギリシャにも侵攻し、4月24日、ギリシャも降伏

1941年5月
ドイツはイギリスの地中海の拠点、クレタ島にパラシュート部隊による猛攻。
→6/1までにイギリス軍はクレタ島から撤退
→6/21、クレタ島の戦い、北アフリカ戦線でのロンメルとの戦い、アラブにおける戦いでの意見相違、敗戦により中東軍司令官ウェーガン将軍が更迭された。

1941年6月22日
ドイツ(リッベントロープ外相)がソ連に宣戦布告。

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P17 挙国連立
「もし現在が過去を裁判するなら未来が失われるだろう」

P20 権力について
第1の地位と、第2、第3、第4の地位は全く違う。

P23 公務は文書で
私が下す指示は全て文書になっているか、あるいは直後に文書で確認されるべきものである

P25 国防相の地位
省の新設は考えなかった。そのためには立法が必要で、実際には個人的好意でほぼ全て解決されていることを一つずつ憲法いじりしないといけない面倒さ

P26 国防相の閣僚
秘密問題に接し、関係の深い閣僚の人事異動は事務の連続的、能率的な処理に有害である。

第2章 フランスの戦い
P33
しかし、ドイツ軍は攻撃の時期、方向、戦力を自由に選択出来る立場にあった。
→先制、主導の重要性

P35
5月9日から10日にかけての夜、ドイツ軍はフランスに奇襲

P55,56,70
ウェーガン計画に対しイギリスの遠征軍総司令官ゴート卿は海からの撤退を決断。
その時点でフランス軍への撤退命令はなし。
そうした中で、イギリス軍を当然最優先にしつつも、フランス軍もイギリスに救出した。
→P79 戦火の中、チャーチル自らがフランスに出向き同盟国としての仁義を切る。

P78
撤退戦における最後の迎え方。
アメリカ軍のコレヒドールでのマッカーサー撤退に繋がったと言われる。

P123
多くのことが不確かだったときだけに、主導権を回復することがなによりも大事であった。
→イズメー将軍への手紙

P126
戦車上陸用船やマルベリー港(浮かせて運ぶ人造港)の開発

P239
イギリスは膨大な量の武器をアメリカに発注。
しかし、ドルの外貨準備と、その代わりとなる金の保有は底をついており、今後の武器支払いが不可能になることは明白だった。
そうした状況のもと、再選を果たしたルーズベルト大統領は「Lend-Lease」(武器貸与)という形をとることを決めた。これは古い法律の一部に根拠があったが、イギリスが発注した武器をアメリカが買い取り、リースすることを議会で説明し、理解を得る必要があった。

P335
クレタ島の制海権維持
カニンガム提督「海軍が新艦を建造するには三年を要する。新しい伝統を作るには三百年を要するだろう。撤収(すなわち救出)は続けられるだろう。」

P346
中東作戦における現地のウェーガン将軍と本土のチャーチルほか三軍参謀らとの意見の相違と結果。
「できる以上のことはやらぬとか、やるからには確実にものにできることをやるということは、常によくいわれることである。しかしこの原則は、人生や戦争における他の原則同様に、例外を持っているのだ。」

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Posted by ブクログ 2017年02月09日

引き続きなかなかのボリューム。
地名、地理が頭に入ってない部分があるのでところどころよくわからず読み進めてしまうが、総じて戦時下の最高司令官の目線での物語は面白い。
一巻に続きソビエト侵攻に対する名スピーチでの終わり方は次を読みたくなってしまう

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Posted by ブクログ 2020年07月11日

第2巻では、ついにドイツがフランスへの進行を開始。映画にもなったダンケルクでの救出作戦(ダイナモ)には、個人の所有する小型艇も多数参加し33万人以上の兵士を英国に救出したそうです。

フランスがドイツに降伏し、ペタンを首班とするヴィシー政権に移行しますが、ドゴールがフランスの未来を背負う人物として登...続きを読む場します。「平然とした振舞いのなかに、苦痛を耐え忍ぶ並々ならぬ資質がうかがわれた」とチャーチルによって評されています。ドゴールの評伝を読んだ際に、彼がチャーチルの英国やルーズベルトの米国に対して不信感を抱いていた様子が書かれていたのを思い出しましたが、チャーチルの言を借りれば、対独協力政権となったヴィシー政権に対しても関係の改善を促し続ける必要もあったことにより、英国は二心を持っている、との印象を自由フランスに与え、それを代表するドゴールとしては、英国の傀儡でないことを示すために強めの態度をとる必要に迫られたため、と説明されています。

1940年の夏のこの頃は、英国は西欧諸国にあって独伊に対峙する唯一の国だったようです。事実、この後にドイツによる激しい空爆に曝され、海上ではUボートに攻撃されながらも、バルカン、北アフリカ、中東にも戦線が拡大していく中での英国は正に孤軍奮闘の様相を呈しています。

敵将ながらチャーチルはロンメル将軍を高く評しています。1944年のヒトラー暗殺計画に連座して落命しますが、「素晴らしい戦争の賭博士」と評されています。

本書では、チャーチルが霊感によって使用人を空爆による爆風から守ったエピソードも紹介されています。絵を描いたり、闘い続けることに対するスピリチュアルな演説といい、チャーチルには神通力のようなものが備わっていたのかもしれません。

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Posted by ブクログ 2013年08月29日

長かった。 (−_−;)
途中で何度やめようと思ったことか。
ストレスなく読むには私には教養がなさ過ぎました。

ヨーロッパを中心とした第二次世界大戦の、主要な場所、戦闘とその計画、重要な会談等々が頭に入ってないと
読んでいて、もうワケワカラン。

チャーチルさん、宰相の書く文章じゃないっ...続きを読むす。
こまかすぎます。

加えて日本語訳も分かりづらい。
ずいぶん昔に訳されたっきりみたいです。抄訳が読みたかった。

でも読んで良かった。
本書を読んで、自分は日本から見た第二次世界大戦しか知らなかったという事がよく分かった。

アメリカって、太平洋だけでなく
ヨーロッパでも戦ってたんだね~。

ノルマンディー上陸作戦というのが、だいたい何なのかようやく分かった。

本シリーズ読破は今年の目標30個のうちの一つでした。
次はベストアンドプライテストで、ベトナム戦争について理解を深める。

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Posted by ブクログ 2012年05月14日

戦争に突入して俄然テンポが出てきた。実は第二次世界大戦勃発後しばらくはイギリスがほぼ単独でドイツを相手に戦っている。指導者としての戦争遂行能力があらゆる面で発揮される。

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