【感想・ネタバレ】第二次世界大戦 2のレビュー

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Posted by ブクログ

ネタバレ

ついに本格的に第二次世界大戦が始まり、フランスは早々に敗れる中有名なダンケルク撤退戦(ダイナモ作戦)などを含む大陸からの撤退、そしてこれも有名な「イギリスの戦い(バトル・オブ・ブリテン」など様々な戦いが縦横無尽に具体的な日付や担当者、部隊名や兵力を可能な限り明示して描かれる。戦線は大西洋や地中海、北アフリカなどにとどまらず、ギリシア、マルタ、クレタ島などに及びこの巻の最後にはナチのソ連侵攻を持って終わる。この時チャーチルは、既に事前にナチドイツ軍のソ連侵攻の可能性が高い事を知悉しておりすぐさま世界に向けて演説を行っているがその演説が中々自由人や民主主義を報じる国民やソ連一般人への激励を含み感動的であった。いよいよ次巻は凄惨極まる東部戦線と日本の参戦が描かれるものと思われ楽しみである。極上の当事者による客観性も高い第二次世界大戦の回想録であると言えよう

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2018年06月10日

Posted by ブクログ

ネタバレ

頭の整理

1939年9月1日
ドイツがポーランドに侵攻
1939年9月3日
英仏がドイツに宣戦布告

→ドイツは東部戦線に戦力を集中し、英仏との戦闘はほぼなし
→まやかし戦争、奇妙な戦争と呼ばれる

1940年4月9日
イギリスはノルウェーに先制攻撃
チャーチルの発案だったが、ドイツ軍を前に大敗を喫した。

1940年5月10日
ドイツはフランスに侵攻。
マジノ線を突破し、戦車部隊により破竹の勢いで侵略。

イギリスではチェンバレンが退陣し、チャーチル首相のもと挙国一致内閣が成立。

1940年5月24日〜6月4日
ダンケルクの戦い
フランス駐留のイギリス軍を始め同盟国側軍隊、40万人の撤収戦(ダイナモ作戦)

1940年6月10日
イタリアが英仏に宣戦布告

1940年6月14日
パリ陥落

1940年6月16日
抗戦派のレイノー首相が退陣。
休戦派のペタン元帥が組閣。

1940年6月17日
抗戦派のド・ゴールがイギリスに亡命。

1940年6月21日
フランスが独伊に休戦申入れ
同22日、独仏休戦協定が締結されペタン元帥を首相とするヴィシー政権が成立。
親ナチのラヴァルが副首相に。やがて1942年には首相に。

1940年7月10日〜10月31日
バトルオブブリテン
7/10〜8/18 ドーヴァー海峡
8/24〜9/27 ロンドン空襲
10月 ロンドン及び各地の軍需工場無差別爆撃

その後もロンドンへの空襲は続く
年末の12月29日がそれまでで最大級の空襲。
機雷に加え、大量の焼夷弾により猛火となった。

1940年9月15日
ドイツのとど作戦(イギリス上陸作戦)の当初のDデー(決行日)
→ドーヴァー海峡の制空権、制海権を確保出来ず、逐次延期。9/17には無期限延期に。

1940年7月〜1941年7月
大西洋の戦い。ドイツのUボートにより、植民地や同盟国からイギリスへの輸送船が次々と撃沈。イギリスはカナダ、アメリカ、ニューファンドランドの協力を得て、なんとか制海権の確保を行った。

1940年11月5日
米大統領選→ルーズベルト異例の3選
1940年12月16日
ルーズベルトがイギリスへの武器貸与を声明
→1941年3月レンドリース法(武器貸与法)成立

1941年3月20日
ユーゴスラビア政府はドイツと協定
→しかし、3月28日、革命により政府は打倒され、対ドイツ政府が成立
→ヒトラーは激怒。隠密裏に進めていた、対ソ戦計画(バルバロッサ作戦。1940年12月18日に指令され極秘で準備)のDデーを5月から6月に延期し、ユーゴスラビアへ侵攻。
→4月17日、ユーゴスラビア降伏
→その勢いでギリシャにも侵攻し、4月24日、ギリシャも降伏

1941年5月
ドイツはイギリスの地中海の拠点、クレタ島にパラシュート部隊による猛攻。
→6/1までにイギリス軍はクレタ島から撤退
→6/21、クレタ島の戦い、北アフリカ戦線でのロンメルとの戦い、アラブにおける戦いでの意見相違、敗戦により中東軍司令官ウェーガン将軍が更迭された。

1941年6月22日
ドイツ(リッベントロープ外相)がソ連に宣戦布告。

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P17 挙国連立
「もし現在が過去を裁判するなら未来が失われるだろう」

P20 権力について
第1の地位と、第2、第3、第4の地位は全く違う。

P23 公務は文書で
私が下す指示は全て文書になっているか、あるいは直後に文書で確認されるべきものである

P25 国防相の地位
省の新設は考えなかった。そのためには立法が必要で、実際には個人的好意でほぼ全て解決されていることを一つずつ憲法いじりしないといけない面倒さ

P26 国防相の閣僚
秘密問題に接し、関係の深い閣僚の人事異動は事務の連続的、能率的な処理に有害である。

第2章 フランスの戦い
P33
しかし、ドイツ軍は攻撃の時期、方向、戦力を自由に選択出来る立場にあった。
→先制、主導の重要性

P35
5月9日から10日にかけての夜、ドイツ軍はフランスに奇襲

P55,56,70
ウェーガン計画に対しイギリスの遠征軍総司令官ゴート卿は海からの撤退を決断。
その時点でフランス軍への撤退命令はなし。
そうした中で、イギリス軍を当然最優先にしつつも、フランス軍もイギリスに救出した。
→P79 戦火の中、チャーチル自らがフランスに出向き同盟国としての仁義を切る。

P78
撤退戦における最後の迎え方。
アメリカ軍のコレヒドールでのマッカーサー撤退に繋がったと言われる。

P123
多くのことが不確かだったときだけに、主導権を回復することがなによりも大事であった。
→イズメー将軍への手紙

P126
戦車上陸用船やマルベリー港(浮かせて運ぶ人造港)の開発

P239
イギリスは膨大な量の武器をアメリカに発注。
しかし、ドルの外貨準備と、その代わりとなる金の保有は底をついており、今後の武器支払いが不可能になることは明白だった。
そうした状況のもと、再選を果たしたルーズベルト大統領は「Lend-Lease」(武器貸与)という形をとることを決めた。これは古い法律の一部に根拠があったが、イギリスが発注した武器をアメリカが買い取り、リースすることを議会で説明し、理解を得る必要があった。

P335
クレタ島の制海権維持
カニンガム提督「海軍が新艦を建造するには三年を要する。新しい伝統を作るには三百年を要するだろう。撤収(すなわち救出)は続けられるだろう。」

P346
中東作戦における現地のウェーガン将軍と本土のチャーチルほか三軍参謀らとの意見の相違と結果。
「できる以上のことはやらぬとか、やるからには確実にものにできることをやるということは、常によくいわれることである。しかしこの原則は、人生や戦争における他の原則同様に、例外を持っているのだ。」

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2018年09月23日

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