あらすじ
1995年より前と後では何が変わったのか。
『エヴァンゲリオン』のインパクトを受け止め、オタク文化の変化を論じ抜く。
セカイ系とは、『新世紀エヴァンゲリオン』以後を指し示す言葉に他ならない。アニメ、ゲーム、ライトノベル、批評などなど――日本のサブカルチャーを中心に大きな影響を与えたキーワード「セカイ系」を読み解き、ポスト『エヴァ』の時代=ゼロ年代のオタク史を論じる一冊。
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p26ぼくときみを中心とした小さな関係性が、具体的な中間項を挟むことなく、世界の危機など、抽象的な大問題に直結する作品群のこと
p83 シンジの戦場はいつもどおり学校もあればコンビニもある場所で、なぜ敵は襲ってくるのか、なぜ戦わなければならないのか、まったくわからないのである。結果的に思考は空転し、抽象化し、自分の問題に行き着いてしまう。
p117たかだか語り手の了見「世界」という誇大な言葉で表したがる
p92 「ふたりの遠距離恋愛」という主題のためだけに、ありとあらゆる要素が配置され、それ以外は潔く排除されているのである。
p170 半透明な文体=アトムの命題は、登場人物によって、作中の事態がチープで荒唐無稽で虚構的な自体だと名指され(揶揄され)なければ、立ち上がってこない。だからこそ、セカイ系は定義され、認知され、あるいは揶揄されればこそ、隆盛したのである、と結論することができる。
具体的な内実、技術背景の説明の省略。「エヴァ的」。自意識の物語。SF、ミステリの舞台を借りた自意識と恋愛の物語。ループものとセカイ系の親和性。読者との共有の前提に基づいた、メタ的な語り口による日常と非日常の融合。戦争系、(学園)都市物語以上に目立つのが、日常系、空気系。
これが書かれたのがニコニコ動画、ボカロ全盛期だから、また今書かれると違う考察が出ると思う。異世界転生ものとかチート主人公ものとか。
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所謂「セカイ系」と呼ばれる作品は未履修のものが多く、言葉の意味もなんとなく「自分語りの作品」というくらいにしか思っていませんでした。
しかしそれはごく一面的なものであり、セカイ系という言葉の意味自体が拡散され変遷されていった。そのことが具体的に作品や人々の言葉を引用して説明されています。
謂わばエヴァンゲリオン以降のオタク文化史、ゼロ年代オタク文化史の体を成しており、その時代のオタク文化に疎い身には参考資料として実にありがたいのです。
読んでいない小説(ラノベ)や見ていないアニメは今でも読んだり見たりはできます。しかしその作品がその時代に於いてどのように受け止められていたか、どのような位置に属していたのかという、時代の空気感のようなものはわからないのです。
その空気感がまとめられることで、作品への接し方も多重的になり、これから読んだり見たりする時により一層楽しめるでしょう。
で、結局「セカイ系」とは何なの? となると、一言で表わせられないからこの本を読むのだよとなってしまうのですけどね。それだけ変遷され拡散された言葉なのですね。ゼロ年代のオタク文化に於けるムーブメントとでも表わすのがいいのか悪いのか。
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マンガやアニメのようなサブカルチャー(オタク文化)を真面目に考察していて、それが新鮮で面白かった。セカイ系、エヴァというキーワードで社会(?)を考察しているような。
エヴァンゲリオンは見たことがあるが、初めて見た時に感じたことがそのまま書かれていた。前半は使徒との戦いや細かく組み上げられた世界観が面白かったが、いつの間にかよくわからない流れになる。最終回ではシンジが周りに「おめでとう」と言われるわけのわからない展開。当時は、なんだこれはと理解できずにいたのを思い出す。
エヴァは第19話あたりをピークに、映像の質はどんどん下がる。これは制作体制上の問題から、スケジュールが破綻したためとある。併せて、物語の視点はどんどん登場人物の内面へ移り、「アダム」、「リリス」、「人類補完計画」といった謎への解答は放棄される。こういった点が、実は大ヒットに繋がったと書かれている。
セカイ系とは、(後半の)エヴァっぽいもの。少年の自意識。自分を中心とした世界。なるほどなと思う。そういったものがヒットするようになっていたんだなと。
エヴァは社会的にも大きな影響を与えたが、この本ではそのひとつとして「作品受容の態度」が挙げられている。自分が見た時は、エヴァの前半・後半でのギャップについていけなかったんだなと思う。今はエヴァは面白いと思うが、その理由なんかが納得できたように思う。
この本を読んでいると、5年や10年で流行や作品の傾向、視聴者の考え方や好みは大きく変わるんだなと感じる。昔の作品が新たにアニメ化されたり、時間を経て続編が出たりというのはよくある。今はルパンやおそ松さんのアニメが放送されている。制作側は、そういった時代の変化をどう捉え、作品に反映しているのか。昔の作品とはどう変わっているのか、これからそんなことを考えながら見てみたいなと思う。
昔のエヴァと新劇場版のエヴァとの違いも、調べてみると面白そうだ。
なんとなく思ったが、中二病とセカイ系はどこか似ている。
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アニメという切り口でカルチャーを論じる一冊。
セカイ系って単語については少し前に知っただけだったので、そもそも定義について考えたこともなかったけれども、本書の論証は納得のいくものだった。
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セカイ系とはポスト・エヴァの物語群のこと。数々のオタク文化となった作品は知っていたが、それらが生まれてきた背景、歴史を、オタク文化の傾向の変遷に従って理解できた。コンテンツの流行り廃れとその理由が分析できること、それを「エヴァ」という視点から説明できることがとても新鮮で驚きに満ち溢れた読書経験だった。
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オタク論は面白い。広義のセカイ系作品も面白い。
クール・ジャパンとやらを、アニメではなくオタクという領域にまで拡げることを容認できるか、大人たちの度量の広さが試されるだろう。
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[ 内容 ]
セカイ系とは、『新世紀エヴァンゲリオン』以後を指し示す言葉に他ならない。
アニメ、ゲーム、ライトノベル、批評などなど―日本のサブカルチャーを中心に大きな影響を与えたキーワード「セカイ系」を読み解き、ポスト・エヴァの時代=ゼロ年代のオタク史を論じる一冊。
[ 目次 ]
序章 セカイ系という亡霊(セカイ系とは何か?;曖昧なその定義 ほか)
第1章 セカイの中心でアイを叫んだけもの―1995年‐99年(セカイ系=エヴァっぽい作品;メガヒットアニメとしての『新世紀エヴァンゲリオン』 ほか)
第2章 セカイっていう言葉がある―2000‐03年(オタク文化の自問自答の軌跡;萌えと美少女ゲームのゼロ年代―『ToHeart』 ほか)
第3章 セカイはガラクタのなかに横たわる―2004‐06年(セカイ系の定義の変化;ライトノベル・ブームとセカイ系 ほか)
第4章 セカイが終わり、物語の終わりが始まった?―2007‐09年(セカイ系の終わりと再興;宇野常寛の登場―『ゼロ年代の想像力』によるセカイ系の復活 ほか)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
Posted by ブクログ
非常に読みやすく、気軽にフーンって感じで読める。
セカイ系にもともと詳しくないので、いろいろと勉強になりました。
ちなみに、セカイ系の作品群を見てないけど、見てみたいという人は、考察の為に本書内でネタバレが含まれますのでお気をつけて。
Posted by ブクログ
「セカイ系とは何か」
実はこの「セカイ系」という単語。前々から興味を抱いてはいたのだが、扱いに困りあぐねていたのでこの本を見つけた時は素直に歓喜した。もちろん即買いである。
実際この問いにすらすらと答えることの出来る人は少ないだろう。オタク文化コンテンツを巡る言説空間で使われるワードのため、知らない人も多いと思うので、一応その定義を説明しておこう。セカイ系とは、一般的に次のような要素を持つ作品とされる。
・少年と少女の恋愛が世界の運命に直結する
・少女のみが戦い、少年は戦場から疎外されている
・社会の描写が排除されている
例えばマンガ『最終兵器彼女』、アニメ『ほしのこえ』、ラノベ『イリヤの空、UFOの夏』の三つはよく「セカイ系」の代表作として語られる。ところが、これらの作品はそれぞれ上の要素にあてはまらない箇所があったりする。また『イリヤの空、UFOの夏』などはアンチ・セカイ系作品と呼ばれることもある。こうした点から「セカイ系」とは実体の存在しないバズワードではないか、とよく言われてきた。そんな存在である「セカイ系」を正しく捉えようというのが本書の試みである。
本書は、セカイ系について時系列順で語られており、中盤まで「エヴァンゲリオン」を中心において色々な作品と比較して「セカイ系」とはどのような作品を指すのか丁寧に説明されている。中盤以降は「美少女ゲームの臨界点」などの影響により「セカイ系」という単語が多く出てきたことを受けて東浩紀をはじめとした著者からの引用が多くなっていく。
全体の印象としては、「エヴァンゲリオン」から「涼宮ハルヒの憂鬱」までのサブカルチャーの潮流をセカイ系という観点から分かりやすくまとめた本という感じだ。様々な観点から「セカイ系」について語られており、東氏と宇野氏による議論なども間に交えながら話が進み、実に多面的に理解が深められる書であった。唯一残念なのが、前島賢による分析の視点が足りないということだろうか。もっと突っ込んで意見を主張してもらっても構わなかったように思う。
アニメやサブカルチャー批評について詳しいとより本書は楽しめるので、読もうという方は事前に予備知識をつけておいた方がいい。丁寧に解説してはあるので不要かもしれないが、エヴァの大まかなストーリー位知らないと、何言ってるか分からない、かも。
Posted by ブクログ
今までwikipediaの説明文くらいでしか読んだことがなかったセカイ系について、その生い立ちからゼロ年代の後半までの一連の歴史と流れが詳しく説明されててとても面白かった。
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前島賢氏が2010年に発表したセカイ系について解説した著作。ある時期、さかんにサブカル論で使われていた「セカイ系」という言葉がありました。エヴァの影響下で、ぼくときみの問題が「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のことで、代表作としてハルヒなどが挙げられていました。あれから10年経ちましたが「セカイ系」って聞かなくなりましたね。でも、データベースとしては残っているようなので、似たような作品は量産され続けているような気がします。
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「セカイ系」の意味がわかってスッキリしたという気分にはなれなかったが、とりあえずこのバズワードに関連している’90〜’00年代の『作品(アニメやラノベ、ゲーム)』のタイトルだけは心に留めておくことにする。
Posted by ブクログ
著者は東浩紀の弟子なのかな?東浩紀寄りな記述が目立った。オタク界でのセカイ系の定義について年代を追った解説がほとんど。オタク界以外の社会やネットの影響などとも絡めて欲しかったな。ネットで手軽に世界の情報を瞬時に知ることができるようになり世界がまるで手に取れるような万能感を持ったことも、世界がセカイへと変化していった理由のひとつな気がするけどどうだろう?震災後、現実へと目覚めなければならない今、時代は社会はどう変化していくのだろうか。現実もゲンジツとしか感じられないようならもうオワリだね。
Posted by ブクログ
90年代後半からゼロ年代のオタク文化を語る上で欠かせない、「セカイ系」について評論した本。セカイ系とは、
・主人公たちの危機が世界の危機につながる
・主人公のひとり語りが多い(自意識過剰気味)
・いわゆる「戦う少女」が登場
・社会背景の描写の欠如
といった特徴を持つ作品であると定義付けられてきました。「新世紀エヴァンゲリオン」を筆頭に、「最終兵器彼女」、「イリヤの空、UFOの夏」といった作品がセカイ系に分類される。その特徴はTV放送されたエヴァの最後から二話に顕著に表れている。
エヴァ以降のオタク文化の流れを簡単にまとめると、
・1995~99年―ポスト・エヴァの時代
作品:「機動戦艦ナデシコ」、「ブギーポップは笑わない」
キーワード:阪神大震災、酒鬼薔薇聖斗、オタク公民権運動
・2000~03年―セカイ系の隆盛と「萌え」の誕生
作品:「最終兵器彼女」、「イリヤの空、UFOの夏」、「ほしのこえ」「ToHeart」、「AIR」
キーワード:9.11テロ、構造改革
・2004~06年―セカイ系の抽象化
作品:「涼宮ハルヒ」シリーズ、「戯言」シリーズ、「機動戦士ガンダムSEED」、「コードギアス 反逆のルルーシュ」、「月姫」、「Fate/stay night」
キーワード:萌え、テロとの戦い
・2007~09年―セカイ系からの脱却と物語消費への回帰
→コミュニケーションとしての作品
作品:「東方プロジェクト」、「ひぐらしのなく頃に」、ヱヴァンゲリオン新劇場版」、「らき☆すた」、「けいおん!」
キーワード:ニコニコ動画、二次創作、空気系4コマ漫画
「萌え」は今でこそオタク文化内で濫用されているきらいがありますが、元々美少女ゲームやライトノベルに現れた概念で、後からアニメや漫画に導入されるようになった流れがあったのは知らなかった
セカイ系の定義を「ひとり語りが多い」とするなら、太宰治やサリンジャー、大江健三郎の作品の自意識とどのように区別すればいいのかという件には思わず驚き。50年~100年後あたりの文化史のテキストには、セカイ系も彼らの作品に通じるものがあるとして扱われるかもしれない。
個人的には個人的にセカイ系というのはニーチェやドストエフスキーが追求した「実存主義」に相通じるものがあるように思う。19世紀後半も現在も時代の転換期である。
それから、最近のライトノベルの傾向として、オタク文化的現象が起こるのにオタク文化への言及(オタク文化作品のパロディ)がない作品(「灼眼のシャナ」、「ゼロの使い魔」など)と、オタク文化に言及するのにオタク文化的現象が起こらない作品(「生徒会の一存」、「僕は友達が少ない」など)の二方向への分化が進んでいるという記述も興味深い。こういう現象が起こる背景についても調べたいと思った。
内容自体は面白いけど、全体的に脱線しがちでまとまりのなさを感じた。それは拡散しつつ―「一般人」と「オタク」の境界が曖昧になりつつ―あるオタク文化界そのものにも言えそうなことであるのに奇妙な符合であるように思う。
Posted by ブクログ
ゼロ年代後半に終わった(とされる)セカイ系をエヴァを起点に概観、再定義している。むしろ4章後半のポスト・セカイ系の紹介の方がおもしろく読めた。
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なんであれエヴァはターニング・ポイントだったのだと思う。そして、エヴァを観た人は皆それを自分の物語として語る。私は観てないからわからない。観たらまたこの本についても違う感想が出てくるのかもしれない。
自分はダメだと反省したい、自己批判を自己肯定して、それをまた自己批判…というループを繰り返すのが、オタクだとする。アニメやマンガ、それらをひっくるめたサブカルチャー、オタク文化を楽しむときについてくる後ろめたさを、わかっていながら楽しむオタク。
でも、だんだん後ろめたさを感じないでオタク文化を楽しむ層が現れる。イイ大人だってアニメを楽しんでいいじゃない。芸能人が堂々と「ワンピース好き」を公言するみたいに、誇れることになってくる。それはオタクじゃない。オタクって自嘲的な意味の言葉だと思うので。そうなると、もうオタク文化は無邪気な文化になってしまう。そうなるともう進化(もしくは深化)が止まる。それは嫌だな、と思う。
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95年のエヴァブームをオタク文化の画期と捉える点で、「趣都の誕生」と表裏をなす。エヴァ以降の作品のコンテンツを丁寧になぞりつつも、「セカイ系」をはじめとするコンセプトの整理によって、東浩紀をはじめとするオタク論との接続をはかる。本書で触れられている作品に触れてはいない自分にとっても、ここ15年に起こっていた変化を概観できた。
Posted by ブクログ
序 章 セカイ系いう亡霊
第一章 セカイの中心でアイを叫んだけもの 1995年-99年
第二章 セカイっていう言葉がある 2000-03年
第三章 セカイはガラクタのなかに横たわる 2004-06年
第四章 セカイが終わり、物語の終わりが始まった? 2007-09年
セカイ系という言葉を聞くようになってからかなりたつが、正直あまり関心がなかった。
正直言って「エヴァンゲリオン」自体をあまり評価していないし、面白いとも思わなかった。
そこから先にくるものに興味がおきなくても仕方なかろう。
でも、これは一種の社会現象であるからして、作品がどうのこうのではなく、現象としてこれは何なのか?ということについては関心がないわけではない。
そこで遅ればせながら、ちょっとのぞいてみようと思い立って読んでみた。
そんな程度だから、当然作品も「エヴァ」以外は見てないし、「ほしのこえ」をようやくさっき見た。後は全然見ていない。
読んでも作品について書かれたところは当然ピンとこないが、とりあえず全部読んでみた。
まあそれなりにそういうことなのか、とはわかったが、なんとそこには、「セカイ系」はもう終わったと書いてあるではないか。
終わったからと言って、その影響はまだまだこれからあちらこちらに出てくるだろうから、まあ読んどいてよかったとは思ったが、少々関心を持つのが遅すぎたようだ。
ちょっとスピードアップして、セカイ系の道筋をトレースしておかなきゃなあと思う。
「エヴァ」にしても「ほしのこえ」にしてもはたまた「最終兵器彼女」にしてもとにかく戦争ものが多い。これはどうしても焼き直しが多い為にやむを得ないとは思うのだが、ここ十年の若者世代の弱点だ。
すべて戦争が起こってしまった後の話ばかり。それはもううんざりするばかりだ。
なんて想像力が貧困なんだ。というのが率直な感想だ。
でもこのままではない。すでにその後いろいろな動きが出ているようだ。
やはり一時のブームというか盛り上がりの後、そこを通過したホントの才能が必ずいくつか動き出す。そこへ繋がっていきたいという気はおおいにある。
読んでおくべき一書でしょう。