あらすじ
親友のいいなずけロッテに対するウェルテルのひたむきな愛とその破局を描いたこの書簡体小説には、若きゲーテが味わった青春の情感と陶酔、不安と絶望が類まれな抒情の言葉をもって吐露されている。晩年、詩人は「もし生涯に『ウェルテル』が自分のために書かれたと感じるような時期がないなら、その人は不幸だ」と語った。
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本屋さんに行ったときもう少し和訳が柔らかいのがあったのでそちらがおすすめかもです…。
私が読んだのは少し言葉遣いが旧いこちらですが、今使われてる言葉で読んだ方が心にすっと入ってくると思います。
ウェルテル現象という言葉があるぐらい当時の若者は感化された作品なだけあって、感ずるものがあります。まださらりとしか読めていないので時間をかけて味わいたい作品だなと思いました。
最後の方なのですがロッテが可哀想ですね!(幼稚園児並の感想)ウェルテルはロッテや周りの人達に一生消えない傷を残して去っていきました。きっとウェルテルはロッテの心の中の住人になれたことでしょう。罪深いですね!
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圧倒的。
青春期特有の人が持つまっすぐな心と純粋な感性にここまで肉薄し丁寧に描写した作品は数少ない。
現代の人はすぐに詩的な物言いに触れるとポエマーだの病んでるだの言う。
TwitterやSNSで安易に自らの心のうちを吐露してる人ももちろん大概だが、人の心のめんどくささだったりどうしようもなさを、一方的に俯瞰から見ては冷笑的なコメントをする人が多い現状はそれはそれで色々辛い。
ウェルテルは書簡体、つまりとても個人的なもので、本来は触れてはいけない人の「真実」が描かれる。彼の希望と絶望がそこに克明に記され、それを読んだ僕たちが魂の奥底で何かを動かされる。
ウェルテルは死んだがゲーテは生き返った。
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まさに疾風怒濤という小説で、主人公が畳み掛けるように心理が変化していく様が痛いほど分かった。様々なモチーフや風景描写が随所に散りばめられ、後々の考えに影響を及ぼしたりする伏線のようになっているところも面白かった。ただ、一部二部と三部で構成が変わり、いいところもあるのだけど、没入感やテンポがなくなってしまったように感じられ残念だった。(解説にも同様に思った人もいたと書いてあり安心した)
ウェルテル効果という現象や言葉ができた理由が分かったように思う。
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古語が多く、また、特に序盤は内容がとっつきにくい為、読み終えるのに少し体力が入りましたが、当時の時代背景における本書の位置付けや、主人公の独特の価値観を踏まえた上で読むと、物語の進行とともに本書の素晴らしさを痛感しました、、、。
18世紀に書かれたとは思えない、今なお先端を走る圧倒的な普遍性は、非常に読み応えがあり、出会ってよかったと思える本の一つでした。
啓蒙思想から脱却と、人間性の開放、、、。
『もし恋なかりせば、この世はわれらの心にとってなんであろうか?』
『人間は人間です。誰かがすこしばかり分別をもっていたところで、いったん情熱が荒れくるって人間の限界におしつめられたら、そんなものは、ほとんど、いやまったく、役には立ちませんよ。』
『しかし、この心情こそは私が誇る唯一のものであり、力も、浄福も、悲惨も、すべてはこの泉から湧く。ああ、私が知っていることは何人も知ることができる。ただ、私の心は私だけのものだ。』
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友人とゲーテの思想を学ぼうと決め、本書を手にとった。本書は、主人公のウェルテルが親友のいいなずけのロッテに恋する物語である。本書におけるウェルテルは狂人と言ってもいいほどの勢いでロッテに愛を捧げている。現代においてはストーカーと呼ばれても仕方がない程のウェルテルの行動ぶりは理解に苦しんだ。当時のドイツ社会では本書が人気を博したとのことだが、それほど皆がウェルテルのような純愛を経験していたのだろうかと疑問に思った。また、ゲーテは「もし生涯に『ウェルテル』が自分のために書かれたと感じるような時期がないなら、その人は不幸だ」と述べているが、私自身にその時期が来る未来を想像できない。しかし、一人のことを命をかけて好きなるということは人間のロマンとも言えるし、美しいことだと思う。現代では人の恋愛に対するコミットメントは比較的あっさりしたものとの印象を受けるが、ウェルテルが体験したような人生を左右されるほどの恋をする機会を持ってみるのもいいかもしれない。
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有名な作品。読んでみると確かにすごい作品だった。前の話だけど、人の弱さ、繊細さがよく描けていると思う。色んな意味でとてもズシンと響くものがある作品だった。角川をベースに岩波と読み比べをしながら読んだ。全体的には角川のほうが読みやすいけど統一した雰囲気は岩波のほうがある。特に最後の詩の部分は岩波のほうが読みやすい。
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ウェルテル効果、という主に有名人の自殺に伴う自殺の連鎖を生む現象のこと、その元ネタ。
数百年前のドイツで、こんな小説が出るのは衝撃だろうと思う。人間の感情をここまで赤裸々に吐露し、しかもそれが受け入れられたということ。
理性でなく、人間的な自然な感情を肯定している、そんな感じがする。
ロシア文学っぽいけども、あちらほど能力もないのに卑屈になっている様子ではなく、ある特定の人とはきちんと交流を持てている。が、表層の権威への反発など(理路整然的なものとそうでないもの)は似通っているように感じた。地下室の手記のよう。
大学生のときに読んだが、あの時は、まさに自身があの中に居たような気がしていた。いま読むと、作中でも触れられているが、のめりこむような生活ではなく、ある程度いくつかのことを並行して行う。そのため、冷静でいられる。
もうあのようには戻れないのだろうか。
確かに幸せだったのかもしれない。
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主人公はどうしようもなく苦悩しているのに、詩的情熱が充溢しているためかどこまでも牧歌的。
人生と恋愛と芸術を、人々がずっと素朴に、また真摯に愛していたのだろうな......悲劇的な結末が避けられないほどに。ドイツ的時代精神にふわーっと憧れました。
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これを読んだのは、高校3年生の秋から冬。
受験を前にし、ちょうど失恋したばかりのころ。
失恋の痛手で手にした作品とも言える。
その後も、少なからず失恋はした。
だけど、初めて読み終えて以来、この本をまた開く気持ちになれなかった。
何故なら、最後のくだり、ウェルテルが事におよぶシーンが痛ましく、再び読み返すことができなかったため。
失恋を経験してるなら、一度は読んでみてもよい作品だと思う。
けれども、悲痛過ぎて、個人的にはもう読むことができない作品でもある。
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いやはや全く、男って太古の昔から馬鹿だなぁ…ということに尽きる。こういうタイプの人を何人か見たことがある。端的にいうと失恋によって病んでしまう人。
女って失恋でここまでならない気がするのよね。ちゃんと次に行くエネルギーがあるというか。失恋でおかしくなってるのって男だけな気がする。逆に女は恋愛中におかしくなるイメージ。
ロッテに関する手紙の描写がなんというか激しすぎて、今でいう厨二病を文学的なMAXの値まで高めるとこうなるんだな…と半ば感心しながら読みました。全文きっちりは追えなかった…だって全部同じなんだもの…あ!な!た!を!こんなに!愛して!いるのに!!!ということだけ…笑
この時代にドイツで本小説の流行によって自殺者が増加したというのはすごい話だなぁと思う。それくらい、人間なんて脆くてすぐ転んでしまうものなんだなぁと。
当時精神病の概念があまりなかったはずのところに、きちんと今のような精神病に関する理解があるような書き方をしているのはゲーテ先生さすが、の一言ではある。
あとがきを読むと、この話はほぼノンフィクションのように色々な人の手記・日記・手紙をつないで作ってあることがわかる。そうだよねー人に物事を伝えるのが手紙しかない時代、書き綴って送るしかないんだものね。今ならチャットがあり、どんなやり取りになるのか…現代版若きウェルテルの悩み、どこかにありそう。探してみようか。
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「もし生涯に『ウェルテル』が自分のために書かれたと感じるような時期がないなら、その人は不幸だ」
不幸な人生を送っているな!
けど自分じゃ体験できないことを味わえるのが本だから。
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ロッテへの気持ちやその表現の方法がとても綺麗で、詩を読んでいるみたいだった。アルベルトの性格が普通に良い奴で、個人的に好きだった。その分ウェルテルのリアルな心情が伝わってくるというか、、、
自分の理解が浅いのは重々承知なんだけど、個人的にはストーリーとしてはなんかありきたりで単調な気がした。ロッテへの恋の道筋がちょっと短すぎるような気がする。ラノベの読みすぎかなあ
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再読のためだろうか、もしくは岩波の訳者の方が合うのだろうか。
今回の方がするすると私の中に入り、情景が以前より明瞭になった。解説も骨組みや思想などわかり易くて良かった。
単に恋愛自害の本ではなく、自然に帰ることや、階級社会への反発など、精神的文化的な背景を知ることが出来た。自然に対する豊かな表現はすきだが、主観の激情を通して他方を見る形は自分には受け入れ難いと感じた。
「不機嫌は怠惰と似たものです。」
自殺の本として知られるが、前半は生きる上での教訓や指針を示してくれる。悲哀だけが本質では無い。
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若きウェルテルの悩み」が自分だけのために書かれたように思う時期が一生のうちになかったら、それは不幸なことだといわなければならない…
愛の描写が激烈
現代版ポエマー?
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「これほどにも子供なのだよ!ただ一瞥に恋い焦れて!これほどにも子供なのだよ!」
一度目に読んだ時よりも、ずっとウェルテルに感情移入して味わうことができた。
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人の心なんて理屈じゃ分からない。ウェルテルの悩みは誰もが一度はする悩みじゃないかな。世の中自分の思い通りにいかない事ばかりだし、人間を信じれなくなる事もたくさある。人間なんて自己中で愚かで、悲しい生き物だってよく思うことがある。それでも、それもまた人生だと思って、毎日生きようと思う。
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物語がウェルテルの手紙という形を取るため、ウェルテルの心情より生々しくリアルに感じられた。
最初は目線も広く心の芯に自分を持っていたウェルテルだが、ロッテとの叶わぬ恋に陥ってからは緩やかに狂気が増して行く。
恋は盲目という言葉がピッタリ当てはまっちゃったウェルテルだが、程度はあれど誰もが通る道ではある。
作者ゲーテの実体験がモデルとなっている背景を知るとタイトルの「若きウェルテル」いうフレーズにも感慨深い。
お菓子メーカーのロッテは、ここがモデルだった豆知識も知れて良かったですね。
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ウェルテルの気持ちはよくわかる
客観的に見ると大したことのないよう思えるけど本人の立場からすればロッテが自分の全てになってしまっているのだろう
馬鹿馬鹿しいと本人も思っていたかもしれないがそこから抜け出すのは難しい
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小説前半のウェルテルの鷹揚と、後半の激情、そして編集者による考察。この三段構えの構成がゲーテの天才性を感じさせる。自分としては深く感情移入する作品ではなかったが、とある詩人は「もし生涯に『ウェルテル』が自分のために書かれたと感じるような時期がないなら、その人は不幸だ」と語ったそうである。ふむ。
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この小説内の時代を形作る空気感や背景の細部までを理解することは私にとって難しかった。これは私の浅学が原因であり、それによって私がこの本に散らばるウィットネスを余すところなく堪能したと言うことは出来ないかもしれない。しかし、主人公ウェルテルのオーケストラの如き壮大な形容を以ってして紡がれる景色や心象の描写には時に圧倒され、時に激しく共感させられた。またこれは単なる物語文ではないことも読んでいるうちに理解出来るだろう。哲学や法学などのエッセンスがふんだんに盛り込まれており、物語の本筋とは違うところでしばし考えさせられることがあった。まだ多くは読んでいないので断言は出来ないが、この時代の小説は半ば哲学書であるといえよう。
考え過ぎる、傾倒することの危うさを身をもってウェルテルは証明していたが、自らの持てる知識や想像力を動員してこの物語に取り組むことは一般的にいって深く考えるということであり、そうしている時間は何物にも変えがたいものであるといえる。この本に限らず、それぞれの本から何を読み取り、自らの手で汲み取るかは人それぞれであることは言うまでもないが、一口にこの本から得られるものは少なくないだろうと思われる。
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ウェルテルのロッテに対する激しい愛情はすさまじいものであり、ウェルテルにとってロッテは全てである。ロッテとの別れは自己の喪失を意味する。
ウェルテルのように自分の内世界に傾倒し、感情的に生きることに憧れてしまう。
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この本で見られる形の失恋は確かに誰しも経験したことがあるかもしれませんね。
しかし最後の解説でこの本がブームになったことで自殺者が増えてしまったと知ったとき恐ろしい本だなと思いました。
元気じゃないと読んではいけない本です。
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美しい自然の描写や村の人々の生活がのどかでよかった
人の婚約者に惚れてここまで悲劇の人間ぶることある?ってなるくらい仰々しい表現で恋の喜びと苦しみと破滅が書かれてて凡人には共感できる感情の動き幅じゃなくておもしろい
恋愛に、というよりも、恋愛についての自分の思考に振り回されて自滅していく様子が秀抜
タイトルに採用されるのも納得の悩み具合だと思う
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ウェルテルはロッテに恋するが、彼女には婚約者がいる。それでも構わぬと友人として交際を始め、彼女を崇拝し、やがては自分が婚約者/夫たり得たらと空想し、それが叶わぬと知り悩み、絶望して、ついには自殺する。
本書はウェルテルが友人に送った書簡の体裁を取っている。そのため読者が知れるのはあくまでウェルテルの内面だけだ。彼がいくら心の底からロッテに惚れ、愛の言葉を紡ごうとも、当の本人には伝わらない。自分たちは相思相愛だと主張するが、ロッテに確認する術は無い。あまりに一方的だ。
ロッテに対して執着同然の恋心を抱いたウェルテルの破滅は、彼女への“呪い”になってしまったと自分は解釈する。「自分が彼を追い詰めてしまったのではないか?」という疑念・自責は消えないだろう。片想い、それも相手側にもある程度察せられているような片想いは、過ぎると災いでしかないのだろう。
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それまで冒険小説などのいわゆる娯楽小説が大半を占めていた中でいわゆる私小説というジャンルを創設したのがゲーテ。啓蒙主義に基づいた理性への信頼全盛の時代にあって、恋愛にまつわる激情を描き出した画期性はたしかにあったのだろう。あったのだろうけど人生経験の乏しさゆえか、そこまで没入は出来なかった。ゲーテに言わせればウェルテルに共感できない僕はまだまだ不幸な人間なんだろう。
しかし、表現がいちいちロマンチックで刺さった。一番好きなのはこれかな。
「ときどき不可解な気がする。私がこれほどまでにただあのひとだけを、これほどにも熱く、これほどにも胸いっぱいに愛して、あのひとのほかには何も知らず、何も解せず、何も持ってはいないのに、どうしてほかの男があの人を愛することができるのだろう?愛することが許されるのだろう?」
芸術のみならず実務方面でも才能に恵まれて、世俗的成功は意のままのウェルテルが本当に欲しいものは手に入れられないことの哀しさをこれほどまでに痛切に伝える文があるだろうか。
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新学社文庫より出ている学校指定の本で読みました。
なかなか言い回しを読解することが難しく苦戦しましたがウェルテルのロッテに対する恋慕と陶酔が表現されており、若くしてのため悩んでしまったのか。
気付いたときには遅かったのか。あの時代の背景として自由婚でなかったのか。時代に合わせた背景が解らないので深く読めなかった。勉強不足だった。
思いが募りすぎて最後の方で見つかる死にかたを選んで死んだことが見せしめのように見受けられちょっとサイコパスだなってかんじました。
思いに対して生きているウェルテルがアルベルトに対して嫉妬ではなく、自分への悲願として選んだのが死だった。恋慕が切なく儚く感じた作品でした
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恋が成就せずに自殺するという流れは知っていたけど、思い詰めて思い詰めた先に自殺かと思ったら、結構序盤で自殺のことを仄めかしていた。
もとからウェルテルは自殺へのハードルが低い人だったんだろう。
さすが詩人、情熱的な描写が秀逸なんだけど、ちょっと長いな!!(特にロッテへの読み聞かせ)
ウェルテルは若者らしく、感受性豊かで、曇りない世界を愛している。けれども現実は権力欲に取りつかれた人間や、(ウェルテルにとって)この世の理をわかっていない連中ばかりで理解者がいない。
ロッテは唯一ウェルテルの安らぎだけど、別の人の物で、どうにもならなさが、この世の不条理がじわじわとウェルテルを蝕む。
ウェルテル自身も教養のある富裕層だけど、アルベルトがぐうの音も出ない完全に自分の上位互換で絶対に勝てない相手だから、ウェルテルにとっては負け戦。消化試合。
自分に寄り添ってくれる理解者がおらず、世にはどうにもならないことが取り巻き、愛していた自然もウェルテルの思い出の場所を破壊し、ウェルテルに牙をむく。追い詰められた人間の行く先は死のみ。
繊細で生き辛さを抱えているウェルテルだけど、少しも感情移入できない読者はそれもまた不幸だと思う。
Posted by ブクログ
ウェルテルの心理が描き出した、すこし歪な世界観。
だが、同情する点も多々あり、改めて世界は見る人によって表情を変えるのだなと。
フランクフルト旅行の前にゲーテの本を読んでみた。