あらすじ
晩年のニーチェ(一八四四―一九〇〇)がその根本思想を体系的に展開した第一歩というべき著作。有名な「神は死んだ」という言葉で表わされたニヒリズムの確認からはじめて、さらにニーチェは、神による価値づけ・目的づけを剥ぎとられた在るがままの人間存在はその意味を何によって見出すべきかと問い、それに答えようとする。
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Posted by ブクログ
主に「超人」について語られた上巻から一変して、下巻のメインテーマは有名な「永劫回帰」へと転換する。
この世の一切は永遠に、何度も何度も繰り返す。繰り返すからといって、少しずつよくなったり、悪くなったりするわけではない。一切は全く同じように繰り返す。
もし自分の人生が終わった瞬間に、また初めから同じことを繰り返せ、しかも永遠に何度も、と言われたら?普通の人は発狂してしまうだろう。
が、ツァラトゥストラは、永遠に繰り返す世界に絶望するのではなく、生を愛し、永劫回帰を受け入れ、何度でも生きてみせる強靭な精神をもつことを要求する。
ツァラトゥストラ自身も初めは「ああした人間が永遠にくりかえしやってくる!あの小さな人間が永遠にくりかえしやってくる!(中略)ああ、嘔吐!嘔吐!嘔吐!」と嫌悪感を隠さない。
が、鷲や蛇といった動物たちに励まされつつ自分を奮い立たせ、やがては「永遠よ、わたしはあなたを愛する」と歌うに至る。
最終章となる第4部では、さまざまな人物(俗世を嫌悪する「ましな人間」たち)が登場し、ツァラトゥストラと問答を繰り広げる。
「ましな人間」たちとの対話を通じ、ツァラトゥストラは、「同情」こそ忌避すべき「最後の罪」だと悟る。
他者に対する同情を罪悪とみなし、「外界などはない」(p132)と嘯く。しかも自身を慕い、追随する者たちを繰り返し拒絶する。
ニーチェの思想は、もとより他者との関係性を考慮しない(ばかりか、積極的に無意味化する)ものであることが明示された形だ。
あくまでニーチェが主眼においているのは、自己を超克するということと、これに加えて、いかなるものをも絶対化せず自問し続け、世界のあらゆるものに自ら意味を与えていくということという、至極エゴイスティックな思想だ。
と、「今の俺」は解釈した。
『ツァラトゥストラ』は通り一遍の読み方を許容しない。必死にテキストを追って解釈しようとするよりも、むしろツァラトゥストラと同じ高みに到達し、対等な相手と議論を交わすかのごとき読書態度を求められているような、そんな気がする。そのためには、思索的な鍛錬と、さらなる読書が俺には必要。
Posted by ブクログ
ツァラトゥストラを主人公にした、当時のキリスト教社会を否定したニーチェの思想を盛り込んだ物語。
初めはなんやこれな感じだったが、聖書をパロッタものということがわかってからは、これがどうして中々面白く読めた。
本来の思想はもっと違うのかもしれないが、個人的な感想としてはより現代的であると思うし、結構自己中心的でもあってとても人間くさく感じる。
哲学書として非常に難しくはあるが、今風っぽく人間らしい主人公に共感しながら読み進められる分、入り口としてはうってつけなのではないかと思う。
またある程度時間が経ったら読み返してみようと思う。
Posted by ブクログ
つづき。
主人公ツァラトゥストラが、さらに進化していく、そして最終的に自分の理想的な役割を人間との間で果たしうることになったのか…。
前半あまり民衆たちに受け入れられなかった部分が目立ちましたが、
少し出直したあとは、最終的に永遠回帰の教師ともいわれるまでになっていっているようです。
引き続きいろいろと独り言?説教?歌?で語られていまが、同時に、沈黙すること、通過すること、といった部分もあり。
肉欲、支配欲、我欲、という3つの悪、と言われるものについての述べられていますが、
無私な生き方を否定し、我欲を至福のものとしてたたえる者を肯定しているようです。
そして強調されているのは、自分の意志を持って判断すること、同情しないこと。
___人間は容易に発見されない。ことに自分自身を発見するのは、最も困難だ。「精神」が「心」について嘘をつくことがしばしばある。こうしたことになるのも、重力の魔のしわざである。
だが、つぎのように言う者は、自分自身を発見したといえる。ー「これはわたしの善だ。これはわたしの悪だ」と。かれらはこう言うことによって、「万人に共通する善、万人に共通する悪」などと言うもぐらと小人を沈黙させた。(87)
___いい趣味でも、わるい趣味でもない。わたしの趣味なのだ。90
隣人を愛するのではなく、自分自身を愛する者。
最も遠い者に向けられたわたしの大いなる愛は命じる、「あなたの隣人をいたわるな!」と。人間は克服されなければならない或るものなのだ。…自分自身に命令することのできない者は、人に服従することになる。自分自身に命令できる者は少なくないが、かれらも自分自身に服従するまでにはなかなかなれない!(96-97)
意志することは、自由にすることだ。なぜなら意志することは、創造することだから。これが私の教えである。そして、あなたがたはただ創造するためにのみ、学ぶべきなのだ。(110)
これまでの一神教の伝統的契約の世界観に対しては、新しい人間世界を打ち出しているのかと思います。そもそも契約の世界観が薄い日本人的には、永遠回帰のほうがなじみやすい気もしますが。
___人間社会。これは一つの試みである。わたしはそう教える。ーひとつの長い時間をかけた探究。すなわち命令者を探し求めることである!… 社会は「契約」などではない!(121)
人類の未来をびやかす最大の危険は、「善くて義しい人」たちのもとにひそむ。彼らは、創造できない。創造する者をこそ最も憎む。古い価値をこわす者、破壊する者をーかれらは犯罪者と呼ぶ。(122-123)
___多くの原因を結び付けてわたしというものをつくりだしている結び目ーその結び目は、またわたしをつくりだすだろう!わたし自身も永遠回帰のなかのもろもろの原因のひとつとなっている。(139)
第4部は、さらに祖国や父の国ではなく、未来、こどもの国、漕ぎ出す勇気を奮い立たせる言葉が欠けられているように思います。
暗く深い生にある、自分にとっての永遠のよろこびを、見つけること。大事にすること。極めていくこと、感性に磨きをかけていくこと、そんなことをニーチェは考えていたのかなーと思いました。