【感想・ネタバレ】万葉集(二)のレビュー

あらすじ

銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむに優(まさ)れる宝子(こ)にしかめやも──今なお愛される万葉集.親子の情,,恋の心,花鳥のあわれ,そして機知諧謔.本冊は,大宰府における大伴旅人,山上憶良らの唐(から)ごころあふれる歌文を収める巻五から,春夏秋冬の順に歌を配列する巻八までの約九百首を掲載.全歌に現代語訳・注釈を付ける.(全五冊)※この電子書籍は「固定レイアウト型」で作成されており,タブレットなど大きなディスプレイを備えた端末で読むことに適しています.また,文字だけを拡大すること,文字列のハイライト,検索,辞書の参照,引用などの機能は使用できません.

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Posted by ブクログ

 古代人の食事事情についての研究成果をまとめた興味深い本がある。三船隆之『古代人の食事と健康』という本だ。奈良時代の人々がどんな食生活を送っていたかを、『延喜式』にて確認できる食品の納入記録、荷札として使われていた木簡、平城京跡のトイレ遺構などを調べて明らかにした世にも珍しき書籍で、詩歌や政治の面に注視しがちな奈良時代の解像度を高めてくれる資料として非常に価値が高い。
 長屋王宅のトイレ遺構に残されていた排泄物の残滓から寄生虫の卵の痕跡を見出し、奈良時代の人々が淡水魚や猪を生で食べていたと結論づけたこと、冷蔵庫のない時代のためおかずになる食品はほぼすべて塩漬けで塩辛いものであったこと、経典の書写を担当していた役人たちが給料がわりに大量に米を食べていたこと、それがもとで病気になった人々が非常に多かったことなど、枚挙に暇がない程に面白い記事に満ち溢れているのだが、なかでも山上憶良が「肥満体型」だったんじゃないかと結論づけた章は特に驚かされた。死を目前とした憶良の病の症状や、彼と同じ冠位の貴族の食生活を参考にそう断言しているのだが、十分に説得力のある論術で、大いに考えさせられるものであった。もう読んでから1年近く経つと思うが、未だにあの記事の内容が鮮明に頭に残っている。

なぜ『万葉集』について批評すべき場で無関係と思われる本を持ち出したのかと思われるかもしれないが、これがまったく無関係ではない。岩波文庫『万葉集 2』は巻5から巻8までの歌が取り上げれており、巻5はほぼ大伴旅人と山上憶良で占められている。上述の書籍を考慮に入れた上で、巻5に納められた「貧窮問答歌」について考えてみたい。
 憶良の代表作といっても過言ではない長歌のうちのひとつで、彼の旅人に勝るとも劣らぬ豊富な漢籍の素養に裏打ちされた傑作だが、ここでちょっと考えてみてほしい。肥満体型の憶良がこれを詠んでいたとしたら、と。


 「寒くしあれば 堅塩を 取りつづしろひ 糟湯酒 うちすすろひて」

 塩をちびちびと舐めて、湯にといた酒粕を飲んでいるうちに肥満体型になるのだろうか。もしや体内でカロリーを生み出しているのではないか。

 「かまどには 火気吹き立てず 甑には 蜘蛛の巣かきて 飯炊く ことも忘れて」

 いやいや絶対お前米炊いて食ってるだろ。甑で蒸した堅い米食っているだろ。


という悪ふざけはここまでにしておこう。直木孝次郎『万葉集と古代史』にて言及されていることだが、憶良には地方郡司だった時代があるらしい。下級役人であれば上述したような生活を送っていた可能性は十分考えられるので、この時代を振り返って詠んだと考えれば矛盾しない。『トイレの神様』みたいに、絶対にお前トイレ掃除したことないやろ!ってかんじの人が作った、みたいなことにはならないのでご安心ください。ちょっと角度を変えてくれる本があるだけで、リソースと言える書籍も一気に読みが深まることを伝えたかった。

 ただ、今までと同じように「貧窮問答歌」を見れなくなってしまったことは否めない。巻5は漢籍からの影響が濃く、小さくまとめられた『懐風藻』という印象が強いため、全体的に精神性の浅さが目立つ。また、名歌と言えるような作品はちらほら見えるが、随所に挿入されるいやに雅な漢詩が和歌の品格を落としてしまっている。四六駢儷体の体裁の良さが、それぞれの和歌を浮ついたものに見せているからかもしれない。
 以上の理由から「貧窮問答歌」は中身のない空虚な歌に仕立てあげられてしまっているのである。ここに憶良自身の栄養状態の情報も加われば、もはや名歌ということは不可能になるであろう。ほとんどの歌が、この雅という毒牙にかかってしまっているのだ。
 しかし、この鼻につく「雅」の文の中で極めて異彩を放っていたのが「沈痾自哀文」である。

 「朝夕に山野に佃食する者すら 猶し災害なくして世を渡ることを得。昼夜に河海に釣魚する者すら 尚し慶福有りて 俗を経ることを全くす」

 仏教的な思想で言えば、獣や魚を殺し、それを食べる者は大罪を負うはずだ。しかしそんな人々でも寿命を全うするのに、自らは四肢が動かなくなる難病に苦しめられている、なぜだ、と強く何者かに訴えかける気迫、賢者であろうと、仙人であろうと、やはり皆求めるのは健康と長寿、つまり生きることなのだ、と命の尊さを論じ、生に執着しようとする心、全てが凄まじい。本人の病状と反比例するように昂る精神、畳み掛けるように言葉を並べ立て生を求める貪欲さ、これをなんといったらよいのだろうか。虚飾にまみれた巻5の中で、この歌だけが真実に満ちている。嫉妬、怒り、諦め、執着、そう、人間の強さが、人間の汚らしいまでの強靭さの爆発がこの歌にはあるのだ。正直私にとって『万葉集 2』はこの歌で終わった。これ以上は望めないと思った。だからこそ、長々と時間を使ってまでこの歌を論じたいと思い、ここまで記すこととなった。もはやこれ以上、何も言うまい。



というのは少しおおげさで、実際はこれ以外にもたくさん秀歌が納められている名著です。季節の歌を納めた巻8は、巻11や巻12と違い、名のある歌人によって詠みあげられたものが多いので、優雅で個性的なものたくさんあります。色々書きましたが、是非読んで頂けたらと、そう思う次第にございます。

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2026年02月27日

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