あらすじ
日本の詩歌の源,最古の歌集.奈良時代末に編まれて以降,読み継がれてきた二十巻四千五百余首には,宮廷歌人から無名の男女に至る人々の心が映される.本冊には巻一―巻四,雄略天皇・額田王・柿本人麻呂・大伴旅人らの雑歌・相聞・挽歌・譬喩歌を収録.新日本古典文学大系に基づき,86年ぶりに全面刷新した文庫版.(全五冊)※この電子書籍は「固定レイアウト型」で作成されており,タブレットなど大きなディスプレイを備えた端末で読むことに適しています.また,文字だけを拡大すること,文字列のハイライト,検索,辞書の参照,引用などの機能は使用できません.
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Posted by ブクログ
評価を5以上つけることはできないのだろうか。
万葉集やそれ以降の歌集については、角川ソフィア文庫など、初学者向けに秀歌を抜粋して解説してくれているありがたい書籍が各社から出版されている。私も一番最初に手に取ったのはビギナーズクラシックのそれだったし、その後岩波新書の『万葉秀歌』を読んで学んだ。しかし和歌というものは、すべての歌を参照し、なぜそれぞれの歌がその巻にその順番で配置されているのかを考えなければ、その真の価値を理解できないのだ。本書を読んでその必要性を痛感した。また、人の鑑賞眼によらず自らの感性に従って歌を評価することの重要性をも改めて感じた。
「紫草のにほへる妹を憎くあらば 人妻ゆゑに我恋ひめやも」
これは天智天皇と深い関係にあった額田王に向けて大海人皇子が詠んだ歌で、時の天皇の恋人との関係を匂わす危険な歌として昔は評価されていたが、現在は酒宴で戯れに詠まれた歌だと評価されている。私が読んだ本では「当時は酒宴の席ではすべてのことが無礼講として許されていた。」との説明があったが、それ以上特に解説もなかったので、今一信憑性にかける情報としか思えなかった。しかし本書にてこの歌の配置されている場所を見れば一目瞭然、恋についての歌を集めた相聞の部ではなく、祭祀や酒宴の席で詠まれた歌を集めた「雑歌」の部に配置されているではないか。これを知り、歌に付された解説を読んでやっと合点がいった。専門家の人々からは何を今更と言われるかもしれないが、永年初学者の私にとって、天皇の思い人との関係をにおわすことが酒宴の席で許されるという事実は受け入れ難いものだったのだ。
笠女郎が大伴家持に向けて詠んだ多くの歌、これもやはり一つ一つ抜粋して載せてしまっては味気ない。「人を恋すると死んでしまうというのであれば、私は何度でも死んでしまっていることでしょう」などと、命をかけて家持に恋しその想いを打ち明けた29首、それが数ページにわたって展開されるのを目の当たりにした人は驚き、胸打たれ、涙を流すことだろう。強い想いを抱きながらも、時に戸惑い、諦めそうになり、それでも深く恋し続ける、その心の変容を表した一連の歌はまるで散文のようで、『源氏物語』の心理描写に勝るとも劣らない。むしろ激情を表し切ったという点から言えば紫式部を遥かに凌駕するであろう。
万葉集を評し書籍に残すのは、皆ことさら優れた文人の方々だ。しかし無数に存在する人間のことだ、その趣向が全員一致しているわけがない。
「北山にたなびく雲の青雲の星離れ行く月を離れて」
これは天武天皇崩御の時、持統天皇が詠んだ歌であるが、多くの書籍で相手にされておらず、本書の解説でも意味不明な歌として扱われている。しかし、私はこの歌に強く惹かれた。山に寄り添いたなびいていた雲が離れてゆく、「星の親父」とも言える月を離れ、星は彼方へと消えていく、その趣きに名状し難い儚さを感ぜずにはおれない。現代的な感性を持つからこそ私はこの歌に惹かれるのかもしれない。
時代によって評価が変わるということは芸術家や作家にしても同じことだ。先行研究は間違いなく重要だが、1億2000万分の1のものの見方で作品を見ることも大事にしなくてはならない。もっとも万葉集を読んでいる国は日本だけではないのだが...。
万葉集は1000年以上の研究の歴史があるにも関わらず、未だに未訓の歌が存在する。本書の編集に携わった人々は、膨大な先行研究や漢籍、現行の研究成果などありとあらゆる情報を参照して訓を施していながら、それでも至らぬところがあるとして、未訓の歌を原文のまま載せ、将来に託すとしている。形だけでも解明できたことにしない学者の方々の真摯な思いに最大限の賛辞を送りたい。私には到底無理な話だが、これだけの情報量を持った本書だ、必ずや後に続く優秀な学者が残された謎を解き明かすであろう。
万葉集は古墳の研究に近い。どれだけ突き詰めようとも、そこに終着点などありえない。その途方も言えない作業に従事する方々に、心からの敬意を表する。私もまずは、本書を皮切りにして残りの4冊を読まなければいけないなと思った。
Posted by ブクログ
感情を率直に歌い上げるという評価の通り、歌に迫力があります。
但馬皇女の116番の歌や、大伯皇女の105番、106番、大津皇子の107番の歌など緊張と臨場感が伝わってくる。
また大岡信氏が高く評価した笠郎女の歌も、多くがこの岩波文庫版(一)に収録されている。
第4巻に彼女が家持に贈った歌が24首一気に載せてあるが、とんでもない才能だなと。
本文庫の特徴は、学校の教科書に載るぐらい定着していた解読を一部改めたこと。
例えば
柿本人麻呂の「ひむがしの」の歌、炎(かぎろひ→けぶり)
志貴皇子の「さわらび」の歌、石激(いはばしる→いはそそく)
どちらも納得いく改定でした。ここから分かるのは、『万葉集』の解読はまだ完了していないということ。
そして、100%確定することは不可能なのではないか、ということ。どこまで行こうと推測・仮説の域を出ない。
それは本書の解説に、1000年の研究史を経てもなお完全には読み解けていない歌集だと書かれている通り。説が分かれるどころか、解読すらできない歌が中にはある(9番や67番など)
しかし、じゃあ何を言っても正解なのかというと、それも違う。
100%確定することは不可能でも、その正解に一歩ずつ近づいていくことはできます。その努力を放棄することはない。人ごとに遥かに歩み続けなければならない。
もう一つ言いたいのが、なぜこんなに
天皇・皇子・皇女・貴族・官人から名もなき庶民に至るまで作者の階層が広いのか
北は陸奥、南は薩摩まで地名分布が広いのか
数多くの動植物、装束、調度品など詠みこまれる事物が豊富なのか
さらに歌の内容も豊富だし、漢文や漢詩や書簡集まで収録されている
こんなに内容豊かな作品が日本の文学世界に突如として出現した。第二分冊の解説で「空前絶後」と言われてるがその通り。もっと段階を踏んで作品が少しづつ豊かになっていくなら分かるけど。
なにしろ序文が無いので『万葉集』がなぜ生まれたのかについてはどの説も仮説の域を出ることはないでしょうが、想像してみるのも面白いかもしれない。
Posted by ブクログ
小五のときに小倉百人一首を丸暗記(母親相手に毎日二回、かるた取りをして覚えた)したのが幸いし、古典が読めなくて困った、という記憶がなかったりするのだけど、万葉集をきちんと読んだのは、やっぱり大学に入ってからだった。
―――そして後悔。これ、なんて面白いんだろう!
どうしても注目されるのは歴代天皇や、女性歌人の詠んだ秀歌であるのだけど、いわゆる「庶民」の詠んだ、日々の生活の呟きのような歌が本当に面白い。
別れた男に対しての
「お前みたいな冷たい恋人なんか、冬の川に浮かぶ鴨にでもなっちまえ(そしたら少しは私の気持ちもわかるでしょうよ)」だの、
「あんたなんか厠の下を泳ぐ魚でも食って、食あたりを起こせばいいのよばーかばーか」
てな歌を読んでいると、1000年2000年たったくらいでは、人間の本質って変わらないのねー、と、しみじみできること請け合い。
(だからこそ、過去の過ちを繰り返さないように、歴史に学ぶところは多いんだなあ、と……)
Posted by ブクログ
佐々木信綱編の上下巻です。私が持っているのは誰の校訂だったかな? 日本には昔から「歌」がありました。嬉しい時、哀しい時、切ない時、淋しい時、恋している時、「歌」で心や自然を表現する伝統を持っているなんて、なんて素敵なんでしょう。