あらすじ
つい最近まで、動物には複雑な思考はないとされ、研究もほとんどされてこなかった。ところが近年、動物の認知やコミュニケーションに関する研究が進むと、驚くべきことが分かってきた。例えば、小鳥のシジュウカラは仲間にウソをついてエサを得るそうだ。ほかにも、サバンナモンキーは、見つけた天敵によって異なる鳴き声を発して警告を促すという。動物たちは何を考え、どんなおしゃべりをしているのか? シジュウカラの言葉を解明した気鋭の研究者・鈴木俊貴と、ゴリラになりたくて群れの中で過ごした霊長類学者にして京大前総長の山極寿一が、最新の知見をこれでもかと語り合う。話はヒトの言葉の起源、ヒトという生物の特徴、そして現代社会批評へと及ぶ。そして、その果てに見えた、ヒトの言語にしかない特徴は?
■内容紹介■
Part1 おしゃべりな動物たち
動物たちも会話する/ミツバチの「言葉」/動物の言葉の研究は難しい/言葉は環境への適応によって生まれた/シジュウカラの言葉の起源とは?/文法も適応によって生まれたetc.
Part2 動物たちの心
音楽、ダンス、言葉/シジュウカラの言葉にも文法があった/ルー大柴がヒントになった/とどめの一押し「マージ」/言葉の進化と文化/共感するイヌ/動物の意識/シジュウカラになりたい/人と話すミツオシエetc.
Part3 言葉から見える、ヒトという動物
アイコン、インデックス、シンボル/言葉を話すための条件/動物も数が分かる?/動物たちの文化/多産化と言葉の進化/人間の言葉も育児からはじまった?/音楽と踊りの同時進化/俳句と音楽的な言葉/意味の発生/霊長類のケンカの流儀/文脈を読むということetc.
Part4 暴走する言葉、置いてきぼりの身体
鳥とヒトとの共通点/鳥とたもとを分かったヒト/文字からこぼれ落ちるもの/ヒトの脳は縮んでいる/動物はストーリーを持たない/Twitterが炎上する理由/言葉では表現できないこと/バーチャルがリアルを侵す/新たな社交/人間とはどういう動物なのか?etc.
■著者略歴■
山極寿一(やまぎわじゅいち)
1952年生まれ。霊長類学者。
総合地球環境学研究所所長。京大前総長。ゴリラ研究の世界的権威。著書に『家族進化論』(東京大学出版会)、『暴力はどこからきたか(NHKブックス)、『ゴリラからの警告』(毎日新聞出版)、『京大総長、ゴリラから生き方を学ぶ』(朝日選書)など。
鈴木俊貴(すずきとしたか)
1983年生まれ。動物言語学者。
東京大学先端科学技術研究センター准教授。シジュウカラ科に属する鳥類の行動研究を専門とし、特に鳴き声の意味や文法構造の解明を目指している。2022年8月、国際学会で「動物言語学」の創設を提唱した。本書が初の著書となる。
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「鳥になりたかった男」と「ゴリラになりたかった男」の対談。
それぞれの分野の知見を話し合うところから、最後には人の言語についての啓蒙のような話に及ぶ、壮大で聞き応えのある対談だった。
環境に適応するために言語は進化した。
人間だけではなく、すべての生物が、それぞれの置かれた環境で生き延びるべく進化している。
しかし、人間は人間主体で世界を捉えている。
「人間にできることが動物にもできるかな?」という目線での研究や実験がたくさんある。
言葉を理解できるか?計算ができるか?と言うものが例えばそうだ。
しかし人間は一つの生き物に過ぎず、人間だけが優れているわけではなく、優劣はない。
私たちは犬が見ている世界を本当の意味で知覚できず、想像したり、「こうである可能性が高い」と研究するだけ。
何なら、同じ人間同士でも、環境によって文化も言語もまるで違うのだから、当然だ。
「身体化した道徳」という言葉があった。
道徳は明文化されたものではなく、身体に染みついたものだったが、言語が発明され、言葉に依存するようになり、「共感」が失われた。
身体を共鳴させること。身体性を忘れないこと。
それがヒト本来のコミュニケーションの方法であり、いま失われつつあるもの。
たしかた人類は進歩したが、システムにぶら下がっていないと自分の身体一つでは生きていけないほど無力になった。
私は山によく行くが、その時に感じるのは、「人間の小ささ」だ。
自然がちょっと機嫌を悪くしただけで、簡単に人は死ぬ。
周りを動植物に囲まれ、危険に晒され、森の中に身を置くと、人間も一つの動物でしかないのだなと感じる。
それが気持ちいいと感じる。
自分に与えられた社会的な役割から解放された気持ちになる。
本当は、そんな役割なんて錯覚でしかなくて、ただの一人のヒトでしかないはず。
身体を使って生きる。
それを忘れずに自分の人生を送っていきたい。
Posted by ブクログ
二人とも動物に対して畏敬の念を抱いてるのがわかる。シジュウカラやゴリラと長くじっくりと向き合った二人だから世代が違っても様々なことに心から分かり合えるのですね。
人の言葉が生まれた考察も興味深かった。
Posted by ブクログ
鳥の研究者である鈴木さんと、ゴリラの研究者である山極さんの対談形式の本。
まず本書の主旨とは違うが、お二人の研究スタイルにびっくりした。
動物の研究って、人間↔︎動物の構造だと思ってた。主に人間が動物になにかアクションを起こし、その反応を観察するみたいな。
それもあるけど、お二人は対象動物のコミュニティの中に自ら入り込み、一緒に生活することで観察をしている。とても衝撃を受けた。文化人類学のフィールドワークだなと思った。
そしてこの姿勢こそが、大事なことなんだと思う。
近年まで人間は他の動物よりも優れている、言語を扱えるから賢い、みたいな(キリスト教的な)考え方が根底にあったせいで、動物の研究って進まなかったんじゃないかな。
動物が世界をどう見てるか、完全にはわからないけど、人間に見えていないものが見えているのは明らかなのだから、ひたすら動物の視点に立って研究してきたからこそ、このお二人はたくさんの発見をしてきたのだと思う。
その共通認識があってこそ、この対談はとても深いものになっていると感じた。
内容は、鳥類と哺乳類ということなる進化を遂げた動物の話から、人間がどんな動物なのか、言語とはなんなのか、話が深くなっていき面白かった。
言語の歴史は浅い。
情緒的な音声、音楽やジェスチャー、表情、いろんな非言語コミュニケーションが言語よりも先行している。
言語はとても便利なツールで、一方で言語が及ぼすデメリットまでは考えたことがなかった。
元々人になにかを伝えたい時って、必ずそこに感情がある。でも、例えば契約書のようなものは感情を全て削ぎ落とした文書だ。ツイッターやラインのやり取りしかり、世の中にはそのような文字だけが一人歩きしていることも多く、文脈を補完するのは受信側の想像に任されてしまう。言語は決して万能なものじゃないって改めて認識したい。
Posted by ブクログ
鳥になった研究者とゴリラになった研究者が、
動物たちの言葉とコミュニケーション能力、
そしてヒトの言葉の進化と現状についてをも語り合う。
・まえがき
Part1 おしゃべりな動物たち Part2 動物たちの心
Part3 言葉から見える、ヒトという動物
Part4 暴走する言葉、置いてきぼりの身体
・あとがき
参考文献有り。
「言語」というキーワードで繋がる二人の研究者の対談集。
お互いの知識を相手が理解し易いように述べているから、
読む者にも分かり易い内容になっている。
それでいて、自分たちの研究と対象についての語りは、熱い。
それを受け入れて理解し合い、同調してゆくのも、微笑ましい。
鳥類、霊長類、ヒトのそれぞれの進化に、
環境、生育地域などが影響しての更なる進化。
認知の世界、生存や繁殖のための違いや
コミュニケーション手段と能力の違いで、異なる進化へ。
ヒトの言語はジェスチャーが始まり?
直立歩行で手が自由になることから手を使う能力が進化。
音楽や踊りの共感性から一体にするための歌が言葉へ。
そして話は、現代での文字という強力なツールを
生み出したための人間の思考の制約、AIの問題、
言語に依存することでの非言語コミュニケーションが
認識できなくなることへの危惧にも及ぶ。
かつては盆踊りなどの歌や踊りで歓喜や一体感を
共有していたことが減少していることは肌で感じていました。
また、動物園などの安全でエサに困らない環境下では、
動物はあまりしゃべらないことは、SNSなどで家に籠っての
対人を行い、外との接触が少ないことにも通じているような。
動物の様々なことを知って、改めてヒトとは何かを
再認識し、考えていくことの大事さを示してくれた対談でした。
Posted by ブクログ
ただの動物たちの話では終わらなかった。
前半は山極先生の研究対象であるゴリラや鈴木先生の研究対象であるシジュウカラなどの話で、純粋に動物たちのコミュニケーションの話で面白かった。
後半、、というよりも最後1/4は現代人のコミュニケーションの問題点についてだった。ここですごくハッとさせられた。「共感がない」、「文脈がよめない」など、たしかにな~って思ったし、心当たりありまくり。言葉のコミュニケーションじゃない部分もよく観察してみよう。
Posted by ブクログ
最後の方の、暴走する言葉についての話が衝撃でした。人間は、言葉に頼るあまり、ほんとうの「言葉」を失っているのかも!?と思いました。
動物たちの言葉から私たちが学ぶことはとても多そうです。
Posted by ブクログ
むちゃくちゃ面白かった
二人の生物学者が言語を物差しに語り合う。
対話形式なのも分かりやすい。
ヒトも一つの生物として俯瞰してとらえ、考察するところか流石生物学者。
私自身 子供の行動や飼っている犬のしぐさを思い浮かべながら読み進めました
Posted by ブクログ
ゴリラの生態を研究している山際氏とシジュウガラの言葉を研究している鈴木俊貴氏という若い学者の会話。哺乳類と鳥類と全く遠い分類に属するこれらの動物の共通点もあり、そこが面白いところ。喋っているだけではなく、彼らに意識があるのか、まで追究している研究は興味深い。ゴリラもシジュウガラも思ったより頭が良いようだ。歌うこと、踊ることは人間と彼らが共通している点で、言葉を抜きにしても共鳴・共感・協調のためのコミュニケーションをしているということは確かにそのとおりなのだと感じた。山際氏がルワンダのゴリラ・タイタスと26年ぶりに会った際に、「グッフーム」とゴリラの言葉で語りかけるとタイタスの顔が急に子供っぽくなって、仰向けに寝転がったとの記録は感動的な場面と思った。それからシジュウガラがコガラの言葉も理解しているらしく、日本語と英語のバイリンガルのようなものという鈴木氏の指摘も面白い。そして2人の会話は人類の社会の問題点、未来論まで話が及んでいくことは2人の奥の深い研究の成果なのだ。
対話の中でドナルド・キーンが、芭蕉の「閑さや岩にしみ入る蝉の声」について凄さが、ローマ字にするとよくわかり、「閑さ」「岩」「しみ入る」と、「i」がたくさん使われているが、ニイニイゼミの鳴き声、「夏草や兵どもが夢の跡」はびっくり、感激したときの「おお」、詠嘆の「O」がたくさん入っている。文化を超えた傾向との内容が出てくるが、これは人類の言葉のoriginに関わることかも、と興味をそそられる。
Posted by ブクログ
私たちは自然や生き物という隣人を知らなさすぎる。自然科学分野の専門家たちの眼差しは時に言葉より鋭く刺さる。むかしばなし「ききみみずきん」の現代版がここにある。
ヒトという動物が類人猿の中でどのように進化してきたか、その中でどうコミュニケーションを取ってきたかを知ると、インターネットを介しての「ことば」に振り回されるのは本末転倒な気がした。現実と実体験を素にしかヒトは生きられないし共生も不可能なのだと感じた。
Posted by ブクログ
人間は過去や未来のことがしゃべれる
ゴリラが大好きな山極先生と、シジュウカラが大好きな鈴木先生の対談本。好きなものを話している人の話を聞いていると、すごくパワーをもらえるなって、昨今の推しブームですごく感じるのだけど、そんな感じで、お二人の対談は愛にあふれてて楽しかった。動物たちも会話をしているが、人間は現在目の前にない過去や未来のことなど話せる、というのが印象的。人間が動物や自然を支配してはいけない。彼らの世界を知ろう。
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『僕には鳥の言葉がわかる』からこちらへ。
言語に留まらず、動物のコミュニケーション、果てはAIのようなテクノロジーとの付き合い方関する議論まで展開していく様子に、また新たな世界が見えた。たのし。
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霊長類は木の上から地上に降りてきて、(聴覚ではなく)視覚的コミュニケーションの動物になった。そこが鳥類との分岐点だった(かも)。
言葉の効率性のために情報を欠落させる一方で、ストーリー化する力で補完している。
のほほん読んでたら最後の50ページくらいとんでもないところに帰着した。研究者のセッションお見事。研究者リスペクト。
Posted by ブクログ
鳥類の研究者と霊長類の研究者の対談で、お互いをリスペクトする姿勢や研究対象への熱意が伝わりとても面白い1冊だった。
人間のコミュニケーションの本質やAI、SNSの何が危ういのか、という話にまで及んだのは興味深かった。
Posted by ブクログ
鳥とゴリラの研究者の対談。
どういった言語を扱う動物なのかの話から発展し徐々に『コミュニケーション』の枠組の話にうつり変わる。
その種類とは音声であったり視線であったりジェスチャーであったり、はたまた同時に2つ以上を合わせて行ったり。五感も重要で聴覚や嗅覚などが優れている生き物はそれも併せて複雑なコミュニケーションをとるらしい。
ただただ言語にとどまることなく話が進む対談は興味深い生物の進化の話にも及び、進むにつれ文字や文を主体にしたネット社会が人間の陥る死角にも言及していたように思う。
普段の言動、また今ここに書いているような視覚での情報やスマホで読むニュースなど切り取りされたモノを安易に受け取るのを気をつけようと思った。
なんだかまとまってないけれど大事にしたいものがありました。
Posted by ブクログ
ゆる言語の水野さんが編集したということで手に取ってみた。
ゴリラと鳥の研究者視点で語られるヒトの言語の起源の考え方が興味深かった。
人間の母親が赤ん坊にかける歌のような言葉(インファント・ダイレクテッド・スピーチ)がヒトの言葉の起源の一つかもしれないというのは実体験として分かる気がする。子供が赤ちゃんの時には何かしら歌うように話しかけていたような覚えがある。言葉にならない音声とか鼻歌とか赤ちゃんと目を合わせながら視覚的なコミュニケーションを取っていたような気がする。
現代人が言葉に依存する社会になりすぎて忘れかけている文脈を理解する力、身体性を持って共感する力を取り戻すためには「音楽と踊り」=「フェス」とか「モッシュ」とか「盆踊り」とか?をした方がいいのかな?w
Posted by ブクログ
分野は違えど、知識のある人同士の対談が面白い。
ずっと聴いてたいな。
シジュウカラの文法、ゴリラのアイコンタクト
。
踊る、歌うって、コミュニケーションの原始なんだなと思う。言葉が生まれる前ー
人間ができることができてすごい、ではなく、人間が感知できないすごいことができてる、という考え方。
Posted by ブクログ
途中だいぶ時間が空いてしまい前半の内容は記憶が曖昧。後半に関しては言語、特に文字の発達によって生じた非言語コミュニケーションの衰退によるデメリットが語られていた。文脈を捉えることより、書かれたテキストで全て説明しようとすること、その文字自体は詳細な部分を省いてしまうから、細かなニュアンスを伝えきれないこと、細部を語れない文字を文脈を無視して読み取ろうとするからコミュニケーションの齟齬からsnsで炎上が起こったりすることなど、、、
非言語コミュニケーションを主体とする動物を追い続けている学者ならではの視点が面白かった
Posted by ブクログ
鳥の研究者、類人猿の研究者の対談。
鳥には文法を使いこなせるというのが、鳥大好きな私にはなんだか嬉しく思った…まるでファンタジーだけど、現実に鳥たちは会話をしている!!
人間が言葉を使いこなす前はどんなことで情報を伝えていたのか?というところから、現代は文脈を読む、想像するという能力が衰えている、とのこと。
映像作品でも主人公のナレーションなどで
全てを分かりやすく解説している、映像で見せてこちらに想像させることがなくなったと言う話から、
最近の小説の装丁で、人物の割と写実的なイラストものが多いのは、その方が登場人物を想像できるというのを
YouTubeで見たのを思い出した。
なるほど、、言葉が生まれ、インターネット、SNSが普及し文脈を読むより早く情報を得るためにそうなっていったのかとなんだか悲しくなった。
Posted by ブクログ
・鳥やゴリラも鳴き声という形で言語を使う。
→危険が近づいた時(敵によっても違う!)、餌を見つけた時、どこにいるか知らせる時
ex)手話を覚えたチンパンジーの実験も。追加で連れてこられたゴリラも手話を覚えて、捕まった時の様子を話した。ただしゴリラ同士はゴリラの言語で話してしまうけど……
・今までヨーロッパ的な価値観で人間を基準にして動物の差分を見ていたが、動物にできて人間にできないこともたくさんある。
→人間と動物という二項対立から離れて、言葉や人間の能力を考える
・言葉はなぜできたのか
→環境への適応。言語を使えた方が生き残り、子孫を残しやすい、
ex)頭の良いとされるカラスでも、鳴き声の種類は少ない。見晴らしの良い場所にいるため、鳴き声ではなく視覚的な方法(=ディスプレイ)での意思疎通が可能のため
・言語以前に、視覚的なコミュニケーションがあったのではないか
ex)行動の共鳴、歌、ダンスなど
・人間だけが持っている言語の特徴に「超越性」がある。今/ここ以外のものを語れるもの
・シジュウカラにも文法がある。また、混群といって、シジュウカラとコガラが同じ群れで暮らす時にはお互いに違う言語だが、きちんと通じている。
・さらに集団というユニットが二重になっている。家族/共同体(母/妻)など、ある個体が複数の役割を使い分ける。
→複雑な社会の進化や複数のものを組み合わせて道具を作ったり、複雑な言語能力が発達した
→複雑な社会でコミュニケーションを取るためには相手が何を考えているかを推測する能力が必要になり、心の理論が発達した
cf)飛行機ごっこ(空想や見立ての能力)
・意識=自分が何をしているかわかっていること
ex)ミラーテスト…鏡の自分が自分だと認識できること。ゾウやイルカ、タコ、一部の魚。犬はできないが、嗅覚が鋭いため匂いによる自意識など人間が考えられない意識があるのかも。
→人間はかつて動物たちと共存してきた。他の動物は人間ができない能力などもたくさんあるが、人間と動物という二項対立のせいで人間がどういう人物かを考えられなくなっていた。
・人間は二足歩行で手が自由に使える。歩行できることにより、食べ物を持ち運ぶことができた。目の前で起こった以外のことをジェスチャーなので伝えていたのではないか
・ただし言語を扱える能力と言語を話せる能力は別物。(体の構造上、話せないとかもある)
ex)アフリカで村人の数を聞くと、大人の男の数だけ数えられる。女子供は含まれない。
→自分たちの認知の仕方が唯一ではない。
・ダンバー数=150人。社会的グルーミングは一緒に食事すること+音楽+火
・言語コミュニケーションはマルチモーダル(視覚や聴覚、触覚といった複数の感覚を使う)なはず。
→言葉はたくさんあるコミュニケーション手段の一つだったが、今はその地位が高くなっている
・夜行性の動物は、嗅覚や聴覚が発達するが、昼の生き物は視覚優位になった。
・人間の言葉には、ものごとを細分化する力や表現を節約する力があるが、最終的にはストーリ化する力が大きい。
・言葉だけでは表現できないもの=食べることと性
Posted by ブクログ
SNSやAIの台頭により、危機に瀕しているヒトのコミュニケーション。解決へのヒントの一つが本書に書かれている。『現代社会が言語に依存することで、ヒトは非言語な情報を認知できなくなるかもしれない』
今こそ、動物の言語研究に学び、他人の感情や気分といった、文字にならないものを大切にするべきなのだ。
Posted by ブクログ
これはおもしろかった!!
タイトルの動物たちは何をしゃべっているのか?から、人間の進化、文字を得たことによる弊害など、後半は更に興味深く、現代の社会ストレスにもちょっと納得してしまった。
この本に出会わなければ知り得なかったコトを知って、"知る"ことってこんなにおもしろいんだな、と改めて思った。
Posted by ブクログ
シジュウカラ語を理解する鈴木先生の最初の本。霊長類の研究を長年続けられている山極先生との対談で、ラジオや他の書籍では聞けない話があるかもと期待して読んだ。
期待にそぐわず、さすが動物の研究をフィールドで続けている2人だからこそ生まれる、お互いの研究に対する疑問とその答えが面白かった。シジュウカラが騙しのテクニックを使うなど、初めて触れる知識が自分の世界を拡げていく感覚を味わえた。
もう一度しっかり噛み締めながら読んで、新しい視点で野鳥の振る舞いを観察したい。
Posted by ブクログ
ゴリラは20種類の鳴き方をもっている。
シジュウカラもたくさん。
だが鳥籠や動物園ではあまり鳴かない。
危険もないし、ご飯もあるから。
言葉を使える個体の方が使えない個体より上手く生存したからその遺伝子が集団内で広がり環境に適応した。
人間にとっての単語はシンボル。単語の音と指し示すものの関係は完全に恣意的。例えばりんごと聞いて、赤くて甘酸っぱい果物と思い浮かべること。
シジュウカラにとって意味を持つ鳴き声、つまり言語の起源は生存に直結する重大な情報のカテゴリー化。敵が来た。食べ物を見つけたなど。複数の5組み合わせる文法があることもわかっている。
言葉を持たない音楽的なコミュニケーションや認知能力、言語の発達以前にまず視覚的なコミュニケーションで仲間とダンスなどで共鳴、共感する社会構造にも目を向ける必要がある。
どういう風に世界を見ているかも、動物によって全然違う。鳥は赤青緑に加えて紫外線と地磁気も感じられる。大量の画像の記憶など、動物によって人にはない認知能力もある。
犬の知性も高い。指差した方向を見ることができるのは限られた動物だけ。
シジュウカラ、サバンナヒヒは嘘をつく。餌が欲しく時に敵もいないのに来た時の声を出し相手を追い払う。
【人間とは何か】
経験してないことや経験してない人に対しても伝わるように表現でき、情報を伝えられる、「今」「ここ」以外についても語れる能力。言語学では超越性と言われる今のところ人間以外に見つかっていない力。
人の言葉と他の動物の言葉を隔てる決定的な違いは、目の前にないものについて、どれだけ饒舌に語れるか否か。
スカフォールディング(支え行動)。幼児が階段を降りようとしたら危ないから大人が支える。これがスカフォールディング。他者の能力をよく理解しているからできること。他者の心の内を推測できないと自分の心を認識することもできない。
「言葉を扱う能力」と「言葉を話せること」は別。前者は認知能力の問題、後者は脳や口の作りの問題です。言葉を理解しても言葉を話せないこともある。正確には言葉をすることができなくても、十分に意思疎通ができる動物ではその能力が進化していないということ。
人間にあって動物にない能力について考えるのは簡単だけど、動物にあって人間にない能力を想像するのはとても難しい。知性を定義するのは難しい。人間の考える知性は、唯一絶対では無いから。非言語的暗黙知的な我々の知らない知性があるかもしれない。
言語が生まれたのは10万年前くらい。人類の歴史は700万年だから非常に歴史が浅い。
人間の言葉にはものごとを細分化する力や表現を節約する力があるが、最終的にストーリー化する力が大きい。だが動物は因果関係などのストーリーを繋げずバラバラに頭の中に持っている。
霊長類の進化姿をたどると、人は、もともと音声よりも視覚的なコミュニケーションに頼っていた種であることがわかる。
文字は複雑で抽象的な情報を伝えられるが、文字にならない情報を全て切り捨ててしまう。だからSNSの炎上などが起きる。
現代社会が言語に依存することで、人は非言語的な情報認識的なくなるかもしれない。
Posted by ブクログ
ルー大柴の「ルー語」で鳥の文法を解き明かす話から、「テキスト文化」の恐ろしい強大さまで
ゴリラの研究の第一人者である山極寿一さんと、シジュウカラの言語研究で注目されている鈴木俊貴さんの対談形式の共著です。山極さんの著作『ゴリラに学ぶ男らしさ』は私の人生の中でもトップレベルに面白い本で、類人猿と人間のあいだの垣根がぼやける感覚を味わえる名著でした。この本では動物たちの生態やコミニュケーションから、人間の言語の根本をつかもうとする試みが行われています。この本の中で触れられている『アレックスと私』という本を以前読んだ時、鳥の言語感覚が想像以上に豊かなものだと知り、「動物の言語というものはけしてファンタジーではない」と感じたことを思い出しました。
類人猿研究の山極さんからは、考古学、言語学、生物学などを含めた人類学的な話が出てきます。やっぱり同じヒト科である類人猿研究の知見があるからでしょうか。山極さんの「人は踊るために直立二足歩行になった」という説がとても興味深いものでした。音楽と踊りは人々のあいだに「共感」をうみだすプリミティブな方法であり、古代の人類は言語による共感でなく、音楽と踊りで身体をダイレクトに共感させていたという話。二足歩行ができるように体が進化したことにより、腕が自由になり、手によるジェスチャーと踊りを体得したと。集団社会として不可欠である「多数の人間を共感」させるために踊りや歌など音楽的なものを媒介にしたのだと言うのです。
鈴木さんは今も現役で森に分け入り、鳥類の研究をしています。どのようにしてシジュウカラに言語があることを突き止めたのか、もっと言えば、単なる単語のみの会話ではなく「文法」が介在していることをどのように証明したか、フィールドワークの体験を通じて伝えてくれます。シジュウカラの鳴き声に文法があることを証明するために、ルー大柴の「ルー語」(例:藪から棒 → 藪からスティック)にヒントを得たりと、こちらもとても興味深い話でした。ルー語が動物言語学研究に一役買うことがあるなんで誰が思うでしょうか(笑)
「いま・ここ」にあるものではないものを共有できる能力が、大脳が発達した人間特有のもので、それこそが社会を成り立たせているといえるものでしょう。概念的で抽象的なもの、思想や幻想を大勢の人間が共有するからこそ、他の動物に生み出せない大きなパワーを生み出せますが、そのパワーのせいで戦争がおきてしまうという危うさもあります。音楽や踊りが、戦いに向かう人々を鼓舞してきたという側面もあるのです。山極さんが引用しているルトガー・ブレグマンという方の言葉”人間は敵が憎くて戦争をするわけじゃなく、仲間のためにやる”。国や宗教という同じ幻想を共有している仲間のためにこそ戦争が生まれてしまう、そんな人間の恐ろしさを感じるものでした。山極さんによると「ゴリラのケンカに勝ち負けはなく、かならず第三者の仲裁がある」とのこと。生物の争いは、自らを滅ぼすような規模には本来なりえなかったのではないでしょうか。
ユクスキュルの「環世界」に触れたり、言語と認知と感情を結びつけるメカニズムにも触れながら両者の対談は盛り上がりを見せ、話題は動物の言語から人間の道徳や美徳にもおよびます。
文字がない古代は、言語は音声であったし、身振り手振りや声色、抑揚も大事な要素として含まれたものだったけれど、紀元前約3000年の文字の誕生から一気に5000年ほど経った現代において、テクノロジーは急激な進化を遂げました。インターネットの誕生、スマホの普及、SNSの大衆化など、テキストベースの情報の進化は目まぐるしいものがあります。
よく話題になるSNSの炎上。140文字の制限が切り捨てた情報を、見ている個人個人がイメージして補うときに、各々ちがう幻想でストーリーを構築をするがために、全く違ったメッセージで受け取られてしまうこともしばしばあります。私は、文字の力が強大になるがあまり、文字になっていないものが取りこぼされているような気がします。山極さんの言葉「急速に発達した文字だけのコミュニケーションに、まだ人間の身体が対応できてない」は言い得て妙かもしれません。文字は契約を生み、明文化されたルールをつくり、モラルや道徳と違ったより強固な制限を設け、いまや文字の力でがんじがらめになったストレスフルな社会をつくりあげてしまいました。文字によって強大な共感を生んだけれど、いまは文字によって縛られる結果になっているのです。言語化できない感情や感性はないものとされ、ルールブックの範囲内か外かで判断されてしまいます。本当はすべての事象は、「個別の問題」なのに。
加えて山極さんは「現代人は無力」「便利さは人から能力を奪う」とも言います。昔は農家も大工も料理人も、ぜんぶ自分だったわけです。文明の発展とともにいつしか分業化され効率がよくなり、それが当たり前になっています。とどめに現在はAIが誕生しました。X(Twitter)でもGlokというAIチャットボットがあり、ニュース記事のポストをGlokに「この記事をわかりやすく説明して」「ファクトチェックして」とポストすれば、わかりやすく解説してくれます。脳みそですら外注できてしまうわけです。この本の感想文なんて、AIに書かせればあっという間にできてしまいます。AIの力に頼ったほうが、今こんなに小一時間かけて書くより遥かにタイパいいわけですよ、、、(笑)
鈴木さんの問い「合理的な便利さと本来の共感を両立させるには?」に山極さんは「身体性を忘れずにあらたな社交を」と答えます。ダンスや音楽などプリミティブな共鳴をとりもどすべき、ナマの体験を大事に、と。フィールドワークというこれ以上ないナマの体験を生業とされているお二人だからこそ説得力のある締めになっていると思いました。
Posted by ブクログ
『動物言語学』。こんな面白い学問分野があったとは!学生のうちに知っていたら進路が変わったかもしれません。
けれど、研究者の方々が人生を捧げて解明したことを、素人にも面白さがわかるように噛み砕いて教えてくれる本をこうして読めるので十分幸せです。ただ、鈴木先生も対談の中でお話しされていましたが、自力で辿り着いた者しか知り得ない感動や興奮は格別なのでしょうね。
Posted by ブクログ
シジュウカラの研究で有名な鈴木博士の名前が気になって手に取った本
鳥の専門家と霊長類の専門家が「言葉」を軸に対談したものをまとめてあります。
なにか一つのことに熱中した人どうしの会話はどうしてこんなに興味深いのか!
特に興味深いと思った点を以下に箇条書き
・鳥や犬が知覚している世界は人間とは全く異なるものになるだろうということ
(紫外線が見えたり、嗅覚がすごくするどかったり)
・利他的な行為が残ってきた理由とそれが原因で暴力や戦争が生まれているかもしれないということ
・人間の言葉はとても便利だけど、便利すぎて言語化した際に非言語情報が捨てられてしまっている。そのことで起きている問題について
Posted by ブクログ
ゆる言語学ラジオで紹介されていて、ようやく予約が回ってきた。読みやすく、これをきっかけに深く言語などを考えたり読んだりしたいなと思わせる…
Part1 おしゃべりな動物たち
Part2 動物たちの心
動物の意識:
山極「意識については哲学的な議論がたくさんありますが、私はシンプルに「自分が何をしているかわかっていること」と定義していいと思います。」
鈴木「つまり、自意識ですね。…心の理論を保つためには、自意識に加えて共感能力が必要じゃないかって思っています。共感する相手がいなくても、自意識だけを保つことは可能だけれど、そこに共感する相手が現れて心の理論が進化したのではないかと」
まとめ:「今」「ここ」以外について語れることは、人間の言葉にしかないユニークな能力だ。だが、大量の画像の記憶など、動物にあってヒト似ない認知能力もある。動物はヒトとは違う認知世界に生きている。
Part3 言葉から見える、ヒトという動物
人間の言葉も育児から始まった?
山極「声なら同時に10頭以上に情報を伝えられるし、離れていても大丈夫。接触に代わる効率的なコミュニケーション手段が声だったと思うんです。そしてそれは今もなお、インファント・ダイレクテッド・スピーチに痕跡を残しているんじゃないかな」
音楽と踊りの同時進化
山極「踊りの発生は、音声の発声とセットなんです。どちらも直立二足歩行が条件ですから。手足をついて両手・両足で歩いていると、前肢に体重がかかって胸が圧迫されますから、大きな声が出ません。…そもそも、音楽は必ず踊りを伴います。…私は、我々人間が二足で立って歩いているのは、我々が踊ることになった原因ではなくて、結果であるとさえ思います。踊るために直立二足歩行を始めたんじゃないかと。…」
山極「だって、ヒト以外の類人猿は今も森を出られないんです。天敵が来たら木の上に逃げないといけないから。だけどヒトが進化したサバンナには森がないから、なんとかして天敵に立ち向かわないと行けない。ときには、自分を犠牲にしてまで集団のために行動する必要だってあったでしょう。だから他者に共感する力が必要になり、そのために踊りや音楽が進化したんだと考えています。「共感」というと言い尽くされた言葉にも聞こえるけれど、我々人類にとってはとても重要なものだったんだと。」
自己犠牲の謎
山極「特に人間の場合、言語によるコミュニケーションが進化していますから、ある個体が自己犠牲的行為で死んでも、その親族の評判が上がって血縁の子孫をたくさん残すことにつながりやすいかもしれない。」
社会の拡大と脳
山極「ではヒトにとっての社会的グルーミングは何かということになりますが、私は言葉ではなかったと思う。…まずは共食。一緒に食事をすること。それから、音楽も重要な役割を果たしたと思います。さらには、これはダンバーも言っているんだけど、火。一緒に焚火を囲むことで、非常に危険な夜の時間を快適に過ごせることは、共感性を高める上で非常に大きな意味を持ったと思う」
置いてきぼりになった心と身体
山極「…言葉はたくさんあるコミュニケーション手段の一つに過ぎなかった。ところが、現代社会ではその地位が極端に高くなってしまっている。」「我々は言葉が生まれるずっと前から、サバンナの小さな集団で、歌ったり、踊ったり、見つめ合ったりしながらコミュニケーションをとってきた動物です。しかし、現代人は歌や踊りを忘れてしまった。言葉のおかげで集団のサイズは一気に大きくなって国家が生まれ、インターネットやSNSも作られた。しかし、進化的な時間軸で見ると、その変化は早すぎるんですね。一瞬です。私たちの心身は対応できていない。」
鈴木「人間の文化進化が、変な方向に行ってしまっている感じはしますよね。言葉の獲得によって」
山極「そう、僕らの心身は、いわば暴走する言葉に置いて行かれてしまっているんです」
Part4 暴走する言葉、置いてきぼりの身体
言葉では表現できないこと
山極「でもね、これだけ言葉に依存する社会になっても、どうしても言葉だけでは表現できないものが残っています。それが、食べることと性なんだ。」
鈴木「確かに食は食べないと満足できないですよね。感覚を楽しむものなので」
山極「セックスも同じですよね。ヒトも動物も、生きる上で欠かせない食と性だけは言葉では代替できないんです。いや、代替できるという錯覚はありますよ。…それで満足したかのような錯覚は生まれるかもしれないけれど、それは違いますね」「映画や本の要約だけを見て知った気になるのが流行っているらしいけれど、それも同じ。体験できてはいないんです」
鈴木「言語化された情報を得ることに慣れてしまっているんですね。それで満足できると錯覚している」
バーチャルがリアルを侵す
山極「言葉は意味を作るとか、情報をストーリー化すると言いましたよね。その結果どうなったかというと、我々は、世界をあるがままに見ることができなくなったんです。言葉は単なるツールではなく、我々の意識そのものを規定するからです」
山極「私たちは、言語化できないもの、仮想空間では表現できないことを認識できなくなるんじゃないか。木の板を、木の板と捉えることができなくなってしまったように。現代社会は言葉に依存していると話してきたけれど、共感とか、感情とか、複雑な文脈が完全に消えたわけではないですよね。まだ残っているし、場面によっては、言葉よりも共感や感情が先に立つこともある。」「しかし、仮想空間やAIには、感情や文脈はありません。巧妙に、あるかのように見せかけてはいるけれど、ない。すごく自然にしゃべっているように見えるAIも、言語と論理によって成り立っている計算機に過ぎない。私はそれが怖いんです。巧妙に現実世界を模倣しているけれど、実は言語化できない感情や身体性を切り捨てている仮想空間やAIが存在感を増すと、我々人間の脳もそちらに引っ張られて、感情や身体性を捨てることになるんじゃないのかと。」「それに、感情も身体もないAIは徹底的に合理的ですよね。しかしヒトは必ずしも合理的ではない生き物です。感情や身体が合理性を超える場合があるから。」
どう身体性を担保したコミュニケーション・コミュニティを維持していくのか
Posted by ブクログ
新進気鋭のトリ博士の鈴木俊貴センセイ、
ゴリラ研究のオーソリティの山極寿一センセイ、
そのお二人の対談集、
次から次へと学問とフィールドワークに
裏打ちされた興味深いお話が満載 、
お二人のご研究とお人柄の
とんでもない幅広さの魅力が
会話のはしばしに、
人類が持つ叡智とはこう言うことなのだ!
と実感させてもらえます