あらすじ
奈良時代から平安時代にかけて編纂された歴史書「六国史」。七二〇年に完成した日本書紀から、続日本紀、日本後紀、続日本後紀、日本文徳天皇実録、日本三代実録までを指す。天地の始まりから平安中期の八八七年八月まで、国家の動向を連続して記録した「正史」であり、古代史の根本史料である。本書は、各書を解説しつつ、その真偽や魅力を紹介。また、その後の紛失、改竄、読み継がれ方など、中世から現代に至る歴史をも描く。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
日本書紀から日本三代実録にいたる古代の歴史書について、その特徴や成立の背景が解説されている。個々の詳細も興味深いが、近代までの伝来過程を追う事で、歴史を継承するという事の意義を考えさせられる内容でもあった。
Posted by ブクログ
まず日本古代史に興味がある方や足を踏み入れた人は黙って読んどいた方がいい。どうやって研究を進めてくのか、手法がざっくりつかめます。
高校の授業で日本史取ってれば問題なく理解できる内容だと思います。
Posted by ブクログ
六国史の内容を要約した本、ではない。六国史が作成された理由や編纂者たち、そしてその時代状況、さらには六国史がいかに受け継がれてきたか、を描いた本である。
六国史は次の六部を指す:日本書紀、続日本紀、日本後紀、続日本後紀、日本文徳天皇実録、そして日本三代実録。日本の正史なのだが、第58代光孝天皇の御世(仁和三年:887年)までしか編纂されていない。
この本の前2/3は六国史について書かれているが、のこり1/3は六国史が伝えられてきた伝統や歴史について書かれている。前部分もさることながら、この後部分が興味深かった。
前部分では、「これが正しい歴史である」と編纂時の権力者の意向が当然ながら反映されていることを指摘している。
例えば続日本紀における桓武天皇と早良親王(長岡京廃都の元凶となる怨霊に扱われ、崇道天皇と諡号された)の実兄弟のこと。続日本紀は桓武天皇により編纂が命じられ、しかも桓武朝までがその編纂範囲になっている。そのため、桓武天皇に都合の悪いことは続日本紀からは削られている(ということがその次の日本後紀に記載されている)。
また、六国史が作られていた時代は朝廷内の権力闘争が絶えなかったことについても、時代のアウトラインとして記載されている。
後部分では、まず「なぜ正史編纂が六国史までで途絶えたか」が解説されている。
それは、まず菅原道真により六国史が項目別に「類聚国史」として分類されたため政務を執り行う際の先例の参照が容易になったこと、そして各人が日記を編むことで各家において日常的な業務が問題なく執り行えるようになった、ということが挙げられている。
また、物語文学が正史を継ぐものとして扱われたという視点も挙げられている。例えば源氏物語の桐壺帝は(光孝天皇の次々代の)醍醐天皇になぞらえていることから、源氏物語は先帝からの書き出しとなっている、つまり国史を継承することを意図しているのだ、という註釈が学芸の権威たる三条西家に通じていたと。
また栄華物語も光孝天皇の次の宇多天皇から書かれている。実はこの栄華物語が源氏物語を契機として作られた面があるとか。
次に、「日本紀の家」たる卜部家の話が挙げられている。卜部家というよりも、節分でおなじみの吉田神社の吉田家と言ったほうが分かりやすい(もう一つ、桜でおなじみの平野神社の平野家もあるのだが)。
卜部家は九世紀頃に伊豆から出てきたらしい。もちろん亀卜(カメの甲羅占い)の家。その後に吉田流と平野流に分かれる。神事や祭祀のことを家の学問として朝廷内の地位を確立していった。そして吉田神道の創始者吉田兼倶に至って「祖先は(祭祀で有名な)大中臣氏である」云々とニセの由緒を編んだりしたのだそうだ。
あとは江戸時代における六国史のことなど。水戸光圀とか塙保己一とか。そして家伝の秘技から出版公開へと流れが変わっていったことについて。
後部分に想いもよらぬことがいろいろ書かれていたので、その部分をかなり面白く読んだ。そして前部分では「王朝文化云々と言うけど、文化じゃ無い部分はやはり争いがあってドロドロしてるなあ」と改めて感じた。
非常に面白い内容でした。
Posted by ブクログ
大学で古代のゼミ・演習を受けた人は大概輪読を経験したことがあるであろう「六国史」であるが、本書は「六国史」の編纂過程やそれに関わった役職・人物、組織を細かに説明し、天皇の紀伝としての正史の特質を明らかにしようとしている。
〈目次〉
はじめに
序章:六国史とは何か
第1章:日本最初の歴史書-『日本書紀』
1:全三〇巻の構成と記述-神代から四一代持統天皇まで
2:伝承と記録のあいだ
3:素材-公文書から外国文献まで
第2章:天皇の歴史への執着-『続日本紀』『日本後記』
1:奈良時代史への入り口-『続日本紀』
2:英主、桓武天皇の苦悩-特異な成立
3:太上天皇への史臣評-『日本後紀』
第3章:成熟する平安の宮廷-『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』
1:秘薬を飲む天皇の世-『続日本後紀』
2:摂関政治への傾斜-『日本文徳天皇実録』
3:国史の到達点-『日本三代実録』
第4章:国史を継ぐもの-中世、近世、近代のなかで
1:六国史後-「私撰国史」、日記による代替
2:卜部氏-いかに書き伝えられてきたか
3:出版文化による隆盛-江戸期から太平洋戦争まで
あとがき
本書で興味のあったのは『文徳実録』での儀式の形式化・摂関台頭の萌芽期という事柄も、正史の記述から読み取っていくことができることである。
また、次代の『三代実録』の編纂者の一因である橘広相・と菅原道真。近年この二人の人物の強いつながりが指摘されているが、彼ら学者グループが宇多天皇の意向で史書編纂に起用されている点も興味深い。あくまで史書編纂には天皇の強い意向が反映されていたのだと分かる。
承和九(842)年の承和の変も従来の藤原氏主体の他氏排斥という評価は否定され、皇統の相続争いという側面が近年クローズアップされてきている。『続日本後紀』の編纂を命じたのが当事者の道康親王(後の文徳天皇)というのにも、史書編纂の特質が見え隠れしていて面白い。
第4章の「六国史」以降の国史編纂の歴史も、天皇・国家ではなく編纂主体が武家であり、個々の公家であり、民間へと移っていく。「六国史」以降に天皇主体の国史編纂が実現されなかった事実をいかに評価するのかも重要な課題と思われる。
Posted by ブクログ
奈良時代から平安時代にかけて編纂された『日本書紀』をはじめとする歴史書「六国史」について、各書の成り立ちや内容を解説しつつ、中世以降の六国史を伝えた人々の営みについても紹介している。六国史を概観するのに最適の書。
個々の六国史の内容について、少し物足りない気もしたが、それは裏を返せば、六国史をもっと詳しく知りたいという気にさせてくれる本であったということだ。
内藤湖南が、六国史は、「官報を綴じ込んだようなもの、毎日毎日書いたものが何時の間にか集まったもの」と消極的に評していたことに対し、著者が「六国史の記事が公文書・日録を材料としたことへの着目であり、史料としてみるならばむしろ、大きな利点と映る」とコメントしていたのが印象に残った。
また、日本書紀への百済史書の影響、『続日本紀』の「欠陥」、『日本後記』における人物評、仁明天皇の医薬への傾倒、文徳天皇は内裏に参入しなかったという事実、集大成としての『日本三代実録』、国史の代替としての日記や文学作品という見方、大阪の陣の最中に家康が六国史等の書写を命じていたこと、秘伝から公開へという林羅山の画期性といった内容が興味深かった。