【感想・ネタバレ】汀にて 王国記 IIIのレビュー

花村萬月の名前を聞くと、サラダ油のシーン(!)で印象深い映画化タイトル「皆月」を思い浮かべる人も多いかもしれない。過激な性と暴力描写を得意とする作家だが、その根底にあるのは神への猜疑と冒涜である。
著者の「王国記シリーズ」の第一章目にあたる本作『ゲルマニウムの夜』の主人公・朧は、頭脳明晰だが人を殺し、育った修道院に舞い戻る。彼は人を殺し、純潔の修道女を犯しても、何の罰も下さない神を見限り、宗教者のなれのはて――王国の建立を決意する。
表題作の他に「王国の犬」、「舞踏会の夜」が収録されている。いずれも朧が修道院で神を疑い、信心深い神父とアスピラントを試し、自我に目覚めるまでの小編だ。修道院という本来神聖であるはずの場所で行われている暴力、虐待、同性愛の生々しく残酷な描写は圧巻。なお、2005年に大森立嗣監督・新井浩文主演で映画化もされている。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

王国記第3弾。
教子と朧の何気ないやり取りから窺える宗教の意味。
造花の場面が好きです。
教子が可愛らしく思えました。

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Posted by ブクログ 2015年06月20日

『王国記』シリーズの3作目。とはいいつつ、本作の舞台は「王国」つまりは修道院兼教護院を飛び出しており、語り手は2作品とも朧ではない。ただ、作品じたいのクオリティにはとくに影響しておらず、むしろ個人的には前作よりもおもしろく読めた。やはり眼を引くのは朧の人物造形で、間違っても立派な人間とは呼べないであ...続きを読むろうが、それでもなぜか心惹かれてしまう。あまりに衒学的な場合、通常は厭味な感じになってしまうが、朧の場合はそれが幼さの象徴として機能していて、こういう描写のしかたはじつは非常にレヴェルが高いと思う。ほかにも、このシリーズには、人間的にはどうしようもなくクズで、実在していたら間違いなく心底軽蔑してしまうような人物が何人も登場するが、それにもかかわらず、彼らの一挙手一投足を読んだあとにはなぜだか共感してしまうことが多い。なぜだろうと考えてみれば、それはやはり善人であれ悪人であれ誰もが多かれ少なかれ抱いているような感情を率直に描いているからではないか。トマス・ホッブスは「万人の万人に対する闘争」という語句で「自然状態」を規定したが、ちょうど人間の本質がそのようなところにあるとすれば、このシリーズで描かれている世界は、まさにこのことにほかならない。ヘンにウソで彩らない姿勢が、嫌悪感よりもむしろ行為を抱かせる結果となっている。わたしがこのシリーズに惹かれてしまう理由も、こういったところにあるのかもしれない。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

シリーズ3作目も期待を裏切ることなく、
独特の色彩の中に引き込まれた。
露骨な性表現やグロテスクな汚物表現満載なのに、
読後感は悪くない。
作者の器の大きさの為せる業だ。

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Posted by ブクログ 2024年02月25日

『ゲルマニウムの夜』に始まるシリーズの第3作目。元アスピラント(シスター志願者)の教子との長崎旅行を描いた表題作と、元修道士の赤羽の物語「月の光」の2篇。表題作は読み始めに苦労?しましたが、「月の光」はすんなりと読めました。『ゲルマニウムの夜』が好きかどうかによって評価が分かれるシリーズだと思います...続きを読む

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

教子という女性の視点で描かれた物語。「宗教とは排除である」という言葉、そしてお墓に供えられている造花。とても印象に残った。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

彼女の視点で読めたのは、また斬新でした。月の光は読んでてむかむかした…馬鹿だなあと思う反面、仕方ないとも思ってしまう。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

教子と朧が修道院を抜け出す、第3巻。
世間に出てからの二人の会話が可笑しい。それまで有無を言わせぬ力があった
朧のセリフにそれがなくて、あしらう教子との関係から、この後
朧はどう書かれるのか、ここまできて前ふりが長すぎたような感じすらする。
「無」も、朧のただの屁理屈にすぎない。

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