あらすじ
直木賞作家・角田光代が全力を注いで書き上げた、心ゆさぶる傑作長編。不倫相手の赤ん坊を誘拐し、東京から名古屋、小豆島へ、女たちにかくまわれながら逃亡生活を送る希和子と、その娘として育てられた薫。偽りの母子の逃亡生活に光はさすのか、そして、薫のその後は――!? 極限の母性を描く、ノンストップ・サスペンス。第2回中央公論文芸賞受賞作。
...続きを読む感情タグBEST3
このページにはネタバレを含むレビューが表示されています
Posted by ブクログ
最高すぎた。
私が1番好きな映画、マレフィセントのよう。
究極の愛の姿とは
母と子
私は産みの母の顔を覚えていない
でも、寝たふりをした私を寝室に運ぶ母の匂いと、ソバージュのふわふわの髪。
両親が喧嘩をしていて、キッチンへ避難させられプープー鳴る椅子に座って楽しいふりをする自分自身。
その二つだけ覚えている。
継母とは良好でたくさん愛情を貰って大好きすぎるので、私にとってやっぱ育ての母が当たり前に正真正銘お母さんだけど、少しだけ、ほんの少しだけ、自分を産んだ人を一目見てみたいとも思う。
その時私はどんな事を思うんだろう。
Posted by ブクログ
序盤のサスペンスフルな逃走劇から、終盤の誰もが胸を打たれる重厚なドラマまで、本当に濃度が高い読書体験だった。
最重要のテーマとして、「母性」が扱われる。すべての人間に等しく「母性」が備えられているという願いが込められた、とても優しい作品だった。また、舞台となる1980年代の世相や時代背景(宗教施設等)を丁寧に描くことで、完璧な世界観を構築していた。
7日しか生きられない蝉の一生と、複雑な生い立ちを背負う女性の一生を掛け合わせた作品名が秀逸。これだけ複雑な再生の物語を、「八日目の蝉」としてまとめあげる作者のセンスと着眼点に脱帽。
終盤の、薫(恵理菜)が希和子の生涯を追体験しながら、人生の意義や家族の在り方を見直していく過程が切なすぎた。
そして何より、小豆島の描写の美しさ。島の自然・海・祭り・醤油の香り等の風土の魅力がありありと伝わってきた。島特有の濃くて優しい人間関係もとても丁寧に描かれている。
ラスト、フェリー乗り場でギリギリ交わるようで交わらない薫と希和子がもどかしい。ただ、お互いにとってこれがベストなのだと頷くしかない幕切れだった。
小豆島、行かなくちゃな。
Posted by ブクログ
序盤は、ハラハラしすぎて、犯罪だし早く捕まって欲しい、、、と言う気持ちでいっぱいだった。
後半、成長した薫(恵理菜)のその後や、千草が調べ上げたいろんな事実がわかるにつれ、何が正解だったのだろうと考えるようになった。
元の両親のところへ戻らず、希和子と逃げ続ければ薫は幸せだった?でも誘拐している以上普通の生活は望めないわけだし、どうすればよかったのだとずっと考えてしまう。
自分にも幼い子供がいるので、母の愛に涙が止まらなかった。
Posted by ブクログ
『八日目の蝉』感想
『八日目の蝉』は、日野OL不倫殺人事件をモチーフにした作品だと言われている。実際の事件では、女性Aが不倫相手Bとその妻Cの子ども二人を焼死させている。そして、BはAに二度の中絶を強要し、精神的にも身体的にも深い傷を負わせたうえ、CはAに対して「子どもができても簡単にかきだす」と侮辱した。
この事件を知るとき、簡単に善悪で切り分けられない「誰もが被害者である」という視点が浮かび上がる。
もちろん、何もしていない子どもを奪ったAの行為は決して許されない。しかし、Bが恋心を踏みにじり、希望をちらつかせながら追い詰めた過程を知ると、胸が締めつけられるような、ただただ惨く悲惨な現実に向き合わざるを得ない。
Aの中に渦巻いた嫉妬や憎しみを、私が安易に理解しようとすることでさえ、踏み込んではいけないと感じると同時に、それでも、理解しようとしてしまうほどの複雑さがある。
小説の中でAは子どもを誘拐し、逃亡生活の中で無償の愛を注ぐ。服役後、外の世界に戻っても、彼女は薫の姿を思い浮かべ続ける。
そして実際のAもこの小説を読み、数日間体調を崩したと聞いた。私はその事実に触れたとき、「彼女は何を思ったのだろう」と考えずにはいられなかった。
もし、ガソリンをまくのではなく子どもを連れて逃げていたら。彼女もまた、薫に向けたような愛を注ぎたかったのだろうか。それとも、BとCの存在が憎悪となり、愛と復讐が入り混じった末路だったのか。
考えても答えは出ず、ただ言葉にできないやるせなさだけが心に沈んだ。
そして、最も強く感じたのは、この事件で最も悪いのはBであるということだ。
なぜ、Aが無期懲役となった一方で、Bは平然と生きていけるのか。
こんな非人道的な男になど、絶対になりたくない。
不倫の末路にあるのは破滅だけだと痛感させられた。
タイトルについて ―「八日目の蝉」
「蝉は七日で死ぬ。もし八日目まで生きたら、孤独なのか。それとも、自分だけが見られる景色があるのか。」
小説の中で問われるこの言葉に、私はAの存在を重ねてしまった。
すべてを失い、人生が終わってしまったとしても、もしAが八日目の蝉になれたなら。
世界は残酷だったけれど、それでも八日目にしか見えない景色がきっとある。
そんな希望を、この物語は差し出しているように感じた。
もちろん、子どもを奪った加害者に軽々しく同情してはいけない。
それでも、私自身もまた、何もかもが終わったとしても八日目の蝉でありたい。
自分にしか見えない景色を求めて、もう一度生き直す力を持ちたい。
そう思わせてくれた、小さくて強烈な生の衝動をくれた作品だった。
⸻
Posted by ブクログ
読んでいて気づいたら感情移入してた。希和子と薫が幸せな時はずっこうでいいんじゃないと思ったが、色々な逃亡をしたのち、希和子は捕まり途中まで希和子の視点で書かれていた文章が今度は薫の視点で書かれていた。
物語は綺麗にまとめられていて読みやすく、物語は終わったが、続きで色々な可能性が考えられ、読んだ後もいろんな想像ができて面白かった。
あといつか小豆島に行きたくなった。
Posted by ブクログ
随分前に映画を観ていたのですが、小説もやっぱりおもしろいですね。角田さんの書かれる作品はそれぞれの登場人物の感情がとても細かく表現されていて読んでいて嬉しくなったりハラハラしたり時には寂しくなったり、といとも簡単に感情移入させられてしまいます。
希和子と薫が路頭に迷ったり危機が迫ってくると「早く逃げて」と焦り、ようやく落ち着ける場所を見つけると自分もほっと胸を撫で下ろす。希和子は母として薫の成長を心から喜び、一見すると美しい親子の物語のようにも見える作品です。希和子が捕まるまでは2人の生活がいつまでも続きますように、と応援している自分もいたはずなのに後に薫が実の両親の元へ戻されて恵理菜としての新しい生活は恐怖と混乱が繰り返されるところでは希和子を簡単に非難する自分がいました。
恵理菜の実の母親だって恵理菜が誘拐されていなかったら、夫が不倫さえしていなければ、生まれてきた子供を希和子がしたように大切に育てていたかもしれない。そこには幸せな家族があったのかもしれない。この家族を、そして成長した恵理菜を苦しめているのは全て希和子が悪いんじゃないかと強い憤りすら感じました。
ただ千草の言う「ずっと抱えてきたものを手放してここから出ていけるように」恵理菜も希和子もそして恵理菜の母親もそれぞれに抱えているものを徐々に手放していけるように祈ります。