あらすじ
大学1年の夏、杜崎拓は故郷高知に帰省した。親友・松野と里伽子のわだかまりも解け、気分よく東京に戻った拓の部屋に、年上の女性、津村知沙が入り込み泥酔し寝ていた。
「その年上の女、たたるぞ」という松野の言葉が拓の脳裏に甦る。不倫の恋に傷ついた知沙。離婚した父とその再婚相手との間で傷つく里伽子。どうしたら人を守れるのだろう?
さまざまな思いと痛みが交錯しながら拓は東京ではじめての冬を迎える―。
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この小説が本当にいつ書かれたんだろうと思わず思ってしまうくらい、自分自身の大学生の頃と本当にシンクロする。初めてアパートに入った時の高揚感、何も縛られない自由と、無力さ、そして突然部屋で寝ている大学の先輩女性に思わず焦る主人公。友人との関係や距離感、そういう都会の何かに高揚しつつ、地元に帰った時の安堵感。この小説は全てを網羅している。立ち止まることを許されていた大学生、きっと川の流れをゆっくり見ていたような気がする。自分は、どういう人生を歩むんだろうと、自分に期待しつつ、不安にもなったものだ。今でこそ、堂々と、大丈夫だよ、立派にやってるから、とその当時の自分に伝えてあげたい、そんな暖かい眼差しを感じる小説だ。
アイの形がテーマとなっている続編は、若くて大人になりきれない、いろいろ割り切れないからこそのまっすぐな行動を、ある種の肯定感とともに描いていく。天真爛漫に見えるリカコも、相手を打ち負かす嫌味な言葉も使えるようになっているし、モリサキもまた面倒なことにと言いながら、リカコの鋭い言葉に、時にイラッと、時に安心感を覚えている。アイってさ、どんなに面倒で、嫌味を言われても、どれだけ離れて行っても、それでも変わらないものなんだと思う。いつまでも、一緒にいれたらそれでいいって思えるものなんだ。
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学生時代に読んでまた読んだ。服をあげるところが好きで覚えていた。
あの時代、上京して大学生になるひとは、今よりだいぶ少なくて新鮮だったんじゃないか。
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思わずジャケ買いしてしまった作品。
武藤がとても自分勝手だなーと思っていたが、読み進めるうちに自分に対しても、他人に対しても真摯に向き合っているからこその態度だったんだなと感じた。
青春っていいなーー!
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恋は盲目、あばたもえくぼ。
拓は里伽子にアイがあるから、その身勝手さにどれだけ振り回されても最終的には許すことができる。大沢氏が津村知沙のことを「痛々しくて放っておけない」と感じたのも、きっとアイのかたちのひとつなのだろう。初めて読んだ高校生のときとは違い、齢をかさねたぶん読後の余韻や登場人物の印象が変わった面もあるけれど、いま読み返してみても、昔と変わらずやっぱり安西のおばァにはむかついてしまうのだった。
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拓がいい奴すぎる。そして拓の男友達は田坂さんや北原さんも含めてみんないい奴すぎる。みんなありったけのアイがある。拓の親くらいの年齢なのに自分も拓になりたいと思ってしまった。
自分はずっと津村知沙派で里伽子はずっと好きになれなかったけど、最後の最後はあれ?好きかもとなって作者の思うツボでした。
そして劇団野郎屋の芝居がとても観たい。
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拓は津村やりかこに振り回されながらもだんだんと東京に染まりここで生きて行くという覚悟を感じた
また彼の人の良さで色々起きるが最終的にりかこと良い雰囲気で終わるのも良かった
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やっぱり里佳子に振り回されてる杜崎拓。でも読んでて嫌な気持ちにならない。杜崎拓がすごくいい奴。スマホじゃなくて家電のやりとりが良い。今回もイラストが素敵でした。
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「海がきこえる」ってそういう意味だったのか。
終盤で拓が認知する通り、東京にも埋め立てて造られた街がある。古い昔の土地の形と海を想起することは、ふるさとである高知を思い出すことともに、私たち一人一人がある土地と分かちがたく存在しつつ、人とつながることで果たしてきたことに思いを馳せることだったろうと思う。
読んでよかった。
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4/7〜4/15
うーん!積読してたのを念願の読破!
映画を見てとっても感動したので、2を買って読んでみた。1から読めばよかったな〜。うーん、買おう。
杜崎が魅力的に見えるのはりかこと付き合ってるからで、杜崎にはりかこが、りかこには杜崎が、パズルのようにカチッとハマってるんだよな〜。
りかこのワガママも強気な発言も、そんなことを言ってほんとは寂しがってるなとか、八つ当たりしてるだけだな、かわいいやつだな〜って見てる、愛のある杜崎の視点から本を読めるのめちゃ良いですよ〜。
あと水沢の話のあたりも良かったな〜。
アイってきっと広がっていくものなんですね…。
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本作は続編であり、それぞれの大学時代を現在進行形で描いている。(1巻は大学に進んだ拓の回想と現在が入り混じっている。)
やはり本作品は登場人物それぞれの魅力が強い。
しかも、それぞれ異なる魅力のため人物への思い入れも強くなる。
前作からそうだが、拓が意外と女性の心情に疎かったのは読者もやきもきさせられて面白い。また、この時代は明確に付き合う付き合わないを言葉で決断するのではなく、海外のように会う回数を重ねることやお互いの雰囲気から自然とそのようになるということを知らなかったので驚きだったが、今よりも自由な雰囲気を感じて羨ましく思った。また、何よりも驚いたのは当時の大学生(作品の人間だけなのかもしれないが)が、素材や形にこだわっておしゃれを日頃からしていたことだ。あの時代の大学生は比較的裕福な家庭が多いとかあるかもしれないが、シルク素材のジャケットを着れるなんて、少なくとも私は考えられないし、そんな大学生が街で浮かない時代であることが何より素晴らしい。。
この作品は当時の時代における男女の友情や恋愛のことを知ることができてとてもよかった。ただ、この作品が全てではないことはしっかりと頭の念頭に置いて、参考程度の認識にしておきたいが言葉で人に感情を伝えることの難しさといまの時代がどれだけ楽なのか痛感させられた。
これからは、できる限り直接思いを人に伝えられるよう語彙力と思考力を磨いていきたい。
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有名なタイトルの続編は、あまり印象的な作品がないと勝手に思っていたが、これは前作とはまた異なった視点から読めた。
今回は、大学生になった主人公とヒロインとその周囲の大学生や大人が登場する。
私自身30代社会人ということもあり、ヒロインの態度や言動には若いな…という印象が強く、むしろその周りの大人の言動に共感してしまうところもあったが、大学でのキャンパスライフや、当時の友人との関わり合いを思い出しつつ読むと、主人公やヒロインのことがよく理解できる気がした。
また読みたい一冊。
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1990年代、女の子に連れ回される男の構図も今はないものだから新鮮だった。爽快でもなく、ハートフルでもないのに読み終えた後にじんわりくるのは、アイという主題と、里伽子が見せた弱みと、手を繋いだ二人を読めたからか。
作中のおばあちゃんのビデオを見た後の気持ちと同じような気持ちになることを狙って作者は作ったのかも。
昔の大学生の話で、村上春樹とは違って遠くに感じなかったのは、親の姿を物語に見たからか。
あと女のひと同士の静かな争い、読み応えがある。展開が大きかったからドキドキしたのか。
里伽子っぽい知り合いが全く思い浮かばなかったことで憧れパワーで楽しく読めたのかも。
あとは、最後がすごい良い、「この夜はそのためにある」ってとこ、前作で主人公たちが高知城見た時の心情と同じ、繋がっているのかも。ひとりでいる時に読みたい文章。
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1巻を入手できたことでやっと2巻を読むことができた。
1巻では、里伽子も千沙も男を振り回す女性で同じタイプだと思っていた。
2巻を読むうちに、全く違うタイプだと思えてくる。彼女らは男性を振り回すタイプでも、里伽子は両親のことから派生することに目を背けようとして、拓を振り回していくが、人の痛みがわかるのではないだろうか。
千沙は妻子持ちとの不倫の解消から精神不安定に陥り、人の痛みには鈍いのでは?と思うようになってきた。
バブル絶頂、90年代前半を舞台にした青春であり、出てくる大学生の男子は皆いい人ばかりでした。
歳を重ねた今、読んであまり理解できていないけれどまた読んだらもっと理解できるのだろうか。
安斉のおばあは嫌いでした。
Posted by ブクログ
東京を舞台とした大学生編。1990年代の空気感が、モワモワと蘇ってくる。携帯のない時代ならではの物語。
「銀金」と共に、作者が存命していてくれたら続きが読めただろうに思ってしまうシリーズ。
大人になった拓と里伽子の姿も見てみたかった。
余談ながら、『海がきこえる』のその後を考えると、90年代半ばなので既にバブルは弾けていて、拓も里伽子も就活は大丈夫だったのかと心配になる。
Posted by ブクログ
あなたは、10日間不在にして帰ってきた家の鍵が開いていたとしたらどうするでしょうか?
いや、どうするでしょうか?なんて呑気なことを言っている場合ではありませんね。ただちに、110番、警察に連絡すべきだと思います。そもそも中には誰かが潜んでいる可能性さえありますから、部屋に立ち入ること自体がリスクだと思います。
では、それでも勇気を出して扉を開けた先にこんな光景が広がっていたらどうするでしょうか?
『7畳大の洋室の窓ぎわに置いたベッド、そのベッドのうえに津村知沙が寝ていたのだ。黒い袖無しの麻っぽいニットワンピースを着たまま、ベッドカバーの上にどたりと横になって、すこし口をあけて、ぐうぐう寝ていた』。
さてここに、帰省先から戻った自室のベッドに横たわる先輩女性を目にした主人公の衝撃を描く物語があります。『あっけにとられて棒立ちになった』主人公を見るこの作品。そんな彼が不思議な行動を取るのを見るこの作品。そしてそれは、古さを見せない”90’s青春グラフィティ”の熱さを見る物語です。
『東京では、どうやったがぞね』と、『高知の家にいる間じゅう、母親』にしきりと聞かれたのは主人公の杜崎拓(もりさき たく)。『東京では規則正しく生活しゆうき』、『東京のバイト先では、近ごろ珍しく、よく働くいい若衆やといわれゆうがぞ』と返す拓は、『大学生になって初めての帰省は、かなり大成功だったと思』います。『空港では親友の松野豊が出迎えてくれて』、『その夜のクラス会の二次会には、武藤里伽子(むとう りかこ)が奇跡のように現れ』ました。『カラオケボックスを抜け出して、ふたりで高知城まで散歩した』という拓は、『一週間ほどいるから、誘ってね』と、『帰るときは電話番号のメモ』をもらいます。そして、『里伽子を誘い、松野の運転する車で、「高知県の小京都」中村までドライブし』た拓は『袖無しの黄色いワンピースを着てきた』里伽子から、『この夏の帰省で、ようやく母親といろいろ離婚について話あった』と聞きます。『親父さんの浮気だけが離婚の原因でもないらしい、少なくとも里伽子がそう受けとめ始めている』と感じる拓。そして、三人は鰻を食べ、『屋形舟の発着場所まで降りてゆき、四万十川をぼんやりと眺め』ます。『川はきらきらと銀色に輝いていて、いつまでも見飽きなかった』という時間を過ごす三人。『そして里伽子』が『「よさこい祭り」の本番当日』に東京へと戻っていった一方で、『八月も半ばをすぎてから』『深夜高速バス』で『東京に戻』った拓。バスを新宿で降り、地元の石神井公園まで帰ってきた拓は、『いとしのアパート「メゾン英」に』8時過ぎに到着しました。『体を伸ばしてゆっくり寝そべる』ことを期待しながら『ドアの鍵穴に鍵をつっこ』むと、『鍵がかかっていな』いことに気づく拓。『鍵をかけ忘れたまま、10日以上もノンキに帰省していたんだろうか』と焦る拓は、『おそるおそるドアを開けてみ』ます。すると、『南窓の雨戸を閉めていったはず』なのに、『部屋の中がなんだか明るい』という状況を見て『どうも怪しい』と思う拓は、『ふと玄関を見』ると、そこには『いかにもお洒落な黒のハイヒールが転がってい』ました。『思わず、ドア横の名札入れを見直』すものの、そこには『102号室-杜崎拓』と記されています。『思い切って部屋に入』った拓は、『あっけにとられて棒立ちになってしま』います。『7畳大の洋室の窓ぎわに置いたベッド、そのベッドのうえに津村知沙が寝ていた』のでした。『黒い袖無しの麻っぽいニットワンピースを着たまま、ベッドカバーの上にどたりと横になって、すこし口をあけて、ぐうぐう寝てい』る津村知沙。そして、『なぜか部屋のすみにまで、スーパーのPB缶ビールの空き缶がごろごろ転がってい』ます。『わからないのは、なぜ津村知沙がここに、ぼくのアパートの部屋にいるのかということだった』と呆然とする拓は、『寝た子は起こすな』という諺に『近いことを』思います。『津村知沙を叩き起こして、事情を説明してもらう直線コースのやり方ではなく、現実を逆らわずに受け入れることで、問題を先送り』する選択をした拓。『ヌキ足サシ足で、まるで女子大生の部屋に忍びこんだ痴漢みたいに用心深く、玄関まで戻』ると、『スニーカーをつっかけて部屋を出て、音をたてずに、そうっとドアを閉め』ると、『そうだ、まず現場を離れることだ』と思い、自転車に乗ると石神井公園へ向かって走り出します。そして、公園に到着するとベンチに腰を下ろしたものの『さすがに、少し憂鬱な気分になった』拓は、『これはどうも、ただごとではない。まいったなあ』と『自分ができる範囲の打開策を必死で考え』ます。そんな拓のそれからの日々が描かれていきます。
“「みんなの気持ちがわかるって、だれの気持ちもわからないことよ」大学生活最初の夏、故郷での同窓会に出席した里伽子と拓。しかし、東京に戻った途端、大波瀾勃発。拓の留守アパートに、泥酔した美女 ー 津村知沙が眠っていたのだ!緩やかに距離が縮まりつつあった二人の関係は何処へ。ティーン 小説の鬼才が、十代の終わりと愛を瑞々しく描く”と内容紹介にうたわれるこの作品。アニメ化もされた前作に続く続編として1995年に書き下ろされています。まずは、前作を含めたこの作品「海がきこえる」に関する歴史をまとめておきましょう。
● 「海がきこえる」の歴史を見てみよう!
・「海がきこえる「月刊アニメージュ」に連載」: 1990年2月号〜1992年1月号
・「海がきこえる(単行本)」刊行: 1993年2月1日
・「海がきこえる(アニメ)」TV放映: 1993年5月5日
・「海がきこえる(映画・スタジオジブリ)」上映: 1993年12月25日〜
・「海がきこえるII〜アイがあるから〜(単行本)」刊行: 1995年4月1日
・「海がきこえる〜アイがあるから〜(テレビドラマ)」放映: 1995年12月25日
※ 杜崎拓(武田真治さん)、武藤里伽子(佐藤仁美さん)
・「海がきこえる(文庫)」および「海がきこえるII〜アイがあるから〜(文庫)」刊行: 1999年6月1日
・氷室冴子さん逝去: 2008年6月6日
・「海がきこえる(新装刊)」刊行: 2022年7月8日
・「海がきこえるII〜アイがあるから〜(新装刊)」刊行: 2023年7月7日
・「海がきこえる(映画・スタジオジブリ)」再上映: 2025年7月4日〜
2025年は、スタジオジブリによる映画の再上映が全国139館で行われるという記念すべき年でもあるようです。名作は時代を経てもその価値が失われることなどないという実例のような作品だと思います。そして、今回レビューするのはそんな「海がきこえる」の続編となる第2作になります。上記の通り、今年は単行本が刊行されて30年という節目を迎える年に当たります。偶然、この時期に読むことになりましたがなんだかすごくメモリアルで少し感激してしまいました。とは言え、そんな作品を世に出された氷室冴子さんも没後すでに17年という月日が流れています。時の経つのも早いものだと思います。
さて、そんなこの作品ですが、上記の歴史をまとめるに当たって、当時の単行本、文庫の表紙をネット上で探してみました。なんとも味わいのある表紙が見つかりましたが、一方でこの表紙を見て私は購入するボタンをポチッと押しただろうかという思いに囚われました。そうです。今、私の手元にあるものは2023年7月に“新装刊”として、表紙のイメージを刷新、徳間書店から新たに発売されたものになります。前作のレビューにも書きましたが、私はこの作品を書名を探して見つけたのではなく、あくまでジャケットが気に入って手にしたものです。昨今、”新装刊”という形で、かつての作品が装いも新たに登場するものが増えてきました。近藤史恵さん「ホテル・ピーベリー」、村山由佳さん「Bad Kids」、そして「天使の卵」シリーズなどなど、イメージが一新されたことで見た目の古臭さを脱し、今の世に蘇った作品は多々あります。もちろん、当時を知る方にとっては想い出が上書きされるようなところがあるのかもしれませんが、私のように今の世に初めてその作品を手にする人間には間違いなく選択の幅を広げてくれるものだと感じます。特にこの氷室冴子さんの「海がきこえる」は”新装刊”に大成功した作品だと思います。
とは言え、そんな作品を読んでみると、そこには今から30年前、90年代の世界が広がっていました…ということであれば、それは単に”ガワだけ変えた”に過ぎません。しかし、前作もそうでしたが、この作品はそこに驚異的とも言える内容を見せてくれるのです。そうです、それこそが、あまりにも時代を感じさせない物語の姿がそこにあることです。この作品には時代を感じさせる表現がほとんど登場しないのです。しかし、こんな場面は流石に仕方ないよね、というものが幾つかありますので抜き出してみましょう。
・『104番の番号案内にかけて、駅前の梅沢書店の番号を聞いた』。
・『コールサイン5つで、留守電のテープが流れた』。
『104番の番号案内』は2026年3月31日に終了が予定されてはいますが、ギリギリで今の世にも現役のサービスです。とは言え、果たして自身がそんな番号に電話したのがいつのことかはまったく記憶にありません。一方の『留守電』は今の世でも普通に使われてはいますが、『テープ』という表現が流石に意味不明かもしれません。
・『ぼくは1/10000の東京23区内の薄い電話帳くらいある地図帳を持っていたのを、しみじみ感謝した』
・『後部座席に乗りこむなり、運転席の北原さんという人に、赤いサインペンで最短距離を示した地図帳を渡した』。
『電話帳くらいある地図帳』、『サインペンで最短距離を示した地図帳』という表現が登場しました。行き先に合わせて車に持ち込む『地図帳』を選ぶといったことは今や完全に過去のお話ですね。現在地が手に取るようにわかる車のナビがなければ目的地にもつけない今の時代からするとこちらもやはり時代を感じます。
とは言え、目立つのはこの程度です。そもそも現代は、”昭和レトロ”がもてはやされる時代です。『テープ』というもの自体もお洒落に見えるかも?と考えると、そこまで時代を感じることはないかもしれません。90年代に刊行された小説を多々読んできた私ですが、この作品では人の感情、関係性、そういった部分に時代を感じることはありません。今から30年も前にここまで普遍的な作品を世に送り出された氷室冴子さん、改めて凄い方だと感じます。
次に、前作のレビューでも触れましたが、この作品の表現上の特徴を改めて三つご紹介しておきましょう。まず一つ目はレビューに書くことができないものです。それは、この作品には本編内にその場面を落とし込むようにカラーのイラストがたくさん描かれていることです。このイラストは、スタジオジブリで、アニメ版の「海がきこえる」のキャラクター設計と作画監督をされた近藤勝也さんによるものです。挿入されるイラスト群は、物語の内容に沿うものであり、作品を読む読者の頭の中に浮かぶイメージを絶妙に補完する役割を果たしてくれます。
次に二つ目です。この作品は終始、杜崎拓視点で描かれていきますが、そんな本文中に、”( )”で括られた文章が幾つも登場するのです。前後の文章とともに抜き出してみましょう。
・『そのとき、ふと、
(そういや、アパート侵入の件はどうなったんだろ)
と思いはしたけれど、津村知沙はまるっきり気にしていないようだった』。
・『そのうち、だんだん面倒臭くなって、
(なるようになれ)
と自棄っぱちになって、週明けを迎えていた』。
二箇所抜き出してみました。“( )”内は拓の心の声と言うべきものだと思いますが、”( )”で括らなくても良いように思います。しかし、この表現の工夫によって、拓の内面を、よりリアルに描き出していくことができていると思います。前作から時間が開いてしまいましたが、やはりこの表現の仕方は、氷室冴子さんの一つの個性であり、とても面白い表現だと感じました。
最後に、三つ目として『海』に触れておきましょう。この作品はなんと言っても書名が「海がきこえる」です。『海』を書名に冠した作品と言えば、加納朋子さん「いちばん初めにあった海」、深緑野分さん「空想の海」、そして畑野智美さん「海の見える街」などが思い浮かびます。加納さん、深緑さんの場合は少し抽象性のあるもの、一方で畑野さんの場合は目に見える光景として『海』を書名に使うとともに作品中でも『海』を描いていきます。一方の氷室冴子さんのこの作品は、「海がきこえる」というわかったようでわからない書名です。それでも前作では杜崎拓の故郷・高知の『海』の風景が描かれていましたが、この続編で『海』はほとんど登場しません。
・『そのあともしばらく、海の波音を聞いていた』。
・『ここが海だったなんて、信じられないなァ。この街は海の上に浮かんでいるのか』。
・『あの辺は埋立地で、昔は全部、海だったんだぞ』。
『海』という言葉は全編で15回(前作では31回)登場しますが、ここから書名の「海がきこえる」の意味を探るのはなかなか難しいようにも感じます。自身の読解力の無さを嘆くのみと言えばそれまでですが、今の世には頼りになる存在があります。そうです。ChatGPTさんに聞いてみましょう!
Q. 氷室冴子さんの小説「海がきこえる」の「海がきこえる」というのはどういうことを意味しているのでしょうか?
A. ChatGPTさん: ”氷室冴子さんの小説「海がきこえる」は、青春や成長、友情、恋愛といったテーマを描いています。タイトルの「海がきこえる」は、主人公たちが感じる内面的な声や感情の表現と解釈することができます。具体的には、海の音が象徴する自由や無限の可能性、そして人々の心の奥深くに響く感情を表しています。
物語の中で、主人公たちはそれぞれの思春期の葛藤や夢を追い求めています。海は、彼らにとって未知の世界や新しい体験を象徴し、その音が励ましや導きを与える存在と考えられます。また、海の声がきこえることで、彼らは自分自身を見つめ直し、成長していくきっかけにもなっていると言えます。
このように、「海がきこえる」は単なる自然の音を超え、キャラクターの内面や物語のテーマに深く結びついている重要な要素となっています”。
なるほどぉ。いやあ、凄いですね。なんだかあまりの説得力に関心してしまいました。そういう考え方をとるわけですね。とてもわかりやすい説明だと思います。氷室冴子さんがこの物語に、そして書名に込められた深い思いに感じ入ります。
さて、この第2作は、前作で〈第六章 海がきこえる〉と最後の章に置かれていたものを、この作品では、一つ章を追加して、最後に〈終章 海がきこえる〉を置いた七つの章から構成されています。東京の大学へと進学した主人公の杜崎拓が、故郷の高知へと『初めての帰省』を果たすところからスタートするこの作品では、親友の松野豊、そして同じ時期に帰省していた武藤里伽子と四万十川へドライブに出かける様子が束の間の夏休みの平穏な日常を描き出します。しかし、やがて東京へと戻った拓がアパートに入るとそこには衝撃的な光景がありました。
『黒い袖無しの麻っぽいニットワンピースを着たまま、ベッドカバーの上にどたりと横になって、すこし口をあけて、ぐうぐう寝てい』る津村知沙
雨戸を閉め、当然鍵をかけて出かけたにも関わらずこのような光景を目にすることになれば、これは誰だってギョッとします。普通なら大声を出して、そんな不法侵入者を追い出すのが当然の成り行きだと思いますが、拓は、『そうだ、まず現場を離れることだ』と部屋を出て、自身がとるべきことを思案するという不思議な行動に出ます。このあたりが拓のある意味での主人公としての魅力のひとつでもあると思います。そんな物語は、拓の部屋で寝ていた先輩・津村知沙と、父親の再婚相手との関係性に悩みを深める武藤里伽子という二人の女性に何かと翻弄されながら大学一年生としての日常を送っていく拓の姿が描かれていきます。
『世の中には、いろんなヒトがいて、いろんな事が起こるもんだ。そうとしかいえん』。
そんな拓の心の声そのまんまな物語は、上記した通り時代感をほとんど感じさせない中に、拓の思いを具に描いてもいきます。とんがったキャラクター同士のぶつかり合いを見る物語はとても30年前に刊行された物語とは思えない新鮮さをもって読者に迫ってきます。そして、そんな物語が至る結末、そこには拓の大学生活第二章を予感させもする、その先のまぶしい青春を感じさせる物語が描かれていました。
『ふと高知の海を思いだした。夏休みに、里伽子と松野豊といった中村市に面した土佐湾の海は、夏だったせいもあって、こわいくらい青かった』。
そんな『夏休み』の先に東京での大学一年生の日常を送る主人公の拓。この作品には二人の女性に翻弄されながらも自らのスタンスをあくまで大切にする拓の日常が描かれていました。30年も前の作品なのに古さをまったく感じさせないこの作品。近藤勝也さんのイラストが物語を絶妙に彩っていくこの作品。
“新装刊”として登場し、アニメ映画も再上映されるなど、時代を超えて、独特な魅力を今も放ち続ける素晴らしい作品でした。
Posted by ブクログ
一気に女のドロドロドラマ、、ではあるんだけど、なぜだかこちらの方が好き。少女が自分の身を守るために纏ってた鎧が剥がれたように見えて、弱さを曝け出す強さを身につけたように見えて、好ましかった。愛があるから、だよね。
私も銀座のクリスマスで海がきこえるかな。
「一方でとても悲しい辛いことがあって、けれど一方ではちゃんと現実の小さな楽しみもあって、そうやって何かが動いていくのだ。現実のばかばかしいくらい小さい楽しみや、嬉しいことに出会って、元気になってくれるといい。」
Posted by ブクログ
杜崎はとても男性っぽい合理性、いわばちょっと共感力にかける部分はあるよねと思う
でも、ここは絶対におさえてっていうタイミングで、里伽子の味方になれてたんはよかったな
Posted by ブクログ
初巻よりも、むとうりかこの事好きなった。不倫からの略奪婚…?妊娠流産という内容は重くてびっくり。私がりかこの立場だったら、不倫相手を選んだ父親のこともその相手も絶対に受け入れたくないだろうなぁと思う。お母さんを裏切るみたいで、
りかこはわがままでいじっぱりで友達にいたら絶対嫌いなタイプだけど、憎めない。そしてちょっとだけ羨ましい。私もりかこくらいわがままな女の子してみたい。
りかこと対照的な位置にいる津村知沙も、既婚者と不倫して別れて離れてそれでも好きで、待ち伏せして偶然を装って会いに行ったり、奥さんに会いにあったりどうしようもないけど、憎めない。
最後の終わり方が個人的にはイマイチだけど面白かった。
Posted by ブクログ
今の時代では送れない青春を過ごす拓と里香子が羨ましい!里香子は相変わらずわがままで自己中心的だけど、芯があって脆くて側を離れられない気持ち、わかる。
拓もどっちつかずな性格だけれど人に寄り添ってあげられて、人を素直に尊敬できる良い子だなぁ…ってしみじみ思った。北原さんも、最後のほんの少ししか登場しないのにその人柄と、私自身が駅伝好きだからこそ胸に突き刺さった言葉があった…。
1990年代の時代設定の小説だけど、この若者言葉はこんな時代からあったんだ!という驚きや、平成初期の雰囲気が残る言い回し、ファッション、情景に私もそんな時代で青春を過ごしてみたかったなぁと思った。
Posted by ブクログ
里佳子が相変わらず拓を振り回してて面白かった!
アッシーでもいいと割り切って里佳子を想い続ける拓が、純粋でかっこいいなと思った。そんなまっすぐさに周りの人達は惹かれていくんだろうな。
男の友情も素敵だった。
映画しか観てないけど、1冊目も読みたくなった。
Posted by ブクログ
『海がきこえる』の続編。周りの女性たちに振り回されてばかりの杜崎拓は「the 都合のいい男」って感じ(笑)
里伽子や津村知沙が好き勝手に杜崎のことをたぶらかすことができるのも、2人とも美人という強みがあるからなんだろうな〜と思うけど、この続編では2人の弱さや脆さが描かれていてすごく人間味を感じます。
20歳前後のキラキラした感じがとても羨ましいお話でした。
Posted by ブクログ
「海がきこえる」の続編。
里伽子と拓がどうなってるかな?って気になってた。
高校時代の真っ直ぐな青春ってところから、当たり前のようだけど、成長しただけ人間関係が複雑化してる。
拓は、器用に立ち回れるタイプじゃないけど、
里伽子が里伽子でいられるのは、
拓がいるからなんだよなー。
なんだかんだ、いい関係性。
この本を読んでる時に、くるりの「男の子と女の子」が思い浮かんだ。
僕の優しさもだんだん歳をとる。
この先、二人はどうなっていくんだろう?
高知の海、忘れないでほしいなぁ。
Posted by ブクログ
海がきこえるを読み終わり、大人になったふたりが見れるなんて嬉しい!とおもってすぐ読んだ。
IIは津村知沙が不倫相手の奥さんに会いに行ったり、流産の話など出てきて、内容的にはなかなかハード。
お父さんの再婚相手の美香さんと里伽子と拓で食事するシーンは拓の気持ちになると逃げ出したくてたまらなかった。笑 里伽子はいろんな感情がぐちゃぐちゃになってどうしようもなくてすぐに暴走しちゃうけど、素直でまっすぐで可愛らしいなぁと思う。どんな気持ちも拓にだけは受け止めてほしいよね。
里伽子は美香さんが流産してしてしまった時、その様子を近くで見ていて凄くショックを受けていたけど、この経験をしたから憎いはずの相手である美香さんにも少し優しい気持ちを持つようになれたのかなと思う。
美香さんだっていい思いばかりしてるわけじゃないもんね。
里伽子や拓が少しずつ大人になっていく様子が感じられるのが読んでいて嬉しくて少し切なかった。
Posted by ブクログ
海がきこえるの続編。東京での彼らの恋物語、家族のその後など。相変わらずの我儘ぶりの女たちに、笑える。時代が少し古い設定なので、バブリーだったあの頃をおもいだす。挿絵で描かれている女性たちがまさにその時代だなぁと。そして男性はあの頃、アッシー君と言われる人達が多かった。そういう意味で時代を懐かしむ一冊でもある。最後、武藤 里伽子が少し相手を思いやる気持ちを持ててきたことに、やっと、ようやく少しホッとした。笑 そうじゃないと、この後生きていくのが大変だぞーって思っていたから。笑
しかし、この武藤 里伽子、いつから拓を好きになったのか、謎である、