清野由美のレビュー一覧

  • 新・ムラ論TOKYO

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    吉祥寺、高円寺、秋葉原、小布施を取り扱った珍しい構成。
    大規模の開発が起こる東京に目を向けるのではなく、自然発生的に、小さい塊の連鎖が都市を構成して行くダイナミズムに目を向けた内容。
    大資本がうごめくトップダウンの東京と、カオスと言われる所以のボトムアップがうごめく東京。
    対話形式なので読みやすいと思います。相変わらず隈さんの本質を見抜く所が凄いと思う。

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    2011年11月12日
  • 新・ムラ論TOKYO

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    「空間の商品化」の限界という視点が共感できる。地縁・血縁など便利な社会になる中で断ち切ってきてしまったつながり・かかわりをどう結びつけるか。場所に密着したムラにはそんな可能性があるのかもしれない。

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    2011年10月05日
  • 新・ムラ論TOKYO

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     シリーズというわけでなないのでしょうが、前書 『新・都市論TOKYO』があります。こちらは大規模開発の町がトピックであったので好みではなくざっと
    目を通しただけでしたが、本書は下北、高円寺、秋葉原、子布施といった、住みやすそうな町ランキングにあがってきそうな町が語られていて好感でした。
     エリートが計画する大規模開発にではなく、地に足が着いている人たちが主役になっている町特集でしょうか。
     隈研吾がいう「ムラ」がどんなものか。成長し続ける町、TOKYOに求められているものは? とか、秋葉原をちょっと知りたい、という興味がある人はぜひ読んでみて。いろんなヒントがありそうです。

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    2011年08月23日
  • 新・ムラ論TOKYO

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    都市開発は面白いと思う。
    ただ理論と実践を混同させる、という基本的なミスをしてはいけないと思うけれども…。

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    2011年08月04日
  • 新・都市論TOKYO

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    ヒルズに行く度感じるなんとなくぞっとする空気とか、
    おしゃれで洗練された都市だけどどこにいっても個性が無い感じとか、
    再開発後の都市への違和感は誰もがかんじる事なのだろうなー。
    ま、その違和感含めて結構好きだけども。
    そのへんについての色々な事情とかも少しわかったのでよかった。
    これを踏まえた上でその都市たちをまた歩いてみたいな。
    二人の対話がいちいち辛口で面白かったですw

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    2011年03月31日
  • 新・都市論TOKYO

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    都市に関心のある人には、とにかく面白く読み進められます。汐留、六本木、代官山、町田といった街に対する、隈さんの忌憚のない意見が聞け、非常に興味深く、勉強になります。
    また、隈さんと清野さんの対話形式で進むのですが、各都市に対する背景の解説が、しっかりとした取材に基いて作られている為、説得力があり、都市に対する新しい見方を示してくれます。

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    2011年01月09日
  • 新・都市論TOKYO

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    ★日本の都市計画の限界。それは分かっているのだが‥★隈研吾流れで。現代の日本の都市開発は巨額の資金を必要とするためにリスク管理が最大のポイントとなり、収益性を高めるために容積率を上げ都市としては成立しない、と指摘する。これを「経済的に開くと空間的には閉じる」と表現。その稀な反対例が、朝倉家が自身の資金だけで30年もの長い月日をかけ、優れた坊ちゃん建築家である槇文彦に設計させた代官山だという。これは「経済的に閉じる(自己資金で完結する)と空間的には開く」とする。ただそれも、そのユートピアが皮肉にも呼び水となって代官山アドレスのような巨大開発も引き込み、やはり街を凡庸にしてしまうとのこと。金融とデザインはトレードオフの関係にあるという、至極納得できる分析だ。
     ただやはりすっきりしない。ではどうすればいいのか、と。上からの都市計画の無力さは明らかだし、住民参加は飽きるほど時間がかかるうえに資本の論理には勝てない。建築家としては著者のように海外に向かうという選択肢はあっても、暮らす人にとって選べる道ではない。著者はドンキホーテのように信じられないほど長い時間をかけながら日本の再開発に立ち向かう森ビルの森稔を評価する。それは理解できるが、結局バブル臭しか漂わない六本木ヒルズは悲しい。この本の結論も「迷い続けるしかない」とのこと。確かにそれが真実だとは思うが‥。
     もうひとつ、読み物としては面白いが、建築家の言葉としてはどうもずるい気がする。その理由は磯崎新への言及で腑に落ちた。70年代の筑波学園都市での磯崎新について、「自身がこの都市はどうしようもないインチキなフィクションだと言って、シニカルな自己否定をしてみせた。(中略)建築家当人がシニカルだと、まわりはそれ以上の批評ができなっくなる。それが磯崎の戦略だった」と説明。これは(読んではいないが「負ける建築」を書いた)隈自身にもそのまま相当するのではないか。
     また印象に残ったことを2つ。
    ・分析の枠組みが20年前と似ている。たとえば、現実の都市の理想像であったはずのテーマパークを再び都市がコピーしている、といった「逆流」という手法。
    ・バロックは壮大さをもって個人を世界につなぐ。

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    2010年10月10日
  • 新・都市論TOKYO

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    [ 内容 ]
    景気回復の実感はいまだ薄い。
    にもかかわらず、東京では空前の大規模再開発が進行中だ。
    林立する高層ビル、変貌する街の風景。
    これは、本当に"東京の再生"につながるのだろうか?
    「都市は失敗の集積にほかならない。
    失敗を重ねた都市ほど偉大な都市だ」と語る建築家が、二一世紀TOKYOを象徴する、五つのスポットを巡った。
    汐留、丸の内、六本木ヒルズ、代官山、町田。
    そこに見えてきたのは、どんな「失敗」と「未来」の姿だったのか。

    [ 目次 ]
    都市開発の手法を概観する
    第1回 汐留―悲しい「白鳥の歌」が響き渡る二一世紀の大再開発
    第2回 丸の内―東京の超一等地に三菱の「余裕」がどこまで肉薄するか
    第3回 六本木ヒルズ―森稔の執念が結実した東京の蜃気楼
    第4回 代官山―凶暴な熊に荒らされる運命のユートピア
    第5回 町田―「郊外」かと思っていたら「都市」だったという逆説
    対話篇 そして北京

    [ POP ]


    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
    ☆☆☆☆☆☆☆ 文章
    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

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    2014年10月26日
  • 新・都市論TOKYO

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    汐留、丸の内、六本木ヒルズ、代官山、町田、北京などの都市の特徴が相互比較により分かりやすく説明されています。建築家の視点と一般的な視点の違いも楽しめます。

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    2010年04月05日
  • 新・都市論TOKYO

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    都市開発を建築家の視点で見ると、かように興味深い事実があるのですね。個々の建築意匠を見るのは好きでしたが、確かに新橋から電通へと歩くと様々な建築が並んでいます。ミッドタウンを訪れたときの印象は、緑、空間、曲線でした。丸の内OAZOは少し無機質な印象が残ります。建築を見て歩く以上にその背後にある事実を楽しむことができました。面白い本です。

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    2009年10月04日
  • 新・都市論TOKYO

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    汐留、六本木ヒルズ、ミッドタウン…。東京を中心に再開発という名のもとに高層ビルが乱開発されている昨今を、建築家の目線で見るとどう映るか、という本。
    対談形式なのでスラスラ読める。著者の考え方に同意するかどうかは別としても、街が好きな人にとっては普通に面白い本だと思う。ちなみに個人的には結構この本の主張と考えが近い、けど町田って・・・w

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    2014年02月19日
  • 新・都市論TOKYO

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    汐留・丸の内・六本木・代官山・町田の5都市を

    建築家の隈研吾が語る本。



    この本では、汐留・丸の内・六本木という

    にょきにょきとした21世紀の開発に対して、

    代官山の「ブランド化」したユートピア的開発イメージや、

    町田の「リアル」なのか「フィクション」なのか

    なんだかよくわからない開発イメージを対比させている。



    この本で学んだ視点は「リスクマネジメントと都市空間」



    汐留の「細切れ街区」や、丸の内の「あんこだけ超高層」は

    短期的なリスクは回避できそうだが、

    果たして都市のストックとなるのだろうか?



    六本木ヒルズはミッドタウンが出来た今、

    開発の個性で生き残る新たな段階にきている。

    基準階の巨大さを活かして、「垂直都市」を実現できるかが楽しみではある。



    代官山の都市空間を悪く言う人はあまりいないが、

    同じような都市空間を金太郎アメのように実現させる

    開発手法や制度研究はリアリティに欠ける気がする。



    そう考えていくと、町田の開発は

    「リスクマネジメント」しきれていない面白さがある。

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    2009年10月04日
  • 書店再興 まちの本屋さんのゲームチェンジのために

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    読書本かと思ったらかなり純粋にビジネス分析本だ
    著者が日経トレンディの立ち上げに参加した人らしいので、当然といえば当然か

    書店業界の話だとネガティブなところを指摘する本が多いが、この本はその中でもポジティブに行動している会社・人について紹介する内容

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    2026年05月10日
  • 新・ムラ論TOKYO

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    ネタバレ

    ゾーニングという制度を見直さないと、都市という抱擁的存在は再生できないと思う
    →日本のゾーニングの配慮は女子供には向いておらず、商店街に破れた制服の女子高生のポスターが貼ってあるパチンコ屋さんがあってこどもに見せたくないなあと思う。そういうゾーニングのされ方は都市的議論にあがらないのだろうか。何が規制してくれるのだ?景観だと思うけども。

    日本社会独特のプレッシャーの中で、女性たちが生き残るために、男性には知られないところでひそかに磨き上げてきたものです。
    →隈研吾と清野由美の恐らくお互いにわかっていてスルーし合うジェンダー観が非常に日本社会的でもはや面白いなーと思った。

    すぐ読める。軽い本です。息抜きにちょうどよかった。

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    2023年11月24日
  • 観光亡国論

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    ネタバレ

     観光立国が観光客の急増で、京都の寺社は人がびっしり並び参拝もままならない。穴場もSNSで拡散されるや、たちどころに荒らされてしまう。観光公害、観光亡国にならないようにするのに必要なのは、適切なマネジメントとコントロール。アレックス・カー「観光亡国論」、2019.3発行。宿泊、オーバーキャパシティ、交通、マナー、文化などに言及されています。規制強化と規制緩和のバランス、入場予約制度と管理費(入場料)の徴収、車誘導から歩行方式に、看板公害の除去、旅行会社依存からの脱却など。

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    2023年03月18日
  • 観光亡国論

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    アレックス・カー氏の著書はもう何冊か読んでいるので、既視感がある記述も多いんだけど、何度読んでも納得できる指摘が多い。

    文字だらけ(禁止文言だらけ)の観光地や電線だらけの町並みは、見ていて気持ちがいいもんじゃない(東南アジアなみにカオスになるとあれはあれで面白い 笑)。

    〈商店街が観光地されることで、それまでの町とは関係のない業者や商品が入ってきて、その地域全体の文化や個性が消えてしまう〉ことはしばしば起こる。

    横浜の中華街が典型か。店の人が中華街の中に住まなくなったことも背景にあるようだ。同じ神奈川だと鎌倉の小町通りも。最近は駅の逆側の御成通りも観光地仕様になってきている。

    一時期、さかんにクルーズ船を誘致しようなんていう動きがあった。だが、本書を読んでいる限りだと、どこもかしこも誘致というのは、うまくいかないようだ。

    わざわざ環境破壊してまで、観光客の受け入れキャパのない街に数千人規模の豪華客船を誘致するメリットはない。コロナ禍でクルーズ船のイメージが悪くなり、当面は誘致なんて言葉も出ないのかもしれないけれど。。。

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    2021年04月02日
  • 新・ムラ論TOKYO

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    隈研吾は、家を私有することに対して、否定的な意見を述べる。
    しかし、その問題を解決する解を持っていない。
    コーポラブティブ住宅によって、みんなで作ろうとするが、
    結果私有であったために、それは失敗の要因だったとする。
    彼の頭の中には、サハラ砂漠の中での住居のように、
    簡単に建てられ、自然と境界線を置くことなく、私有しない
    原始共産制のようなユートピアが、あるのかも知れないが、
    現実的に 持ち家制度を 否定しても解決できない。
    夢の中での、住処を模索しながら、都市ではなく
    村ではない「ムラ」のイメージを掻き立てるが、
    そこでも私有制を否定することはできなかった。
    隈研吾は、自己矛盾に堕ちて、不満を述べて、吐き出し、小間物屋をしている。

    20世紀は、多くの建築物が建てられて、都市となった。
    そして、村が消えていった。それは、持ち家願望にあり、
    持ち家を持たす金融システムが確立したからだという。
    アメリカ型、集合住宅貸家型、中国の都市籍と農民籍の
    3つのパターンは失敗して、村が破壊され、消滅した。

    隈研吾の求める 青い鳥 ムラは、どこにあるのだろうか?
    下北沢、高円寺、秋葉原、小布施を街歩きする。
    下北沢の面白さが発酵して、昭和をなつがしがるムラ。
    高円寺は ユルい感じで、男権システムの暴力から逃げて、
    寛容性と慎み深さのあるムラ。
    秋葉原は、ヘンタイ性を飲み込むことで、多層な欲望を飲み込むムラ
    小布施は シティーボーイの目を持つ旦那様の作り上げるムラ。
    結果としては、私有制を否定するものは見つけられなかった。結局 日本は サハラ砂漠ではないのだ。

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    2020年03月26日
  • 新・都市論TOKYO

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    約10年前の出版であり、現在の渋谷再開発等の最新情報は載っていないものの、都内で馴染みのあるエリアの再開発経緯や街並みの対比が成されている。私自身も体感した「汐留の建物の不統一感」「代官山の独特の雰囲気」「新宿副都心の無機質さや不便さ」等、筆者が実際に歩きながら、理由や背景をレポートする形式は興味深く読めた。

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    2019年09月14日
  • 人生の諸問題 五十路越え

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    共に都立小石川高校から早稲田大に進学。ひとりは、事の本質を寸鉄釘刺す毒っ気溢れるコラムを主戦場に相田みつをを「便所の神様」(まさに言い得て妙)と称し、時に物議を醸す社会風刺の名コラムニスト小田嶋隆、方や電通クリエィティブ部長の席を辞し、部下3名を引き連れ日本初のクリエィティブエージェンシーを立ち上げる。還暦過ぎても、今なお第一線で活躍するクリエィティブディレクター岡康道。

    このふたりが五十路から還暦越え街道へと向かう途上に忍び寄る病・仕事・家族…の「諸問題」に対し、どう立ち向かい、どう対処するかを存分に語り合うふたり。そこに進行役の清野女史が、慈愛にあふれた絶妙なツッコミを入れ、独特のグルーブ感を醸し出す。

    さて、その対談内容たるや脱線と蛇行の繰り返し。諸問題解決の一助となるノウハウや指南なんてものは皆無。高校の同級生ふたりの噛み合うような噛み合わないような話に、五十路おっさんの哀しきサガを垣間見、そして提示されたのは諦念と覚悟。

    「50代の半分ぐらいは鬱状態」。
    「一言多い奴は出世できない」。
    「男は、皆んな『猿山』に生きている。定年後でさえ、
    心中で『俺は猿山の何番目だ』と値踏みしている」。
    「劣等感は勝とうと思うから、「自分は劣っている
    のではないか?」と疑念が湧く。それが胸の内に定着
    してしまう。『負けたっていいじゃないか…』自分を
    許す意識設定が必要」。

    そう、五十路の諸問題の処方箋なんてものはないのである。プレゼン上達のようなスキルをもって解決しようと思うのがそもそも間違っている。「それって猿山の中の話ですよ」と諭してもらうのが一番いい。

    先日五十路を折り返したばかり。80年代なら定年である。
    その頃なら「ハッピーリタイアメント」になれる率高かったんだろうなと思ったりしてると、ついついこれまでの来し方を振り返ってしまった。かつて描いた「“なりたかった自分の将来”」と「実際“なれた自分の現在”」について、しばし沈思黙考。そんな時に出会った本書。

    私見だけど、五十路にはびこる諸問題の解決には、とりわけ男はとにかく喋ること、できることなら語り合うことが、最も効果の高い解決策だと信じ込んでる。あの知の哲人 ヘーゲルやキュルケゴールでさえ「弁証法」という対話を重視した。眼前の出世には役には立たないが、人生という時間軸で見れば折々に直面する困難な挫折を乗り超えるチカラになるように思う。『男よ、喋れ!さらば、開かれん!』である。


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    2019年09月13日
  • 新・ムラ論TOKYO

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    全体的にはすごく面白いんだけど、男性原理・女性原理みたいな話を持ち出すこと自体が、今やとても「おっさん臭い」し、とはいえそれについてすごく勉強しているというわけでもなさそうなので、中途半端で直感的な思いつきに過ぎないもののように感じる。

    加えて、斜めからものを言ったりするのはもうやめたとこの本で言っておきながら、小布施での試みには結構斜に構えているように見える。自覚的なのかどうなのか(自覚的なら、「あえて皮肉めいたことを言うと」とでも言って欲しかった)。

    隈研吾さんは基本的に好きだし、話も態度も面白いと思って注視しているが、こういうところはいただけないと思う。

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    2015年05月29日