菊池誠のレビュー一覧
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日本神経科学学会が脳神話への声明を出していることは他の教育関係の本では引用は見かけない。成績が良い児童には朝食をとっている児童が多いことから、朝食を食べると成績が上がるという間違ったマスコミの例(家庭環境が関連すると想定されるのだが)が掲載されているので、学生に関連と因果を考えさせるいい材料になるであろう。また、宝くじが当たるために、神社に祈ったか祈らなかったで本当にご利益があったかを調べるために、疫学の考えとして、以下の4マスで確率を考えるとしている。これは、学生にとってとても役に立つ道具である。例えば、電子教科書を使わなくて、成績上がった学習者をがすぐ頭に思い浮かべることができるという利点
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良書だと思う。
科学のあり方について、大学の研究者やライターなど様々な人が語っていて、新書ながら内容が非常に濃かった。
科学というと、どうしても絶対正しいものだとか、必ず答えが用意されているものと思いがちだ。しかし、実際にはそうではなくて、不確実な面もあるということを忘れてはいけないだろう。そして、不確実な面もあるけれど、それをなるべく正しい答えを導き出そうとする、方法論についてはやはり信用に足るものだと思う。
今回の震災で、科学の見方が大きく変わった。研究者も一般市民も科学の見方について、もう一度しっかりと科学について、理解する必要があるのではないだろうか? -
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トンデモ科学,似非科学など,人をダマす「科学もどき」が後を絶ちません。その内容は,「誰が見てもウソだろう」と思うものから,ちょっと見では気づかない科学っぽい話まで身の回りには実にたくさんあります。「誰が見てもウソだろう」と思うのにさえ誰かが引っかかるのは,人の弱さにつけ込むからでしょう。
福島原発の爆発事故によって放射能が飛び散りました。放射能は確かに危険だけれども,その危険性を必要以上に煽って,金儲けにつなげようとしている人もいます。本書でもそういう事例が何例も取り上げられています。ただ,こういう例は姿・形を変えて次から次へと出てくるに違いありません。一つ一つに対処している訳にはいかない -
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震災後,政府不信とともに科学不信が蔓延していて,その結果いかにも胡散臭い情報に引っかかって騙される人が増えているようだ。その処方箋。
今回の原発などの問題は,科学自体の信頼性を損なうものではなく,科学が用いる方法論の有効性は,微塵も揺らいでいない。科学が有用であり,科学なしに現代社会の存続はありえないということは明らかなのに,従来の科学を忌避して損をするのはもったいない。
第一章は,ニセ科学の批判をずっと続けている物理学者の菊池教授が執筆。ニセ科学とは,科学でないのに科学を装って一般の人を騙す言説だ。血液型性格診断,マイナスイオン,『水からの伝言』,ホメオパシー,ゲーム脳等。巧妙な宣伝で -
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5人の科学者、サイエンスライターがそれぞれの立場から「科学」について語ります。
これを読んだから騙されないようにはならないですが、近年の「科学」周辺のトピックや考え方に触れる事ができて、面白く読めました。
それぞれ、印象に残ったことを覚書。
1.科学と科学でないもの(菊池誠)
・疫学的思考の重要さ。
例えば、「やった・やらない」「効果あり・効果なし」をクロスさせた場合、「やらない」×「効果なし」が、見落とされがち。
・道徳を決めるのは、物質の性質ではない。歴史や文化。
2.科学の拡大と科学哲学の使い道(伊勢田哲治)
・科学はモード1からモード2へと移り変わつつある。環境学、情報学など。
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戸田山和久さんの『「科学的思考」のレッスン』を読んだ直後に、本書を読んだ。
世に出た順序としては逆行することになったけれど。
どうしても戸田山本がこの本を読むときのガイドラインになってしまった感がある。
本書で菊池誠さんは、リスク評価の難しさの指摘した上で、理屈を説明することが安心につながらないと言っている。理屈と気持ちの折り合いをつけることが大事だと。
戸田山本では、この点について、「安心」も筋道を通して議論すべき対象とすべきだという立場をとっている。
この点について、私は戸田山説に賛同したくなってしまうのだが、それはやはり先に読んでしまったため、なのだろうか。
正直、今の自分は科学的思考力 -
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学校で教わる理科のイメージとは異なり、科学の問題に確定した答えがあるとは限らない。科学にも不確かな面があり、そのことが科学不信をもたらすことがあるという。しかし、不確かな面に切り込んでいくでいくためにも科学的思考の訓練が必要となるのは間違いない。科学不信を取り除くには専門家と一般市民とが双方的に対話する場を作っていくことが重要だと指摘している。
安全性の基準は必ずしも客観的かつ不変的なものでなく、当事者のおかれた状況などによって異なってしかるべしという記述になるほどと思った。
5人の著者による解説を足し合わせたものだが、それぞれ内容があってよい。