あらすじ
科学とはなにか? 科学と科学でないものの間は? 科学不信はなぜ生まれるのか? 科学を報じるメディアの問題とは? 科学を上手に使うには?――学校が教えてくれない科学的な考え方を、稀代の論客たちが講義形式でわかりやすく解説。3・11以降の科学に対するモヤモヤがきれいになくなる一冊。【光文社新書】
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Posted by ブクログ
科学と疑似科学の違いはなにか。科学とモード2科学。報道による科学のゆがみ。3.11以降の科学Communicationは科学知識の理解から対話へ。トランスサイエンス「科学に問うことはできるが、科学では答えを出せない問題群」の扱い。科学に対する態度を整理してもらった。
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日本神経科学学会が脳神話への声明を出していることは他の教育関係の本では引用は見かけない。成績が良い児童には朝食をとっている児童が多いことから、朝食を食べると成績が上がるという間違ったマスコミの例(家庭環境が関連すると想定されるのだが)が掲載されているので、学生に関連と因果を考えさせるいい材料になるであろう。また、宝くじが当たるために、神社に祈ったか祈らなかったで本当にご利益があったかを調べるために、疫学の考えとして、以下の4マスで確率を考えるとしている。これは、学生にとってとても役に立つ道具である。例えば、電子教科書を使わなくて、成績上がった学習者をがすぐ頭に思い浮かべることができるという利点がある。1、2章は役に立つであろう。
効果あり 効果なし
祈った ( ) ( )
祈らない( ) ( )
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良書だと思う。
科学のあり方について、大学の研究者やライターなど様々な人が語っていて、新書ながら内容が非常に濃かった。
科学というと、どうしても絶対正しいものだとか、必ず答えが用意されているものと思いがちだ。しかし、実際にはそうではなくて、不確実な面もあるということを忘れてはいけないだろう。そして、不確実な面もあるけれど、それをなるべく正しい答えを導き出そうとする、方法論についてはやはり信用に足るものだと思う。
今回の震災で、科学の見方が大きく変わった。研究者も一般市民も科学の見方について、もう一度しっかりと科学について、理解する必要があるのではないだろうか?
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トンデモ科学,似非科学など,人をダマす「科学もどき」が後を絶ちません。その内容は,「誰が見てもウソだろう」と思うものから,ちょっと見では気づかない科学っぽい話まで身の回りには実にたくさんあります。「誰が見てもウソだろう」と思うのにさえ誰かが引っかかるのは,人の弱さにつけ込むからでしょう。
福島原発の爆発事故によって放射能が飛び散りました。放射能は確かに危険だけれども,その危険性を必要以上に煽って,金儲けにつなげようとしている人もいます。本書でもそういう事例が何例も取り上げられています。ただ,こういう例は姿・形を変えて次から次へと出てくるに違いありません。一つ一つに対処している訳にはいかないのです。
だからこそ私たち一般人は,「科学的に考える」とはどういうことかをしっかり学んでおかなければならないのでしょう。
100の結果のうち自分の都合のいい結果を1つだけ取り上げて宣伝しても,それは事実であることは確かですが,報道されない「あとの99はどうだったか」をしっかり見ることのできる眼を持ちたいものです。
本書で2度も取り上げられている「2×2(4分類法)」という疫学的な見方」はとても役に立ちます。これだけでも身につけておきたいです。
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ルセインコ問題
マイナスイオン
水からの伝言
ゲーム脳
疫学的思考ー4つの事象のデータを揃える
エコナの発売停止
遺伝子組換え作物
ホルミシス効果
ホメオパシー
マクロビオティック
EM菌
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震災後,政府不信とともに科学不信が蔓延していて,その結果いかにも胡散臭い情報に引っかかって騙される人が増えているようだ。その処方箋。
今回の原発などの問題は,科学自体の信頼性を損なうものではなく,科学が用いる方法論の有効性は,微塵も揺らいでいない。科学が有用であり,科学なしに現代社会の存続はありえないということは明らかなのに,従来の科学を忌避して損をするのはもったいない。
第一章は,ニセ科学の批判をずっと続けている物理学者の菊池教授が執筆。ニセ科学とは,科学でないのに科学を装って一般の人を騙す言説だ。血液型性格診断,マイナスイオン,『水からの伝言』,ホメオパシー,ゲーム脳等。巧妙な宣伝で信奉者を獲得している。
実は科学を非科学からどう峻別するかという「線引問題」には決着がついていない。でもだからといって極端な相対主義に走ると,「科学とそうでないものの区別など存在しない」となってしまって意味がない。ここでは「多くの科学者が科学と思うものが科学」という認識で話がすすむ。
科学とは,「再現性のある客観性的事実」で,メカニズムが未解明なだけではニセ科学とは言えない。ここでは「客観的」というのがポイントで,主観的な経験を短絡的に事実と結びつけるやり方はもちろん科学でない。超伝導のように,現象の確認が先にあって,あとから理論的説明が付いてくることも多い。
ただ,科学的に考えにくい出来事でも「自分は経験した」という人は存在する。そういう個人的体験を全否定することは間違い,と菊池教授は言う。個人的経験はその人にとっては本物。ただそれと科学とを別に考えてもらえるようにするのは,なかなか難しいんだろうな。
第二章は,科学哲学者の伊勢田哲二准教授。線引問題に詳しく,以前読んだ「疑似科学と科学の哲学」はとてもよかった。この著書を含め,科学哲学が従来取り扱ってきたのは,物理や天文学,生物学,化学などの事実解明的な科学。それをモード1科学と呼ぶ。
モード1科学を支える価値観は,CUDOSと言われるそう。共有主義,普遍主義,利害の超越,組織的懐疑主義。発見を共有し,えこひいきや利害を排除して,研究内容のみを鵜呑みにせず吟味して評価するという態度。これが重要なのだが,モード1に属しない科学でこれを徹底しようとすると不都合が。
モード1に属しないモード2科学とは,「応用の文脈における知」を指す。この場合,超領域的な状態が避けられない。すなわち産学連携のように,モード1科学的な価値観に属している以外の人たちも関わってくるので,CUDOSに忠実であることより問題解決が優先されてくる。
モード2科学では,「今は証明不十分でも問題解決につながるから使う」という姿勢が擬似科学と共通してくる。モード1,2の科学,擬似科学の間の関係はグラデーションで,はっきりとした境界はないが,明らかに科学の範疇に入るものと,明らかに擬似科学であるものの区別をつけることはできる。
それは「信用できる方法論があるのに、それを使わないようなもの」が擬似科学,という分類法。代替医療なんかも,信頼できる検証方法である二重盲検法で効果が見いだせないのに効果を主張する。有用な伝統的知識が発見され,広く利用されることがあるが,取り入れる側の態度が科学的であることが大事。
第三章は,松永和紀氏による「報道はどのように科学をゆがめるのか」。報道は注目してもらえなければ意味がない。そのため,人々に受け入れられやすいように問題を極度に単純化し,センセーショナルに恐怖を煽る傾向がある。科学者を登場させて「こういう説もある」と紹介すれば報道機関の責任は軽い。
エコナ発癌性問題(定量的検証を欠いた議論),遺伝子組み換え(組み換えナタネとイヌガラシの交雑騒動)などの事例を通じて,警鐘報道がもたらす擬似科学の独り歩きを指摘。メディアは誤報を訂正しないので(訂正情報はニュースバリューがない),科学的に間違った認識が社会に残り続ける。
第四章では,サイエンスコミュニケーションのありかたを問う。イギリスでは,BSE騒動の反省(信頼の危機)から科学コミュニケーションにおいて大きな方針転換があった。従来の「理解」重視から「対話」重視への転換だ。これを参考に考える。
伝統的な科学コミュニケーションでは,一般市民の科学理解(PUS)といって,知識のある者からない者へという一方的発信が主流だった。「正しい理解を広めれば不安はなくなる」とする考え。しかし,これではうまくいかなかった。この状況はいまの日本と相通じるものがあるなぁ。
科学への信頼を再構築するためには,科学者,政府,産業,市民の間の双方向的対話や,政策決定への参加を重視する「公共的関与」が必要になってくる。科学技術に関する意思決定を,誰がどうやって行なうのが良いのか,それも含めて議論していかなくてはならない。ただ,議論の前提として,一定のリテラシーはやはり求められるよね…。そこはやはり教育しかないのではという気がします。
付録に,片瀬久美子氏の「放射性物質をめぐるあやしい情報と不安に付け込む人たち」も収録。マクロビ,EM菌,米のとぎ汁乳酸菌…。…怪しすぎです。シノドスジャーナルで一部が読めるので,未読の方はぜひ。
Posted by ブクログ
5人の科学者、サイエンスライターがそれぞれの立場から「科学」について語ります。
これを読んだから騙されないようにはならないですが、近年の「科学」周辺のトピックや考え方に触れる事ができて、面白く読めました。
それぞれ、印象に残ったことを覚書。
1.科学と科学でないもの(菊池誠)
・疫学的思考の重要さ。
例えば、「やった・やらない」「効果あり・効果なし」をクロスさせた場合、「やらない」×「効果なし」が、見落とされがち。
・道徳を決めるのは、物質の性質ではない。歴史や文化。
2.科学の拡大と科学哲学の使い道(伊勢田哲治)
・科学はモード1からモード2へと移り変わつつある。環境学、情報学など。
モード2では、「問題解決」への有効性が大事。また、大学、自治体、企業など様々な主体との協同が不可欠。
・科学か、科学でないかを主張の「内容」ではなく、「態度」で考えて判断する。科学の定義で外せないポイントは「信頼性」。主張が「信頼」を得るために、どのような手段を用いているのか。
3.報道はどのように科学をゆがめるか
・科学には不確実性が伴う。ゼロリスクにはならない。程度や量の考え方が大事。リスクとメリットについて、どこで折り合いをつけるのか。
4.3・11以降の科学技術コミュニケーションの課題
・「トランスサイエンス」という領域。科学の分野ではあるが、科学だけでは解決できない領域が拡大している。
・「欠如モデル」というアプローチ方法が時代にそぐわなくなっている。科学者が市民を啓蒙するというアプローチではなく、科学が伴う意思決定に市民が関わる場を。
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ゼロか百かで決めてはいけない。
福島原発で科学・政府の信頼が揺らいだ。
信じられるものがなくなり信じたいものを信じている。
科学はコミュニケーションをとっていく必要がある。
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震災前に行われた講演をまとめたものと、震災後に加えられた文章からなる新書。
章ごとに執筆者が分かれているが、そのことが議論に深みを持たせている。特に1章のきくまこ先生が書かれた似非科学の話はその後につながる重要な話となっており、何度か読み返した。
この本には答えもヒントもほとんどないが、震災後という時間軸で科学が持っている問題点について浮き彫りにしていると感じた。
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作者の方々が色々な分野で信頼できる人達ばかりだったので手にとった。期待どおり。菊地誠という人はブログの文章は明確で分かりやすくて素晴らしいのだが、本になると非常にレベルが落ちてしまう。もちろん言っていることはすごく良くて、論理的でよろしいのだけれどブログのあのカリスマ性が薄れてしまうように思えるのは僕だけだろうか?技術開発者さんに登場願いたい(^^)。菊地さんと松永さんに繋がりがあるのが嬉しく思えた。
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戸田山和久さんの『「科学的思考」のレッスン』を読んだ直後に、本書を読んだ。
世に出た順序としては逆行することになったけれど。
どうしても戸田山本がこの本を読むときのガイドラインになってしまった感がある。
本書で菊池誠さんは、リスク評価の難しさの指摘した上で、理屈を説明することが安心につながらないと言っている。理屈と気持ちの折り合いをつけることが大事だと。
戸田山本では、この点について、「安心」も筋道を通して議論すべき対象とすべきだという立場をとっている。
この点について、私は戸田山説に賛同したくなってしまうのだが、それはやはり先に読んでしまったため、なのだろうか。
正直、今の自分は科学的思考力が十分とは言えない。
EM菌の話は、ここで始めて知ったが・・・よそで初めて触れていたら、信じてしまったかもしれない(苦笑)。
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一般向けの話と、科学者向けの話が混在。大学の講義でやって欲しかった内容である。各章の執筆者を著作をfurther readingとしたい。付録がいちばん痛快であった。
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最初に科学と疑似科学について知りたい人にはオススメ。かなりとっつきやすい本。
いかに自分たちがリスクゼロを望み、その結果二項対立で物事を考えてるかが分かる。
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「科学」はれっきとしたプラスチックワードであって、その実よくわからないままに私たちはそれを使用している。そのことを嫌でも反芻せざるをえなくなったのが、東日本大震災と原発問題なのだろう。第4章の科学コミュニケーションの問題は、政治教育と公共性の問題とも似たような構造を感じた。(いずれも、これまでは「おかみ」に与えられるものだった)科学にまがいものでない「根っこ」を与えようとする、適格な書ではないだろうか。文体も軽快で、すらすら読めた。
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科学とニセ科学の境界問題,科学の周辺領域,メディアにおける科学の取り扱い,科学技術コミュニケーションの考察など。勉強になりました。付録として,放射能関連デマ(主にネット上)を紹介。
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理科系科目が好きでないとか不要だという人にこそ読んでほしい。で、感想聞かせて。これからの科学には、目に見えないものなんか信用できるか!という人が必要です。絶対に。
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学校で教わる理科のイメージとは異なり、科学の問題に確定した答えがあるとは限らない。科学にも不確かな面があり、そのことが科学不信をもたらすことがあるという。しかし、不確かな面に切り込んでいくでいくためにも科学的思考の訓練が必要となるのは間違いない。科学不信を取り除くには専門家と一般市民とが双方的に対話する場を作っていくことが重要だと指摘している。
安全性の基準は必ずしも客観的かつ不変的なものでなく、当事者のおかれた状況などによって異なってしかるべしという記述になるほどと思った。
5人の著者による解説を足し合わせたものだが、それぞれ内容があってよい。
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【目次】1章 科学と科学ではないもの 菊池誠/2章 科学の拡大と科学哲学の使い道 伊勢田哲治/3章 報道はどのように科学をゆがめるのか 松永和紀/4章 3・11以降の科学技術コミュニケーションの課題 平川秀幸/付録 放射性物質をめぐるあやしい情報と不安に付け込む人たち 片瀬久美子
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執筆者の思いは伝わるが、各章のトーンが一致しないので寄せ集め感が出てしまう。1,3,5章は具体例が多く、2,4が抽象的なメタ理論寄り。
第1章はかなり出来が良い。中学生の教材にしても良いくらい。
ゼロリスクを求める消費者のほうがよっぽどデジタルだ、ということだ。
Posted by ブクログ
科学技術倫理前半「科学技術と社会」の教科書として利用。4人の著者がそれぞれ、ニセ(エセ)科学について、具体的な事例を取り上げながら解説をしている。3.11以降の報道問題についても取り上げている。
普通に読む分にも難なく読むことができ、科学にあまり接してこなかった人でも読むことができると思う。
Posted by ブクログ
5人の著者による,
オムニバス形式の科学論。
論点はバラバラなんだけど,
一般人と専門家による,科学技術コミュニケーションが大切である
ということは,通底しているかなぁ…。
「コミュニケーション」という文言が入った言葉
――e.g.リスクコミュニケーションなど――を
最近,よく見かけるので,「コミュニケーション」が,
今の流行りなんですかね。
Posted by ブクログ
マスコミでは各論、対論を乗せる。そうすると学会では1:99の意見でも5:5に見えてしまう。難しいけど記事は鵜呑みにせず自分で考えてソースに当たること…
Posted by ブクログ
そもそも何で借りたかと言うと、菊池誠さんと菊池聡さんを間違えた。
こういう、色んな内容のオムニバスは、新書ではちょっと辛いのではないか。知ってる話は新鮮味はないし、そうでないものは興味も持てないか、キーワードのみ。
そのキーワードをフックにして、次読む本に広げて行けば良いんだろうが、何故か今そんな気分ではない。
Posted by ブクログ
疑似科学を批判する書籍は多い。この本も例外なく、ゲーム脳、マイナスイオン、水からの伝言、ゲルマニウム・ブレスレットなどの疑似科学に気持ちいい批判を浴びせている。また、マスコミの科学に関する無知による報道の歪みや、「学」と「民」の科学コミュニケーションのあり方、3,11以降の情報リテラシーなどにも触れている。
だが、薄っぺらな科学原理主義とは一線を画す。環境や社会に関する複雑な問題を解決するには、あえて科学以外の「知」も用いたほうが効率的だという主張が印象的だった。場合によっては、哲学や文学などの「非科学」も有効なのだ。注意すべきは、「非科学」なのに「科学」を装う「疑似科学」だ。これは欺瞞以外の何物でもない。
まして「科学が万能でない」ことを理由に「科学は信用できない」と理論をすり替えるのは、カルトか、金儲け主義か、思考停止のいずれかである。
Posted by ブクログ
ゼロリスクというのはある種の思考停止。
反証不能なものは科学ではない。
科学だけでは答えを出せずに、なんらかの価値判断を伴う分野が増えてくる。そのときにどうするか。
意思決定プロセスに携わる人を増やしたからといって解決する問題ではない。
Posted by ブクログ
科学とニセ科学とか、メディアの報道とか、「理系じゃないもん」っていう人こそ読むべき。
わかりやすい、だけを求めるのは、危険。
実は、ゼロかイチか、で割り切れないのが、科学。
大きく考えれば、情報リテラシーの話だと思います。どんな情報を信じるのか、どういう風に情報を信じるのか。
Posted by ブクログ
五人の人がそれぞれの切り口で科学とのつきあい方について述べた本。
具体的な事例について辛辣に偽科学やらデマやらにツッコミを入れているので分かりやすく面白い。