斎藤学のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
本当はだれも、あなたが思ってるほどにあなたに期待などしていません 。他者から向けられていると感じていた期待や要求の視線は、実はあなた自身があなたに向けている視線。
問題を背負いやすい人はだいたいナルシスト、自分だけに関心がそそがれていると思って人に関心がない。
耳が痛いほど自分にあてはまる内容。自意識過剰、自己中心性が抜けきれていない。また、未だに自分を特別視して平凡を受入れきれていないのであると感じた。
症状とか問題行動と呼ばれるものは全てメッセージ
症状と呼ばれるものの多くは周囲の他者へのコミュニケーション。
言語化できないため身体の症状で伝える。言葉にすると当たり前のことであるが、自分では症状を作り出していることを認めることができなかった。症状の被害者でいることで自分を正当化していたのだと思う。
親や教師の期待に応えなくては自分はダメだという強迫観念に近い信念をもって常にもって緊張していたが、本当に正しい信念であったか。そして有益な信念であるか。と考えるとちがうと思える。
自分を親や周囲の被害者であると「こども」をするやよりも自分の責任で自由に行動する「おとな」でいたいと思う。自分で制限をかける不自由な「こども」より自由とそれに伴う責任を持った「おとな」でいることを選びたい。
責任が伴うということは勇気や覚悟がいることだが、無責任な世間や周囲が責任をとってくれるわけではないので、自分の意思で自分のしたいことをしていきたい。
つらい過去を解放するのは、「つらい過去があったね。それがどうしたの」という問い。
過去に現在を支配する力などなく、過去に何があっても自分は今の自分の選択で人生を生きていくことができる問いであると感じた。 -
Posted by ブクログ
作中名言
「自分には何かが足りないという強迫観念を抱えながら、自分を待っててくれるはずの女性の存在を信じる。これが男のプライドの根幹にある。」
「【世間】は【個人】の成立にとって不可欠なもの。【世間】という異物の排除に努めようとするところに【個人】の誕生と成長がある。
【世間】はあるとき、ある状況では、凝集集団から【個人】を誕生させる新鮮な空気となり、別なとき、別な状況では【個人】を攻撃する悪意の塊と化す。つまり、【私】の位置と必要が【世間】の特徴を決めるわけで、【世間】とは【私】の鏡像である。」
自由な視点で男を語る小気味の良いエッセイみたいな本。
男の成長や、結婚観などが考え方としてとても勉強になった。
男なら愚痴愚痴女々しくなるな!掟として生きろ! -
Posted by ブクログ
昨今、大学内カウンセラーや地域の事業者などとの話の中で話題になるのは、学生の「自己肯定感の低さ、「人間関係上の葛藤経験の高年齢化」、「自己と他者との距離感のつかめなさ」など。
1996年当時に本書では機能不全家庭に育った人間の傾向、回復過程をアダルトチルドレンという概念をアメリカから輸入した著者により書かれている。
2012年現在、上述の問題点が顕在化してきているのは、家族という枠組みはすでに不安の場であることが定着し、そこにとどまらず、学校・教室・地域コミュニティ、またマスコミが流す「世の中」が、「落ちこぼれるなかれ!」という脅しをかけ続けてきている結果だと思う。
そうした恐怖の中で育った人間が、なんとなく笑っている、なんとなく仲良い風に振る舞っているのが目につきすぎる。
彼らの安心感がどこで失われたのか、現場では探ることが難しくなっています。 -
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
「曾祖父は地元の名士で金持ちだった」「曾祖母は評判の美人だった」など、ある人の考え方・世界観を知らぬうちにしばる「家族」の「神話」。
それが生きにくさの原因となったり、うつ、引きこもり、過食・拒食、アルコール依存などを引き起こしたりする。
依存症研究の第一人者が、「家族療法」の紹介を通じ、神話支配からの脱却、さらには自ら症状を改善・回復するための手引きをする。
[ 目次 ]
第1章 「家族」とは何か
第2章 症状は何を意味するか
第3章 家族療法の実際
第4章 「家族神話」にしばられる
第5章 子は親の人生を引きずる
第6章 外傷体験を語る
第7章 変化に挑戦する
第8章 エンパワメントの13ステップ
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
なかなかに独特な先生だというのは知っていたが、うーん、なんというか、言っていることに疑問はないのだけれど、読みにくいというのはあるかもしれない。
第3章くらいまでは確かに内容も学術的なのだが、あまりその必要性が感じられないものまでカタカナ語で表記されていて、しかもそれだと読者に伝わらない可能性を危惧してなのか、括弧書きで日本語名称を追記したりしている。だったら最初から日本語表記で書けばいいのになと思うことしばしば。その都度、ブチブチと文章が断ち切られるので、あれ?なんの話だっけと読み戻ったりして。
フロイトやクラインが多く引用されているので、精神分析が専門なんだなーと理解して読み進めていたが、何故か最後の2章は夏目漱石論みたいになっているし。まあ、著者が漱石ファンであり、尚且つ、漱石が親との関係に大いに問題があった中で育って神経症持ちになったということから、本書のテーマを解説するのにちょうどよかったのだろうけれど。
読み手としては、ん??なんだ?という戸惑いが隠せない。
言わんとしているところは理解できるし、臨床場面で参考になることもたくさん書かれているんだけれど、思いつくまま書いたって感じのとっ散らかった感が否めない。
過去に上梓されたものを大幅に加筆修正したものだそうだから、そのせいかもしれないのだけど。
もっと整理されていたら、読み手もスッキリしたのになあ、と残念な気持ちになった。 -
匿名
ネタバレ 購入済み「毒親だ!」と親を責めるのは反抗期のようなもの、というご主張はよくわかった。「毒親」は「理想の親」と同様、概念であり、実在しないという考えも理解できる。
しかし、自分の幼少期が不幸であったと「毒親」を恨む者は、大抵現在何かしらの不幸な状況(人間関係のつまずき)におかれている、その原因を「毒親」のせいにしている、という著者の主張には首をかしげた。
私が困っているのは他の人との人間関係ではない。(それらも多少はあるが)一番は他ならぬ親や家族との関係なのである。あのクセの強い人たちとどうやって付き合っていけばよいのか、捨てることもできない、感謝もある、しかし重荷にも感じて困っている。
その前提が異なるので、なかなか主張に共感しづらい。 -
Posted by ブクログ
自己肯定感は自己効力感や全能感とは違う
自己肯定感とは、他者と比べて自分を評価しないそのままの自分を認めること
父親は娘に鬱陶しがられるだけ。母親はきちんと情緒的に殺されることで、娘が独り立ちする
アルコール依存症者の妻の4人で1人はアルコール依存症者の娘だった
自分が必要とされる必要という病=面倒を見なければいけない人がいる幸福感が必要な病気
意味のある人生という実態があるわけではない、普通に生きていることを面白いと思うと。
意味ある人生など、どこにもない。
子供は犠牲者であり、依存者、それ以外の選択がない場合は犠牲者になる
依存しなくても生きていけるとき、大人になる。
食べ物が満足になかった時代には、過食症にはならない。
寂しさや退屈を排除しない。
私たちにとって豊かさを与えるものだと捉えるべき。
人間は最初から空虚なもの、誰だっていなくてもいいもの。 -
Posted by ブクログ
ACは正式な精神医学的な言葉ではないが、心理学的側面から見て、著者の解釈(範囲をアルコール依存の親元で育った子どもに限らない)は的確であると考える。共依存の意味も本書によってある程度理解できた。
個人的見解として、内因性の気分障害、あるいはその他の精神疾患は、本書に述べられているように、生育歴に関係性を求めることができると考えている。そこに名前をつけてわかりやすくまとめたことが本書の意義になると考えられる。
しかし、大変複雑な問題を、これだけの少ないページ数にまとめたことで、総花的になってしまい、概要を俯瞰するにとどまることしかできなくなったことは、やや残念な点である。
読んでいてまさに自分の体験が書かれているような部分もあり、涙が出そうなほど共感できる部分もあったが、成長の過程でのトラウマは程度の差こそあれ、誰にでもあるのではないだろうか。その意味で、ACという言葉が独り歩きしてしまいがちな危険な要素も孕んでいるという点は注意しなければならない。