赤瀬川原平のレビュー一覧
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「犬は風景を
見ているのだろうか?」
素朴な疑問から始まる
四角形への旅。
犬は食べ物などの
物件を見ているだけで
風景はぼんやりと
しているのではないか。
赤瀬川はそう考えた。
それでは人間は
いつから風景が見えるように
なったのだろうか。
それは窓の発明によってだと
赤瀬川は想像する。
自然界は曲線ばかり。
直線はめったに見られない。
しかし、人間は
同じものを並べるという
行為から直線を認識。
それを重ねるようになり、
そこから四角形が
生まれたと考えられる。
そして、洞窟から
石造りの家へ。
四角い窓が生まれる。
直線から四角形へ。
洞窟から石造りの家へ。
長い年月をかけ -
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赤瀬川原平のエッセイ『新解さんの謎』を読みました。
赤瀬川原平の作品は昨年10月に読んだ『老人とカメラ―散歩の愉しみ』以来ですね。
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辞書の中から立ち現われた謎の男。
魚が好きで苦労人、女に厳しく、金はない―。
「新解さん」とは、はたして何者か?
三省堂「新明解国語辞典」の不思議な世界に踏み込んで、抱腹絶倒。
でもちょっと真面目な言葉のジャングル探検記。
紙をめぐる高邁深遠かつ不要不急の考察「紙がみの消息」を併録。
たとえば──[ばか]人をののしる時に最も普通に使うが、公の席で使うと刺激が強過ぎることが有る。
[実社会]複雑で、虚偽と欺瞞とが充満し、毎日が試練の連続であると言え -
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ネタバレ辞書にも個性があって、辞書を作る人の見ている世界がじんわりと染み出てくるのだな、と思うといとおしく思えてきた。三浦しをん「舟を編む」の世界ですね。
新明解国語辞典はミスを恐れず、日本語を明解にするためにどんどん解説サービスをする。辞書の読者(?)は実感をもって日本語を理解することができる。
今は辞書を引かずに言葉の意味をネットで検索する時代だけれど、新解さんのような一本筋の通った辞書を使って自分の言葉を形成していくと、ほかの人とは違う自分なりの言語世界ができるかもしれない。
用例で、金周りに困っている内容が多かったり、自分の好きな食べ物の解説にはすなおに「美味い」と言ってみたり、チャーミ -
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ゆる言語学ラジオで紹介されていたのをきっかけに気になってしまったコチラ。
赤瀬川原平さんのお名前は存じあげていたものの、詳しくは知らなくて、読売新聞で人生案内の回答してなかったかな…って思ってたけど調べたら出てこなかった。たぶん誰かと間違えてるんだろうな。
さてコチラの本。
大きく前編と後編に分かれていて、前編はタイトル通り新解さん…三省堂から出ている新明解国語辞典の内容、おもしろい用例などに独自の視点で愛あるツッコミを入れていく、というもの。
これがまた本当に面白い。
ゆる言語学ラジオでも紹介されていて、わりと詳細にこの辞典の出来上がった背景などを知っていたので、何も知らずに読むよりはかな -
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『トマソン』で有名な赤瀬川原平の初期のエッセイにシュルレアリスティックなイラスト付きで。
大分に疎開した小学校時代の赤瀬川少年は、おねしょが治らず修学旅行にも行けなかった。おねしょによって、少年のネル場所だけ、畳が変形してしまうほどに。
赤瀬川原平だから、愉快なエッセイに違いないと決め込んで読み始めたら、妙に純文学的なひねくった言い回しに、面白い方向に行きかけたままテーマを忘れて拡散するように終わってしまう。電子書籍でせいぜい10ページというエッセイなのに、おねしょの話くらいしか頭に残らないという不思議な本である。
それもそのはず、赤瀬川原平名義ではなく、小説家としてのペンネーム尾辻克彦 -
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ネタバレまとめ
自然界には四角形がほぼ無い。四角形に近い形であっても曲がっているものが多い。四角形は生活の整理整頓から直線が生まれ,その重なりが四角形として生まれた。
現在自分達の身の回りにある物,大きいものから小さいものまでが四角形である。家やビル,携帯や教科書。 つまり生活の基盤となる物の形が四角形なのであり,人間が合理的に考えて,生まれた形が四角形なのである。
その四角形が「窓」として現れたとき,人間は初めて風景を見た。それまで意識していなかった奥の方にまで意識が向くからであろう。絵画の「フレーム」として現れたときは人間は余白を知り,また風景を見た。大昔のラスコーの洞窟壁画には周りにいた動物 -
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タイトルで手に取ってしまった。
駐輪禁止の立札の前に止めるたくさんの子供連れを見て、
正直、日本に未来はないなと思っている。
老後に関しては不安しかなく、早く老衰したいとさえ思ってしまうようになった。
赤瀬川源平という名前は知っていたけど、
現代芸術なるものが好みに合わないので素通りしていた。
でも、誘いに負けてしまった。
老人力とは、人生の酸いも甘いも噛み分けた後の
ゆるゆるでいいではないか、と楽しめる心境で、
まだまだ若い者には負けんぞという、年寄りの冷水的な頑張りでは
ないらしい。
そういったことを、中古カメラに例えたりして、
繰り返し語っているが、途中からもう話題が尽きた感が否めな -
Posted by ブクログ
「物忘れはをするのは力だ」というところから始まった「老人力」について、様々なテーマごとに老人力にまつわるエピソードを綴る。
寡聞にして知らなかったのだが、1990年代の終わり頃に「老人力」ブームが有ったそうな。発症者は著者の赤瀬川原平、発見者が南伸坊。おう、よく読んでた人らじゃないか。というのも、「トマソン」をはじめとした、路上観察学会であり、街角考現学のメンツである。両方当然読んだ。ただ、何かって言うとジョーダンに持っていきがちな南伸坊に比べ、赤瀬川原平は、弾けているか内にこもっているかの両極端で、こもるタイプは苦手だったのだな。
本作は、割と軽く綴られているし、なんでそういう方向に進む