黒川祐次のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ロシア帝国やソ連のもとでの忍従を強いられ、ポーランドやオーストリアからは圧力を受けながらも独自の文化を守り続けたウクライナ。その忍耐の歴史を元大使の黒川祐次さんが愛情をもって綴ります。
描くのは1991年の独立までと、現在のウクライナ状況を理解するには物足りない気もしますが、ウクライナ人の不撓不屈の精神は理解できると思います。
印象に残ったのは
○中世ヨーロッパに大国であった「キエフ・ルーシ公国」(『ロシア』はルーシから派生した)の後継者は誰かという問題がある。ロシア側の言い分はウクライナという国そのものが消滅してしまった。モスクワ公国は存続していたのだからロシアが後継者であることに議論の余地はない。一方、ウクライナ側の言い分は15世紀のモスクワは、キエフ・ルーシ公国の支配下にあった非スラブ諸部族の連合体にすぎず、キエフ・ルーシ公国の後継者とは言いがたい。
○12世紀に編纂された「原初年代記」によればルーシ人は酒をやめられなかった。また、キエフ・ルーシ公国はカトリックではなくギリシア正教を選んだ。その理由は典礼の美しさであると説明されている
○キエフ・ルーシの貨幣は銀の鋳塊であり、その単位は「フリヴニャ」。ロシアの通貨である「ルーブル」は「切り取られた」という意味であり、「フリヴニャ」を切り分けた銀塊の単位として13世紀に創出。ウクライナ人はこれでロシアをからかっている
○「ウクライナ」が初めて特定の地を指すようになったのは16世紀。コサックの台頭とともにドニエブル川両岸に広がるコサック地帯を指すようになった
○ウクライナ史最大の英雄は17世紀、初めて自分たちの国家を作りあげたフメリニッキー。しかし、ポーランドへの対抗からモスクワへ保護を求めた協定が、ウクライナがロシアに併合される過程の第一歩になったことは否定できない
○困窮した農民が新大陸への移民を開始したのは1880年代。現在、アメリカには150万人のウクライナ系住民がいると言われている。
○ウクライナ人は第一次大戦以降、中・東欧の他の民族より長くかつ多くの犠牲を払いながら独立のために戦ったが、結局ソ連の崩壊まで独立は成し得なかった。その理由は
-ウクライナではインテリの比率が低く、インテリはロシア文化に浸っていた。独立への戦略もイデオロギーも十分ではなかった
-西ウクライナの民族運動はポーランドの圧倒的な力に潰されてしまった。また英仏やアメリカは民族自決を標榜しながらドイツと提携するウクライナ中央ラーダに疑問を抱いた
-ウクライナにはレーニンのような傑出した戦略性、指導力を持つリーダーがいなかった
-ウクライナの持つ重要性、すなわち、面積、人口、豊かな穀倉地帯を背景とした農業から、ロシアはウクライナを不可欠な一部と考えていた
-1933年にピークを迎えた大飢饉でウクライナでは350万人以上。これはロシアによる強制的な集団化や穀物調達のために起こった人為的な飢饉。これをホロコーストにも匹敵するジェノサイドとする学者もいる
冒頭に書いた通り、本書が網羅するのは1991年まで。一方、奥付けによると2022年4月15日で第15版が発行されています。増補版が欲しいところです。 -
Posted by ブクログ
ウクライナの土地は肥沃で
また西欧と中東・アジアを繋ぐ道にもなっており
スキタイ時代から豊かな文化を誇っていた
しかしそれは、様々な民族の争いを招き寄せる場所ということでもあった
ウクライナ民族の祖先はキエフ・ルーシ公国を築き
長きにわたる繁栄を享受したが
荘園貴族の力が増したことで国は分裂
モンゴルによる征服を経たのち
モスクワを除いて、ポーランド・リトアニアの支配下に入った
さらに南方から受けたタタールの侵略によって
自衛の必要に迫られた人々はパルチザンと化し
コサックと呼ばれ恐怖と憧れの対象になったものの
やがてポーランドの承認なしにコサックを名乗ることもできなくなった
ドニエプル川を挟んだコサックどうしの対立もあったし
そういう歴史から、ウクライナでは
けっこうイビツなナショナリズムが育まれたようである
ポーランド崩壊後、それはインテリゲンチャたちに再発見され
ロマン主義的な発展を遂げていった
現代まで続くロシアとの関係では
キエフ・ルーシの正統を背景とするロシアの一方的な身内意識と
ウクライナの土地に付随する高いプライドがすれ違っていることで
問題をこじらせているように思う
こういうのを見ると
「歴史の終焉」を既成事実化したい西欧文化人の
気持ちだけはわからんこともない
だけどそれで、心の拠り所を求めずにはいられない人の弱さが
なんとかなるわけじゃないんだよな