ヘッセのレビュー一覧
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ネタバレすごく読みやすくてありがたかった。
それでいて格調もある。
酒寄氏も解説に記されているとおり、ユング全開といってもいいくらいの作品であることにあらためて驚いた。(それなのにユングに言及されていないという酒寄氏の指摘。おもしろい。)
ベアトリーチェは見るからにアニマだし、クローマーはたしかに「影」。エヴァ夫人は太母だけれどもアニマ的なところもあるのかな。デーミアンはすべてを包摂した「自己」だと解説には記されていてなるほどと。そうするとラストでシンクレアは自己の統合を果たしたということになるんだろうか。
西欧の精神史をたどるような内容でもあり、さまざまに読める奥深さを持っている。個人的には、冒頭のクローマーとのいざこざがしつこく描かれなくて好みだった。 -
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主人公シッダールタ(ブッダとは別人)は、ブッダを「目覚めた人」「完璧な人」と深く敬愛する。しかし、その教えを聞いても門下には入らず、自ら欲に身を委ね、人生を経験する道を選ぶ。
「どんな真理にもその正反対があり、それも真理だ。真理は一面的にしか言葉にできず、言葉で言い繕うことはできない。頭で考え、言葉にすることができるものはすべて一面的だ」
ブッダの教えを聞いても、自分はブッダのようには目覚められない。誰かの真理は、そのまま受け取るだけでは自分の真理にはならず、自分自身で生きて初めて知恵になる。
人の忠告を聞いておくべきだった、とか、もっと若い頃に読んでおけばよかったと思う本も少なくない。けれど、その言葉が本当に腑に落ちるのは、自分自身が傷つき、苦労し、歳を重ねたあとだったりする。
遠回りも失敗も、すべてが今の自分へとつながっている。そう思うと、「時間は存在しない」という言葉が、少しだけ腑に落ちた。このタイミングでこの本に出会えたことにも意味があったように感じた。
作中で「川」は、あらゆる経験を飲み込みながら流れ続ける、人生を映す存在だった。
心を動かされたこの本も、結局はヘッセの「言葉」にすぎず、私を直接救ってくれるものではないのかもしれない。それでも、この本を読んだ経験もまた、川の流れの一部になって、いつか自分自身の知恵へと変わっていくのだと思いたい。 -
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ヘッセといえば「車輪の下」、挫折した思い出。
でも「シッダールタ」は読めた。新訳のせいもあるだろうか。大人になった今なら「車輪の下」も読めるだろうか。
てっきりブッダの話かと思ったら、同時代の別のシッダールタが主人公。バラモン、遊行者、ブッダからの離脱、友との別れ、金と愉楽にまみれた堕落、川と川を師とする同胞との出会い、彼の死とかつて別れた友との再会。
東洋思想は、ヘッセの時代のヨーロピアンには新しい啓示のように感じられたのだろう。ヒッピーが出現する前の時代だ。一度西洋人を経たインドの哲学は、私たちにもまた新鮮な視点をもたらす。
小難しくなく、馴染みのある考え方で人が悟りに至る過程を眺める、という感じ。心地よい読書体験だった。 -
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仏教を小説で学ぼうと思って手に取った本で、まさか金持ちの苦悩、賭博に嵌る感覚を知るとは思いもよらなかった。ブッタは出てきたが、仏教の話だったのかといわれるとこれはまた難しい。
さて、ヘッセといえば国語の教科書の『少年の日の思い出』が強烈に残っている。ヤママユガ、エーミール、「そうか、君はそういうやつだったんだな」。今回何となく「仏教っぽい名前だったから」という安直な理由で手に取ったわけだが、これがなかなかに味わい深い。
教えを授かるという行為にありがたみはあっても、そこから発展があるかと言われれば、それ以上の自助努力を必要とする。言葉という形の無いものは口から言葉として発せられた時点で、自分の中から外に出た途端に歪みが生じ、戯言になる。身に積まされる痛い言葉だ。 -
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いつか読もうと思っていたこの本。酒寄進一さんの訳で出版されたと知り、今だな!と手に取る。誰も愛せなくなってしまっていて、腐れている状況で、何かそれを打開するヒントを得られないか、祈るような思いで読んだ。
難しくて読み通せるか心配だったが、読みやすく、面白く読めた。
インド哲学の用語が出てきて、一応解説はついているのだがしっかりと理解できず、その辺をもっと勉強してから再度読まないと、きちんと理解はできていない。
アートマン、ブラフマン、オーム、サマナ、サンサーラ(輪廻)、ニルヴァーナ(涅槃)など。
オウム真理教のオームやサティアンなど、サンスクリット語のこのインド哲学の用語を使っていたのだなと今更ながら知る。
印象に残ったのは、シッダールタを導く役割をしている川の渡し守、ヴァスデーヴァだった。川の声を聞き全てを学んでいるというヴァスデーヴァは「聞く姿勢」が素晴らしい。
◯一言も口を聞かなくても、語り手は自分の言葉を彼が静かに、心を開き、時が来るのを待って受け入れてくれるのを感じる。ヴァスデーヴァは一言一句聞き漏らさず、先を話すようにせっつくこともせず、讃えることも、貶すこともしないで、ただじっと耳を傾ける。
シッダールタが俗世での自分の愚行に気づいたあと、どうやって是正し覚醒したのか知りたかったが、「よく眠った後覚醒していた」というのは少し残念だった。
「真に探求するもの、真に見いだそうと欲する者には、他人の教えに甘んずることができないのだ。」158というシッダールタの考えは納得できるし、自分もそう思ってきた節がある。ただ、シッダールタのような偉人であれば、それは成り立つけれども、私のような凡人が同じことをすると、ただ生意気で結局誰の教えも得られず困りそうだ。
◯シッダールタの笑みは一生のあいだに愛おしいと思ったものすべてを、かつてその人生において大切で神聖だったものを思い出させた。212
最後のこの文章はしみじみと良く、何度も読むほど好きだった。
以下印象に残ったところ
◯知識は伝えられるが、知恵は人に伝えることができない。真理は一面的にしか言葉にできず、言葉で言い繕う事はできない。
◯反抗心を捨てて世界を愛することを学ぶためには、罪を必要とし、快楽、物欲、虚栄、恥ずべき絶望が不可欠だ。私はそれを身をもって、そして魂で経験した。そうすれば、この世界を自分が望み、思い描いた世界や、自分が考えた完全さと比べたりする必要はなくなり、この世界をあるがままに受け入れ、愛おしく思い、進んでその一員になれる。 202
◯言葉が多いと平安を見いだす邪魔になる。
◯ゴータマと言葉の上で(シッダールタの)意見の矛盾があるが、それは見せかけの矛盾であり、私はゴータマの語りや思考ではなく、活動と生涯にこそ、ゴータマの偉大さを見る206 -
Posted by ブクログ
「自分を解き明かすことができるのは、他人ではなくあくまで自分だけだ。」
ヘルマン・ヘッセの代表作のひとつ『デーミアン』です
うーん、これまた「聖書の壁」
しかも完全に四方を囲んでいて、蟻の這い出る隙間もない
当然のことながら、全く意味もわからん
けど面白かった
たまにあるのよ
全く意味分からんけど面白い
全く意味分からんときって大抵は面白くないのよ
だってそうでしょ、意味分からんのだから
でも、本作は面白かった
ぜんぜん分からんのに、全部分かったような気もする
独断的で独りよがりな心中が延々と語られるのに、普遍的で共感できるような気にもなる
なんだこれは!
こういう時、いつも実践しているのは「解説」は読まないってことだ
「解説」に惑わされるな!(そんな詐欺師みたいに言わんでも) -
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コツコツ光文社古典新訳文庫の時間です
今回はドイツを代表するノーベル賞作家ヘルマン・ヘッセです
ドイツ文学です
ヘッセと言えば丸美屋じゃなかった『車輪の下で』ですが今回はデビュー作の『ペーター・カーメンツィント』です
日本では『郷愁』で知られている作品ですね
ドイツを代表すると言いましたが、感じとしてはドイツ系スイス文学のほうがしっくりくるのよね
いやーなんか凄かった
まあ、あれですよ
僕なんて書評家でも何でもないんで
「凄かった」を「凄かった」以上に突き詰める必要はないんじゃないかと常々思っているんですね
「凄かった」で伝わることもある
文学的で美しい表現がぎっしり詰まっているのに、読み手が自由に解釈していい部分がたくさんある
そんな自由度の高い物語に自分は感じました
結構深そうなことがサラッと書かれている
サラッとしてるので様々に受け取れる
25歳でこの深みのある物語を書いてるってことが、さらに凄い -
Posted by ブクログ
ネタバレ少年時代のシンクレアの心中には共感できる部分があったが、青年時代の心の探求の部分では、彼の心中から少し遠ざかってしまった。あまりに深く自分の心の中を考えすぎているように感じたが、人間はその自己を知るということが必要なのだという。私はこの時代を知るものではないので、シンクレアとの乖離を感じるのかもしれない。
心について深く考えることは自己の反省につながり、延々と自分の嫌な部分を思い出すループに陥る気がしてならない。この反省の先に、シンクレアのように、何か運命を得ることができるのだろうか。
印象に残っているところは、「人は夢を見て生きている。しかし、多くの人が見ている夢は自分自身の夢ではなく、他のものなのだ」というところ。私も、自分自身の確固たる夢を持てたなら、と考えてしまった。
深く考えさせられるところが多く、すばらしい小説だった。
シンクレアとエヴァ夫人とのやりとりにはちょっとどきどきさせられたが、何もなくてほっとした。
しかし、最も期待していたがきっとないだろうと思っていたデーミアンとシンクレアのやりとりが最後に行われたのには、興奮で顔が紅潮し、深い溜息をついてしまった。 -
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ネタバレ光文社古典新訳文庫はガチで読みやすい。苦手だった海外古典文学がためらいなく手に取れるようになったのは、このシリーズのおかげである。古典を古典として読むのが億劫になってきたので、きっとこれからもお世話になると思う。
本書の訳者は酒寄進一氏。以前読んだシーラッハの『犯罪』もたしかこの方の訳書だった。翻訳にあたっての難所についてや、デーミアンのBL要素といった可能性などまで、訳者あとがきも非常におもしろく本書についての理解をより深めてくれる。
で、デーミアン。第一次世界大戦直後に発表されたドイツ文学である。
日本で有島武郎の『或る女』などが発表された1919年にヘルマン・ヘッセが匿名で発表した作品で、今年で発表からちょうど100年と聞き、せっかくなので読んでみようという気になった。作品の内容をひと言で表すとすれば、「既存の価値観と対峙する、若者の青春期」といったところだろうか。
主人公はエミール・シンクレアという青年で、彼の幼少期からの成長を追っていく構成となっている。彼は世界にはきれいな世界と汚れた世界があることに気付く。守られた清らかな世界で生きている人は汚れた世界を見ないふりをしているが、たしかに存在することを彼は知っている。ふたつの世界について知った彼が、どう生きていくのか…思春期の問い、と簡単に言うには重すぎる「世界」との対峙について、キリスト教の宗教観のなかでデーミアンという導き手の影響を受けながら答えを模索していく。
思い返せば、僕は比較的丁寧な世界で育ててもらった。暴力や貧困の世界があることは知りながら、そこに足を踏み入れないでいいように守られて生きてきたと思う。ところが社会に出て、今はどちらかというと本書で言う「汚れた世界」に近づいてきている。低層というと好ましくない言い方かもしれない。うまく言えないが、直接税を納めていなさそうなわりに、間接税(主に酒税、タバコ税)を大量に支払っていそうな人たちとともに生きている。また、直接税をきちんと納めていながら、他人を不快にさせる言動を悪びれもせずに言い放つような人間も身近にたくさん見てきた。そして、僕にはカインの印なんてものはない。
汚れた世界にフタをして、きれいな世界で生きることもできるだろう。きれいな世界を離れて、汚れた世界に身を置くことも容易かもしれない。また、どちらも選ばない第三の道もまた考えられる。本書に出てくるアブラクサスという神は「神性と魔性を合わせ持つ」という象徴的な役割を担っている。
対立する二つの世界があるとして、どちらの世界でどう生きるのか。はたまた世界そのものを疑い、否定し、打ち破ることができるのか。この本は戦後の世界的なブームのほか、ベトナム戦争の後などにも迷える若者たちの間で度々手に取られてきたという。さらなるパラダイムシフトも簡単に起こりえる今現在、そしてこの先も、世界と対峙する上で多様な示唆を与えてくれる物語である。