入江昭のレビュー一覧
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大学時代に授業で買って積読になっていた本を、10年ぶりくらいに読んでみた。入江さんと言えば、戦後すぐにアメリカのハーヴァードに渡ってずっとアメリカで研究し続けている大歴史学者。その著者が、1960年代の30代半ばで書いた日本外交史。
日露戦争後から朝鮮戦争後までの日本外交について振り返っているのだが、外交の上で基本的に日本は確固たる思想がなく、その場その場の列強の状況に左右されてきたというお話。日本では、人種、宗教、道徳上の原理で外交が動いたことはほぼなく、もっぱら軍事(防衛)、経済戦略上の状況に応じて動いていた。唯一、思想的に統一したものが出来上がったのが、太平洋戦争においての「大東亜共栄圏」構想だったが、これとて資源確保という経済的大前提があったうえで、アメリカがドイツのソ連侵攻によって想像以上の対日強硬路線をとってしまったという状況からきている。外交上の思想がないというのは、よく持て囃される石原莞爾についても例外ではない、と入江先生は指摘している。最終章では、今後日本は新しい外交思想を作り出していくべきとしている。ここで入江先生が言っているのは、南北問題などが念頭にあるのだろうが、結局、その後の日本外交には新思想など出ることもなかったというのが現実ではなかろうか。安倍政権とて、中国の強硬政策に振り回されて反応しているだけに思えるのは気のせいではない。 -
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ネタバレ本書で、1970年代以降、世界は国家という枠組みだけで捉えることはできなくなった、と述べている。
多くの人が、冷戦の終焉による多極化、911による見えない敵との戦いにより、世界の形は大きく変わったと述べるが、それに注目しすぎている点も否めない。
1970年代に世界はインターナショナル・リレーションズではなくトランスナショナル・リレーションズへと変貌していったからだと入江さんは述べている。
では、なぜ1970年代に入って世界はグローバル化してきたのか自分で調べてみたい。
また、文明の多様性と歴史認識の共有。この2つは、グローバル化が進む中で世界の課題になるだろう。 -
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日露戦争後の日本政府の外交方針が一貫して協調政策を重視し、一方で欧米は日本が列強国の一員になりつつあることに常に脅威を抱いていた。
1920年後半から幣原内閣の協調平和外交より軍部の強行路線が優位だった背景として世界恐慌などの経済不安定や
中国の過激なナショナリズムの展開で政情不安が増大したことがある。
日中戦争まで米国は親日であり反中であったが欧州の大戦でのドイツの動向により日本のアジア圏での地位確立が米国にとって脅威となったため反日に態度を変えたことは意外に感じた。
1930年頃の軍縮会議あたりから包囲網を整え日本を仮想敵国としてみていたと思っていたからだ。実際は日中戦争まで日米の貿易は頻繁に行われ武器や物資、食糧などを日本に輸出していた。 -
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ハーヴァード元教授の著者がだどる著者自身の研究者としての半生、そして研究内容の概論。ぼくは前者を楽しんだが後者は結構重く吸収しきれなかった感がある。学問の学びたてとかいう時期では仕方のないことかもしれないが先達の進んだ道が輝いて見えはするものの、彼らの語ることはほとんど理解できない。もどかしい。
1970年代からのtransnational な民間交流が現代をソテイしているという指摘は面白かった。一般論になるけど自分の持っているイメージに反する者こそあらまほしきものかな。自己の解体こそが読書の目的だろう。成長、っていうのは少し違う気がする。 -
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ネタバレ本年2026年1月に逝去された、ハーバード大学名誉教授だった入江昭氏の2005年の著作。
歴史を学ぶことになった筆者の半生を振り返り、あわせて歴史を学ぶこと・歴史とは何か・筆者の関心ごと等が語られる歴史エッセイ。
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うちの大学にも史学科というものがあったし、サークルの仲間でも史学科に籍を置くやつも居ました。ただ、歴史を学ぶっていうのはよく意味が分かりませんでした。
私にとっては歴史を勉強するっていうのは山川の黒字を暗記することとほぼイコールで、これを大学で学ぶ意義っていうのはなにか、と感じていました。
そのあたりの疑問は本書を読むと結構分かります。
私の理解したところだと、事実・史実であるけれど明るみに出ていないものをあぶりだす作業、みたいなものに感じました。
もはやうろ覚えなのですが、筆者の研究の一つに、米国での在米日本人への敵対感情の変遷みたいなものがあったやに思います。おそらくその変遷や契機があるのです。ただ一般認識はされていない。きっとその契機は、報道だったり歴史的事象だったり、あるいは政治的な恣意があり、そうした契機をあぶりだすことに研究の意義があるのだと思います。
違う表現をすれば、結果だけが明らかな事象にたいして「なぜそうなってしまったのか」を歴史的傍証を繙きつつ考証するのも歴史学の一つだとは思います。
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あともう一つ興味深かったのは、「歴史的事実は一つであるが、歴史認識は複数ありうる」という発言もどこかにありました(相変わらず適当でスミマセン)。
もちろんこれは日本・韓国・中国あたりの過去事象への理解の違いを言うわけですが、それに対しては、学究の徒が国境・国籍を超えて真実を共に見つける過程が大切だと述べていらっしゃいました。
他方で、歴史認識については政治、文化等が大いに影響を与えるという話もありました。
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そして、こうした歴史というのはその大半が政治の結果でありますから、歴史を学ぶことは、すなわち政治の話に畢竟たどり着きます。
また今や政治は一国で済む話ではないので、国を跨いだ政治の話につながることになりますね。
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ということで入江氏の歴史エッセイでした。
参考文献なども出ており、非常に興味深く読みました。
戦後間もないころに苦学しつつ旧敵性国で成功した留学話も面白かったですし、氏の歴史や政治についての興味も楽しく読むことができました。
本格的な著書も機会があれば読んでみたいですね。 -
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【由来】
・講談社のメルマガ
【要約】
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【ノート】
・ニーモシネ
・歴史研究においては、もう、国家単位での把握ではなく、様々な主体による関係論から、ひいては環境も含めた全地球的な視野で捉えるようになっているらしい。グローバリズムが進むことによって、国家が相対的に弱体化し、また同時に、欧米のポジションも相対化していった。この結果、国家以外(例えばNGO)や新興国など、プレーヤーが増えていった。このため、世界史観が国単位から、よりそのスコープを拡張していった。
・これは、歴史研究において、目新しいパラダイムではないらしいのだが、自分は全く知らなかったので、興味深く読み進めることができた。また、「国家」の枠が問い直されているなと感じる場面は、インターネットをはじめとして、色々な分野であるのだが、歴史研究においても同様なのだと知った。
・「歴史家」というのが、どのような役割を果たしている存在なのか、これまで今ひとつ、よく理解できなかったのだけど、本書で自分なりのイメージができた。
【目次】
第1章 歴史をどうとらえるか
第2章 揺らぐ国家
第3章 非国家的存在の台頭
第4章 伝統的な「国際関係」はもはや存在しない
第5章 普遍的な「人間」の発見
第6章 環地球的結合という不可逆の流れ
結 語 現代の歴史と記憶 -
Posted by ブクログ
現代哲学の流れにおいても、人間中心主義や西洋的理性中心主義の反省から、脱中心化的な動きがあった。歴史学のなかでも、国家間の「インターナショナル」の歴史から、国家の枠を超えた「トランスナショナル」、地球規模で環境などにも焦点を当てた「グローバル」な視点からの歴史認識への変遷が最近の動きという。また、軍事・経済面中心のハード・パワーから、文化や技術の影響力といったソフト・パワーに焦点を当てる流れにもなってきているらしい。
そうした中で、「歴史解釈」にはいろいろあれど、歴史自体は不変であり、歴史の事実について国家の枠を超えた人類の「記憶の共同体」の構築が必要である。
これを支えるのは、地球人としての認識であり、国家や民族という意識だけではなく、ジェンダーや障がいの有無などを超えた、人権意識の構築の重要性について語られていた。
近代から現代に至る歴史の流れの中で、情勢は着実に前進しているとの指摘はその通りだと思う。しかし、日本や世界の現状を見るに、そう安堵できるものではなく、これらの課題の解決に向けた言及がないところに物足りなさを感じた。 -
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『日本の外交』(中公新書)の続編で、太平洋戦争後の国際状況の中での日本外交の歴史を扱っています。
東西冷戦という大きな枠組みの中で、戦後の日本がアジアにおける共産主義の防波堤としての役割を果たしながら、経済成長を遂げてきたことを概観するとともに、日本に確固とした外交理念が欠如していたことが、冷戦後の日本の外交の混迷を招いたという指摘がなされています。
日本の外交史に見られる枠組みが提示されていた前著に比べると、ややスケールの大きさに欠ける印象もあるのですが、いまだ評価の見定めがたい現代史を扱っている以上、やむをえないように思います。戦後日本外交史が分かりやすく概観されていて、おもしろく読みました。 -
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著者は戦前に生まれ軍国主義的な少年時代を過ごし、その後アメリカ留学を経てそのままアメリカの大学の教授になった人物。本人の人生を振り返りつつ、歴史研究の意味や、過去と現在といったものの捉え方についての考えが述べてある。
3部構成だが、1部が自伝的内容。2,3部が本人の歴史観についての記述になっている。
著者の半生、すなわち著者が歴史を専門に研究するようになり、それから現在に至るまでの経緯は正に激動の時代を生きてきた人物という印象を受けた。こういう自分史じみたものはともすれば美化されがちだったりするものだが、著者の文章は非常に洗練された、いい意味でクールかつ公平を期したものとなっているので読んでいて不快に感じることはなかった。エキサイティングな学者人生だなと思う。
単身アメリカに渡り、言葉も不自由な中で素晴らしい師に出会い…という経験を通して著者は「出会い」という要素の大切さを主張する。それは弟子を厳しくも大切に育てる(らしい)著者の人間観でもあり、「文明間の対話」を重視する歴史観にも繋がっているのだろうと考えさせられた。自分自身の経験をきちんと消化しているのでしょうね。
ただ、「歴史を学ぶということ」というタイトルそのものについての知見はあんまり見当たらないように感じた。あるいは、あっても目新しくない。「歴史とは何か」みたいな(深い?)問いについての視座を期待しているとちょっとハズレかもしれない。
総じて、前半部は良く出来た、歴史学者の自伝という位置付けが妥当ではないかと。後半部は本人の歴史観、現在についての知見が述べられていて歴史(外交史とか)を学んでいる人には参考になるのではと思われる。
私自身は歴史については門外漢なのだが、自伝部は非常に面白かった。歴史・歴史学者について関心がある人、あるいはこれから学んでみようかなと思っている若い人は読んでみるとなかなか熱いものを感じられるかもしれない。あと、全体的に文章がよろしいです。きちんと教育を受けるとこういう読みやすい文章が書けるのかな。 -
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
軍国少年として終戦を迎え、高校卒業後、渡米―シカゴ大学、ハーヴァード大学で長年教鞭をとってきた歴史家は、いかにして歴史と出会ったか?
過去と向きあい、現在を俯瞰する。
[ 目次 ]
第1部 歴史と出会う(一九四五年八月;一九三〇年代と戦時中の生い立ち;戦後の歴史教育 ほか)
第2部 歴史研究の軌跡(出会いの蓄積としての歴史;私の歴史研究)
第3部 過去と現在とのつながり(学問と政治;歴史認識問題の根底にあるもの;地域共同体のゆくえ ほか)
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]