入江昭のレビュー一覧

  • 日本の外交 明治維新から現代まで

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    その時代の日本の外交がどのような視点を持っていたのかがとてもよくわかる。
    読む前は戦争に突入していったのは軍部の暴走という認識しかなかったのだが、本を読んでいくとそうした方向性をとっていったのが納得できる部分も出てくる。

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    2026年03月06日
  • 日本の外交 明治維新から現代まで

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    最近、封建主義社会についての別の本を読んだばかりという所為もあることを認めつつも、この本によく言われる「日本にはイデオロギーがない」という問題、まさに封建主義から脱出できていないのが原因なのではないかと思ってしまった。封建社会は階層が決まっていて、上は自分の立場や地位を守るために頭を働かせることはしても、それ以外のことに積極的に動くことはしない。つまり、思想がない。明治の西洋化で封建社会は確かに解体されたが、しかし人間の思考や習慣はそう簡単に改まるものではなく、それがとどのつまり国際社会という舞台にあがってみて、思想がないから何でもその場凌ぎで、後手に回り、広く物事考えられないからしまいには「多分こうだろ!」と投げやりに動いて自滅する。大東亜共栄圏というイデオロギーまがいのものも結局は追い詰められて危険な道を渡らざるを得なくなった自分達の立場を正当化するためのものでしかなかった。
    伊藤整の日本人の思想パターンについての本には、日本人ふくむ東洋人は余計なことに首突っ込まないということを主義としているのに対し、西洋人は積極的に突っ込んでいく、と書いてあったが、それが外交などにも現れている、というか、尾を曳いているというか、そんな気がした。
    つまり東洋人はどこまで行ってもやっぱり東洋人なんだなと。

    多元的なれ、というのも本書の終わり部分にちょくちょくでてくる警句だが、これについてはプーチンが「二島かえしてやるからそれで手を引け」というのを思い出した。「日本人としては元々四島全部うちのもんなんやから、二島で手を引けとは盗人猛々しい!」と怒りたくなるところだが、プーチンがそれに対して「日本人ってほんまにアホやな」と言った(とか言わないとかいう)のも何となく理解ができる。まさに自分の国の利益しか考えていないというのはこういうことをいうのだなと。勿論、ロシアの真意まではわからないし、ロシアのいうことやることが正しいとは思わないが、いつでも百あったら百とらないと気が済まないということを外交上でやっていては確かに何も得られず終わってしまいかねない。それに振り回されているうちはイデオロギーも思想も糸瓜もクソもない。
    気づきが多かった。

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    2022年12月02日
  • 日本の外交 明治維新から現代まで

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     扱う時代は明治維新から1960年代までと幅広い。時代ごとに主要国が何を考え、どう行動し、日本政府がどう対応したか、内在的論理が丁寧に説明されている。
     例えば、国際連盟の脱退に至る「東洋平和確立の根本方針」、その源流となる石原莞璽の思想が国防という現実主義に基づいている点、先立つ幣原の経済主義外交が世界恐慌の影響で力を失ったことなど。
     著者は日本の外交に思想がないことを折々に嘆いているが、着実に現実的対応を進めていたことを記してもいる。これは意外な発見だった。日本が外交を通して何を追い求めていたのか、その思想や行動原理を描き出してくれる、興味深い1冊です。

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    2014年06月08日
  • 歴史を学ぶということ

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    友人から薦められて読んでみた。

    徹底して歴史を学び続ける著者。日本人としてハーヴァード大学の教授に。歴史との出会いは、人との出会いでもあった。


    歴史家にとっての歴史とは、「過去の位置付け」であり、「過去と将来との対話」でもあるという。学問に徹した人だから言える深い言葉が並ぶ。

    「トランスナショナル」=国境を越えた=という視野についての言及も興味深い。インターナショナルが「国家間」という意味を持っているの対して、トランスナショナルには、「国家の枠組みとは別個の流れ」という響きがあるという。国境を越えた世界史を研究するというアプローチに期待を膨らませる著者。

    そんな視点から、「歴史認識問題」についても鋭い見方を提示している。著者は、過去に起こったことの解釈が様々であったとしても、特定の解釈をすべての人に押し付けてはいけないと強調している。そして、経済、交通、通信、その他の面で世界がつながりあってきている現在、歴史認識だけが、グローバル化する前の状態に置いておくのは矛盾であり、困難になっていくと著者は考えを述べている。

    未来をどのようにしていきたいのか、という意志が、現在をどのように見て、過去を解釈してくのかということにつながるのかもしれない。国境を超えて同じ気持ちで、これからのことを考えていく人々のつながりが広がっていくことが大切なのだろう。

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    2014年01月20日
  • 日本の外交 明治維新から現代まで

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    日露戦争までは統一的な外交戦略があったが、日露戦争後は、グローバル化する経済政策、中国における民族主義の高揚等、外交に置いて考慮すべきファクターが複雑化する一方、国内体制(軍部にしても官僚にしても)は硬直化し、日露戦争以前のような柔軟な対応できなくなった。

    太平洋戦争に進んでいく外交の失敗の要因分析にも触れられているのだが、経済政策と国家戦略について平仄を取っていくことが肝であるのではないか。当時、既に経済、貿易面でパートナーであったアメリカとの対立がなぜ起こったのか、現在に置き換えたときに、それが中国にあたるのではないか。1966年初版ではあるが、現在の外交課題を考える上での示唆する歴史的な事実が整理されている。

    以下引用~
    ・日本自体が朝鮮へ進出すべきだというのではなく、朝鮮が第三国の属国にならないようにする。これが「朝鮮独立」を目指した明治前半期の外交方針だった。

    ・松方財政のねらうところは日本の輸出振興、輸入抑制であり、そのためにもますます関税自主権を回復することが肝要になってくる。このように、日本の外交政策は国策のすべての点と結びついていたのである。

    ・日露戦争当時、およびその直後の日本外交の指導理念は、いぜんとして従来どおりの、帝国主義外交ということであった。つまり、諸列強の意向に注意を払い、できるだけ欧米諸国と協調を保ちながら、日本の地位を維持し、権益を発展させようとする考えてあり、その根底には、先進諸国のあいだに、ある種の均衡状態が保たれ、日本もその枠組みに入ることが、みずからの安全と利益を守る道だという考えがあった。

    ・小村(寿太郎)は陸軍がともすれば外国の意向を無視して満州発展をはかることには反対であったが、大陸進出そのものは「確定不動の方針」と心得ており・・・。

    ・(辛亥革命)このような政策の根底に、国際関係は帝国主義諸国家間の関係だとし、中国そのものは外交の関心外だとする思想があったことは明らかである。したがって、中国のナショナリズムにたいしても確固たる方針を立てることを怠り、清朝政府内の動きや革命党の運動などについても、十分な対策を講ずることがなかった。

    ・(日露戦争後数年間の日本外交)条約改正とか朝鮮問題の解決とかいう具体的な目標が消え、しかも中国のナショナリズムとかアメリカの人種偏見とかいう要素が、新しい問題を提起していたので、このような事態にあたって、現実的な外交理念をかかげて国論の統一をはかることは至難のわざであった。

    ・(第一次)世界大戦中に、日本の対米輸出は四倍にふえ、アメリカからの輸入も五倍化した。それまで主としてイギリスにあおいでいた資本を、日本産業が次第にアメリカに求めるようになったのもこのころからであった。このような状態にあって、日本経済の発展が、アメリカとの友好関係を維持する必要があるとされるのである。
    ・アメリカと日本の密接な経済関係が、日本にとって最も重大だと考えていたのは政友会の原敬や、外務省内の幣原喜重郎なのであった。

    ・日露戦争までは日本の軍事政策と経済政策のあいだには深刻な対立がなく、両者とも日本の近代化とか帝国主義国化とかを目指す根本外交理念の表れとして、表裏一体をなしていたものであった。それが日露戦争後は、この根本に横たわるべき思想に混乱を生じ、東西の協調あるいは対立といった抽象観念にわざわいされたのである。

    ・(弊原の)このような経済主義が1929年、アメリカに始まる世界恐慌によって非現実的なものとなるにおよんで、かれの国際協調主義も急速に色あせ、だれの目にも夢想的なものとしか見えなくなってしまうのである。
    ・世界恐慌の波は各国の経済政策を自己中心的なものとし、中国における国権回復運動の激化とあいまって、日本の外交の基盤を切り崩してしまった。

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    2012年04月08日
  • 新・日本の外交 地球化時代の日本の選択

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    名著『日本の外交』の続編として出された新書。

     歴史家が、「現代」「現在」を語ることの難しさを痛感させられた著作。外交史の大御所である入江昭氏が書いた著作であっても、15年経った現在読んでみると、論証の度合いや認識不足という点が気になってしまう。

     歴史家は常に、過去の一事象を取り上げて論じる。もちろん、その一事象の原因・背景・経過そして影響までも知った上で、その一事象について論じるのである。しかし、現在は違う。我々が生きる現在には、過去はあっても未来はない。現在を形作っている原因・背景すらもはっきりしない。
     そのような状況の中で、現代史の通史を描くことは歴史学者として勇気のいることだと思う。


     さて、本書の肝心の中身であるが、冷戦は終結からソ連崩壊の間に書かれているため、時代の「過渡期」で試行錯誤している様がうかかがえる。
     その一方で、前作から貫かれている「定まらぬ日本の外交姿勢」ということは明確に打ち出されている。今や当たり前の概念となったボーダーレス時代の地球を見据えた著作と言えるだろう。

     ただ、日米関係の考察は鋭いものがあると思うが、日韓・日中関係についてはやや考察が甘い部分があるように感じた。

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    2010年02月07日
  • 日本の外交 明治維新から現代まで

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     入江昭氏の古典的名著。

     明治維新から現代までと副題が付いているが、描かれているのは、1950年代までとなっている。

     本書の、最大の特色は日本外交の本質を描こうとしたことにある。つまり、明治までのナショナル・インタレストと外交政策が終始一貫していた時期と、大正以降の終始定まらぬ外交姿勢とがダイナミックに説明されている。

     帝国主義国家の仲間入りを果たし、国際政治の場に登場した日本であったが、結果的には第一次大戦後のアメリカやソ連のユニバーサルな思想とは相容れず、アジア主義を標榜し、他の諸国家との協調が破綻することになった。

     衰退した中国が、辛亥革命以後、「ヤング・チャイナ」としてナショナリズムを昂揚させ、アジアの中心たらんとした日本と衝突することや、アジア市場をめぐる日米の相克を、ミクロの外交施策というよりも、「思想・イメージ」でさくさくと説明していくところに本書の最大の特徴があるのではないだろうか。

     古さは否めないが、「古典的」と言われるにはそれ相応の理由がある。

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    2010年02月07日
  • 新・日本の外交 地球化時代の日本の選択

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    『新・日本の外交――地球化時代の日本の選択』(入江昭、1991年、中公新書)

    第二次対戦後の国際政治史を詳細に解説している。すばらしい分析力をもって書かれている。国際関係の流れが国際政治、国際経済の両側面から説明されているので非常にわかりやすい。

    初版が1991年であるため、近時の国際関係については記述がないが、80年代までの国際関係と日本外交の流れを学習するには非常に有益である。

    (2009年6月29日)

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    2009年10月07日
  • 歴史を学ぶということ

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    ネタバレ

    自国の手垢に染まった歴史観から抜け出す、という主張は恐れ入った。これは大学で何故それまで習ってきた内容に触れるような内容があるのか、という疑問にそのまま答えるものだと思う。さらに、だからこそ学問の自由が保証されていなければならないのだな、と感じた。

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    2026年03月18日
  • 歴史家が見る現代世界

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    アメリカ歴史学会会長を務めた入江昭。

    1990年以降、
    歴史研究に枠組みが変化。従来は国家単位。いまはより広範囲、太平洋とか大西洋、世界全体に広がった著述が増えている。グローバルとかトランスナショナル。


    背景はそれまでの歴史研究が欧米中心だったのでは?世界の欧米以外の地位の高まりと合わせて。西洋をディセンターする試み。ジャレドダイヤモンド、ブローデル、そういう本が増えている。

    そもそも国家とは何か?地理(境界線)と歴史(過去)によって定義された人間集団である。長い歴史の記憶を共有すること。
    EUの本質は「記憶を共有するコミュニティ」。
    アジアで日本を中心にこれが作れるだろうか?欧州にはもともとヨーロッパという概念がありがアジアにはなかった。今からはアジアから太平洋という枠組み。パシフィック・リム。
    過去をどう共有するか。経済面ではアジア太平洋地域は巨大。世界貿易の5割以上。
    しかし記憶の共有が難しいのでEUのようにまとまりがたい。むしろ日本は特別な国な回顧の動きも。
    我が国、l我が民族最高的な偏狭なナショナリズム史観は世界から孤立する。
    19世紀のグローバル化は西欧諸国の世界進出。帝国主義。
    20世域後半から全てに国が、ヒトモノカネの移動が拡大。さらに国を超えたセクターでのグローバルなつながりが拡大。

    例えばSNS、NGO、環境問題、パラリンピック、LBGTなど国家を超えた世界的ネットワークが生まれている。国家間の関わりを示す外交という言葉が時代遅れに。各国の国内の勢力同士が国を跨いで繋がる内交の現象が出現。それが目立ってきている。
    グレタさん現象などは典型。

    国家の繁栄を目指す国家主義と地球(グローブ)の繁栄を希求するグローバリズムは違う。ナショナリズムの対局。地球全体で考えるとそこに生存する全生命を視野に。プラネット意識、ぷらねたりずむという言葉も出ている。

    例えば人権。戦前は人種毎に人権が違って見える普通だった。肌の色で人権み違った。
    いまは、すべての人間は健康な生活を営む権利を与えられるべきだというが人権。
    例えば医療。
    誰でもどんな人でも医学サービスを受けれるというには最近のことでつい最近まで乳幼児死亡率は高い地域が多数。20世期末に15%が21世紀初頭は6%。
    例えばハンディキャップのある人たちも包摂する取り組み。今では区別せずに包摂する方向。

    ますます国単位ではないグローバル化が広がる。
    20世期末に頭に世界人口は16億人。ww2の直後、世界人口は25億人。87年に50億人。いま80億人。2050年で96億人、2100年で110億人。難民ではなく労働力として移動する人が増えている。さらに十人に一人が海外旅行する時代に。留学生も増加。SNSの人口も爆発。
    2019年、世界のインターネットユーザー数は43億8,800万人、SNSのユーザー数は34億8,400万人(普及率45%)
    そしてトランスナショナルの動きが加速。あらゆるものが混血化していく。これは不可逆の流れ。食事やアートやスポーツも世界からハイブリッド化は身近に進んでいく。

    その先にあるのは?
    地球は宇宙の一部に過ぎないという惑星意識、プラネタリティが高まるのも現代史の特徴。発見そのものはガリレオだけど全てに生命の共同体意識は最近。「一人の人間にとっては小さな一歩だが人類にとっては大きな一歩だ」のアポロ の言葉があるがそれが実態をもち始める時代に。
    環境意識もトランススナショナルな意識加速から生まれてきた。経済か環境か?で70年代から議論してるが、自然環境保全可能な枠組み内での経済発展というlサステナビリティという概念が誕生。

    これから現代史を考える上で大切なこと。
    歴史認識と解釈は違う。解釈は多様でも認識は一つであるべき。ファクト。
    ごっちゃにしないことだ。

    現代になってすべての国や人種を超えた人権意識、健常者と障害者、人と他の生命を優劣ではなく多様性を持って捉える動きが広がる。現代とは多様性の拡張ではないか。近代とは国家単位。
    人類的記憶として可能性を感じるのは気候変動の克服。こも大変な経験は共通の記憶になり得るのではと考えさせられた。

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    2020年02月11日
  • 新・日本の外交 地球化時代の日本の選択

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    ネタバレ

     明治維新から太平洋戦争直後までの外交の流れを著した『日本の外交』の続編。本書では、太平洋戦争の結末から1980年代の日本外交を概観する。

     著者は、太平洋戦争期までの日本を軍事強国・経済弱国とし、戦後の日本はその対称であるとする。そして戦後の日本には、軍事と経済のギャップを埋め正当化する思想が求められたにも関わらず、外交理念の確立が遅かったという。「日本」の政策に思想的な追求が遅れているという状況は、本書から四半世紀経過した現在においても同様なのではないかと感じる。

     まさしく副題の通り、地球化時代が不可逆的に加速している現在において、自分の自身の生活に関わる「日本」の選択と選択肢たちを検討するために、知識を深めようと刺激された2019年一冊目だった。

    以下、心に残った文メモ。 
    「現在の世界を理解するために、固定化した過去のイメージにとらわれず、柔軟性のある見方を持った上で、最近の諸現象の意味を探り、それが近い将来にいかなる動きとつながっているのか、考えてみるべきであろう。要するに、バランスのとれた歴史感覚が必要とされるのである。(中略) 未来を創るのも、過去の遺産と同時に現在の努力である。」

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    2019年01月07日
  • 新・日本の外交 地球化時代の日本の選択

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    2012.12記。

    「日本の外交」刊行から20余年を経て1991年に出された続編。

    米ソ冷戦、第三世界の台頭、そして冷戦の終焉・・・いずれの時代も興味深いが、一番印象に残ったのが、本書の刊行年に日本がまさにバブルの絶頂(からの今思えば転換点)にあったこと。

    円安に起因する貿易摩擦で対日批判が吹き荒れ、ロックフェラーセンターの日本企業による買収で「アメリカの魂が買占められた」と激震が走る。日本の輸入の少なさの原因を国内の歪んだ慣行や商習慣に求め、内需拡大のための「構造協議」を要求する米国。それに対する反発の象徴が石原慎太郎・盛田昭夫「Noと言える日本」のベストセラー化。まさにそういう時勢だった(本書はそうした風潮に警鐘を鳴らすことで終わっている)。

    昔日の感あり。

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    2019年01月06日
  • 日本の外交 明治維新から現代まで

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    2012.12記。

    1960年代に執筆され、今や基本書となっている本。
    「不平等条約の改正」という国家目標を達成した19世紀末から太平洋戦争前後までの日本外交を、「基軸となる思想・目標」はなんだったのか、というアングルから振り返る内容。

    これを読むと、いかに日本が欧米との摩擦回避に腐心してきたか、そしていかに中国が我が国の経済にとって不可欠の存在であり続けたかが改めて実感される。たえずこの二つを意識して現実的な(言い換えれば打算的で確固たる思想のないとも言いうる)外交を進める当局に対し、確固とした外交哲学を持つという理想を追求したのは当初はむしろ民間の有識者であったという。だがそれも「西洋に対する東洋」といった対立関係を軸にしたものに止まっていた、と著者は主張する。

    事実の分析もさることながらその背景にある思潮に紐づけて歴史を論じる、という整理の仕方は非常に興味深かった。

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    2019年01月06日
  • 歴史家が見る現代世界

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    2014.11記。

    入江昭氏の(新旧)「日本の外交」と言えば、外交官試験のスタンダードな教科書。著者の作品はもちろんこれだけではないが、同じ新書でもあり、本書は事実上「三部作の最終作品」の位置づけに見える。

    企業やNGOなど、国家という存在を乗り越えるアクター(Non State Actors)の動きなしに世界を語ることは不可能な現在、「『国益』の固守と発展という、伝統的な国際関係の概念が作り出した『パワーゲーム』はほとんど意味を持たなくなっている」(P.131)、と著者は問う。

    国家というフィルターを通さない最新の歴史学では、地域間の人や物の移動をダイナミックに捉え直すのがトレンドだ。国家の役割を低く観ることに抵抗を覚える人もいると思うが、著者の主張が、こうした動きから目をそらせば日本が取り残されてしまう、との危機感を背景にしていることも同時に理解する必要があるだろう。

    国家とは、「各自の地理と歴史とをとおしてのつながりがあるのだ、という原則」(P.56)に基づいて成立した。私自身は日本の「地理と歴史とをとおしてのつながり」に強い愛着と帰属意識を持っているが、同時にこの共同体がどのように変容していくのかについては、常に最新の知見を取り入れていきたいと願っている。

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    2019年01月05日
  • 歴史家が見る現代世界

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    米国に半世紀以上住んでいる日本人歴史家による、来るべき歴史のあり方のようなもの。グローバル・ヒストリーであるとかトランスナショナル世界主義、国際主義という言葉で説明しようとしている。トラディショナルな歴史感覚から見れば眉唾だが国家の枠組み、西洋的進歩観、大国の枠組みそういった枠組みで歴史の事実を解釈している時に生じる知の空白、国家という枠組みを越えたネットワークのもたらす新しい変動。国家という枠組みと連動している文化や風習宗教もそれに入ってくる。そういったものも考慮しながらの普遍的な人類像。グローバルといえば今は、米国の都合のことと思われているし実際そうなのだろう。しかし、ここに書いていることは踏まえるに値する。世界市民的感覚をどう共有するかそれを最上位に持って行って現状を転覆するようなことはナンセンスだけれどだからといって人として大切なことを国の枠組みにとらわれず見つめる視点も大切だと思う。

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    2017年12月18日
  • 歴史を学ぶということ

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    日本出身者として初めてアメリカ歴史学会会長も務めた、現ハーバード大学名誉教授(専門は米国外交史)の入江昭氏が、「日本や米国で私が受けた教育、長い間教師をつとめてきた米国の大学の雰囲気、学問に対する私の姿勢、専門分野での研究に従事する過程で形成された私の歴史認識などに触れながら、現在の世界を私がどう理解しているかを、とくに若い世代の人たちに伝えるのも、無意味なことではなかろうと思って」記したものである。
    著者は歴史家としての信条の原点を、小学5年生で迎えた終戦直後の歴史の授業において、「「史実」というものは戦争の結果如何で書き換えられうるものだ、と身をもって実感したこと」という。
    そして、高校卒業後に米国に渡って以来現在に亘り研究を続ける歴史(学)の目的を、過去に起こった事実を解明することと、解明された事実を現在において意味づけることであり、歴史(認識)とは過去と現在の対話なのだと語る。すなわち、過去に起こった事実(真理)は一つしかなく、過去そのものを変えることはできないのであり、それは歴史学の出発点であるが、その事実をどのように理解するのかは、だれが、いつ、どこで過去を理解しようとしているのかによって変わり得るものであり、よって、多くの種類の歴史認識ができるのは当然のことなのだという。英国の歴史家E.H.カーが、今や歴史学の古典と言われる『歴史とは何か』で述べていることが、わかりやすく述べられている。
    そして著者は、現在の世界の状況を踏まえて、自らの問題意識を「文明間の対話の可能性」であるといい、文明の違いやナショナリズムの障壁を越えて、「各国個別の歴史解釈をするのではなく、地球レベルで国際的な歴史観が育成されるべき」であると主張する。
    米国で活躍する歴史学者・国際政治学者の歴史哲学が、わかりやすく説かれている。
    (2007年6月了)

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    2016年01月15日
  • 日本の外交 明治維新から現代まで

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    ハーヴァード大学で外交史ないし国際関係論を教える著者が、明治から太平洋戦争後までの日本の外交史を概観した本です。

    日本が国際社会の舞台に踊り出た19世紀は、西洋諸国が帝国主義的な覇権を競い合っていた時代でした。そのような状況の中に置かれた日本は、国土の安全と貿易の進展をめざし、軍事・経済両面での国益を追究することになります。著者は、日本の外交の基本的な枠組みはこうした現実的、実際的なものであり続けてきたと言い、西洋諸国のように宗教的、人道主義的、理想主義的な外交理念が存在しなかったと指摘します。日露戦争以後は、西洋と東洋の調和という思想が、ある程度外交の中に入ってきますが、著者によれば、その場合でも世界における日本の位置づけについての不安に基づいていたにすぎず、日本には独自の外交理念が欠けていたと論じています。

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    2015年10月03日
  • 歴史家が見る現代世界

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    歴史を論じる時、どうしても国家の興亡が中心になる。
    どのような仕組みの国が、どう生まれ衰退または継続してきたのかだ。もちろん国際関係も抜きには語れない。
    それだけ人にとって、国家ってものが重要と信じられているからだ。
    そこにトランスナショナルな史観を提唱する一冊。冷戦の終焉は国家論や従来の現実主義の枠組みでは説明できないという。そうかなぁ? 俯瞰すればそうかもしれないけど、その分地に足が着いていないような気も。でもその後のエジプトの例もあるしね。パワーゲームだけでは説明できない時代の視点なのかな。

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    2015年01月08日
  • 歴史家が見る現代世界

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    国際関係論でよく見られる、バランス・オブ・パワーというような現実主義的な観点を俯瞰し、批判している。そういう意味でリベラリズム論者と言えるのだろうか。なんか合点がゆかない。ただの理想主義者だろうか、コスモポリタンだろうか。
    しかし、パックス・アメリカーナと言われるアメリカ覇権を肯定しているでもなく、国家の枠組みを超えた全人類の共通項を根拠に世界は繋がっていくことを、筆者は「トランスナショナル化」、「グローバル化」と呼び、一国の国益を重視するナショナリズムと対置した。なお、「インターナショナル」は国家間の交際と捉え、「トランスナショナル」と「ナショナル」の過渡期にあるという論調をとっていた。
    筆者は、経済や軍事などのポリティカルな側面だけではなく、その元で絶えず流動的な文化的、社会的な動きに注目しなければ、現代世界を把握することは不可能と主張しているが、その流動性自体の抽象度が極めて高度な上、絶えず俯瞰的な視点を持ち続けていたために地に足がついた理論ではないように読み取れてしまった。

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    2014年06月05日
  • 新・日本の外交 地球化時代の日本の選択

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    入江昭『日本の外交』の続き。前作が、カバーしていない戦後の日本外交史についてまとめられている。
    戦前から我が国の外交は、国際環境に合わせて場当たり的な対応に終始し、一貫した外交思想を持っていないというのが筆者の主張であり、本書においても、そのように主張しているところがある。しかしながら、90年代に近づくにつれ、外交の根源的思想をどうするかということについて議論が始まりつつあると述べられており、だんだん我が国でもそのような機運が高まってきていることについて述べられ、本書は終わっている。(本書が書かれた時代は、1990年である)
    私自身、外交は国際環境によって規定されると考えているため、筆者の主張する外交の思想がよくわからなかったが、二作通じて読んだことで、筆者の言わんとしていることを理解し、共感することができた。2000年代が終わり、2010年代も半ばを迎えつつあるが、今の筆者は90年代と00年代をどのように評価するか、興味深いところである。

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    2014年02月25日