入江昭のレビュー一覧
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最近、封建主義社会についての別の本を読んだばかりという所為もあることを認めつつも、この本によく言われる「日本にはイデオロギーがない」という問題、まさに封建主義から脱出できていないのが原因なのではないかと思ってしまった。封建社会は階層が決まっていて、上は自分の立場や地位を守るために頭を働かせることはしても、それ以外のことに積極的に動くことはしない。つまり、思想がない。明治の西洋化で封建社会は確かに解体されたが、しかし人間の思考や習慣はそう簡単に改まるものではなく、それがとどのつまり国際社会という舞台にあがってみて、思想がないから何でもその場凌ぎで、後手に回り、広く物事考えられないからしまいには「
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扱う時代は明治維新から1960年代までと幅広い。時代ごとに主要国が何を考え、どう行動し、日本政府がどう対応したか、内在的論理が丁寧に説明されている。
例えば、国際連盟の脱退に至る「東洋平和確立の根本方針」、その源流となる石原莞璽の思想が国防という現実主義に基づいている点、先立つ幣原の経済主義外交が世界恐慌の影響で力を失ったことなど。
著者は日本の外交に思想がないことを折々に嘆いているが、着実に現実的対応を進めていたことを記してもいる。これは意外な発見だった。日本が外交を通して何を追い求めていたのか、その思想や行動原理を描き出してくれる、興味深い1冊です。 -
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友人から薦められて読んでみた。
徹底して歴史を学び続ける著者。日本人としてハーヴァード大学の教授に。歴史との出会いは、人との出会いでもあった。
歴史家にとっての歴史とは、「過去の位置付け」であり、「過去と将来との対話」でもあるという。学問に徹した人だから言える深い言葉が並ぶ。
「トランスナショナル」=国境を越えた=という視野についての言及も興味深い。インターナショナルが「国家間」という意味を持っているの対して、トランスナショナルには、「国家の枠組みとは別個の流れ」という響きがあるという。国境を越えた世界史を研究するというアプローチに期待を膨らませる著者。
そんな視点から、「歴史認識問 -
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日露戦争までは統一的な外交戦略があったが、日露戦争後は、グローバル化する経済政策、中国における民族主義の高揚等、外交に置いて考慮すべきファクターが複雑化する一方、国内体制(軍部にしても官僚にしても)は硬直化し、日露戦争以前のような柔軟な対応できなくなった。
太平洋戦争に進んでいく外交の失敗の要因分析にも触れられているのだが、経済政策と国家戦略について平仄を取っていくことが肝であるのではないか。当時、既に経済、貿易面でパートナーであったアメリカとの対立がなぜ起こったのか、現在に置き換えたときに、それが中国にあたるのではないか。1966年初版ではあるが、現在の外交課題を考える上での示唆する歴史的 -
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名著『日本の外交』の続編として出された新書。
歴史家が、「現代」「現在」を語ることの難しさを痛感させられた著作。外交史の大御所である入江昭氏が書いた著作であっても、15年経った現在読んでみると、論証の度合いや認識不足という点が気になってしまう。
歴史家は常に、過去の一事象を取り上げて論じる。もちろん、その一事象の原因・背景・経過そして影響までも知った上で、その一事象について論じるのである。しかし、現在は違う。我々が生きる現在には、過去はあっても未来はない。現在を形作っている原因・背景すらもはっきりしない。
そのような状況の中で、現代史の通史を描くことは歴史学者として勇気のいることだと -
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入江昭氏の古典的名著。
明治維新から現代までと副題が付いているが、描かれているのは、1950年代までとなっている。
本書の、最大の特色は日本外交の本質を描こうとしたことにある。つまり、明治までのナショナル・インタレストと外交政策が終始一貫していた時期と、大正以降の終始定まらぬ外交姿勢とがダイナミックに説明されている。
帝国主義国家の仲間入りを果たし、国際政治の場に登場した日本であったが、結果的には第一次大戦後のアメリカやソ連のユニバーサルな思想とは相容れず、アジア主義を標榜し、他の諸国家との協調が破綻することになった。
衰退した中国が、辛亥革命以後、「ヤング・チャイナ」として -
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アメリカ歴史学会会長を務めた入江昭。
1990年以降、
歴史研究に枠組みが変化。従来は国家単位。いまはより広範囲、太平洋とか大西洋、世界全体に広がった著述が増えている。グローバルとかトランスナショナル。
背景はそれまでの歴史研究が欧米中心だったのでは?世界の欧米以外の地位の高まりと合わせて。西洋をディセンターする試み。ジャレドダイヤモンド、ブローデル、そういう本が増えている。
そもそも国家とは何か?地理(境界線)と歴史(過去)によって定義された人間集団である。長い歴史の記憶を共有すること。
EUの本質は「記憶を共有するコミュニティ」。
アジアで日本を中心にこれが作れるだろうか?欧州には -
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ネタバレ明治維新から太平洋戦争直後までの外交の流れを著した『日本の外交』の続編。本書では、太平洋戦争の結末から1980年代の日本外交を概観する。
著者は、太平洋戦争期までの日本を軍事強国・経済弱国とし、戦後の日本はその対称であるとする。そして戦後の日本には、軍事と経済のギャップを埋め正当化する思想が求められたにも関わらず、外交理念の確立が遅かったという。「日本」の政策に思想的な追求が遅れているという状況は、本書から四半世紀経過した現在においても同様なのではないかと感じる。
まさしく副題の通り、地球化時代が不可逆的に加速している現在において、自分の自身の生活に関わる「日本」の選択と選択肢たちを -
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2012.12記。
「日本の外交」刊行から20余年を経て1991年に出された続編。
米ソ冷戦、第三世界の台頭、そして冷戦の終焉・・・いずれの時代も興味深いが、一番印象に残ったのが、本書の刊行年に日本がまさにバブルの絶頂(からの今思えば転換点)にあったこと。
円安に起因する貿易摩擦で対日批判が吹き荒れ、ロックフェラーセンターの日本企業による買収で「アメリカの魂が買占められた」と激震が走る。日本の輸入の少なさの原因を国内の歪んだ慣行や商習慣に求め、内需拡大のための「構造協議」を要求する米国。それに対する反発の象徴が石原慎太郎・盛田昭夫「Noと言える日本」のベストセラー化。まさにそういう時勢だ -
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2012.12記。
1960年代に執筆され、今や基本書となっている本。
「不平等条約の改正」という国家目標を達成した19世紀末から太平洋戦争前後までの日本外交を、「基軸となる思想・目標」はなんだったのか、というアングルから振り返る内容。
これを読むと、いかに日本が欧米との摩擦回避に腐心してきたか、そしていかに中国が我が国の経済にとって不可欠の存在であり続けたかが改めて実感される。たえずこの二つを意識して現実的な(言い換えれば打算的で確固たる思想のないとも言いうる)外交を進める当局に対し、確固とした外交哲学を持つという理想を追求したのは当初はむしろ民間の有識者であったという。だがそれも「西洋 -
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2014.11記。
入江昭氏の(新旧)「日本の外交」と言えば、外交官試験のスタンダードな教科書。著者の作品はもちろんこれだけではないが、同じ新書でもあり、本書は事実上「三部作の最終作品」の位置づけに見える。
企業やNGOなど、国家という存在を乗り越えるアクター(Non State Actors)の動きなしに世界を語ることは不可能な現在、「『国益』の固守と発展という、伝統的な国際関係の概念が作り出した『パワーゲーム』はほとんど意味を持たなくなっている」(P.131)、と著者は問う。
国家というフィルターを通さない最新の歴史学では、地域間の人や物の移動をダイナミックに捉え直すのがトレンドだ。 -
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米国に半世紀以上住んでいる日本人歴史家による、来るべき歴史のあり方のようなもの。グローバル・ヒストリーであるとかトランスナショナル世界主義、国際主義という言葉で説明しようとしている。トラディショナルな歴史感覚から見れば眉唾だが国家の枠組み、西洋的進歩観、大国の枠組みそういった枠組みで歴史の事実を解釈している時に生じる知の空白、国家という枠組みを越えたネットワークのもたらす新しい変動。国家という枠組みと連動している文化や風習宗教もそれに入ってくる。そういったものも考慮しながらの普遍的な人類像。グローバルといえば今は、米国の都合のことと思われているし実際そうなのだろう。しかし、ここに書いていること
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日本出身者として初めてアメリカ歴史学会会長も務めた、現ハーバード大学名誉教授(専門は米国外交史)の入江昭氏が、「日本や米国で私が受けた教育、長い間教師をつとめてきた米国の大学の雰囲気、学問に対する私の姿勢、専門分野での研究に従事する過程で形成された私の歴史認識などに触れながら、現在の世界を私がどう理解しているかを、とくに若い世代の人たちに伝えるのも、無意味なことではなかろうと思って」記したものである。
著者は歴史家としての信条の原点を、小学5年生で迎えた終戦直後の歴史の授業において、「「史実」というものは戦争の結果如何で書き換えられうるものだ、と身をもって実感したこと」という。
そして、高校卒 -
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ハーヴァード大学で外交史ないし国際関係論を教える著者が、明治から太平洋戦争後までの日本の外交史を概観した本です。
日本が国際社会の舞台に踊り出た19世紀は、西洋諸国が帝国主義的な覇権を競い合っていた時代でした。そのような状況の中に置かれた日本は、国土の安全と貿易の進展をめざし、軍事・経済両面での国益を追究することになります。著者は、日本の外交の基本的な枠組みはこうした現実的、実際的なものであり続けてきたと言い、西洋諸国のように宗教的、人道主義的、理想主義的な外交理念が存在しなかったと指摘します。日露戦争以後は、西洋と東洋の調和という思想が、ある程度外交の中に入ってきますが、著者によれば、その -
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国際関係論でよく見られる、バランス・オブ・パワーというような現実主義的な観点を俯瞰し、批判している。そういう意味でリベラリズム論者と言えるのだろうか。なんか合点がゆかない。ただの理想主義者だろうか、コスモポリタンだろうか。
しかし、パックス・アメリカーナと言われるアメリカ覇権を肯定しているでもなく、国家の枠組みを超えた全人類の共通項を根拠に世界は繋がっていくことを、筆者は「トランスナショナル化」、「グローバル化」と呼び、一国の国益を重視するナショナリズムと対置した。なお、「インターナショナル」は国家間の交際と捉え、「トランスナショナル」と「ナショナル」の過渡期にあるという論調をとっていた。
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入江昭『日本の外交』の続き。前作が、カバーしていない戦後の日本外交史についてまとめられている。
戦前から我が国の外交は、国際環境に合わせて場当たり的な対応に終始し、一貫した外交思想を持っていないというのが筆者の主張であり、本書においても、そのように主張しているところがある。しかしながら、90年代に近づくにつれ、外交の根源的思想をどうするかということについて議論が始まりつつあると述べられており、だんだん我が国でもそのような機運が高まってきていることについて述べられ、本書は終わっている。(本書が書かれた時代は、1990年である)
私自身、外交は国際環境によって規定されると考えているため、筆者の主張 -
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大学時代に授業で買って積読になっていた本を、10年ぶりくらいに読んでみた。入江さんと言えば、戦後すぐにアメリカのハーヴァードに渡ってずっとアメリカで研究し続けている大歴史学者。その著者が、1960年代の30代半ばで書いた日本外交史。
日露戦争後から朝鮮戦争後までの日本外交について振り返っているのだが、外交の上で基本的に日本は確固たる思想がなく、その場その場の列強の状況に左右されてきたというお話。日本では、人種、宗教、道徳上の原理で外交が動いたことはほぼなく、もっぱら軍事(防衛)、経済戦略上の状況に応じて動いていた。唯一、思想的に統一したものが出来上がったのが、太平洋戦争においての「大東亜共栄圏