鈴木寛のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
自分にとっては「ワークショップ」と呼んでいたものを「熟議」という日本語で語られたような気がしています。ただ、同じものというだけではなく「LOVE」と「愛」が同じものかどうか、のように母国語化することで、意味合いがより深くなったかもしれません。しいて言えば「ワークショップ」は問題解決の方法論であったのに対し、「熟議」は生活の仕方の問題として身に寄り添う感じがしました。その根底にあるのは西田哲学の「行為的直観」だ、という指摘も「熟議」を我々にそもそも備わった能力かも、と思わせてくれました。一神教による断罪よりも八百万の神々による救済を、いま日本人は世界と共有することが出来るのではないかと妄想しまし
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Posted by ブクログ
民主党の元党首の離反のためか、参議院選挙で敗退して、民主党を離党してしまった鈴木寛氏の著書。
要約すれば、生で放送をしていた時代から、映像の編集が簡単な時代になり、テレビ業界は、バブル後の広告費削減のあおりをうけて視聴率第一主義に陥っている。そんな中での番組は、白黒の2分方の戦いの形がわかりやすく好まれるためにそのような番組が多くなってしまう。
逆に、政治家である議員も、テレビタックルなどのテレビ討論番組に出演すると選挙で有利なために、テレビに出るための努力をすることになり、まじめにやっている議員がうかばれないという内容だった。
このほかにも、原発報道の民主党側からの真実と学者である委員 -
Posted by ブクログ
テレビ、新聞という主要メディアがいかに日本の政治を衆愚にしたか。
編集の恣意性、視聴率至上主義がどれだけ蔓延っているかは興味深かった。
メディアの質問に即答していくたびに、行える政策の幅が狭まっていく政治家、というのは考えさせられた。
もっとも、視聴者がそういうものを求めているからこそマスメディアが同調するわけであって、ポピュリズムを体現しているようにも思えた。
後半は特に、民主党参議院議員、文科副大臣という立場なので、東日本大震災の対応の釈明に感じられる書き方ではあったが、非常自体の中での情報の共有、判断、集約がいかに大切で、どれほど難しいかは痛感した。 -
Posted by ブクログ
熟議 不勉強にも今回初めて聞いた言葉。
熟議には言語能力が欠かせない。幼少の頃から語彙を豊富にする取り組みが必要だと感じた。日本の教科で言うなら国語、社会。初めは教員がファシリテーター、慣れれば生徒同士で役割を回す。確かに手間はかかる。でも、そうして手間と時間とお金をかけないとよい人間は育たない。
熟議という方法がいいかは、まだ判断がつかないが、人間は
◦上げ足をとり
◦言い負かすことに専念し
◦自分より良いと思う人を恨む
ことにそろそろ飽きてもいいのではないだろうか。
相手の意見を受け入れ、少し時間がかかっても誠実に意見を述べる。
そんな余裕と知恵と語彙をもつ人間が少しずつでも増やさないと。 -
Posted by ブクログ
著者は自称コミュニティ・スクールの考案者。
日本に限らず世界で熟議が必要であり、日本では哲学することが重要だと論じている。
著者が副大臣をしていたのはH21年9月~H23年9月まで。文科省では熟議をしているというが、今はどうなんだろうか。熟議をした結果が、心のノート再配布や道徳教育の教科化になるのだろうか。。。。。うーん。
基本的に彼の主張はその通りであり、共感できる部分が多い。ただそれを実際にすることはできたのか、という疑問が残る。
これを読むとコミュニティ・スクールなどはとってもいい制度のように思ってしまうが、きっと問題は山積しているのだろう。
(まっちー)