・バスタブ。
銀色のバスタブ。
ステンレスのバスタブ。
冷たいバスタブ。
からっぽのバスタブ。
私の宇宙船。
虚空を飛び、数多の世界へ旅立つ船。
・「自分の顔ってわかんないよ」
私は言った。
・「もう、入らない」
私は言った。
「入れない」
言い直すと、得体の知れない悲しさが、じわじわとわきあがってきた。
・「いいな、木島くんは」
村田はポソリと言った。
「やれることが、いっぱいある」
「やれてないってば」
「やってるじゃん」
村田はきつい調子で言った。
「私は何もしてない。限界が見えるようなこと、何もできない」
俺は黙っていた。
村田も口をつぐんだ。かなり長いこと黙っていてから、
「でも」
と言いだした。少し照れ臭そうに目を細くして、
「何が好きかだけは、わかってるんだ」
「何サ?」
「絵だよ」
・後半、監督から交替の指示はなかった。
円陣が解けてベンチから出ていく時、本間さんは一言だけ俺に言った。
「いったい何を恐がってんだ?」
いったい何を恐がってんだ?その言葉が何度も俺の頭の中を駆けめぐった。恐い?恐いさ。何もかもが。特にヘマでヘボなこの俺自身が恐くてたまらねえんだよ。
・「俺の、俺のー絵、見る?」
おじいちゃんは返事をしなかった。俺は顔が熱くなるのを感じた。なんか馬鹿みてえだ。
「今日、試合で・・・」
俺はぼそぼそと言った。
「俺、初めて、試合に出て」
「ぜんぜん駄目で・・・」
「でも、絵が描きたくなった」
「見ていいのか?」
とおじいちゃんは聞いた。どっしりとした感じの声だなと思った。嬉しくても悲しくても、簡単に声からはわからないだろう。
「うん」
と俺は答えた。
・「俺が描きたい村田さんって、もっとチガウんだよ」
「どう・・・チガウの?」
木島の細い目がいよいよ細くなった。
「もっと突き抜けた感じ?強い感じ?うまく言えねえけど」
わかんないよ。
「似てればいいっていうんじゃなくて、なんか、こう、印象みたいなのをはっきり形にしたいんだよ」
木島は説明した。
「俺が村田さんを見て感じるものを形にしたいんだ」
・「俺たちは、もう、いいかげん、あの男から解放されてもいいんじゃないか?歩美が悪いんだ。いつまでも、あいつのことばかりグチグチ言って」
俺は赤く染まりだした西の空に目をやった。胸の奥がかすかにうずく。
「好きなことをやるんだ」
おじいちゃんは言った。
「最後は自分だけだ。誰かのせいにしたらいけない」
その言葉は、重く、強く、厳しく、俺の心と身体を貫いて、背筋をピンとさせた。
・「木島さんがいいです」
俺は苦笑した。まあ、本間さんはおっかねえし・・・。
「だってね、本間さんは”できない”ってことが、わからないんですよ」
三宅は心底困ったように訴えた。俺は思いきり吹き出した。
「そう、そう!そうなんだよな!」
わかるぜ。
「天才の弱点だよな」
・「変わるって、いいことかな?」
私は焼きそばをわりばしでつつきながら聞いた。
「よく変われば、いいこと。自分がいいと思えば、いいこと」
スガちゃんは半分冗談みたいに答えた。
そんな自信なんてない。今の自分。これからの自分。だけど、止まっているのをイヤだと思ったんだから、変わるって、きっと、すごくいいことだよ。
・「どんどん好きになる。きっと、もっと好きになる。自分の気持ちみたいなの、どんなふうに言ったらいいのかわからなくて、絵ばっか描いてたけど、絵じゃないと伝わらないって思ってたけど」
照れた子供みたいにパッと笑った。
「言っちゃったし」