森茂暁のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
鎌倉時代から室町時代に亘った約200年の歴史を持つ、南朝。
大覚寺統の始まりから建武の新政、そして消滅までを解き明かす。
第一章 鎌倉時代の大覚寺統 第二章 建武の新政
第三章 南朝の時代 第四章 南朝を読みとく
第五章 後南朝とその終焉
研究文献目録、南朝年表、索引有り。適宜、略系図や図表有り。
始まりは兄と弟。
それぞれの子孫、大覚寺統と持明院統の両統迭立と、
鎌倉幕府の調停と斡旋が重要だったのだが、
子孫は増えるし、同じ系統だっていろいろあるしで、
天皇、上皇、法皇、東宮、親王が入り乱れての、皇位継承争奪戦。
そこに登場したのが「一代の王」後醍醐天皇。
「王権至上主義」と倒幕への執念 -
Posted by ブクログ
歴史研究の成果の片鱗から、テーマになっている<南朝>というモノに関して説く一冊だ。読み悪い資料が列記されるというのでもなく、誰でも興味を持って<南朝>というモノのあらましを知ることが叶う好い読物だ。
鎌倉幕府が滅ぼされ、建武新政を経て室町幕府が登場して行くという時期に「南北朝」という“問題”が生じていて、その解決を図るために長い時日を要したこと、その“問題”の故に「南北朝時代」と呼ばれる場合が在る時期が存在することは知られていると思う。他方、その“問題”の<南朝>というようなことになると、今一つ巧く説明し悪いような気がする。本書は、それが「もう少しうまく説明出来るように」という内容が紹介されて -
Posted by ブクログ
南北朝合体は成立すれど、南朝の勢力が消滅したわけではない。
室町幕府の抱える矛盾と、後南朝の抵抗の歴史を解き明かす。
序章 後南朝とは 第一章 南北合体、一天平安
第二章 後亀山法皇とその周辺 第三章 南朝皇胤と室町幕府
第四章 禁闕の変 第五章 長禄の変
終章 後南朝の終焉
モノクロ画像、略系図、後南朝史関係主要参考文献、有り。
室町幕府と、北朝・南朝との複雑な関係は、南北朝時代から、
南北朝の合体まで、そして以降にまでも、影を落とす。
特に、皇位の両統迭立の不履行は、旧南朝側の皇位の
問題への不満となり、諜叛を引き起こすことになる。
また一方で、室町幕府体制に同化していっ -
Posted by ブクログ
南朝研究は、明治以来の南朝正統史問題、資料の少なさという二つの大きな問題を抱えている。
鎌倉中期頃、後嵯峨天皇の後継者を巡り親王兄弟が大覚寺統、持明院統に分派。幕府は両統併立の立場。
後醍醐は後宇田の謀略により31歳という異例の高齢で天皇となったが、後宇田の嫡孫への践祚のための中継ぎであった。ところが後宇田の発言力が低下し死んだため、後醍醐新政が可能となった。中継ぎを保証したのは幕府であったため、後醍醐は独裁的な新政を行い幕府に対抗した。持明院統は幕府についた。
建武の新政では綸旨が乱発され、土地問題などに混乱が生じた。特に軍事に関する綸旨に権限を持たせた点に特徴がある。天皇自ら軍事指揮をする -
Posted by ブクログ
南北朝時代に関して多くの著作がある研究者による南朝の全体像を明らかにする著作。鎌倉時代における大覚寺統の成立、その中での後醍醐天皇の特殊な位置(「傍流の傍流」)、綸旨万能主義の統治体制としての建武の新政、地方の南朝支持勢力、特に懐良親王の征西府の動向、宗良親王が編纂した『新葉和歌集』からの南朝の制度の析出、後南朝勢力の動向…といったトピックが、乏しい史料からの手堅い史料解釈によって肉付けられている。戦前のイデオロギー的な南朝の高評価、それに対する反動としての戦後の南朝軽視をともに乗り越えて、一個の政治的・軍事的勢力としての南朝が南北朝から室町時代にかけて、日本全体の外交・内政を少なからず規定し
-
Posted by ブクログ
著者によると近年、足利直義が再脚光を浴びているという。
足利直義は、南北朝時代に兄・尊氏の代行者として室町幕府の執政となり、後に観応の擾乱の当事者として南北朝動乱の一翼を担った人物であるが、かつて中世史の泰斗・佐藤進一は尊氏・直義兄弟の幕府内権力の分掌形態の分析から、兄・尊氏は主従制的支配権を、弟・直義は統治権的支配権を担ったという有名な将軍権力の二重構造を提唱したことでも知られている。
本書において著者は、そうした政治構造や武将であり政治家であった足利直義という従来の人物像のみならず、近年の研究史動向を十分に取り入れ、直義の政治思想や精神面、それに権力分掌の実態に肉薄しようとする試みを行って