安岡正篤のレビュー一覧
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かなり長いこと積読にしていた本。
もともとは、読まなければという気負いから手にした本なので、とっつきにくさも相俟って、本棚の肥やしにしていましたが、本棚の肥やしなんてもったいない。
とても自分の肥やしになる本でした。
なんとなくとっつきにくさを感じていましたが、内容は講演を文字に起こしたものなので、とても読みやすいです。
お気に入りは「六然」。
自処超然
処人藹然
有事斬然
無事澄然
得意澹然
失意泰然
このように生きたいものです。
また、中国の古典や日本の近代の書を読むとしたら、なにを読めばよいか、どのような順に読めばよいかは大変参考になりました。 -
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これも安岡正篤氏に出会わなければ知り得なかった書である。
宋の朱子と同時代の官吏でもあり、篤学の人でもあった、朱新仲の教訓とある
長生きをするための教訓である。
生計 いかに生きるか、人間の本質的な生き方
身計 いかに社会に対処していくか、社会生活における価値観
家計 いかに家庭を営んでいくか 一家の維持
老計 いかに年をとるべきか 老いる計りごと
死計 いかに死すべきか 死生一如の死生観
人生の五計の根本は、「急がば回れ」にあり
気になったのは以下です。
■生計
・朝起きて肝臓を養い、夕方に腎臓を休める
・熟睡とともに、安眠を考えなければならない
・夜が明けたらすぐ起きる、目を覚ましてからは、ぐずぐずするな。
・三上 枕上、馬上、厠上 有益な本を読む
・どんなところでも心を養う これが非常な効果がある。
・教育家が教育関係の本ばかり読んでいる。医者が医書ばかり読んでいる。いけない、なぜなら変化がないから
・多くの書を読む必要があると同時に、多くの人を知る必要がある。これは非常に大事なことです。社交という
■身計
・要約していうと、一番大切なことは、「師」と「友」である。いかに才能があっても、独力はいけない。
・「経の師には遭いやすく、人の師は遭いがたし」、学問の師にはあうことができるが、人生の師には出会うことがむずかしい
・友を通じて、益を受ける 直を友とする、諒を友とする いずれもまことのことです。多聞を友とする。道を拓くということです。
・政治とか、革命とかいうことも青年だけではだめである。老年だけでもだめである。青年と老年とをうまく配剤、合わせないといけない
・どんな地位についても、人から信用される。どんな仕事にあたっても何もはじめからできる必要はない。いつでも謙虚に、熱心にそれを学ぶ。学べば、必ず、人間は習熟することができますから、いかなる仕事にあたっても、容易に習熟するところの心構えができる、そういう人間を造ることが教育の主眼となります。
・原理原則、その模範的人物、典型、これが必要なんです。
・伝教大師の「一灯一隅を照らす」。自らが一灯となって、自らの座している一隅を照らす。自ら信ずるところを実践するよりほかに世の中を良くする方法ないのです。
■家計
・家計の出発点は結婚という問題であります。
・人間と単なる動物とを区別する最も根源的なボーダラインとは何か。それは、「敬」と「恥」である。
・父母は物質的・功利的な欲望や成功の話に関心をあまり示してはいけない。その言動を見て育つ子どもは、当然ながら功利的になる。功利的になると卑しくなる。
・「人世万事、喜怒哀楽の中に存する」ことは王陽明の名言であります。
・人間はいくら学問修養して偉くなっても、これは、一代きりである。残念ながらそういうものなんです。
■老計
・老いていくということは、みんな老衰することだと思うが、そうじゃない。これは老熟することなんだ。したがって老ということばは「なれる」とか「ねれる」と読む
・早い話、不養生とは自殺行為にほかなりません。
・頭は使うほど良いのです。頭は使わなくなると駄目になる。使うほどいい。
■死計
・仏教には有名な三身の論があります
①法身 性命、性霊の本体
②報身 法身が感覚的存在に発したもの
③応身 法身、報身が要請に応じて形に現れたもの
私たちが死ぬことはとは、この法身にたちかえって永遠に千変万化していくことである
※ここでは、仏教の輪廻転生のことをいっています。だから、死ぬと、生計にもどる。
目次
文庫版のまえがき
第1章 生計
第2章 身計
第3章 家計
第4章 老計
第5章 死計
ISBN:9784569663869
出版社:PHP研究所
判型:文庫
ページ数:200ページ
定価:600円(本体)
発売日:2005年05月23日第1版第1刷 -
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本書を手にとるまで、聞いたこともない古典であった。
中国・明末の教養人 陸紹珩の著で、史記や、漢書など50数種の古典の中から名言、嘉言を集めた読書メモである。
酔古堂とは、陸紹珩の雅号であり、剣掃とは、世俗の邪気を掃ういう意味とある。
広く知られた、菜根譚よりも内容が豊富で面白い。明治大正のころまでは普通にあって、昭和初めにはほとんど見かけなくなった。
安岡正篤氏の解説の前半は、風流と花鳥風月であり、後半は、儒・仏・道からの名言、戒めのことば箴言である。
気になったのは以下です。
・仏典「悲華経」の中に、「穢国悪世」。現世が、穢国であり悪世であり、末世、衰世といっている。その穢れた世から、菩薩の救いが生まれることは尊いといっている。大悲は、悲願につながり、菩薩の悲願こそが、大悲の至極なのである
・「独」という文字は、深遠の意味がある。1つは、孤独の独であるが、その他にも、「絶対」という意味がある。相対を超越する。つまり人間も独となる。絶対の独なのである。それは、独立、独参、独行となる。
・教科書みたいな参禅をやらなくても、禅そのものの心、禅意の多い人はいる。かえって、うさんくさい禅僧とか、禅客なんかよりもずっと超脱した妙境にある人もいる。
・淡:ひと言でいうなら、甘いとも渋いともなんとも言えない妙味、これを淡という。
・学問なんていうのは、何も書物をたくさん読んでいることではない。本当に考えて書を読む。書を読んで考える。そこに本当の学問がある。
・「閑に耐える」ということは、なんでもないことのようで案外できない。
・「歓喜の酒を飲む」:苦しい酒を飲むんじゃない。歓喜の酒を飲む。喜びの酒を飲む。
・人間は無知でも非常にいい人物がいる。逆に多知、有知、知識、智恵は非常にあるけれど、かえって嫌な奴がいる。人がよく、しかも知識が豊かであるという者はなかないにいない。
・宰相になって得意になるような人、宰相になって非常に派手にやるというような人は、名宰相の中には入れぬ。東洋古今のこの宰相学というものを学んでみると、そういう宰相はだめだ。落第である。本当の宰相は共通して宰相たることに淡々としている。満足とか得意とか、いわんや誇りとか、名誉とかそういう主観をもっておらぬ。
・「子孫自ら子孫の計あり」:倅は倅でやるがいい、やれんような倅じゃ仕方ない。
・「枕を邸中に高くし」:官途に就かず、民間にあって、枕を高くして眠ること
・君子に三惜あり:ここに生まれ生きていながら勉強しない、またと帰らぬこの日を無駄に過ごす、この身を大切にしないで失敗に持っていく
・政治に四態あり:傲世の法:世におごる、維世の法:世の中を破綻することなく続けていく、出世の法:世の常識から一歩でて先んずる、垂世の法:世俗にとらわれない
・富貴はとかく人間を俗にする
・崔後渠の六然 勝海舟がよく揮毫したことば
自ら処すること超然
人に処すること藹然(あいぜん)
有事に処すること斬然
無事に処すること澄然
得意に処すること淡然
失意に処すること泰然
・心を保つには、思いを少なくするにこしたことはなく、過ちを少なくするには、事を省くにこしたことはなく、よく応ずるには、心を修めるに如くはない。
・「刻」が断ち切ること。したがって、深刻とか、惨刻、刻ということは刻むという字であるから、断ち切ることを言う。
・人間ものういときは、さっさと寝てしまうのがいい。
・酒はほんのり酔うのがいい
目次
文庫版のまえがき
第1章 「淡宕」の心境
第2章 風雅の至極
第3章 人間と花鳥風月
第4章 大丈夫の処する道
第5章 智者の達観
ISBN:9784569664118
出版社:PHP研究所
判型:文庫
ページ数:208ページ
定価:571円(本体)
発売日:2005年07月19日第1版第1刷 -
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安岡正篤の「十八史略」の解説本で、本書はその上巻。周の滅亡まで。
史記から宋代までの17の中国の正史と、当時の資料を寄せ集めて作った、ダイジェスト本が十八史略である。
もともと、史記から始まる中国の正史は、紀伝体という司馬遷が始めたスタイルでかかれている。
本紀:支配者の歴史
列伝:それ以外の者、遊侠などのテーマからなる。
紀と伝をとったものが、「紀・伝」体です。
いわば、各個人の伝記を集めたもので、その人の歴史を知る事はできても、あることがらが、それぞれにバラバラに書かれていて、年代順に把握がむずかしい。
それを解消するスタイルが、編年体といい、年代順にならんでいる。
宋代までの膨大な中国史を、1362年間294巻にまとめたものが、資治通鑑という。
子供ためにさらにダイジェストにして、7巻にまとめなおしたものが十八史略である。
気になったのは次のです。
・君子の交わりは淡、水の如し
淡い交わり、味気のない交わりということではなく、言うに言えない至れる味をもった交わりということ
・道・徳・功・力 我々の智能というものは、論理から次第に情理・実理にはいって、真理・道理になる。論理というものは一番危ない。
・国家とは、土地、人民、主権 ということでこれを国家の三要素という。
・従来中国では、黄色は帝王の色、帝王を代表する色としております。宮城の瓦も、壁も黄色、皇帝の衣服も正式の場合は、黄色を用いる。
・シナは日本とちがって、つねに、塞外民族たちに侵略征服されつづけてきたので、現実の権力支配といったものにも少しも保証はない、つまり、何も恃むべきものがない。そこで何を恃むかというと、結局裸の人間同士、これが最後の大事なものである。
・シナの兄弟の序列は、長兄が伯、次が仲、末っ子が季。あるいは、伯に対して、年下の弟を叔といいます。太伯の太は美称、尊称であります。
・「中庸」の中には、2つの意味があります。進む、進歩向上するという意味と、当たる、中毒するという意味です。
・西施という美女の真似を、不器量な女がまねて不評をかった。そのことで、とんでもない人間が立派な人物の真似をすることを「ひそみにならう」という。
・原始儒教のテキストは、まず「論語」、そして、「孟子」と「荀子」である。孟子は性善説、アイデアリズム、アイデアリストであるが、荀子は違う、性悪説、リアリストである。
・野合という言葉は、中国では、媒酌人なしで結婚すること、つまり、自由結婚です。孔子は野合であった。
・儒家の四書である、「中庸」は、明らかに道家、老子系統の思想や議論がはいっていて、「中庸」「老子」「易経」は甚だ相通じるところが多い。だからこれらは、儒書であるとどうじに、道書でもあるのです。
・「中庸」とは、孔子の孫である、子思の著書、もしくは、編書であるといわれています。
・大体、シナ人という者は身内から誰か偉い人が出ると一族ことごとくこれにぶらさがる。今でもそうです。
・合従論の蘇秦、「妻は機を下らず、嫂は為に炊がず」、かえっても、妻は機織りからは下りず、兄嫁も蘇秦に飯を炊いてくれなかった。
目次
文庫版のまえがき
序章 中国古賢・先哲の智慧
第1章 三皇五帝・三代の治
第2章 中国思想の淵源
第3章 春秋覇者の台頭
第4章 戦国時代の英傑
ISBN:9784569663234
出版社:PHP研究所
判型:文庫
ページ数:320ページ
定価:760円(本体)
発売日:2007年10月17日第1版第4刷 -
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王陽明の生誕から死までの人生と教えを解説した書です。
王陽明とは、明代の中期の儒学者で、陽明学を顕した方です。。
朱熹の理説を批判し致良知、知行合一、すなわち、知と実践を同時になすことなどを唱えました。
気になったことは、以下です。
・江戸の大塩平八郎へ影響を与えた。実践的な求道者とある
・家として、王陽明の家系を説明している。
・聖人は必ず学んで達することができる。
・人間として、真面目であるが、こちこちで融通のない人間になってはならない
・只管打坐(禅語:一心不乱にひたすら座禅を組むこと)もいいが、しばしば頭をひねららせた
・朱熹(朱子学)も王陽明(陽明学)も、師との出会い、師との関係はおなじような体験をもっている。師とはそれほどまでに大切である
・五溺とは、儒教にである前までに夢中になったもの、任侠、騎射、文学、道教、仏教である。
・伝習録:王陽明の弟子がまとめた、陽明学の入門書、手紙なども含まれている
・王陽明も科挙には悩まされた。郷試には受かったが、会試、殿試にはやぶれて、いったん故郷にもどっている。
・文官にもかかわらず、山賊退治に駆り出されている
・独立とは、独り立ちすること。自分独り、世の中がどうであろうと、他人がいかにあろうと何物にも頼らずに自分自身に徹して生きて行く、独立とはそういう意味である。
・格物到知 とは、格物:主観の徹底、到知:客観の徹底。人が主観主義の思想を底の底あで考え抜くか、骨の髄まで生き抜くかしたとき、初めて自己の内に見出すことのできるものが真の客観性であるというもの
・山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し
・最後に日本の江戸時代に陽明学が伝った経緯に触れている
朱舜水が、日本にもたらした。水戸光圀、中江藤樹、熊沢蕃山、三輪執斎、山田方谷、春日潜庵、河井継之助、そして、大塩平八郎
朱子学が中心だった、江戸幕府の碩学たちは、陽明学を過激な思想と見なしていたきらいがある。
目次
文庫版のまえがき
第1章 生誕の秘話と青年時代
第2章 「五溺」と発病求道
第3章 「竜場徹悟」と教学の日々
第4章 最後の軍旅と長逝
安岡正篤先生の現代活学講和選集
1 十八史略 上
2 十八史略 下
3 孟子
4 人生の五計 困難な時代を生き抜く「しるべ」
5 酔古堂剣掃
6 先哲が説く指導者の条件「水雲問答」「熊沢蕃山語録」に学ぶ
7 王陽明(本書) -
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明治維新以降、教育体制が整い、技術や教養を充分に教えられるようになった反面、「人間学(人間の精神に焦点を当てる学問)」が疎かになってしまった。そして、その人間学がどれほど大事かというものを、古代中国の偉人(孔子など)をあげて説明している。
確かに、今コロナウイルスで外出できない中で「どう精神を良い状態に保つか」が結構大事になっている。自分の精神を良い状態に持っていく術を、普段からもっと考えるべきだなと思った。それが人生の充実に繋がるはず。
教育には愛だけではなく、「敬」が必要であるというのがビビッときた。よく部活とかで、後輩から「厳しい先輩」とか「とっつきにくい先輩」と思われたくないというので、後輩に対して指摘したいことがあっても厳しく言えなかった。でも、それで甘やかすだけではいけない。社会人となり後輩を持ったときは「敬」の部分も意識してみようと思う。 -
Posted by ブクログ
人間学講話の内の一巻ということで、論語の一説に注釈を加えながら、人間とはどういうものか、生きる上でどういう点に留意すれば善く生きられるかに迫る一冊です。
話し言葉なので、文章は柔らかく読みやすいです。
論語の一説を挙げ、その一般的な訳を紹介しつつ、安岡さんの解説やここはこう考えると解釈により深みが出る、という形で進みます。
孔子や孔子に関係した人たちが生きた人間としてイメージできるような豊かな解説で、読んでいて楽しいです。
また、安岡さんの論も「こう生きるべきだ」と説教的なものではなく、現代に生きる「我々」に還元されており、素直に読むことができます。