赤根洋子のレビュー一覧
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[無人革命]ヨム・キプール戦争、ユーゴスラビア内戦、そしてアフガニスタンとイラクにおける対テロ戦争を経て、今や軍事の構図を変えた感のあるドローンの歴史と、それに携わった人々の歩みを記した作品。傍流中の傍流だった技術や考え方がいかに革命をもたらしたかが詳述されています。著者は、国立航空宇宙博物館の研究員や「ダラスモーニングニュース」の記者を長年にわたり務めたリチャード・ウィッテル。訳者は、英語と独語の翻訳を多く手がける赤根洋子。原題は、『Predator: The Secret Origins of the Drone Revolution』。
無人機が本格的に実践投入されてからまだ日が浅いこと、そしてその技術が日増しに一足飛びの進歩を遂げていることを踏まえれば、本書で明かされるドローンの歩みに驚嘆されずにはいられないはず。その歩みの一つひとつを、それこそオペレーションレベルまで紐解いて記録した著者の苦労はいかほどだったかと思います。できるだけ中立的にドローンの進歩をわかりやすくまとめた一冊としてオススメできる作品です。
ドローンがもたらした政治的、軍事的、倫理的変化についてはもちろんのこと、技術的な発展についても極めて詳しく解説がなされているため、その側面からドローンについて考察を深めたい人も、本書の内容には大いに満足を覚えるはず。それにしても以下の著者の一文は、不穏な響きも含めて何か極めて予言的なものを含んでいる気がします。
〜無人機技術はすでに人間の死に方を変えた。それはいつか、人間の生き方を変えるかもしれない。〜
解説は作家として活躍されている佐藤優氏です☆5つ -
Posted by ブクログ
現時点でドローンの定義は明確ではないが、本書ではプレデターとして知られる軍事作戦に用いる無人偵察機、無人攻撃機の発案から開発、採用、実用に至るまでを記したノンフィクションである。よく、ここまで実名を出したと思えるほど、多くの個人名が出てくる。
有人パイロットの集団である空軍には嫌われ、予算や軍官僚組織に阻まれ、開発には苦労してきたことが良く分かる。
まずは長時間飛行、偵察、遠距離リアルタイム操作、照準、ミサイル搭載と技術的に1歩1歩進んできたが、飛翔体としての進歩よりも、それを使いこなすための技術の進歩の方が大きいのが特徴である。そのなかでもソフトウェアの役割がかなり大きそうだ。
本書は、技術的な面にもふれているが、これを取り巻く人間模様を主体に描いているのだ。9・11のときは武装化検討が進んでいるときだったので、すぐにトップ判断で実戦投入されたことがはっきり示されている。
筆者や解説にも指摘があるとおり、無人機はもう定着した技術であり、今後は人々の生活も変えていくだろう。定着したとはいえ、まだまだ発展や改良の余地は大きい。いまやホットな分野であり、その動向には目を離せない。 -
Posted by ブクログ
米軍がアフガニスタンやイラクで運用している無人機「プレデター」がどのような経緯で開発されていったのかを辿るノンフィクションです。1980年代、敵情偵察は人工衛星と有人偵察機が主な手段でした。人工衛星は情報を得たい場所を連続して監視する事ができず、有人偵察機は常に撃墜されるリスクがありました。それを補う手段として無人偵察機が開発され、1990年代のボスニア紛争で大きな効果を挙げます。2000年代に入り、9.11テロを受けてアフガニスタンでの対テロ作戦でビンラディンを発見しながらも、攻撃する事ができなかった教訓から、無人機の武装化が進みます。テクノロジーの発達と国際情勢からの要請がタイミングよく合わさって開発が進んでいく経緯が詳しく記述されています。しかし、本書で最も重要な部分は巻末にある著者の次の一文ではないかと思います。以下抜粋<無人機革命に関して確実にいえることは二つだけである。一つ目は無人機というこの新技術は定着するだろうということである。二つ目は、無人機が引き起こす影響にどう対処するか、その方法を社会は見つけ出さなければならないということである。>昨今、安価なドローンの運用についていろいろな問題が出てきています。しかし、災害時の状況把握や、活火山の観測、原発事故のモニタリングなど有人航空機ではなし得ない任務に活用されつつあります。GPSにしろ、インターネットにしろ発端は軍事技術でした。無人機の技術が「暗殺の道具」に終わるのではなく、重要な社会インフラとなることを願うばかりです。ハードカバーで400ページを越す大作ですが、内容、読みやすさ共に秀逸でした。
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Posted by ブクログ
アメリカのテロとの戦いには無人機が多用されているのは皆様ご存知の通り。
本書はその無人機の開発史をテーマにしており、第四次中東戦争で苦戦したイスラエル空軍のニーズを満たす為、イスラエル人天才技術者エイブラハム・カレルが開発を始めたレーダー欺瞞用の囮が、やがて無人機プレデターの誕生とその実戦投入へ結び付いていった過程が解説されています。
色々と興味深い内容が多かったのですが、最も印象的だったのが、
・静止画像を高く評価していた軍偵察部門から受けた過小評価や空軍パイロットからの軽視、新技術の実用化に伴う法的課題の浮上等の文化的・法的な抵抗
・地球の裏側から人工衛星経由でコントロール可能になるまでに克服されてきた様々な技術的な課題
・イスラエル時代、天才技術者カレルは「顧客は自分が本当は何を欲しがっているか分かっていないのだから、常に技術革新に励むべきだ」と部下を励ましていた
・アメリカ空軍でプレデターの開発を担当した秘密航空部隊、第645航空システム群(通称、ビッグサファリ)の標語は「不可能だと言う者は、実行する者の邪魔をしてはならない」
になります。
これらは、
・何か新しい事を始めようとすれば、それが今までを激変させるものであればある程、それの良し悪しに関係なくより強い抵抗を受ける。
この事に場所は選ばない。
・簡単に見える変化の影にも、大きな苦労と努力がある
・カレルの発言はスティーブ・ジョブスのそれに似ている。
努力を惜しまず、結果を出す人達は、皆似たような考え方をする。
と言う事を示唆しており、その為、本書は単に無人機の発展史の解説にとどまらず、あらゆる「変化」に共通する事柄を読者に教えてくれる内容となっています。
この様に色々な読み方が出来る本となっていますので、ご興味を抱かれた方は一読されてみてはいかがでしょうか。 -
Posted by ブクログ
「科学がどう発展してきたのか」ではなく「科学の方法がどう発展してきたのか」という言葉にはぐっと惹かれました。
それならば、計測機器や積まれてきた知識に依存しない、現代基準で過去の偉人たちを評価できる、というのが著者の方の意図なんだと思います。
それで読んでみて1番面白かったのが、デカルトについてですね。いろんな科学史や哲学史を読んでいると『哲学原理』について述べられがちですが、その哲学と彼の虹などに関する発見が全然あってない、という事実に大変驚きました。
それともう一つ、医学や生物学に携わっているとどうしても目的論に陥りがちになる、というのも初めて得た知見です。確かに生物の器官やうつ病などについて、自然淘汰的な議論ってあまり一般的じゃないなぁと。
そう考えるとアリストテレスの考えの解像度がまた上がって、非常に面白いです! -
Posted by ブクログ
ネタバレとてもざっくりと言ってしまうと、遥か紀元前5世紀のギリシャ物理学から21世紀の現代に至るまでの、「科学」もしくは「科学と呼ばれ、みなされたもの」を概観する「科学分野の歴史書」であり、もう少し細かく言うと、過去に「科学者」と呼ばれた人たちや理論への批評的論考、でもある。刊行された際、歴史家や哲学者から猛反発を浴び、大論争を巻き起こした本らしいが、むべなるかな。
特に科学界や哲学界に拘りも誇りもない、いち読者として読むならば、本書はとても面白い。古代を扱う1章から8章、中世を扱う9章と10章あたりは、学校の物理や世界史で習った(ような気がする)様々な散らばった知識を、「科学の発展の歴史」という一本の道でまとめ上げていくのにとても便利で、頭からずっと読み続けていくと読みやすい。
一方、著者が「科学革命」と題した11章以降は、各章で特徴的なトピックが扱われているので、例えば天文学を知りたいなら11章、ニュートンという希代の天才について知りたいなら13章と、個別に分けて読んでも楽しい。
終章である15章では、ニュートン以後の世界で統一されたり別の学問分野の中に収斂したりした科学分野が概説されている一方、いまだ未開の部分がある分野についても簡単ではあるが紹介されている。ここを読むと、科学は分野によって程度の差はあれ、いずれも発展途上であり、著者の言葉を借りれば「壮大な物語の最中にいまだ立っている」のだ、ということが、素人であってもうっすらと理解できる。
科学者はきっと、自分の研究が今、世界のどのあたりに位置しているかなどは考えていないのだろう。今、わかっていることを踏まえつつ、分かっていることを疑い、分かっているのかいないのかすら分からないものを追い続ける。
そういう世界があるのだな、というのを知れたのは、読書体験としてはとても貴重で、楽しかった。 -
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ある治療や医薬品などの効果を立証するには、最終的にはいわゆる臨床試験をするしかないわけであるが、この臨床試験とは別の言い方をすれば人体実験である、と言い換えることができる。
もちろん、現在の臨床試験については厳密なプロトコルが定められ、安全性への最大限の配慮がなされているため、人体実験という言葉からイメージするような危険性は排除されているわけであるが、ともあれ、医学の発展というのが人体実験と共にあった、というのは一つの医学史の事実である。
さて、本書は医学の発展のためにそんな人体実験を、主に自らの身体を差し出して実施した医学者たちの姿を描くノンフィクションである。こう書くとかなり硬い本のように見えるが、どちらかというと、自らの仮説を検証するために危険な人体実験を自らの身体で行う彼らの姿は、ある種のマッド・サイエンティストとも呼べるユニークさがあって大変面白い。
扱われるテーマも、薬、麻酔、寄生虫、病原菌、電磁波とX線、血液、心臓(自身の心臓にカテーテルを刺す自己実験にはドキリとさせられる)など、多様。
医学の歴史を面白く知りたい方におすすめ。 -
Posted by ブクログ
著者のように物理学をやっている人から見たら,科学哲学など,科学研究の推進力にはならないと考えるでしょうね。例えば,ギリシャ自然哲学(アリストテレスなど)にはかなり手厳しい感じがします。でも,「現代アート」はそれまでのアートがあってこそなのと同様,それがなければもっと早く科学が展開してきたかというとよく分からないのではないかと思います。「巨人の肩の上に立つ」という時の巨人に含めるべきものを現代の科学の視点で評価してみようという感じでしょうか。
やっぱり,「(厳密な)理論と実験の両輪」ですよ。
宗教と科学の論争についても「歴史は繰り返す」という印象を持ちました。今は「エビデンスベイストに関する論争」にもなっています。アラブの科学が衰退した背景には科学を敵視する風潮があったようです。科学を御用聞き程度にしか使わない政権がいる国では科学は発展しないのでしょう。
コロナ禍でもニュートンみたいに自宅で研鑽を積める!なんて学生に向けた励ましがあったりするけど,このニュートンは学位を取ってからのニュートンだそうです。だから,学生向けではなく教員向けだな。
【古代ギリシャの物理学】
①実証を求める態度がなければ,その論は詩。論者は詩人。詩なら誰もその内容に関して真偽や証明を求めない。
②数学は自然科学のツールであるが,数学は自然科学ではない。数学と科学では数学に対する厳密さの構えが異なっている。これを同じと捉えて,文体を含め,自然科学も数学も理性の力だけで真理に到達すべきとしてきた(きてしまった)歴史がある。
③詩→理詰めの転換の象徴はアリストテレスで,古代人としては優れているが,目的論,実験(人工的状況)よりも観念論(非数学的であるが故に詭弁に陥るものも多い)など,現代科学からは相容れないものが含まれている。
④ヘレニズム時代は,気前のいいエジプト王の援助により,アテネからエジプト(アレクサンドリア)へと移った。万物原理よりも具体的な現象の理解に力点が転換し,エピステーメーとテクネの区別も緩かった。アルキメデスやアポロニウスが筆頭である。医学の科学化は生物学の発展を待たなければならなかった。
⑤ギリシャ科学がローマ帝国時代に衰退したのは,聖書の記述と科学知識との衝突というよりも,「異教徒による科学は,キリスト教徒が取り組むべき霊的問題から心を逸らすものだ」とするように,科学を不道徳の対象(=業火の対象)とみなしたせいだった。ギリシャ科学は注釈と少々の異議として存続したが,創造的活動は過去のものであり,やがて注釈者すらいなくなった。
【古代ギリシャの天文学】
⑥空は方位や日時,暦の情報源としての実用性から,天文学の精密化が進んだ。
⑦測定データそのものが未熟であったにもかかわらず,量的な結論を引き出すために数学が正しく使われ,地球,太陽,月に関する大きさや距離についての理解が進んだ(エジプト,アレクサンドリア)。
⑧天動説と地動説は,ケプラーによる事実が知られていない時代であったために,ファイン・チューニングになるような複雑な仕掛けを導入するしかなかった。ただ,そのよく知られる対立以前に,天動説にもアリストテレス派とプトレマイオス派の対立があった。
【中世】
⑨暗黒時代は,ギリシャ科学はアラブで存続した。但し,アラブ科学も天動説の範囲で,アリストテレス派(哲学者,医師)とプトレマイオス派(天文学者,数学者)の派閥争いが続いた。しかし,イスラム教は科学を敵視し,次第に衰えさせた。
⑩ローマ時代の名残である自由七科を学ぶ大聖堂附属学校(後の大学)の充実化が起こり,古代の著作(ギリシャ語原点のアラビア語訳)がラテン語に翻訳されて蘇った。アリストテレスの著作は例えば「宇宙は法則によって支配されている」という自然主義的だという意味でキリスト教会から歓迎されず,その注釈や支持的立場も含め異端宣告の対象となった(が後に撤回される)。数学と物理学の関係はまだ不安定であり,天動説内の論争はまだ続いていた。
【科学革命】
⑪コペルニクス,ティコ,ケプラー,ガリレオによる展開により,キリスト教と対立しながらも楕円軌道の地動説が科学理論としての地位を形成していった。
⑫人工的状況を扱う実験がガリレオから本格的に始まり,ホイヘンスへと引き継がれ,数学の論法へのこだわりから物理学が脱却した。
⑬科学者でも数学者でもなかったにもかかわらず極端な経験主義的科学観を表明したベーコンの著作『ノヴム•オルガヌム』は,当時の科学者に特に影響を与えなかっただろう。デカルトは数学を物理学に持ち込んだが,彼の見解に間違いは間違いが多い。虹の説明が最大の貢献だが,方法序説にあるような方法ではないがゆえに,彼の哲学は貢献していないとみなせる。
⑭ニュートンにより,物理学は天文学•数学と統合され,光学,数学,力学に関するニュートン理論が科学の標準モデルとなった。
現代科学は,化学や生物学,脳科学へとその自然観を広げているが,ライオンがインパラを襲うことを原子のレベルで追ったり説明したりする必要はない。ただ,今後も還元主義の道はまだ続くだろう。
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現在,「科学哲学」という興味深い研究分野が存在するが,これは科学研究そのものにはほとんど影響力を持っていない。(p.51)
歴史上何度もその実例を見ることができるように,その時代の知識で解明sできる問題とそうでない問題とを見極めることこそ,科学の進歩の本質的な特徴である。(p.58)
権威を持った人間が自分の権威を損なうかもしれない研究に反対するのは,医学界に限ったことではない。(p.71)
科学の発見には,自然研究から宗教観念を切り離すことが不可欠だった。この分離には何世紀もの年月が必要だった。物理学においては十八世紀までかかったし,生物学においてはさらに長くかかった。(p.72)
現代の科学者が「超自然的存在などいない」と最初から決めてかかっているというわけではない。私はたまたま無神論者だが,真剣に宗教を信じている優れた科学者もいる。現代の科学者の考え方とはむしろ,「超自然的な存在の介入を想定せずにどこまで行けるか考えてみよう」というものである。科学はこのような方法でしか研究できない。というのも,超自然的な存在の助けを借りればどんなことでも説明が可能だし,どんな説明も証明不能になってしまうからである。現在盛んに宣伝されている「インテリジェント・デザイン」説を科学と呼べない理由はここにある。それは科学というよりも,科学の放棄である。(p.73)
古代世界に地動説が定着しなかった理由を述べるのは簡単である。地球が動いていることをわれわれは感じない。そして,それを感じなければならない理由がないことを,十四世紀まで誰も理解できなかった。(p.106)
古代ギリシャの天文学の偉大な進歩を推しすすめたのは物質的な器具だけではなかった。それには,数学の進歩が果たした役割も大きかった。古代及び中世の天文学のおもな対立点は,「地動説か天動説か」ではなかった。対立していたのは,静止した地球の周りを太陽や月や惑星がどのように運行しているかに関する,二つの異なる理論だった。そして,その対立の大きな部分を占めていたのは,自然科学における数学の役割に対する考え方の違いだった。(p.115)
現代の理論物理学者も基本原理から推論するが,推論という作業には数学が用いられる。原理自体が数学で表されるものであり,観測から習得されたものである。間違っても,「よりよいものは何か」という思索から習得されたものではない。(p.136)
ニュートンの成功は,惑星の動きを単に記述したのではなく,それを「説明したこと」にある。ニュートンは重力を説明してはいないし,そのことを自覚していた。だが,これが説明というものの常である。いつか説明される日のために,常に何かが残されるのである。(p.138)
異端宣告とその撤回という十三世紀の出来事は,おそらくこう要約することができるだろう。異端宣告はアリストテレス絶対主義から科学を救い,その撤回はキリスト教絶対主義から科学を救ったのだ,と。(p.180)
デカルトもベーコンも,何世紀にもわたって科学研究のルールを決めようとしてきた大勢の哲学者の一人というに過ぎない。科学研究はルールどおりにはいかない。どのように科学を研究すべきかというルールを作ることによってではなく,科学を研究するという経験から,われわれはどのように科学を研究すべきかを学ぶ。そして,われわれを突き動かしているものは,自らの方法で何かを見事に説明できたときに味わう喜びを求める欲求である。(P.279)
ニュートンは,ロンドン,ケンブリッジ,生地リンカンシャーを結ぶ,イングランドのごく狭い地域から出たことがなかった。潮の満ち引きに多大の興味を持っていたにもかかわらず,その海にさえ行ったことがなかった。(p.280)
ニュートンはデカルトの,「光は,目に作用する圧力である」という説を,「もしそうなら,走っているときには空の明るさが増して見えるはずだ」と否定した。(p.284)
物理理論というものは,計算したいと思うすべての物事を計算できるわけでなくても,単純なものの計算が確実にできることが実証されれば,その正当性は証明されたものと見なされるのである。(p.312)
アインシュタインの予測どおり太陽が重力場によって光線が曲がることが一九一九年に観測され,アインシュタインの理論の正しさが確認されたとき,タイムズ紙は,「ニュートンの理論は誤りだったことが証明された」と宣言した。この記事は間違っていた。ニュートンの理論はアインシュタインの理論の近似理論――光速よりずっと遅い速度で運動する物体に関して有効性が増す理論――と見なすことができる。アインシュタインの理論は,ニュートンの理論を否定しないというだけではない。相対性理論は,ニュートンの理論がなぜうまく機能するかを説明しているのである。一般相対性理論それ自体もさらに完璧な理論の近似理論であることは疑いの余地がない。(p.322)
つまり,世界はわれわれにとって,満足感を覚える瞬間という報酬を与えることで思考力の発達を促すティーチングマシンのような働きをしているのである。数世紀かけて,われわれ人類は,どんな知識を得ることが可能か,そしてそれを得るにはどうすればいいかを知った。われわれは,目的というものを気にかけなくなった。そんなことを気にかけていては,求める喜びには決して到達できないからである。われわれは確実性の追求をやめることを学んだ。喜びを与えてくれる説明は,決して確実なものではないからである。われわれは,設定した条件が人工的であることを気にせず実験することを学んだ。そして,理論がうまく機能するかどうかの手がかりを与えてくれ,それがうまく機能したときには喜びを増してくれる,一種の美的感覚を発達させた。人類の世界の理解は蓄積していくものだ。その道のりは計画も予測も不可能だが,確かな知識へとつながっている。そして道中,われわれに喜びを与えてくれることだろう。(pp.236-327) -
Posted by ブクログ
人体実験、というとマッドサイエンティストだとか、戦時中の非人道的な行為、というイメージが先行する。
確かに本書に出てくる実験はそういったものもある。
だが、それを、なかったことにできる?
自分に関係ない、と言える?
誰にだって程度の差はあれ、興味はあるでしょう?
私は空気抵抗の実験をしたことがある。仮説はこうだ。
パラシュートが安全に脱出できるのなら、傘でも空気抵抗を実現できるはずだ。
そして私は駐輪場の屋根から傘を両手に持って飛び降りた!
最悪の結果にならなかったが、端的に言えば失敗した。
他にも、「アルコールの摂取量による消化器官と判断力の変化に対する考察」を行ってみたこともある。
が、そんな些細な実験と本書の内容を比べると、比べ物にならない。
音速の壁、ソニックブームの恐ろしさは、思わず電車の中で身震いした。
淋病と梅毒に同時に罹患するよう仕向けたり、炭疽菌を培養したり、漂流してみたり、ありとあらゆる実験がなされてきた!
死骸を食べる実験の章では、日本人にはお馴染みの高級魚(矛盾?)フグも登場!
それにしても、こんな人体実験の数々は、せいぜい20世紀初頭まで、そんなふうにどこか楽観的になってはいまいか?
驚くべきことに2006年、臨床試験中の失敗が起きている。
門外漢の私には、この実験方法が適切だったのかはわからない。
また、募集を見てやってきた被験者たちに問題があったとも考えられない。
当然、臨床試験そのものを否定するものでもない。
しかし、言えるのは、人体実験は功罪併せ持つものであるということ。
医学、科学に従事する人々には心から感謝と尊敬の念を抱くけれども、一方で、一般人の尊厳もやはり忘れてはならない。
本書は、普段ノンフィクションを読まない人、ミステリやホラー好きな人にもおすすめ。
不謹慎?
いや、現実の奇妙さや恐ろしさから現代と自分を省みることができる。
巻末の仲野徹氏の解説までしっかり読み込んでほしい。
「NHK フランケンシュタインの誘惑」でも解説をされている先生だ。