高田三郎のレビュー一覧
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下巻は抑制と無抑制、愛、快楽、そしてまとめがあります。そして本書の最後(第10巻)では観照的生活こそが最高の人生である、というような内容が中心になるのですが、正直苦笑いをしてしまいました。やはり根っからの哲学者だと。不遜な言い方ですが最終章にきて、アリストテレスがとても身近な存在に感じました。彼自身の好みのようなものがついに滲みだしてきたという感じでしょうか。本書全体を通じて、人間の生き方についての深い洞察と卓見を学ぶことができ、とても満足しています。また解説もきわめて有益でしたのでそちらもあわせて読むことをお勧めいたします(できれば上巻を読む前に下巻の解説を読んだ方がよい)
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上巻、下巻すべて読み終わった後の感想を書きます。下巻の最後に解説があり、それを最初に読んでから本書を読み進めるとよかったかなと思いました。「二コマコス倫理学」という日本語タイトルについての注意点や(正確に言えば倫理学について語っている本ではないよという指摘)、また本書の重要概念である「エウダイモニア」についても、本書内では幸福という訳語が充てられていますが、むしろウェルビーイングというほうが近い、というような注釈がなされていました。
特に後者が大事かなと思うのですが、アリストテレスが「幸福」について語っていると思ってしまうと違和感を持つ個所が多々ありました。明らかに日本人の幸福感とは異なる価 -
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下巻では悪徳の抑制、快楽、愛といったテーマについて論じられるが、上巻以上にアリストテレスの個性が鮮明に表れている。ギリシャの陽光のように明るく健康的な合理精神に貫かれており、剛毅で貴族的な香りが漂う道徳だ。奴隷制の有無という社会構造の違いもあるが、ニーチェが畜群道徳と罵倒したキリスト教の原罪を背負った陰気な内面性とは極めて対照的である。例えば快楽一般を否定するのではなく、善い活動に伴う快楽は好ましく、悪しき活動に伴う快楽が悪徳とされる。愛については有用性や快楽を求める愛よりも「人となり」そのものへの愛に高い価値がおかれはするが、愛に値するのはあくまで善き「人となり」である。ある意味で極めてエリ
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上巻に引き続き…
下巻では抑制や無抑制、愛や快楽、最後に総括に関する論考が収録されている。
特に、3種類の愛(フィリア)
「善ゆえの愛」
「快楽ゆえの愛」
「有用ゆえの愛」
に対する指摘は、そのまま鵜呑みにできずとも、自己と他者のあいだに広がる空間性を平易な言葉で表現できる知性に関心させられた。少し忸怩たる思いを抱いてしまう自分もいた。まだ、私には早かったのか?
善とはそれ自身で望まれ、欠如がないもの…
「人間は本性的にポリス的動物である」と提唱したのはアリストテレスであり、理想的な国制と私的利益を追及する国制の対比、前者から後者へ転落する筋書きも言及されていた。参政権は男性に限られて -
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「万学の祖」の異名をもつアリストテレスによる2300年前の倫理学の聖典。
弟子のニコマコスが執筆した本書は、人間にとっての幸福とは何かを説き、後世の哲学界に深刻な影響を及ぼしたとされている。
人間のにとっての究極目的、最高善は、「それ自身として常に望ましい善であって、他の何かゆえに望まれる善ではない」のであり、それこそがエウダイモニア「幸福」であると。
他にも、
苦悩に対して無感覚であるよりも、その苦悩を感覚し、平静に耐え抜くことができる姿勢そのものは幸福である(ストア派的?)
知識を有する者が、必ずしも知識を持たない者よりも実践において役にたつ場合があり、その差を生むのは経験である(経 -
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2300〜2400年?も前に生きていた人が書いた(講義した)ものとは思えない。資本主義も新自由主義も存在しないし国家(共同体)や経済の規模や概念も異なる、そんな時代での考察だけど、現代に生きる僕でも充分に共感や気付きを得られる内容が多かった。
徳のうち技術に関する話は自分の仕事感、また友愛(フィリア)に関する話は、自分の職場や家族との人間関係を改めて考えるきっかけになった。
ここまで共感出来るのは、この本が人間の本質を突いているからだろうか?それともアリストテレスの影響も受けつつ長年掛けて形作られた倫理・哲学世界の延長線を僕が生きてるからだろうか?
答えはわからないけど歴史や古典をもっと -
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今年前半、プラトンを1冊、ギリシア悲劇を1冊と読んできたので、よっしゃ次はアリストテレスだ!
というわけで手に取ったのがこちら、『二コマコス倫理学』。
さて、はりきって読み始めてみたものの。
ううーーん、これ、難しい(泣)。
書かれている内容が難しい、というのではなく、もはや目で文字を追っても、脳が意味をとらえられなくて、ただただ文字が流れていくか、そのうち注意力を失って気がつくと眠りに落ちているかのどちらか。
うん。これは、あれだな。
自分がその本を読むための前提となる土台を有していないにもかかわらず、読んでしまった時におこる現象だなあ。
いきなり原著から読まないで、入門書か解説書にすれ -
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(01)
倫理を分析し,愛(*02)や政治への接続を思索した書である.特にそれはあるべき個人について語られ,徳や卓越性とされるアレテーが人間の状態をよりよい善に漸近させることを至高としている.もちろん社会における人間ということが前提となっており,その共同性や他者との関係から,主体のあるべき姿を探ってはいて,例えば,人間というあり方を,獣性(テーリオテース)や奴隷状態から峻別し,家政的(オイコノミコン)なものから政治や政治の場としての都市を抽出し,徳のある個人をこの場にある人間として考究している.
ゆえに,現代の自己啓発本やセミナーなどの主張に,見合うような字句も本書から引っ張ってくることもでき -
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「二コマコス倫理学(下)」Aristotle
ユーダイモニアは人間万般の営みの究極目的。
幸福は状態(ヘクシス)ではない。
幸福とは、知性(ヌース)という最高の卓越性に即した行動。
幸福には快楽の存在が必要であるとされるが、最も快適なのは、智慧(ソフィア)に即しての活動である。
哲学はその純粋性と安定性の点において、驚嘆するに足る快楽を含んでいる。
知性(ヌース)の活動はその真剣さにおいて勝り、活動それ自体以外のいかなる目的も追求せず、その固有の快楽を内蔵している。
人間に固有なのは、知性(ヌース)に即しての生活に他ならない。
知性(ヌース)の卓越性は肉体を離れた独立的な性格 -
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「二コマコス倫理学(上)」Aristotle
人は自分の知っている事柄については優れた判断をする事ができる。全てにわたって教育のある人は、無条件的な仕方においてのよき判断者である。
善には、外的な善、身体に関する善、魂に関する善の三つがあるが、魂に関する善が最も優れた善である。
幸福の為に決定的な力を持つのは卓越性(アレテー)に即する活動に他ならない。
幸福はあらゆる意味において究極の目的でなければならない。
アレテーには知性的、倫理的の二通りがあり、前者は教示に負うものであるから経験と歳月を要し、後者は習慣づけに基づく。
節制も勇敢も過超と不足によって失われ、中庸によって保たれる -
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プラトンとは異なり、あくまで経験的な事実から逸脱しないように議論を進めるアリストテレス。一見、現実的で納得のいく議論を展開しているが、善悪の判断の源泉はどこに求められるか?については一応アプリオリなものとして、不問に付している(ように見える)。
下巻のテーマは快楽と愛。
第七巻
正しい認識を有する人間は無抑制に陥らない、とするソクラテスの説を継承した上で、抑制・無抑制、節制・放埒の違いを記述する。
放埒:選択的に肉体的快楽を追求すること
無抑制:欲望に負けて快楽を追求すること
抑制:欲情はあるが意識的に抑えること。
節制:欲情がないゆえに快楽を追求しないこと。
財貨・利得・勝利・名誉と -
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目的論的な論法が鮮やか。
・最高善=究極の目的
・善=幸福(エウダイモニア)
・幸福=徳、卓越性(アレテー)を発揮すること
・アレテーを十分に発揮して幸福であるためには、究極の生涯=長期にわたる安定した生活を必要とする
・富や権力といった「外的な善」は、アレテーを発揮するために必要であるが、あくまで手段にすぎない
・幸福は学習や鍛錬によって得られる
何をもって善となすか、は結局のところ人によって「見えかた」が異なるのではないか?という重要な問いが立てられている(p134)。アリストテレスの回答は「徳も悪徳も随意的(本人の意思による選択)であるから、悪徳をなす人に責任がある」というもの。つま -
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経済学の教授が講義の中で、正義とは何かを考える上で必読の書の一つとして挙げていたのが、このアリストテレスの著作であった。
「徳」「善」等、キーとなる言葉の意味付けが、現代日本社会における意味付けと解離があるため、文脈の中でどのような意味付けで語られているかを考えながらでないと読めない。そのため意味が頭に入ってくるまでに時間がかかった。
中庸ということをアリストテレスは徳として説いているが、仏教や儒教でも「中庸」はキーとなる概念であり、その共通性が興味深い。
かのアレキサンダー大王も、師であるアリストテレスからこのような講義を受けていたのであろうか。