【感想・ネタバレ】アリストテレス ニコマコス倫理学 上のレビュー

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Posted by ブクログ 2023年05月02日

上巻、下巻すべて読み終わった後の感想を書きます。下巻の最後に解説があり、それを最初に読んでから本書を読み進めるとよかったかなと思いました。「二コマコス倫理学」という日本語タイトルについての注意点や(正確に言えば倫理学について語っている本ではないよという指摘)、また本書の重要概念である「エウダイモニア...続きを読む」についても、本書内では幸福という訳語が充てられていますが、むしろウェルビーイングというほうが近い、というような注釈がなされていました。

特に後者が大事かなと思うのですが、アリストテレスが「幸福」について語っていると思ってしまうと違和感を持つ個所が多々ありました。明らかに日本人の幸福感とは異なる価値観が展開されているからですが、「エウダイモニア」の概念をウェルビーイングだとして本書を読めば、かなり腹落ちすると思います。人間は知的卓越性だけでなく倫理的な卓越性を持たなければならない。そして倫理的な卓越性は日々の行動、実践によって培われていくこと、さらに何においても中庸こそがもっともすぐれたことなどが議論されています。そこで必要になるのは知慮(フロネシス)ですが、知慮は普遍的なものというよりは、場所や時期によってそのコンテクストを変えていく変幻自在の知であります。知的・倫理的卓越性にもとづいた日々の活動が最高の善、すなわちエウダイモニアにつながっていくということになります。2300年前の文書が現代においてもこれだけ読まれていることに驚愕すると同時に、その書かれている内容の普遍性についても驚愕を禁じえませんでした。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2021年09月20日

古代ギリシアにおける代表的な倫理学の名著。
万人の人生の究極の目的は、「幸福」すなわち「善く生きること」であるとし、このともすれば曖昧な概念を精緻に分析。
ルネサンス以後も、西洋諸国の思想、学問、文化、人間形成に多大な影響を及ぼした。

(※本書の要旨を一部引用。)

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Posted by ブクログ 2016年01月17日

現代人から見ても決して常識はずれではない、高度に洗練された幸福論です。2300年以上前に書かれたとはとても思えない。しっかりと読むコツは、独特の諸用語が持つ意味を、特に用語と用語の関係性に注意して、訳注を参考に着実に捉えていくことだと思います。たとえば「情態」と「性状」という2つの語は、日本語的には...続きを読む似ていますが、原語においてはむしろ対になる概念ですので、注意が必要です。

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Posted by ブクログ 2009年10月07日

おもしろい。抽象化は哲学。これに全部詰まってる。これらの言葉を念頭に置いて倫理観を持って生活すれば人格者になれる。なりたい。結局は人間にちとって、知的活動(=徳の追求)に勝る楽しさはないんだなと思う。自分は自分がつくり上げるもの。知慮を念頭に置いた習慣行動が人格を変える。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

倫理学を学ぼうと思ったらまず最初に必読の本。古代ギリシアにおいて最初の倫理学集成。ニコマコスが書いたのではなく、アリストテレスが書いたものを息子ニコマコスが編集した本です。

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Posted by ブクログ 2023年07月03日

ウェルビーイングを考えるならばまずこの本を読むべきだろうなあ。まずこのひと言。噛めば噛むほど良さが出てくる本だと痛感した。

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Posted by ブクログ 2023年05月13日

無謀ではなく、臆病でもなく、勇気をもて。
虚栄ではなく、卑屈でもなく、プライドをもて。
鈍感ではなく、神経質でもなく、おおらかであれ。

友人は第二の自己である。

革命は些細なことではない。しかし些細なことから起こる。

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Posted by ブクログ 2023年01月08日

2300〜2400年?も前に生きていた人が書いた(講義した)ものとは思えない。資本主義も新自由主義も存在しないし国家(共同体)や経済の規模や概念も異なる、そんな時代での考察だけど、現代に生きる僕でも充分に共感や気付きを得られる内容が多かった。

徳のうち技術に関する話は自分の仕事感、また友愛(フィリ...続きを読むア)に関する話は、自分の職場や家族との人間関係を改めて考えるきっかけになった。

ここまで共感出来るのは、この本が人間の本質を突いているからだろうか?それともアリストテレスの影響も受けつつ長年掛けて形作られた倫理・哲学世界の延長線を僕が生きてるからだろうか?

答えはわからないけど歴史や古典をもっと勉強したいと思われてくれる一冊だった。

因みに本の読解は難しかった。NHKの解説本(100分で名著シリーズ)やネットの解説を頼りながらなんとか読み進めた。

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Posted by ブクログ 2020年09月14日

今年前半、プラトンを1冊、ギリシア悲劇を1冊と読んできたので、よっしゃ次はアリストテレスだ!
というわけで手に取ったのがこちら、『二コマコス倫理学』。

さて、はりきって読み始めてみたものの。
ううーーん、これ、難しい(泣)。
書かれている内容が難しい、というのではなく、もはや目で文字を追っても、脳...続きを読むが意味をとらえられなくて、ただただ文字が流れていくか、そのうち注意力を失って気がつくと眠りに落ちているかのどちらか。
うん。これは、あれだな。
自分がその本を読むための前提となる土台を有していないにもかかわらず、読んでしまった時におこる現象だなあ。

いきなり原著から読まないで、入門書か解説書にすれば良かったかなあ、と少し後悔しましたが、せっかく買ったので、わからないことを気にせず、割り切って読むことにしました。
こういう場合の私の割り切り方とは、文章を理解しようとせず、ただただ文字を一定のスピードで、あまりじっくり読むと眠くなるので早めに、淡々と流していきます。
そして、たまーに「お、なんか面白いかも?」と思う一文に出会ったら、素直に喜ぶ(笑)。
川底から砂金を見つけたかのように、その一文をゆっくり眺めて味わいます(砂金、探したことないけど)。

そんなこんなで、なんとか辿り着いた上巻のラスト。
この調子で、爽やかに、下巻に進みたいと思いまーす(汗)。

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Posted by ブクログ 2018年04月28日

読み始めて慣れるまでは、やたらとややこしい…
ああだこうだと分類されてなかなか頭に入ってこなかった。だがもう兎に角のところ読めばいいやって通読を心掛けたらなんとか読めた。
古典的哲学書だと思ってたから敬遠してたけど、意外にも実用書ぽくってなんだか得した感じ…(^^ゞ

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Posted by ブクログ 2018年04月05日

「二コマコス倫理学(上)」Aristotle

人は自分の知っている事柄については優れた判断をする事ができる。全てにわたって教育のある人は、無条件的な仕方においてのよき判断者である。

善には、外的な善、身体に関する善、魂に関する善の三つがあるが、魂に関する善が最も優れた善である。

幸福の為に決定...続きを読む的な力を持つのは卓越性(アレテー)に即する活動に他ならない。

幸福はあらゆる意味において究極の目的でなければならない。

アレテーには知性的、倫理的の二通りがあり、前者は教示に負うものであるから経験と歳月を要し、後者は習慣づけに基づく。

節制も勇敢も過超と不足によって失われ、中庸によって保たれる。

然るべき時に然るべき事柄について、然るべき人に対して、然るべき目的の為に然るべき仕方においてそれを感ずる事が、「中」的にして最善であり、徳である。

全ての活動(エネルゲイア)の目的は、その活動をせしめる時の状態(ヘクシス)の目的とするところと同じ性質である。

豪華な人は識者、達人のようなもの。ふさわしいところを観てとり、壮大な出費を調子の取れた仕方で果たす。

技術(テクネー)は好運(チュケー)を愛し、好運(チュケー)は技術(テクネー)を愛する。

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Posted by ブクログ 2015年11月23日

「ー」

即時的に善きもの、善きもののゆえに善くあるところのもの
子供も幸福ではない
中庸は状態
法律の問題は本性が原因

ずっとニコマラス倫理だと思っていました。

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Posted by ブクログ 2015年02月14日

目的論的な論法が鮮やか。

・最高善=究極の目的
・善=幸福(エウダイモニア)
・幸福=徳、卓越性(アレテー)を発揮すること
・アレテーを十分に発揮して幸福であるためには、究極の生涯=長期にわたる安定した生活を必要とする
・富や権力といった「外的な善」は、アレテーを発揮するために必要であるが、あくま...続きを読むで手段にすぎない
・幸福は学習や鍛錬によって得られる

何をもって善となすか、は結局のところ人によって「見えかた」が異なるのではないか?という重要な問いが立てられている(p134)。アリストテレスの回答は「徳も悪徳も随意的(本人の意思による選択)であるから、悪徳をなす人に責任がある」というもの。つまり人が身につけるべき徳がいかなるものかはあらかじめ決まっていて、悪徳をなす人は善い人になるための努力が足りないってこと?アリストテレスもまたプラトンのように生得的な「善のイデア」的なものを想定しているのだろうか。

以上の重要な論点は本書第1巻〜第3巻第5章に書かれている。中庸の徳について語られる部分(第3巻第6章〜第4巻)は、ほとんど世間一般の認識を記述しただけの“エッセイ”的なものであり、正義論的に参考にすべきかは疑問。

分配的正義・矯正的正義など「正義」がいかなるものかを論ずる第5章、アレテーと知性(真理認識)の5つの様式、すなわち技術・学・知慮・知慧・直知の関係を論ずる第6章で上巻は終わり。

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Posted by ブクログ 2011年06月12日

経済学の教授が講義の中で、正義とは何かを考える上で必読の書の一つとして挙げていたのが、このアリストテレスの著作であった。
「徳」「善」等、キーとなる言葉の意味付けが、現代日本社会における意味付けと解離があるため、文脈の中でどのような意味付けで語られているかを考えながらでないと読めない。そのため意味が...続きを読む頭に入ってくるまでに時間がかかった。
 中庸ということをアリストテレスは徳として説いているが、仏教や儒教でも「中庸」はキーとなる概念であり、その共通性が興味深い。
 かのアレキサンダー大王も、師であるアリストテレスからこのような講義を受けていたのであろうか。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

刑法の責任論を思い出す。このあたりが出発点になっているような気がするが、連綿と繋がっているわけではないんだよなあ、これが。

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Posted by ブクログ 2022年02月01日

2500年前に書かれたアリストテレスによる幸福論。「幸福(エウダイモニア)」「徳(アレテー)」「愛(フィリア)」などについて述べられており、現代においても有益な示唆を与えてくれる。
ただし、古典らしく非常に婉曲的かつ冗長で読みにくい。頭から文を追うと全く内容が入ってこないので、キーワードを拾っていく...続きを読む形で一応通読できた。

「徳」とは非自発的な状態であり、「中庸」を目指すことで達成される。「徳」とは情念でもなく能力でもない、「状態」である。と理解した。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2020年11月03日

「「人間というものの善」とは、人間の卓越性(アレテー)に即しての・・最も善き最も究極的な卓越性に即しての魂の活動である」(P41)


さて、それではそのような善を実現するための魂の活動とはいかなるものなのか。あらゆる事象に対して、バランスを有した中庸の状態に裏付けされた行為。一言で表すとこうなるだ...続きを読むろうが、表現は簡単なように見えて読み終わるとよくわからない、という部分が多い。

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Posted by ブクログ 2021年08月08日

2300年も前の古典とは思えない、金言の数々。特に下巻に感銘。たぶん2割くらいしか理解できてないけど、この年齢になって沁みわたる言葉が多かった。
「『人間というものの善』とは、人間の卓越性に即しての、またもしその卓越性に即しての魂の活動であることとなる。」
「…、最初に観ておかなくてはならないことは...続きを読む、こういったものは欠乏と過超によって失われる本性を有しているということである。ちょうど、体力や健康の場合においてわれわれの見るようにー。というのは、運動の過超もその不足も、ともに体力を喪失せしめ、同じくまた飲みものや食物が多きにすぎ少なきにすぎるのは健康を喪失せしめるものなるに反して、それが適正ならば健康を創成し増進し保全するのだからである。節制とか勇敢とかその他もろもろの倫理的な徳の場合においてもこれと同様である。すなわち、あらゆるものを逃避しあらゆるものを恐怖して何ごとにも耐ええないひとは怯懦となり、また総じて、いかなるものも恐れず、いかなるものに向かっても進んでゆくならば無謀となる。同じくまた、あらゆる快楽を享楽し、いかなる享楽をも慎まないひとは放埒となり、あらゆる快楽を避けるならば、まったく田舎者のように、いわば無感覚なひととなる。かくして節制も勇敢も『過超』と『不足』によって失われ、『中庸』によ
って保たれるのである。」
「『選択』も『思量』も同じことがらについて行われるが、ただ、選択されるのはすでに決定されたものにほかならないという点が異なる。思量に基づいて決断されたことがらが選択されるのだからである。…
 『選択されたことがら』とはわれわれの力の範囲内に属することがらのうち思量を経て欲求されるところのものであるとすれば、『選択』ということは、われわれの力の範囲内に属することがらについての思量的な欲求であるといわなくてはならぬ。われわれは思量することによって決断したとき、この思量に基づいて欲求するのである。」
「…知慮なくしては勝義における善きひとであることはできないし、また、倫理的な卓越性ないしは徳なくしては知慮あるひとたることはできないものとなることが明らかとなった。…知慮一つの存在するところ、同時にまたすべての徳が存在するだろうからである。…『選択』ということは、知慮なくしても、徳なくしても、正しい選択たりえないものなることが明らかである。」

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2018年04月03日

特に後半は理解できなかった。
新しい訳を読むべきか…。


1巻:
最高善は幸福である。
あるいは,人間の魂(プシュケー)の活動における究極的な卓越性である。
この魂の活動は,「ことわり」を伴うものである。
幸福な人とは,究極的な卓越性に即して活動している人,そして外的な善に充分恵まれている人である...続きを読む

最高善は政治の目的でもある。

「富は何かのために役立つもの、それ以外のもののために存するものでしかない。」(23頁)
「人間というものの善とは、人間の卓越性(アレテー)に即しての、またもしその卓越性が幾つかあるときは最も善き最も究極的な卓越性に即しての魂の活動である」(33頁)

2巻:
卓越性には,知性的卓越性と倫理的卓越性(徳)とがある。
倫理的卓越性は習慣づけ(エトス)によって完成する。
倫理的卓越性は,快楽と苦痛について最善な仕方で行為しうるような状態(ヘクシス)であり,悪徳はその反対の状態である(62頁)。情念や能力ではない(68頁)。
卓越性とは,そのよき状態を完成し,その機能をよく展開せしめる状態である(68頁)。
卓越性は,超過や不足を避け,中(メソン),あるいは中庸(メソテース)を目指すべきである(70頁)。

「年少のときから或る仕方に習慣づけられるか、あるいは他の仕方に習慣づけられるかということとの差異は、僅少ではなくして絶大であり、むしろそれがすべてである。」(58頁)

3巻:
それぞれの徳に関する各論。
勇敢,節制

「「選択」ということは、われわれの力の範囲内に属することがらについての思量的な欲求であるといわなくてわならぬ。」(98頁)

4巻:
各論の続き。寛厚,豪華,矜持,穏和

「恥辱の生ずるごとき行為をそもそもなすべきではないと思われるからである。すなわち羞恥は、あしき行為について生ずるものである以上、よきひとに属するものとはいえない。」(168頁)

5巻:
正義、「宜しさ」について。

「正義がしばしば徳のうちの最もすぐれたものと考えられ……完全な徳にほかならない」「それがことさらに完全であるというのは、これを所有するところのひとは徳を他に対してもはたらかせることのできるひとであって、単に自分自身だけにとどまらないというところに基づいている。」(173頁)

6巻:
学,技術,知慮(実践的なもの),智慧,直知について

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Posted by ブクログ 2015年07月13日

アリストテレスって幸福を生きる基準においたんだ。
徳をつむ事など、まったく東洋の思想と同じじゃないか。ビックリ。

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Posted by ブクログ 2014年03月06日

プラトンよりは断然すき。しかし倫理を語るということがいかに難しいかがわかる。
さっき読んだ数学者と芸術家の本は数学と芸術が学問の最上階にあると語っていて、アリストテレスはすべての目的を統合するのは政治だといっていて....結局大事なのは自己肯定でありナルシスト感なのか、という結論に達した。
自分がよ...続きを読むければ、それで自分がその仕事をがんばれるならそれでいい。それがいい。
でも自分にとってもっと知りたい、その先がありそうなのは数学と生物と現代アートかな。

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Posted by ブクログ 2012年09月03日

授業で扱った。
初めて倫理学として成立した本がこれなら、これ以後の倫理は全部ここに帰結するのではないかと思ったほど完成されているように感じた。それ以後の倫理学を知らないので何とも言えないけれど。

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