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Posted by ブクログ
上巻、下巻すべて読み終わった後の感想を書きます。下巻の最後に解説があり、それを最初に読んでから本書を読み進めるとよかったかなと思いました。「二コマコス倫理学」という日本語タイトルについての注意点や(正確に言えば倫理学について語っている本ではないよという指摘)、また本書の重要概念である「エウダイモニア」についても、本書内では幸福という訳語が充てられていますが、むしろウェルビーイングというほうが近い、というような注釈がなされていました。
特に後者が大事かなと思うのですが、アリストテレスが「幸福」について語っていると思ってしまうと違和感を持つ個所が多々ありました。明らかに日本人の幸福感とは異なる価値観が展開されているからですが、「エウダイモニア」の概念をウェルビーイングだとして本書を読めば、かなり腹落ちすると思います。人間は知的卓越性だけでなく倫理的な卓越性を持たなければならない。そして倫理的な卓越性は日々の行動、実践によって培われていくこと、さらに何においても中庸こそがもっともすぐれたことなどが議論されています。そこで必要になるのは知慮(フロネシス)ですが、知慮は普遍的なものというよりは、場所や時期によってそのコンテクストを変えていく変幻自在の知であります。知的・倫理的卓越性にもとづいた日々の活動が最高の善、すなわちエウダイモニアにつながっていくということになります。2300年前の文書が現代においてもこれだけ読まれていることに驚愕すると同時に、その書かれている内容の普遍性についても驚愕を禁じえませんでした。
Posted by ブクログ
2300〜2400年?も前に生きていた人が書いた(講義した)ものとは思えない。資本主義も新自由主義も存在しないし国家(共同体)や経済の規模や概念も異なる、そんな時代での考察だけど、現代に生きる僕でも充分に共感や気付きを得られる内容が多かった。
徳のうち技術に関する話は自分の仕事感、また友愛(フィリア)に関する話は、自分の職場や家族との人間関係を改めて考えるきっかけになった。
ここまで共感出来るのは、この本が人間の本質を突いているからだろうか?それともアリストテレスの影響も受けつつ長年掛けて形作られた倫理・哲学世界の延長線を僕が生きてるからだろうか?
答えはわからないけど歴史や古典をもっと勉強したいと思われてくれる一冊だった。
因みに本の読解は難しかった。NHKの解説本(100分で名著シリーズ)やネットの解説を頼りながらなんとか読み進めた。
Posted by ブクログ
今年前半、プラトンを1冊、ギリシア悲劇を1冊と読んできたので、よっしゃ次はアリストテレスだ!
というわけで手に取ったのがこちら、『二コマコス倫理学』。
さて、はりきって読み始めてみたものの。
ううーーん、これ、難しい(泣)。
書かれている内容が難しい、というのではなく、もはや目で文字を追っても、脳が意味をとらえられなくて、ただただ文字が流れていくか、そのうち注意力を失って気がつくと眠りに落ちているかのどちらか。
うん。これは、あれだな。
自分がその本を読むための前提となる土台を有していないにもかかわらず、読んでしまった時におこる現象だなあ。
いきなり原著から読まないで、入門書か解説書にすれば良かったかなあ、と少し後悔しましたが、せっかく買ったので、わからないことを気にせず、割り切って読むことにしました。
こういう場合の私の割り切り方とは、文章を理解しようとせず、ただただ文字を一定のスピードで、あまりじっくり読むと眠くなるので早めに、淡々と流していきます。
そして、たまーに「お、なんか面白いかも?」と思う一文に出会ったら、素直に喜ぶ(笑)。
川底から砂金を見つけたかのように、その一文をゆっくり眺めて味わいます(砂金、探したことないけど)。
そんなこんなで、なんとか辿り着いた上巻のラスト。
この調子で、爽やかに、下巻に進みたいと思いまーす(汗)。
Posted by ブクログ
「二コマコス倫理学(上)」Aristotle
人は自分の知っている事柄については優れた判断をする事ができる。全てにわたって教育のある人は、無条件的な仕方においてのよき判断者である。
善には、外的な善、身体に関する善、魂に関する善の三つがあるが、魂に関する善が最も優れた善である。
幸福の為に決定的な力を持つのは卓越性(アレテー)に即する活動に他ならない。
幸福はあらゆる意味において究極の目的でなければならない。
アレテーには知性的、倫理的の二通りがあり、前者は教示に負うものであるから経験と歳月を要し、後者は習慣づけに基づく。
節制も勇敢も過超と不足によって失われ、中庸によって保たれる。
然るべき時に然るべき事柄について、然るべき人に対して、然るべき目的の為に然るべき仕方においてそれを感ずる事が、「中」的にして最善であり、徳である。
全ての活動(エネルゲイア)の目的は、その活動をせしめる時の状態(ヘクシス)の目的とするところと同じ性質である。
豪華な人は識者、達人のようなもの。ふさわしいところを観てとり、壮大な出費を調子の取れた仕方で果たす。
技術(テクネー)は好運(チュケー)を愛し、好運(チュケー)は技術(テクネー)を愛する。
Posted by ブクログ
目的論的な論法が鮮やか。
・最高善=究極の目的
・善=幸福(エウダイモニア)
・幸福=徳、卓越性(アレテー)を発揮すること
・アレテーを十分に発揮して幸福であるためには、究極の生涯=長期にわたる安定した生活を必要とする
・富や権力といった「外的な善」は、アレテーを発揮するために必要であるが、あくまで手段にすぎない
・幸福は学習や鍛錬によって得られる
何をもって善となすか、は結局のところ人によって「見えかた」が異なるのではないか?という重要な問いが立てられている(p134)。アリストテレスの回答は「徳も悪徳も随意的(本人の意思による選択)であるから、悪徳をなす人に責任がある」というもの。つまり人が身につけるべき徳がいかなるものかはあらかじめ決まっていて、悪徳をなす人は善い人になるための努力が足りないってこと?アリストテレスもまたプラトンのように生得的な「善のイデア」的なものを想定しているのだろうか。
以上の重要な論点は本書第1巻〜第3巻第5章に書かれている。中庸の徳について語られる部分(第3巻第6章〜第4巻)は、ほとんど世間一般の認識を記述しただけの“エッセイ”的なものであり、正義論的に参考にすべきかは疑問。
分配的正義・矯正的正義など「正義」がいかなるものかを論ずる第5章、アレテーと知性(真理認識)の5つの様式、すなわち技術・学・知慮・知慧・直知の関係を論ずる第6章で上巻は終わり。
Posted by ブクログ
経済学の教授が講義の中で、正義とは何かを考える上で必読の書の一つとして挙げていたのが、このアリストテレスの著作であった。
「徳」「善」等、キーとなる言葉の意味付けが、現代日本社会における意味付けと解離があるため、文脈の中でどのような意味付けで語られているかを考えながらでないと読めない。そのため意味が頭に入ってくるまでに時間がかかった。
中庸ということをアリストテレスは徳として説いているが、仏教や儒教でも「中庸」はキーとなる概念であり、その共通性が興味深い。
かのアレキサンダー大王も、師であるアリストテレスからこのような講義を受けていたのであろうか。
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