高田三郎のレビュー一覧

  • アリストテレス ニコマコス倫理学 下

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    下巻は抑制と無抑制、愛、快楽、そしてまとめがあります。そして本書の最後(第10巻)では観照的生活こそが最高の人生である、というような内容が中心になるのですが、正直苦笑いをしてしまいました。やはり根っからの哲学者だと。不遜な言い方ですが最終章にきて、アリストテレスがとても身近な存在に感じました。彼自身の好みのようなものがついに滲みだしてきたという感じでしょうか。本書全体を通じて、人間の生き方についての深い洞察と卓見を学ぶことができ、とても満足しています。また解説もきわめて有益でしたのでそちらもあわせて読むことをお勧めいたします(できれば上巻を読む前に下巻の解説を読んだ方がよい)

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    2023年05月02日
  • アリストテレス ニコマコス倫理学 上

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    上巻、下巻すべて読み終わった後の感想を書きます。下巻の最後に解説があり、それを最初に読んでから本書を読み進めるとよかったかなと思いました。「二コマコス倫理学」という日本語タイトルについての注意点や(正確に言えば倫理学について語っている本ではないよという指摘)、また本書の重要概念である「エウダイモニア」についても、本書内では幸福という訳語が充てられていますが、むしろウェルビーイングというほうが近い、というような注釈がなされていました。

    特に後者が大事かなと思うのですが、アリストテレスが「幸福」について語っていると思ってしまうと違和感を持つ個所が多々ありました。明らかに日本人の幸福感とは異なる価値観が展開されているからですが、「エウダイモニア」の概念をウェルビーイングだとして本書を読めば、かなり腹落ちすると思います。人間は知的卓越性だけでなく倫理的な卓越性を持たなければならない。そして倫理的な卓越性は日々の行動、実践によって培われていくこと、さらに何においても中庸こそがもっともすぐれたことなどが議論されています。そこで必要になるのは知慮(フロネシス)ですが、知慮は普遍的なものというよりは、場所や時期によってそのコンテクストを変えていく変幻自在の知であります。知的・倫理的卓越性にもとづいた日々の活動が最高の善、すなわちエウダイモニアにつながっていくということになります。2300年前の文書が現代においてもこれだけ読まれていることに驚愕すると同時に、その書かれている内容の普遍性についても驚愕を禁じえませんでした。

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    2023年05月02日
  • アリストテレス ニコマコス倫理学 上

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    ネタバレ

    古代ギリシアにおける代表的な倫理学の名著。
    万人の人生の究極の目的は、「幸福」すなわち「善く生きること」であるとし、このともすれば曖昧な概念を精緻に分析。
    ルネサンス以後も、西洋諸国の思想、学問、文化、人間形成に多大な影響を及ぼした。

    (※本書の要旨を一部引用。)

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    2021年09月20日
  • アリストテレス ニコマコス倫理学 下

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    この本は、読んでると、えッ・・・・!!なになになに???と思わず何度も聞き返してしまうような感じです。気になったところに付箋を貼っているのですが、多すぎて、付箋箇所をもう一度たどるのが億劫なくらいです。それでも今日は気になった箇所をもう一度見てたら「寛恕」という言葉を知りました。寛恕とは三省堂国語辞典によると、心が広くて思いやりがあること。また、あやまちなどをとがめずにゆるすこと。だそうです。本文中でも「・・・、寛恕に値することがらであろう。」と書かれてあります。なんかすごいな~って感じがします。

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    2017年07月01日
  • アリストテレス ニコマコス倫理学 上

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    現代人から見ても決して常識はずれではない、高度に洗練された幸福論です。2300年以上前に書かれたとはとても思えない。しっかりと読むコツは、独特の諸用語が持つ意味を、特に用語と用語の関係性に注意して、訳注を参考に着実に捉えていくことだと思います。たとえば「情態」と「性状」という2つの語は、日本語的には似ていますが、原語においてはむしろ対になる概念ですので、注意が必要です。

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    2016年01月17日
  • アリストテレス ニコマコス倫理学 上

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    倫理学を学ぼうと思ったらまず最初に必読の本。古代ギリシアにおいて最初の倫理学集成。ニコマコスが書いたのではなく、アリストテレスが書いたものを息子ニコマコスが編集した本です。

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    2009年10月04日
  • 決定版!高い声で歌える本

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     ある程度参考になるが、鵜呑みにするのは良くない。この手の本はいろいろな本があってそれぞれ違うことが書かれてたりして、どれをとりあえず正しいとするべきかわからない。でも一旦はこの本のことを正しいとしてみてボイトレしてみたいと思った。
     あと語りかけてくるような口調で書かれているが、自分はそれがちょっと読みづらかった。

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    2026年03月19日
  • アリストテレス ニコマコス倫理学 下

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    ネタバレ

    友愛と快楽について

    友愛
    「友とは、『第二の自己』である」
    恋愛関係から徳の友愛へと変化する
    外見判断→恋愛関係→内面判断

    快楽
    快楽は活動の「仕上げ」
    人間はポリス的動物である⇔セネカ

    上巻よりイメージ湧くから面白い

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    2026年02月06日
  • アリストテレス ニコマコス倫理学 上

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    ネタバレ

    あらゆる行為と選択は善を目的としてなされ、諸目的のうちには他のすべてを手段として統御する最高善(ト・アリストン)が存在する。
    そして人間の生は、この最高善を目標として秩序づけられる。

    アレテーは技術であり、意図的に反復される習慣により獲得可能である。

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    2026年01月28日
  • アリストテレス ニコマコス倫理学 下

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    下巻では悪徳の抑制、快楽、愛といったテーマについて論じられるが、上巻以上にアリストテレスの個性が鮮明に表れている。ギリシャの陽光のように明るく健康的な合理精神に貫かれており、剛毅で貴族的な香りが漂う道徳だ。奴隷制の有無という社会構造の違いもあるが、ニーチェが畜群道徳と罵倒したキリスト教の原罪を背負った陰気な内面性とは極めて対照的である。例えば快楽一般を否定するのではなく、善い活動に伴う快楽は好ましく、悪しき活動に伴う快楽が悪徳とされる。愛については有用性や快楽を求める愛よりも「人となり」そのものへの愛に高い価値がおかれはするが、愛に値するのはあくまで善き「人となり」である。ある意味で極めてエリート主義的であり、神の前の平等を前提としたキリスト教の隣人愛とは全く異質な愛と言える。

    訳文については決して読み易いとは言えないが、そんなに出来が悪いとも思えない。ただ一点だけ違和感が残るのは美を意味するκαλοs(カロス)に「うるわしい」という訳語を当てていることだ。この語のいかにも柔和で女性的な響きがアリストテレスの剛毅で男性的な思想に全く似つかわしくない。ロスの英訳ではnoble(高貴な、気高い)が当てられており、ニュアンスとしては遥かにこの方がしっくりくる。おそらくギリシャ的世界観では美醜と善悪の観念が不可分なのであろう。これは日本的な価値観と共通すると言えなくもないし、外面的な美と内面的な美を兼ねた言葉として「うるわしい」という訳語を当てたものと推察するが、辞書的な意味の対応関係を優先してニュアンスを大きく損ねた訳語選択の典型と言えよう。どうしても美の意味に拘るなら素直に「美しい」(西洋古典叢書シリーズの朴訳他)のほうがまだましである。全編に頻出する重要なキーワードだけに悔やまれる。

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    2023年12月29日
  • アリストテレス ニコマコス倫理学 上

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    2300〜2400年?も前に生きていた人が書いた(講義した)ものとは思えない。資本主義も新自由主義も存在しないし国家(共同体)や経済の規模や概念も異なる、そんな時代での考察だけど、現代に生きる僕でも充分に共感や気付きを得られる内容が多かった。

    徳のうち技術に関する話は自分の仕事感、また友愛(フィリア)に関する話は、自分の職場や家族との人間関係を改めて考えるきっかけになった。

    ここまで共感出来るのは、この本が人間の本質を突いているからだろうか?それともアリストテレスの影響も受けつつ長年掛けて形作られた倫理・哲学世界の延長線を僕が生きてるからだろうか?

    答えはわからないけど歴史や古典をもっと勉強したいと思われてくれる一冊だった。

    因みに本の読解は難しかった。NHKの解説本(100分で名著シリーズ)やネットの解説を頼りながらなんとか読み進めた。

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    2023年01月29日
  • アリストテレス ニコマコス倫理学 上

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    今年前半、プラトンを1冊、ギリシア悲劇を1冊と読んできたので、よっしゃ次はアリストテレスだ!
    というわけで手に取ったのがこちら、『二コマコス倫理学』。

    さて、はりきって読み始めてみたものの。
    ううーーん、これ、難しい(泣)。
    書かれている内容が難しい、というのではなく、もはや目で文字を追っても、脳が意味をとらえられなくて、ただただ文字が流れていくか、そのうち注意力を失って気がつくと眠りに落ちているかのどちらか。
    うん。これは、あれだな。
    自分がその本を読むための前提となる土台を有していないにもかかわらず、読んでしまった時におこる現象だなあ。

    いきなり原著から読まないで、入門書か解説書にすれば良かったかなあ、と少し後悔しましたが、せっかく買ったので、わからないことを気にせず、割り切って読むことにしました。
    こういう場合の私の割り切り方とは、文章を理解しようとせず、ただただ文字を一定のスピードで、あまりじっくり読むと眠くなるので早めに、淡々と流していきます。
    そして、たまーに「お、なんか面白いかも?」と思う一文に出会ったら、素直に喜ぶ(笑)。
    川底から砂金を見つけたかのように、その一文をゆっくり眺めて味わいます(砂金、探したことないけど)。

    そんなこんなで、なんとか辿り着いた上巻のラスト。
    この調子で、爽やかに、下巻に進みたいと思いまーす(汗)。

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    2020年09月14日
  • アリストテレス ニコマコス倫理学 下

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    (01)
    倫理を分析し,愛(*02)や政治への接続を思索した書である.特にそれはあるべき個人について語られ,徳や卓越性とされるアレテーが人間の状態をよりよい善に漸近させることを至高としている.もちろん社会における人間ということが前提となっており,その共同性や他者との関係から,主体のあるべき姿を探ってはいて,例えば,人間というあり方を,獣性(テーリオテース)や奴隷状態から峻別し,家政的(オイコノミコン)なものから政治や政治の場としての都市を抽出し,徳のある個人をこの場にある人間として考究している.
    ゆえに,現代の自己啓発本やセミナーなどの主張に,見合うような字句も本書から引っ張ってくることもできるのだろう.中庸というバランス感(*03)を大事にして,快楽,名誉,財貨,そして知や学のちょうどいい加減について語りかけている箇所は,現代でも実用的であるかもしれない.

    (02)
    親愛(フィリア)について考究された第8巻と第9巻はとりわけ面白く感じられる.この親愛は,男女間の性愛や家庭的な愛とは,かなり趣を異にする愛であり,同性間や仲間,あるいは国家的な愛や,知への愛(フィロソフィー,哲学)へも横断するような概念でもある.いってみれば古代的な人間関係の単位や集計として.また政治学(そして戦争学)と倫理学の接着剤として,かなり重要な提起であろう.
    知についての,直知,知慮,智慧,学などの整理も,近代の科学や学問を考える上でもおさえておきたいところである.また,「棟梁の位置にある者」としての歩きテクトーンも登場し,社会や善にある建築が標榜される.おそらくギリシア哲学の再考から始めたアーレントも語っている制作や活動への言及もある.運動の問題は,現代思想にも通じ,映像学への応用が可能だろう.そして,倫理にとっても重要な状態でもある観照(テオーリア)は風景学の視点場をなすに違いない.

    (03)
    バランスをどのあたりに調節するか,というのは実践であるとともに,今がどのあたりにあって,バランスされる全体を見通せる認識が必要であり,著者はその認識の方法や状態として知や学を位置付けている.
    しかし,エウダイモニアとされる幸福な状態や,そこから得られる幸福感については,ダイモンの存在を根拠としており,バランスは,知や学が水平的なパースペクティブにあるとすれば,ダイモンとの垂直的で直接的な関係によって人間が神に垂らされているような感覚と認識が想定されている.この神学的な場面と倫理という主題はいつも合わせて考えたい問題でもある.

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    2019年12月19日
  • アリストテレス ニコマコス倫理学 上

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    読み始めて慣れるまでは、やたらとややこしい…
    ああだこうだと分類されてなかなか頭に入ってこなかった。だがもう兎に角のところ読めばいいやって通読を心掛けたらなんとか読めた。
    古典的哲学書だと思ってたから敬遠してたけど、意外にも実用書ぽくってなんだか得した感じ…(^^ゞ

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    2018年06月20日
  • アリストテレス ニコマコス倫理学 下

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    「二コマコス倫理学(下)」Aristotle


    ユーダイモニアは人間万般の営みの究極目的。

    幸福は状態(ヘクシス)ではない。

    幸福とは、知性(ヌース)という最高の卓越性に即した行動。

    幸福には快楽の存在が必要であるとされるが、最も快適なのは、智慧(ソフィア)に即しての活動である。

    哲学はその純粋性と安定性の点において、驚嘆するに足る快楽を含んでいる。

    知性(ヌース)の活動はその真剣さにおいて勝り、活動それ自体以外のいかなる目的も追求せず、その固有の快楽を内蔵している。

    人間に固有なのは、知性(ヌース)に即しての生活に他ならない。

    知性(ヌース)の卓越性は肉体を離れた独立的な性格を持つ。
    倫理的な卓越性ほどには外的な給備を必要としない。

    ソロンが言う幸福な人とは、「外的なものをほどほどに給せられ、自らもって最もうるわしき事柄となすところを行い、節度ある仕方でその生涯を送ったひと」だが、実際にほどほどのものを所有しておれば、まさになすべき事をなしうる事ができる。

    幸福な人が、世人の眼には奇妙な人間として映ったとしても驚かない。

    ヌースに即した活動を行い、ヌースを大切にする人は最も善きありかたの人であると共に、最も神に愛される人。

    善とは、人間の目標とすべき最高善、究極的な善であり実現可能なもの。それは幸福に他ならない。

    ユーダイモニアの原義は「ダイモン(守護神)によってよく見守られている事。」であり日常的な意味は「好運」であったが、アリストテレスはこれを純化し、「人間の人間としての卓越性の具備を基盤とするところに基づく活動であり、その活動の為に必要ないかなる条件にも欠けていない事、そしてそれも全生涯に及ぶものであり、あらゆる意味において究極的、自足的たる幸福」とした。

    快楽(ヘドネー)は、ユーダイモニアに付帯する副産物。

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    2018年04月05日
  • アリストテレス ニコマコス倫理学 上

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    「二コマコス倫理学(上)」Aristotle

    人は自分の知っている事柄については優れた判断をする事ができる。全てにわたって教育のある人は、無条件的な仕方においてのよき判断者である。

    善には、外的な善、身体に関する善、魂に関する善の三つがあるが、魂に関する善が最も優れた善である。

    幸福の為に決定的な力を持つのは卓越性(アレテー)に即する活動に他ならない。

    幸福はあらゆる意味において究極の目的でなければならない。

    アレテーには知性的、倫理的の二通りがあり、前者は教示に負うものであるから経験と歳月を要し、後者は習慣づけに基づく。

    節制も勇敢も過超と不足によって失われ、中庸によって保たれる。

    然るべき時に然るべき事柄について、然るべき人に対して、然るべき目的の為に然るべき仕方においてそれを感ずる事が、「中」的にして最善であり、徳である。

    全ての活動(エネルゲイア)の目的は、その活動をせしめる時の状態(ヘクシス)の目的とするところと同じ性質である。

    豪華な人は識者、達人のようなもの。ふさわしいところを観てとり、壮大な出費を調子の取れた仕方で果たす。

    技術(テクネー)は好運(チュケー)を愛し、好運(チュケー)は技術(テクネー)を愛する。

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    2018年04月05日
  • アリストテレス ニコマコス倫理学 上

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    「ー」

    即時的に善きもの、善きもののゆえに善くあるところのもの
    子供も幸福ではない
    中庸は状態
    法律の問題は本性が原因

    ずっとニコマラス倫理だと思っていました。

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    2015年11月23日
  • アリストテレス ニコマコス倫理学 下

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    プラトンとは異なり、あくまで経験的な事実から逸脱しないように議論を進めるアリストテレス。一見、現実的で納得のいく議論を展開しているが、善悪の判断の源泉はどこに求められるか?については一応アプリオリなものとして、不問に付している(ように見える)。

    下巻のテーマは快楽と愛。

    第七巻
    正しい認識を有する人間は無抑制に陥らない、とするソクラテスの説を継承した上で、抑制・無抑制、節制・放埒の違いを記述する。

    放埒:選択的に肉体的快楽を追求すること
    無抑制:欲望に負けて快楽を追求すること
    抑制:欲情はあるが意識的に抑えること。
    節制:欲情がないゆえに快楽を追求しないこと。

    財貨・利得・勝利・名誉といった快楽は善であり、これらを追求すること自体は悪徳ではない、という冷静な主張がアリストテレスらしい。これらの善の追求が非難されるのは、追求の程度が常軌を逸するほど超過するときであると。

    またアリストテレスは、単に知識があるという状態だけではなく、実践する人が「知慮ある人」であるということを本書で繰り返している。

    第八巻
    愛は国内を結ぶ紐帯の役割を果たす。立法者たちが希求する「協和」とは、国民のあいだにおける愛・国政的な愛のこと。

    愛は三種類ある。すなわち、有用ゆえの愛、快適ゆえの愛、善ゆえの愛。前二者は自分のための善であり、移ろいやすい。相手の人となりゆえに愛し、相手のための善を相手のために願う愛が真の愛である。

    国政には三種類ある。すなわち、君主制、貴族制、ティモクラティア(制限民主制)。それぞれの逸脱した形態として、僭主制、寡頭制、民主制がある。

    アリストテレスは、国政についても愛と関連付けて論述する。君主の民衆に対する愛は、父の子に対する愛、すなわち優越者の愛。貴族の被治者に対する愛は、夫の妻に対する愛。ティモクラティアの愛は、兄弟の愛。僭主制には愛がない。民主制は民衆の共同性に基づいているから、ティモクラティアよりも多い愛がある。

    均等でない者の間においては、劣等者が優越者に対してより多くの愛・尊敬を示すことで均等となる。したがって、子は父に、民衆は君主に、他方よりも多く愛さなければならない。

    第九巻
    人は自愛的であるべき。ただし、ここで言う「自愛的」とは、自分のために財貨や名誉や肉体的快楽を過剰に追求することではなく、他の人よりも多く徳を身に付けようと努力し、自己のロゴス的な欲求を満足させようとすること。善い人が自愛的であれば、他の人をも利することができる。

    人間は社会的動物であり、他者と生を共にすることを本性としている。徳を発揮するには善を実践する相手が必要。相手の存在を知覚することが可能であることは、相手と生を共にする=談論や思考を共にすることによる。

    究極の幸福とは、認識を有する人の観照的な活動である。これは智慧を求める営みよりも優越する。政治や軍事の営みは立派ではあるが、「それ自体のゆえに望ましい活動」ではない。

    本書の最後は『政治学』の導入になっているとのこと。岩波文庫で読みたいので復刊してほしい(できれば新訳で)。

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    2015年03月05日
  • アリストテレス ニコマコス倫理学 上

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    目的論的な論法が鮮やか。

    ・最高善=究極の目的
    ・善=幸福(エウダイモニア)
    ・幸福=徳、卓越性(アレテー)を発揮すること
    ・アレテーを十分に発揮して幸福であるためには、究極の生涯=長期にわたる安定した生活を必要とする
    ・富や権力といった「外的な善」は、アレテーを発揮するために必要であるが、あくまで手段にすぎない
    ・幸福は学習や鍛錬によって得られる

    何をもって善となすか、は結局のところ人によって「見えかた」が異なるのではないか?という重要な問いが立てられている(p134)。アリストテレスの回答は「徳も悪徳も随意的(本人の意思による選択)であるから、悪徳をなす人に責任がある」というもの。つまり人が身につけるべき徳がいかなるものかはあらかじめ決まっていて、悪徳をなす人は善い人になるための努力が足りないってこと?アリストテレスもまたプラトンのように生得的な「善のイデア」的なものを想定しているのだろうか。

    以上の重要な論点は本書第1巻〜第3巻第5章に書かれている。中庸の徳について語られる部分(第3巻第6章〜第4巻)は、ほとんど世間一般の認識を記述しただけの“エッセイ”的なものであり、正義論的に参考にすべきかは疑問。

    分配的正義・矯正的正義など「正義」がいかなるものかを論ずる第5章、アレテーと知性(真理認識)の5つの様式、すなわち技術・学・知慮・知慧・直知の関係を論ずる第6章で上巻は終わり。

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    2015年02月14日
  • アリストテレス ニコマコス倫理学 上

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    経済学の教授が講義の中で、正義とは何かを考える上で必読の書の一つとして挙げていたのが、このアリストテレスの著作であった。
    「徳」「善」等、キーとなる言葉の意味付けが、現代日本社会における意味付けと解離があるため、文脈の中でどのような意味付けで語られているかを考えながらでないと読めない。そのため意味が頭に入ってくるまでに時間がかかった。
     中庸ということをアリストテレスは徳として説いているが、仏教や儒教でも「中庸」はキーとなる概念であり、その共通性が興味深い。
     かのアレキサンダー大王も、師であるアリストテレスからこのような講義を受けていたのであろうか。

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    2011年06月12日