軽部謙介のレビュー一覧
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金融政策を政党の、そして政府の最重要課題に明記したという点で異形の政策である「アベノミクス」。本書は、時事通信のジャーナリストである著者が、延べ約120人へのインタビュー、公文書、議事録、メモ、日記、備忘録など様々なソースを駆使して、「アベノミクス」という政策について、いつ、どこで、誰によって形成されていったのかの原点を記録しておこうという試みである。
安倍内閣を陰で操っているとも言われる今井尚哉秘書官の影がほとんど見えないなど、安倍内閣の政策決定過程の全てを明らかにできているとは思えなかったが、実力あるジャーナリストらしく、安倍内閣における政策決定の舞台裏を多角的かつ克明に描き出しているという感想を持った。政策決定過程のダイナミズム、また、政治家、経産省、財務省、日銀など、それぞれのプレーヤーの特性がよくわかって、興味深かった。 -
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本書は2022年12月発行なので、既に安倍元首相は退陣していたばかりではなく、凶弾に倒れ、亡くなられていたタイミングでの発行である。本の内容は、アベノミクスを振り返り、それが、途中で変質したとし、その背景を探ったものである。本書は、下記のように紹介されている。
【引用】
水面下で大きく構造転換していたアベノミクス。金融政策から財政政策へのシフトは、いつ、どのように起きたのか。日銀は何を考え、財政当局はどのように動いたのか。財政再建特命委員会や財政政策検討本部の全議事録を独自に入手、内部資料、各種証言なども材料に立案過程を詳らかにし、毀誉褒貶激しい政策を徹底検証する。
【引用終わり】
第二次安倍政権は、「三本の矢」という政策を軸に運営を開始した。「三本の矢」は、「大胆な金融政策(異次元の金融緩和)」「機動的な財政政策」「民間投資を喚起する成長戦略」である。政権当初、安倍元首相はリフレ派ではなく、どちらかと言えば、財政規律派であると少なくとも私は理解していたし、また、「成長戦略」も、これといったものは打ち出されずに、政策の中心は「異次元の金融緩和」であり、本書を読んでも、金融政策だけで、脱デフレが可能であると、政権に近い人たちは考えていたようである。
しかし、「異次元の金融緩和」は、うまくは機能しなかった。脱デフレが達成できたかどうかは、物価上昇率2%が達成できたかどうかで判断することと理解されていたが、それは、いつまで経っても達成されなかった。そのような中、「金融政策では」あるいは「金融政策だけでは」、脱デフレは達成できないと安倍元首相は考えるようになり、財政政策に舵を切ろうとしていた、その経緯と実際の動きを描こうとしたのが本書である。
安倍元首相は、「財政規律派」というよりは、「小さな政府派」だったのだと思う。それでも、増大する社会保障費用をまかなうために、2度に渡り、消費税増税を行った。「金融緩和」によって、お金をマーケットに余らせてインフレを起こそうとしたのであるが、財政は緊縮のまま、更には消費増税まで行ったため、消費が冷えてしまい、マネーに対しての需要が起こらず、景気は冷え切ったままだったというのが、「アベノミクス」の結果だったのではないだろうか。
コロナになり、ようやく財政出動を大幅に増やしたが、それも緊急避難的な対策であり、今では元に戻りつつある。
本書を読んでいて、安倍元首相が、もう少し早く財政を緩めるアクションを起こしてくれていたら、日本経済の姿も、少し違ったものになっていたのではないかな、と思ってしまう。 -
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大詰めを迎えるTPP交渉だがこれと似た交渉が行われたのが1993年のガット・ウルグアイラウンドの日米コメ交渉だった。協議開始から6年、期限とされる12/15に向けてジュネーブのガット本部では交渉が繰り返され多くの分野でメドがつき始めていた。しかし、コメは違った。
多国間交渉と言いながらそれぞれ2国間交渉の積み重ねで成り立っている。この時の焦点が日米のコメ市場開放だった。関係者の多くはコメは交渉期限ギリギリまで決着がつかないとみられていたが10/13日に日米が合意したとのスクープが流れた。「日本は関税化を認めない代わりに、ミニマムアクセスを受け入れる。」
当時の首相は細川護煕、一方のアメリカは1月にクリントン政権に変わったところだ。米国の関税交渉は通常USTR(通商代表部)が表に出るが、農業分野では生産者団体と密接な関係を持つ農務省が前面に出る。米国でも農業分野には手厚い保護が与えられており、多大な補助金が交付されている。消費が減った牛乳を支えた結果が大量に消費されるチーズを生んでいる。
クリントンは国内景気の回復を最大の公約にしており、「輸出を成長のエンジンにする」ためにラウンドの成功は必須のものだった。多くの人は日米欧がラウンドを主導するとみていたが、コメを抱える日本は何らのリーダーシップを示さずひたすら防御に徹していた。
米国は着々と日本のコメを研究していた。そしてコメ交渉を最後に残し他の分野を決着させ最後にコメ開放かラウンドから去るかを突きつけると言う戦略をとった。ブッシュ政権のとった「例外なき関税化」を捨てミニマムアクセスを認めさせるという方向に舵を切る。一方で通商法301条をちらつかせ、コメ開放を認めないなら対抗措置として日本製品の輸入に制裁を科すと揺さぶりをかける。
この年の特殊事情が冷夏によるコメ不足で、緊急輸入したコメは259万tとコメ開放反対派には大きな打撃を与えた。農水省は8月末には「関税化の猶予を条件にミニマムアクセスの受け入れやむなし」の結論を出した。関税化を認めるといくら高率であってもいつかは税率が下がる。それに為替によっても実質的な税率が変わるので政府としては認められない。ラウンドを壊さずに妥協する方法はミニマムアクセスを受け入れるしかなかったのだ。国内向けには政府は最大限の主張をしたが受け入れられず、やむなくガット事務局に調停を依頼する。そこで出てきたミニマムアクセス案を受け入れるという手順が重要視された。同時に進めていた政治改革法案成立のためにはコメ交渉の実態を明らかにして政治的な混乱を生み出すことはできなかったからだ。
10月のスクープについて米側は認めているが日本政府はこの合意を認めていない。過去に国会で拘束力はないものの3度にわたってコメの完全自給体制維持が全会一致で決議されている。結局政府は原則的には関税化を受け入れながらも、特例措置という文言を盛り込むことで国内的には関税化の導入は交渉により回避できるという言い訳を作った。米国やガットは特例を認めたのではなく、あくまで関税化の実施を先延ばししたと解釈している。条約が英文と日本語で違う意味に取れるというのは日本の外交の得意技だ。
ラウンド受け入れに伴い用意された対策費は6兆円、そのうち3兆円が農業農村整備事業に使われた。これはそれまで公共事業費で対策されたものと同じだ。1兆円の構造改革費もあるが構造が変わったとは思えない。