豊永浩平のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
タイトル「はくしむるち」がまったく覚えられないまま読み始めた。
90才前後のおじーを媒介にした物語だ。むるちとは、この小説内で「大蛇」として使用される。嵐のように圧倒的で、暴力装置そのものだ。紙漉きをしたばかりの白紙のようなまっさらな若者たちが、そのむるちに、いまも巻き込まれ続けている。
若かりしおじーが戦地としての沖縄で過ごしたころの暴力。現在に生きる主人公の大叔父として、いまの沖縄にこびりついた暴力を観測する視線。土地そのものに、暴力の記憶が染みついている。
おじーがまだ生きているうちの話であるという設定が、これを書かせたのだと思う。いまでなければ嘘になってしまう、虚構になってしまう -
Posted by ブクログ
「なーら白紙むるちぬわらばー」は琉球方言で「まだ白紙もどきの子ども」という意味。なかなかタイトルが覚えられなかったんだけど、意味がわかったから忘れなくなった。
最近歌舞伎を見ながら感じた、同じ日本語だから、まったく意味がわからないわけではない、でもすべてを言葉のまま理解することは難しいって感覚が、読んでいる最中に似ていた。
この若さでこれを書けるの凄い才能すぎる。太字とひらがなの使い方が独特。なんでこの単語をわざわざひらくんだろう?って箇所がままある。
以前ドラマ「フェンス」を見たときに、沖縄にはいろんな立場の人がいるから、それぞれを尊重するために、各々の環境や考えをわざとぼかして言語化 -
Posted by ブクログ
ネタバレ自分は沖縄出身じゃないから、外様の感想しか出てこないけれど、この本を読んだ沖縄に生きる人たちはどんな事を思うのだろうか。
現代と戦中戦後の時間が交差する手法は前作もやっていたけど本当にこれはすごいと思う。(これは写真表現にも似ているところがあると思っていて、さまざまな時系列の事物を一つの文脈に編んで世に提示する表現だ。写真家によってテーマはそれぞれあれど、この本にも似たものを感じた。)世界が地続きである事が直感的に感じられる。
そこに今回はぼくらやきみといった人称が混じる事で、一体だれがこの現実を見て語っているのかがわからなくなり、俯瞰的でありながら行生や修二など人物に潜っているような主観 -
Posted by ブクログ
同い年の書き手だった。やばすぎる。勝てなすぎる。もちろん同い年だからこそいろんな要素が刺さった、という側面もあるが。
ぼくたちの「傷」をめぐる本だった。ぼくたちは生きていくなかで様々なカルチャーや歴史に触れる。それらは単なる好みの問題ではなくて、自分の生き方とか、もっといえば傷によって何に触れるかを選んでいるような気がする。あるいは作り手たちはそうした傷を抱えながら自分の芸術作品をつくって、同時代の人や未来の人々に影響を及ぼしていく。
『AKIRA』もTHE NORTH FACEもTikTokも屋良朝苗も傷だ。時代の傷だ。僕たちとスレスレのところ確かに彼らは存在していたし、彼らがいる世界で -
Posted by ブクログ
ネタバレ2024年に『月ぬ走いや、馬ぬ走い』で群像新人賞を受賞した著者の2作目。ファミリー・ヒストリーに沖縄と戦争にかかる歴史を織り合わせていくスタイルは前作と同様だが、ポップカルチャーとストリート文化の援用がより前景化されていることが目を引く。
ストーリーは、戦時下の沖縄でも沖縄語を使い続ける徴として「赤インコ」と呼ばれた少年と、彼の死によって生きることができた修二の縁から始まった時間を縦軸に、その孫世代の少年少女が「高い壁」が立ちはだかる現代の沖縄の「生きづらさ」に取り込まれ、対峙していくかたちで展開する。酷い苛めの被害者だった行生がグラフィティ・アートの担い手として想像力にこの島に「タグ」 -
Posted by ブクログ
戦争や男性性といった圧倒的な暴力によって蹂躙されてきた/されている沖縄に堆積した声が語る少年少女たちの青春が痛みを伴って胸に重く響きました。と同時に、この物語は沖縄という限定的な土地だけで完結するものではなく、あらゆる場所に現在進行形で生きている未完と完成の狭間の子供たち=はくしむるち(白紙擬き)の傷と抵抗の物語でもあると私は思うのです。《対等じゃないのに、勝手に守るとか、守れないとかいって都合よく扱うのは、サギの言葉でしょ!?》。解放してくれた者が隠していた打算や傲慢さをあらわし新たな暴力として留まり支配しようとする苦しみの連鎖に、真のヒーローなどいないのだと絶望の中で絶望しながら、それでも
-
Posted by ブクログ
途中まで訳も分からず読んでたけど、暴力の描写から目が離せなくなって最後まで読み切れた。
戦中の沖縄語の描写が難しい、と少し忌避感を感じた。けど、言葉を奪われた当時の沖縄の人たちを逆説的に追体験できた。私の比じゃないくらい悔しかったし苦しかっただろうと思う。
沖縄の基地問題が解決していない現状、本土が沖縄に全てを負わせている態度は今も昔も変わらずそこにある。
沖縄での地上戦の歴史、暴力と地元から抜け出せない根深いアングラの構造。どれも実際にあったこと、あることで暗澹とした気持ちになる。
いとこのクリス累の友達の姉に起きた事件に示されたように、沖縄だけじゃなくて世界中にこういう暴力が蔓延っ -
Posted by ブクログ
戦争なんて、遠い昔の出来事。そんな風に思うことがいつもなんだけれど、世界や歴史や時間はずーっと繋がっているんだと思わされた作品。
奪う人間がいれば奪われる人間がいて、やる人間がいればやられる人間もいる。そういう社会や人間の渦の中に飛び込まずに生きていくというのは、もしかしたらすごく難しいことで、自分が「される側」として大きな傷を負わないでいることは、とても運が良いのかもしれない。それと同時に、知らぬ間に「する側」になってしまっている可能性は本当にゼロだと言い切れるだろうか。
飛び込むかどうか、巻き込まれるかどうかの分岐は、一体どこにあるのか。与えられた環境によるものなのか。生まれた場所で決