【感想・ネタバレ】はくしむるちのレビュー

あらすじ

デビュー作『月ぬ走いや、馬ぬ走い』で群像新人文学賞と野間文芸新人賞をダブル受賞した大型新人が、圧倒的な筆力で描く衝撃の長篇第一作!
暴力が支配する世界に、「ヒーロー」は現れるのか? 戦争の傷が刻まれたこの島で、新しい地図を描くための「戦い」がはじまる。

きみは沖縄に生まれ育ち、ウルトラマンに憧れるオタクになった。小中学校とエスカレートする「いじめ」を生き抜いたきみは、この島を分断する「壁」に向かって、ある「計画」を実行していく――。
沖縄の今を生きる少年少女と、80年前の戦場を生きた少年兵たち。ともに白紙のような彼らを呑み込んでいく巨大で残酷な暴力に、どう立ち向かうのか?現代と戦中戦後の時空を交差させて描く、鮮烈な青春小説にして、新しい世界文学の誕生!

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Posted by ブクログ

「なーら白紙むるちぬわらばー」は琉球方言で「まだ白紙もどきの子ども」という意味。なかなかタイトルが覚えられなかったんだけど、意味がわかったから忘れなくなった。

最近歌舞伎を見ながら感じた、同じ日本語だから、まったく意味がわからないわけではない、でもすべてを言葉のまま理解することは難しいって感覚が、読んでいる最中に似ていた。

この若さでこれを書けるの凄い才能すぎる。太字とひらがなの使い方が独特。なんでこの単語をわざわざひらくんだろう?って箇所がままある。

以前ドラマ「フェンス」を見たときに、沖縄にはいろんな立場の人がいるから、それぞれを尊重するために、各々の環境や考えをわざとぼかして言語化せずに共生するようなところがあるんだ(超意訳)という台詞があったのを思い出した。

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2026年03月07日

Posted by ブクログ

ネタバレ

自分は沖縄出身じゃないから、外様の感想しか出てこないけれど、この本を読んだ沖縄に生きる人たちはどんな事を思うのだろうか。

現代と戦中戦後の時間が交差する手法は前作もやっていたけど本当にこれはすごいと思う。(これは写真表現にも似ているところがあると思っていて、さまざまな時系列の事物を一つの文脈に編んで世に提示する表現だ。写真家によってテーマはそれぞれあれど、この本にも似たものを感じた。)世界が地続きである事が直感的に感じられる。

そこに今回はぼくらやきみといった人称が混じる事で、一体だれがこの現実を見て語っているのかがわからなくなり、俯瞰的でありながら行生や修二など人物に潜っているような主観も持ち合わせていて、今までにない体験だった。その正体も後半で解説されてまだ咀嚼しきれてないけれど、沖縄に眠る魂たち?がずっと見守っていたのだろう。

作中で現代の登場人物たちが抱える問題の解決はされず、暴力はどこかで息を潜めている。人は老いる。それでも誰かが誰かを、誰かの大切な何かを守ろうと、想い行動するということの力を感じた。

個人的に中盤まで読んでいて気がかりだったのは、頼りになる大人はローカルな人たちばかりで、学校の先生や警察みたいなソーシャルな大人は全く登場しないんだということ。もはやそれが普通になってしまった現代なのかもしれないけれど、行生がいじめられているあたりで全く先生や学校の描写がなくてオイオイと思っていたところに、終盤で円鹿が教師になりたいと言っていてそこで繋がってくるんだーとなった。

沖縄という土地、そこに住まう私たちはずっと誰の為にあるんだ?と戦中戦後から現代を貫いて掲げられた疑問に、さっき書いたローカルな繋がりが仄かに結びついている気がする。圧倒的な暴力が降りかかる円鹿と未佑のピンチにマンションの住人が気づいてくれたり、赤インコに波留ちゃんが帰ってきてくれたり。私たちには、私たちがいる、といった解答がある気がした。

タイトルのはくしむるちも内容にリンクしてさまざまなシーンで響きがある。白紙のスケッチブックに絵を描くこともはくしむるちで、沖縄という土地そのものが戦争で一度白紙になり、以後渦巻く暴力や支配の気配もはくしむるちだったりする。どうやったらこんな凄い本が書けるんだ。

一度沖縄に行って、戦争があったその地をこの足でこの目で実感しないとと、強く感じます。誰かを動かし、誰かの明日を照らす力がこの本には収められていました。

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2026年03月03日

Posted by ブクログ

同い年の書き手だった。やばすぎる。勝てなすぎる。もちろん同い年だからこそいろんな要素が刺さった、という側面もあるが。

ぼくたちの「傷」をめぐる本だった。ぼくたちは生きていくなかで様々なカルチャーや歴史に触れる。それらは単なる好みの問題ではなくて、自分の生き方とか、もっといえば傷によって何に触れるかを選んでいるような気がする。あるいは作り手たちはそうした傷を抱えながら自分の芸術作品をつくって、同時代の人や未来の人々に影響を及ぼしていく。

『AKIRA』もTHE NORTH FACEもTikTokも屋良朝苗も傷だ。時代の傷だ。僕たちとスレスレのところ確かに彼らは存在していたし、彼らがいる世界でぼくたちは(あるいは少なくとも私は)生きてきた。

ぼくたちが生きていくなかで、どうしようもなく醜かったり、愚かだったりするようなものも描かれていた。イジメもiPhoneもハメ撮りも傷だ。望むと望まざるとに関わらず、彼らはそこにいた。大江健三郎は文学によって傷を癒すことを求めたが、こちらではそうした目の前の傷から目ぇ背けんなよっていう協定を結ばされる感覚というか、ともかくそうした読み心地が楽しかった。

氾濫する固有名詞たちは、ピンチョン的な衒学趣味とか、あるいはHIPHOP的なサンプリングの態度に収まりきらない(無論そうした意味合いも充分にある)、自分の生き方の提示として必然のものだったと思う。

それから、よくもここまでたくさんの要素をとっ散らかることなくまとめ上げたなという感動もある。組踊、沖縄方言(こう呼んでいいのかわからないが)、米軍、ジュブナイル、太平洋戦争。章ごとや節ごとに語り手が二人称で物語を進める方法だからこそできたやり方なのかもしれないが。そうした方法論に関しては、ヴァージニア・ウルフを思い起こさせるものがあって面白かった。

それから、沖縄方言を使った書き方が、私には特に刺さった。丸谷才一は方言文学を認めなかったが、こうした書き手がいるということに大きな価値を感じる。何が標準語だよ、何が国家だよ、みたいな、カウンターとしての自己表明や芸術をする余地があること、に私は祈りたいと思う。

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2026年02月25日

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ネタバレ

 2024年に『月ぬ走いや、馬ぬ走い』で群像新人賞を受賞した著者の2作目。ファミリー・ヒストリーに沖縄と戦争にかかる歴史を織り合わせていくスタイルは前作と同様だが、ポップカルチャーとストリート文化の援用がより前景化されていることが目を引く。

 ストーリーは、戦時下の沖縄でも沖縄語を使い続ける徴として「赤インコ」と呼ばれた少年と、彼の死によって生きることができた修二の縁から始まった時間を縦軸に、その孫世代の少年少女が「高い壁」が立ちはだかる現代の沖縄の「生きづらさ」に取り込まれ、対峙していくかたちで展開する。酷い苛めの被害者だった行生がグラフィティ・アートの担い手として想像力にこの島に「タグ」を付けられるようになっていく一方で、行生を守るヒーローになりたかった端人、不良グループの末端でちょっかいを出し続けたことで行生に背負い投げを喰らわされたキサキの「出口のなさ」の方が印象に残るのは、若い人間に安直な希望を託さないという著者の固い決意のあらわれなのだろう。
 クライマックスの琉球舞踊の場面で、数百年続く女性たちの苦難を一身に引き受けたように倒れ込む少女のありようは、演じる身体の中に演じられた人々の記憶が流れ込んでいくという点で、町屋良平の『生きる演技』とも響き合う。

 異なる時間を生きた一族の生をサンプリングするようにつなぎ合わせた前作に比べ、息の長い描写や語りも多く取り入れられていて、著者としての挑戦の意気込みが感じられてすがすがしい。語り手が行生を「きみ」、修二を「お前」と名指していく語りの企みはあまりうまくいっているとは思えないが、著者が「書くこと」の地平を拡げたいという努力はひしひしと伝わってきた。

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2026年02月15日

Posted by ブクログ

小説。最初は何が何だかわからなかった。
構わず読み進めると、やっと沖縄の中学生が主人公であることがわかる。
暴力とセックスに明け暮れるヤンキーたちが描かれている。
しかし、突然終戦直前の沖縄が出てくる。ここにも暴力。ひめゆりにつながる。
さらに、ニュースになった、警棒で若者を失明させた、その場面が登場。

なんだか怒りにあふれている。消化しきれなかった

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2026年03月14日

Posted by ブクログ

戦争や男性性といった圧倒的な暴力によって蹂躙されてきた/されている沖縄に堆積した声が語る少年少女たちの青春が痛みを伴って胸に重く響きました。と同時に、この物語は沖縄という限定的な土地だけで完結するものではなく、あらゆる場所に現在進行形で生きている未完と完成の狭間の子供たち=はくしむるち(白紙擬き)の傷と抵抗の物語でもあると私は思うのです。《対等じゃないのに、勝手に守るとか、守れないとかいって都合よく扱うのは、サギの言葉でしょ!?》。解放してくれた者が隠していた打算や傲慢さをあらわし新たな暴力として留まり支配しようとする苦しみの連鎖に、真のヒーローなどいないのだと絶望の中で絶望しながら、それでも待ち続ける、あるいは奮い立たせ自ら立ち上がるしかない瞬間の孤独と寂寥に対して、そこに存在するものが無いという安穏を享受しているから、ではなく、同じ地面の上で生きている人間だからという順接で以って人は連帯するべきなのだと思います。作中でも言及されている『帰ってきたウルトラマン』の第三十三話「怪獣使いと少年」にこんなシーンがあります(以下ピクシブ百科事典より引用)。



雨の降りしきる中、良は商店街にパンを買いにやってきたが、パン屋の店主の女性は「後でいろいろ言われるの嫌なんだよ。悪いけどよそへ行っておくれ」とパンを売らなかった。とぼとぼと帰る良。

「あの子宇宙人なんだって」
「やあね気味悪い」
「悪さしなきゃいいけど……」

するとパン屋の娘が後を追い、彼にパンを渡したのだった。

「同情なんかしてもらいたくないな」
「同情なんかじゃないわ。売ってあげるだけよ。だってうちパン屋だもん」

良は初めて笑顔を見せた。



現実世界で誰かに接する時、自分は常に彼女のようにいられるだろうか?そんなことを読み終えたいま、込上げるものを抑えながら考えている。

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2026年02月26日

Posted by ブクログ

80年を隔てた2つの時代でもがく「白紙もどき」な若者達の青春物語。人称や方言の読みづらさも、細部のリアリティや勢いと熱量に煽られて気にならなくなった。理不尽な暴力は連鎖して、人間の理性の無力さが悲しく腹立たしいけれど、物語の結末の先には希望や光を感じた。

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2026年02月24日

Posted by ブクログ

月ぬ走いや、よりも格段に読みやすいがテーマが重い。沖縄で起きた戦争という暴力と地続きに現代で起きるいじめ、ネットの晒しという暴力が描かれる。暴力はどうしたら終わるんだろう、政治的なことはあまり考えないけど、今起きてることも踏まえ読んで考えさせられた。

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2026年03月01日

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