豊永浩平のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
[こんな人におすすめ]
*沖縄について詳しくない人
沖縄で暮らしてきた人たち、そして今も暮らしている人たちにはそれぞれの考えがあると思うので、この本を読んだからといって人々の気持ちが理解できるようになるわけではありません。ただ、(ネタバレを避けるため曖昧な表現になりますが)沖縄で当時起こったことや現代の社会問題について、沖縄で暮らしていない私たちは知らないことが多すぎるのだと愕然とします。
沖縄に行ったことがない人や、修学旅行や平和学習で広島・長崎を訪れたものの、沖縄については詳しく学ぶ機会がなかった人はもちろんですが、メディアやSNSを通じてある程度の知識があると感じている人も、おそらくほんの2割ぐらいしか理解できていないのではと思わされる一冊です。
[こんな人は次の機会に]
*場面転換に酔いやすい人、疲れが溜まっている人
過去と現在のシーンが交互に出てきます。場面がコロコロ変わるからこそ、現在のシーンが過去の出来事の延長線上にあることを実感しやすい構成になっています。一方、場面整理が苦手な人は少し混乱するかもしれません。
また、気持ちが落ち込む可能性が高いので、受け止めるだけの心の余裕がない人にはおすすめしません。ルパン三世でも観ましょう。 -
Posted by ブクログ
いやぁ、よく分からないけど凄かった。
何が凄いのか自分でもよく分からないけど、心にズンズン響くものがあった。
沖縄が抱えていた暴力と歴史の澱が呪いのようにつづく14人のモノローグ。誰が語っているのかも分からず、戦時下と現代が交互に巡り、土着の無数の人々の叫びが世代を越えて濁流のように押し寄せてくる。現代を生きる若者のリアルな息苦しさがとにかく刺さる。
特に、ガマへ肝試しへ行った際の出来事はまさに呪い。手に持っていたあの短刀は「そんなの持ってきたら絶対ダメなやつじゃん!」と背筋がゾクッとした。『呪術廻戦』の「両面宿儺の指」と同じ特級呪物。あれを手にしたのは偶然なのか、選ばれてしまったのか……。
そんな暴力と切ない歴史の果てに、ラストシーンで訪れる幼い二人が未来へと手を繋ぐ「光」と「救い」に鳥肌が止まらない。
著者は「大江健三郎を継ぐ者」ともいわれる若き天才。これがデビュー作というから驚きだ。2作目の『はくしむるち』本屋へGO! -
Posted by ブクログ
ネタバレ自分は沖縄出身じゃないから、外様の感想しか出てこないけれど、この本を読んだ沖縄に生きる人たちはどんな事を思うのだろうか。
現代と戦中戦後の時間が交差する手法は前作もやっていたけど本当にこれはすごいと思う。(これは写真表現にも似ているところがあると思っていて、さまざまな時系列の事物を一つの文脈に編んで世に提示する表現だ。写真家によってテーマはそれぞれあれど、この本にも似たものを感じた。)世界が地続きである事が直感的に感じられる。
そこに今回はぼくらやきみといった人称が混じる事で、一体だれがこの現実を見て語っているのかがわからなくなり、俯瞰的でありながら行生や修二など人物に潜っているような主観も持ち合わせていて、今までにない体験だった。その正体も後半で解説されてまだ咀嚼しきれてないけれど、沖縄に眠る魂たち?がずっと見守っていたのだろう。
作中で現代の登場人物たちが抱える問題の解決はされず、暴力はどこかで息を潜めている。人は老いる。それでも誰かが誰かを、誰かの大切な何かを守ろうと、想い行動するということの力を感じた。
個人的に中盤まで読んでいて気がかりだったのは、頼りになる大人はローカルな人たちばかりで、学校の先生や警察みたいなソーシャルな大人は全く登場しないんだということ。もはやそれが普通になってしまった現代なのかもしれないけれど、行生がいじめられているあたりで全く先生や学校の描写がなくてオイオイと思っていたところに、終盤で円鹿が教師になりたいと言っていてそこで繋がってくるんだーとなった。
沖縄という土地、そこに住まう私たちはずっと誰の為にあるんだ?と戦中戦後から現代を貫いて掲げられた疑問に、さっき書いたローカルな繋がりが仄かに結びついている気がする。圧倒的な暴力が降りかかる円鹿と未佑のピンチにマンションの住人が気づいてくれたり、赤インコに波留ちゃんが帰ってきてくれたり。私たちには、私たちがいる、といった解答がある気がした。
タイトルのはくしむるちも内容にリンクしてさまざまなシーンで響きがある。白紙のスケッチブックに絵を描くこともはくしむるちで、沖縄という土地そのものが戦争で一度白紙になり、以後渦巻く暴力や支配の気配もはくしむるちだったりする。どうやったらこんな凄い本が書けるんだ。
一度沖縄に行って、戦争があったその地をこの足でこの目で実感しないとと、強く感じます。誰かを動かし、誰かの明日を照らす力がこの本には収められていました。 -
Posted by ブクログ
戦争や男性性といった圧倒的な暴力によって蹂躙されてきた/されている沖縄に堆積した声が語る少年少女たちの青春が痛みを伴って胸に重く響きました。と同時に、この物語は沖縄という限定的な土地だけで完結するものではなく、あらゆる場所に現在進行形で生きている未完と完成の狭間の子供たち=はくしむるち(白紙擬き)の傷と抵抗の物語でもあると私は思うのです。《対等じゃないのに、勝手に守るとか、守れないとかいって都合よく扱うのは、サギの言葉でしょ!?》。解放してくれた者が隠していた打算や傲慢さをあらわし新たな暴力として留まり支配しようとする苦しみの連鎖に、真のヒーローなどいないのだと絶望の中で絶望しながら、それでも待ち続ける、あるいは奮い立たせ自ら立ち上がるしかない瞬間の孤独と寂寥に対して、そこに存在するものが無いという安穏を享受しているから、ではなく、同じ地面の上で生きている人間だからという順接で以って人は連帯するべきなのだと思います。作中でも言及されている『帰ってきたウルトラマン』の第三十三話「怪獣使いと少年」にこんなシーンがあります(以下ピクシブ百科事典より引用)。
雨の降りしきる中、良は商店街にパンを買いにやってきたが、パン屋の店主の女性は「後でいろいろ言われるの嫌なんだよ。悪いけどよそへ行っておくれ」とパンを売らなかった。とぼとぼと帰る良。
「あの子宇宙人なんだって」
「やあね気味悪い」
「悪さしなきゃいいけど……」
するとパン屋の娘が後を追い、彼にパンを渡したのだった。
「同情なんかしてもらいたくないな」
「同情なんかじゃないわ。売ってあげるだけよ。だってうちパン屋だもん」
良は初めて笑顔を見せた。
現実世界で誰かに接する時、自分は常に彼女のようにいられるだろうか?そんなことを読み終えたいま、込上げるものを抑えながら考えている。 -
Posted by ブクログ
●感想
沖縄の若者たちは、今も昔も、それぞれの時代の条件の中の暴力と戦っている。
●本概要
デビュー作『月ぬ走いや、馬ぬ走い』で群像新人文学賞と野間文芸新人賞をダブル受賞した大型新人が、圧倒的な筆力で描く衝撃の長篇第一作!
暴力が支配する世界に、「ヒーロー」は現れるのか? 戦争の傷が刻まれたこの島で、新しい地図を描くための「戦い」がはじまる。
きみは沖縄に生まれ育ち、ウルトラマンに憧れるオタクになった。小中学校とエスカレートする「いじめ」を生き抜いたきみは、この島を分断する「壁」に向かって、ある「計画」を実行していく――。
沖縄の今を生きる少年少女と、80年前の戦場を生きた少年兵たち。ともに白紙のような彼らを呑み込んでいく巨大で残酷な暴力に、どう立ち向かうのか?現代と戦中戦後の時空を交差させて描く、鮮烈な青春小説にして、新しい世界文学の誕生! -
Posted by ブクログ
途中まで訳も分からず読んでたけど、暴力の描写から目が離せなくなって最後まで読み切れた。
戦中の沖縄語の描写が難しい、と少し忌避感を感じた。けど、言葉を奪われた当時の沖縄の人たちを逆説的に追体験できた。私の比じゃないくらい悔しかったし苦しかっただろうと思う。
沖縄の基地問題が解決していない現状、本土が沖縄に全てを負わせている態度は今も昔も変わらずそこにある。
沖縄での地上戦の歴史、暴力と地元から抜け出せない根深いアングラの構造。どれも実際にあったこと、あることで暗澹とした気持ちになる。
いとこのクリス累の友達の姉に起きた事件に示されたように、沖縄だけじゃなくて世界中にこういう暴力が蔓延ってる。
ただ見ないふりをしないこと、行生が徐々に立ち上がったように「ヒーロー」になれなくても、「ヒーロー」に憧れること、自分の痛みや誰かの痛みを無視しないこと、物語の力を借りること、ずっと誰だから分からなかったこの語り手から、そういう警告のようなものを受け取った。
ノンフィクションだけど、「ヤンキーと地元」も読んでみたい。 -
Posted by ブクログ
戦争なんて、遠い昔の出来事。そんな風に思うことがいつもなんだけれど、世界や歴史や時間はずーっと繋がっているんだと思わされた作品。
奪う人間がいれば奪われる人間がいて、やる人間がいればやられる人間もいる。そういう社会や人間の渦の中に飛び込まずに生きていくというのは、もしかしたらすごく難しいことで、自分が「される側」として大きな傷を負わないでいることは、とても運が良いのかもしれない。それと同時に、知らぬ間に「する側」になってしまっている可能性は本当にゼロだと言い切れるだろうか。
飛び込むかどうか、巻き込まれるかどうかの分岐は、一体どこにあるのか。与えられた環境によるものなのか。生まれた場所で決まるものなのか。自分で自分の道を選ぶにはどうしたらいいのか。でも選んだ道が正しいという保証はなくて、その「正しさ」ですら与えられた環境で決まってしまう気がする。つまり受け身でいるしかないのか。そうなったとき、そうなった人たちを助けてくれるのは「オフィシャル」な存在ではないんじゃないか。自分は自分や大切な人たちの心や体を守るすべを持っているだろうか。
2026.3.11