間宮改衣のレビュー一覧
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間宮さんの本は紙で欲しいと思ったので紙で購入。帯にあるとおり父親の話だった。これは自伝的小説?なのでしょうか。「コロナ禍だから仕方ない」というのはあの当時よくわたしも言い訳に使っていたから気持ちがよくわかった。でもほんとうに仕方ない部分もあるわけだし…って。
子どもの目から見た父親と、妻から見た夫、がん患者として集いの中心人物に立つ男、ぜんぶ同じ人間なのに別人に思えるのは当然だよねと思う。人は立場によって顔を使い分けるものだし。父になにもしてあげられなかったという罪悪感を認めることで次に歩き出せるようになったのかな。子どもとしての自分が成仏してからのこの人の書く小説が読んでみたい。
うつ症状の描写がリアルで(自分はうつになったことないのですが)読んでて苦しくなりました。 -
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ネタバレひらがなで埋め尽くされた「ここはすべての夜明け前」が衝撃的なSFだったので、次回作はどうなるのかと読んでみたら、まさかの私小説。間宮さんのこの間のしんどさを知ることとなりました。
書くことだけが楽しかった子供の頃の自分、要領が悪く自分に似てると思ったのにがん患者の会では慕われていた父、高慢ちきな嫌な女と憎んでいたのに話してみたら愛おしく思えた母、最後の最後、なんとか過去の自分に落とし前をつけられたのかな、と思いたい。
次に間宮さんが何を書いてくれるのか。作品紹介にあるように、この作品が「跳躍作」となってくれることを切に願います。
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先日読んだ『ここはすべての夜明けまえ』に甚く感動し、すみやかに購入した本。前評判に触ることはなかったが、ただ「私小説」であることを何かで見た。私の中では田山花袋と西村賢太が想起されるのだが、そのためか露悪的・破滅的な印象を私小説という言葉から連想してしまう。この小説についてはそんなことはなかったが。
志賀直哉『和解』村上春樹『猫を棄てる』太宰治『故郷』など、父をめぐる話は多い。家族の構成員という固定的な視点から見た父親像が、フリーズドライの味噌汁に湯をかけるように溶けてゆく感じ。法事で初めて会った人から、故人の意外な側面を知るというアレ。
でも、この小説は、うまく溶けきらない感じが、ちょっと変わっている。というか、肉親であろうと結局他人で、その人をまるまる知ることがないままお別れの時を迎えるんだろうな、と感じた。そうでなければ、法事で意外な側面を知るなんてことはないわけで。
だから、父の死を目前に父と正面から向き合わなかったこの小説の主人公も、別に、まぁ、そんなもんだよなと思う。実は当たり前のことしか描いていない小説。でも、この小説を読まなかったら、私はそんな当たり前のことに気が付かなかったかも知れないな。 -
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二一二三年十月一にちここは九州地方の山おくもうだれもいないばしょ、いまからわたしがはなすのは、わたしのかぞくのはなしです──。
冒頭はかなりひらがな混じりでの構成に手こずってたけど、特に一章の終わりあたりから『主人公=___ちゃん』のキャラクターの輪郭のようなものが、徐々にくっきりと見えて来たように思えて、その辺りから物語の核心へ凄まじい引力によって引き摺り込まれていくように感じた。
そしてそれらは全体として、徐々に自身の葛藤やアイデンティティ、そして自己愛が整理されていく様も、一章から三章に向かう中での文体に表現されていたんだと思う。
『ここがすべての夜明けまえ』というタイトルは、間違いなくこのタイトルしか有り得ないと、そう思えるくらい、物語の全てを経て『主人公=___ちゃん』の『これまでの人生=夜』からの旅立ちを描いていたんだなと思える結末だったなー。
いやー、面白い作品だった。
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いやだったこと、いたかったこと、
しあわせだったこと、あいしたこと、
一生わすれたくないとねがったこと
◇老いない身体を手に入れた彼女の家族史
2123年10月1日、九州の山奥の小さな家に1人住む、おしゃべりが大好きな「わたし」は、これまでの人生と家族について振り返るため、自己流で家族史を書き始める。それは約100年前、身体が永遠に老化しなくなる手術を受けるときに父親から提案されたことだった。
かいていったらなっとくできるかな、わたしは人生をどうしようもなかったって。 -
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著者の前作『ここはすべての夜明け前』が好きで、こちらも期待して読んだ。
ありきたりではない家族のストーリー。
精神的に弱さを抱える織香が、父の死をきっかけに自分、父親、母親のことを見つめ直す。
そこで初めて知る、親のよその顔。もしくは本当の顔。だんだんと家族の輪郭が浮き上がってくる。
淡々と書かれる日常の苦しさに、読んでいてこちらも苦しくなる。しかし飾らない言葉で書かれたそれらは、深く心に響いてくる。
何か大きな盛り上がりがあるわけではない作品だけど、私には興味深い話でおもしろかった。
最後は希望をのぞかせる内容で、これが家族のリアルな姿かも知れないと思った。
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ディストピアSF小説である。父親から寵愛と性的虐待を受けて育った主人公が、安楽死を希望したものの「融合手術」を受けることとなり、機械の身体を手にしたことで父親の執着からは逃れるが家には囚われたまま、兄姉、そして恋人となった甥を看取って100年を過ごす。人類という種の未来という意味でも、個人が経験する生涯という意味でも、紛うかたなきディストピアSF小説である。
だが、まさにディストピア、反理想的な世界と人生でありながら、そこを生き抜き機械の寿命を目前に主人公がたどり着いた場所が「すべての夜明けまえ」だということ、その、希望にあふれたというより希望の予感だけを与えてくれる静かな暗さ、陽がこれから昇るのか沈むのか受け止め方次第のようなかすかな希望の気配が、読後感をあたたかな救いあるものにしている。
融合手術を受ける前からどこか人間的な感覚を失っていたように(本人の記憶データに基づく回想によると)感じられる主人公に、悲しみという感情はほぼない。父親、兄、姉、とその死を見届けても、その眼差しの中に悲しみはない。けれど、そんな主人公が胸のうちに育てた「悔い」は強く、深く、他の感情が薄いがゆえに、とても人間的なものとして伝わってくる。
搾取が搾取を生み、束縛は束縛を生む。人は愛されたようにしか愛せない、のかもしれないが、延命のために体内に入れたチップが宿主の自殺を予測できないように、遺伝や刷り込みの輪も人の意志の前では絶対的なものではない。生きるとはきっと、「管理」されることも含め、「定め」や「役割」からいかに自分を解き放っていくか、その闘いの先にこそ現出するものなのだ。
九州の山奥の、家に縛られた女性であった主人公が、寿命を迎えつつある機械の身体で捨て去られた日本をゆっくりゆっくり歩いていく。飛び立つ宇宙船に背を向けて、出会う人があればおしゃべりしたいと願いながら、一歩一歩、「前」だと思える方へ進んでいく。前進していく。それは確かに、日没ではなく夜明けの、夜明けまえの情景だと感じた。 -
Posted by ブクログ
SF小説。
九州の山奥に住む「わたし」は、父も兄妹も甥も死んでしまって、一人になって家族史を書くことにした。
お母さんはわたしを産んで亡くなってから、お父さんはわたしに執着するようになり兄と2人の姉は私のことを嫌い、わたしも自分がこれ以上生きていくことをやめたかった。
生きることをやめたいことをお父さんに話すと、融合手術を受けることを勧められ、わたしは脳をもつロボットとなって、人よりも長く生きることになった。
お父さんや兄と2人の姉がどういう風に死んでいったのか、甥であり恋人となったしんちゃんの最期。
ロボットとなったわたしとは別の人に話すことで気づいた、かつてお父さんにされたようなことを、しんちゃんに無意識のうちにしていたことへの懺悔。
SFだったんだ。読んでから気づいた。