【本書のまとめ】
1 戦後の民主主義革命
敗戦した日本に対するアメリカの一連の改革は、「上からの民主主義革命」であった。アメリカの占領軍は解放軍という好意的な言葉で呼ばれていたが、これは戦後の日本の軍人官僚の大部分が保身に走ったり、目下で進行する貧困と無秩序に何の関心も払わなかったりしたことが遠因になっている。この「贈り物」は日本人自らの力で得たものでは無かった。
日本占領下における米国の目標は、比較的おだやかな軍事化と政治改革のための占領であったが、次第に民主主義へと誘導するような史上例のない実験的占領へと変質した。戦争の勝者がこのような大胆な企て――敗戦国の政治、社会、文化、経済を編みなおし、しかもその過程で一般大衆の考え方そのものを変革する――をすることは、法的にも歴史的にも前例がなかった。
何故こうしたラディカルな改革が成功したのか?それは、米国が多少救世主のような情熱を持っていたからだと考えられる。この東洋の敵は、ドイツと違って封建的で西洋化されていない未発達の国である。この敵を啓蒙することには、健全で新しい行動規範を創造しようとする強い情熱が備わることになる。ここに国際法上先例のない行為が正当化される土壌が生まれ、その行為によって得られる「宣教師的感覚」がアメリカを動かしていた。
このアメリカの野心は、憲法の自由主義化、婦人参政権、労働組合運動促進、教育の自由化、財閥解体など、種々の改革によって、日本国民にも知れ渡ることになった。
これらは「上からの革命」である。歴史上類を見ない、軍事政権主導のトップダウン式革命は、日本人の希望に火をつけ、日本人の想像力を刺激した。かつてなかったほどの個人の自由と民主的表現が花開き、古い日本社会の権威主義的な構造が瓦解した。
2 降伏直後の日本人の精神状態
降伏直後の日本人には疲労と絶望が広がり、「虚脱」が見られた。
負け戦を何年も戦い続けた弊害として日本の食糧生産は壊滅しており、人々は日々の食糧にありつくだけでも大変であった。闇市は拡大し続ける一方失業は深刻で、インフレの進行と飢餓の蔓延が起こったにもかかわらず、日本政府は何もしなかった。この時期の窮乏と虚脱は1949年ごろまで続くことになる。
虚脱の原因は、敗戦の衝撃(崇高な目的意識の喪失)だけではない。それは戦争による疲労と民衆の戦意低下が、戦後の指導層の無能とあからさまな腐敗によって増幅されたためであった。戦後の混乱期に乗じて私腹を肥やす指導層が後を絶たず、軍人や官僚による軍需物資の横領が相次ぎ、それを闇市に流して莫大な利益を得ていた。
未曽有の混乱のなかで、日本に独特の人種的・文化的な「和」だとか「美徳」だとか「家族的団結」といった立派な志は、すべて中身のない噓っぱちであったことがあきらかになった。
3 敗北の文化
①パンパン
アメリカが偉大な理由は、それがとてつもない金持ちだったからであり、多くの日本人にとって「民主主義」が魅力的だったのは、それが豊かになる方法のように見えたからだ。
こうした米兵を相手にする「パンパン(米兵向け売春婦)」が数多く生まれる。もともとは米兵が日本人女性を強姦することを防止する目的であり、日本政府の非公式な後ろ盾を受け斡旋された人々がパンパンの職についた。何せよ米兵にすり寄れば金が貰えるため、パンパンたちは少々特異な意味で、戦後日本の物質第一主義と消費至上主義の先駆者であったと言える。
大挙してやってきたアメリカ人の頭の中では、こうした現状を受け、日本自体が女性的だという考えが生まれた。敵である日本人は、撲滅対象の獣のような人間から、手に取って楽しむ従順な異国の人間へと、驚くほど突然に変貌したのだ。国家同士の関係が男女の関係に変換されて表現されていた。
②闇市
闇市ではヤクザによる縄張りが形成されていた。闇市には買えないものがない。ヤクザは周辺一帯の店からショバ代をしょっ引いて儲けを得るのと同時に、ごみ処理や建設業など治安を維持するのに役立った。
③カストリ文化
カストリとは安くて質の悪い、混ぜ物を入れた酒のことである。転じて、低俗でいかがわしい趣向を前面に打ち出した文化を「カストリ文化」といい、1950年代になっても時代の一角に栄えていた。
肉欲・退廃が蔓延する低俗な世界であったが、この世界の住人は、パンパンや闇商人と同じように、古い権威や根拠のない独断からの解放を人々に強く印象付けるような熱気と活力を持っていた。
カストリ文化を代表するのはなまめかしい性的対象としての女性である。セミヌード線画の雑誌、ストリップショーなど、放蕩とエロチシズムはさまざまなレベルに現れていた。
4 言論
敗戦から数週間で、出版、放送、映画といった分野で、敗戦の暗さを吹き飛ばすような明るさが見え始めた。戦後の日本の中心的な発想のひとつは、ほかならぬ「刷新」であったからだ。なじみのある言葉や以前からの発想を、これまでとは違うふうに利用することで、戦争言論から平和言論への移行がスムースに行われた。
5 革命
日本人にとって「上からの革命」はけっして珍しい経験ではない。19世紀半ばからずっと、支配層は民衆に対して産業化・近代化・西洋化を進め、新たな国家の新たな臣民になれと解き続けてきた。アメリカの改革者たちによる日本占領が成功した理由の一つがこれである。
端的に言えば、日本人は権威主義的だったのだ。そのため、「最高司令官ダグラス・マッカーサーは偉大であり、それゆえ、民主主義も偉大なのだ」というのが大多数の日本人の反応であった。
征服者の軍隊は一人ひとりが法外な権威を持っていた。空襲で焼け残った東京の地に建てられた「リトル・アメリカ」には、外の世界の荒廃ぶりとは対照的に、アメ車が行き交い、米国軍人向けの商品を潤沢に扱う店が軒を連ねていた。
勝者は出版を検閲し、メディアを掌握し、特権階級を作り上げた。言うならば、かつての西欧列強が世界に覇権を拡大していく際に伴っていた、人種差別的な教化の焼き増しが繰り返されたのだ。
占領政策は、すでに存在している日本の政府組織をつうじて「間接的」に行われた。占領軍は日本を直接統治するだけの言語能力と専門能力に欠けていたからだ。
日本の軍事組織は消滅したが、官僚制は手つかずのままであり、天皇も退位しなかった。アメリカの植民地総督は、自分達が出した指令を遂行するのに、現地のエリート官僚層に頼り切っていたのだ。その結果、SCAP(連合国軍最高司令官)の庇護を受けた日本の官僚は、戦争に向けて国家総動員を進めていた絶頂期よりも、実際にははるかに大きな権限と影響力を獲得したのである。
対して日本人は、はるかにすばやく民主主義を受け入れた。あらゆる階層の日本人が、それまで天皇にしか抱かなかった熱狂をもって、最高司令官を受け容れ、敬意と服従をGHQに向けるようになったのだ。
知識人の間では、社会の広範な分野で活動する人々が、さまざまな形でマルクス主義を受容していた。多くは、公式的なマルクス主義を乗り越えて、あらゆる真の民主主義革命の基礎を成すと信じられていた「近代的自己」や「近代的自我」、あるいは「近代人の確立」をめぐる根本的な問題を提起していた。
一般人の間では、草の根から民主化運動が起こり始める。女性参政権の付与、学生運動の機運の高まりなど、政治的な意見の交換があちらこちらで行われるようになり、ラジオ等のメディアは、草の根の人々が「民主主義を受け容れるとはどういうことなのか」を考えるのに役立つ事件や活動を根気強く報道した。
労働法、教育改革、女性参政権など、これらの諸改革には、たとえGHQが日本政府に一方的に命令できる優越的立場にあったことを考慮しても、日本人自身の積極的な関与があった。日本人は因習を打破し改革を積極的に受け容れる姿勢が出来ており、それゆえ徹底した仕事を成し遂げたのであった。占領軍の要求が、日本の抑圧的なシステムに風穴を開け、人々に自由に意見を表明させる礎になったのだ。
6 労働者革命
アメリカは日本の政治的自由化と社会改革を推進したが、「経済再建」という点では、積極的な役割を果たそうとしなかった。これが急進的な政治活動を盛り上げる環境を作り上げることになる。
当時、インフレの影響はかなり深刻で、ホワイト・カラー層とブルー・カラー層の賃金格差が縮小し、ホワイト・カラー層の労働組合加入が目立つようになる。労働組合の組織化が急速に進んだのは、かつて総力戦への動員のために労働者がさまざまな会社や産業レベルで組織されていたという事情があったからだ。個々の企業の従業員が自主的に、事務所や工場、鉱山を占拠し、生産管理闘争を行っていた。
1946年当時は、赤旗の意味は革命や共産主義というよりも、経済的受難による労働運動を連想させるものであった。1946年5月19日には、配給制度の不備に抗議する主婦たちが皇居をめざして行進する「食料メーデー」が起こった。と言っても、食糧危機を克服し政治家や官僚の堕落を正すよう、また民主革命を指導してくれるよう、「天皇にお願いする」という内容の運動であり、このうえない思想の混乱と茶番劇であったのだが。
その後、アメリカからの食糧輸送によって、5月中旬に予想された深刻な食糧危機は回避されたものの、激しいインフレは収まらず、1947年2月1日、共産党と左翼勢力によって二・一ゼネストが計画された。しかし、前日にマッカーサーが介入し、ストを中止に追い込んだ。
労働組合と左翼は日本の民主化に実に多大な考えを、つまり政治的思考や急進的な試みも居場所が与えられ得るということを、身をもって証明したのであった。
【感想】
これは面白い!
「戦後」という日本社会の一大転換期において、当時の庶民社会ではどのような現象が起こり、人々は敗戦をどのように受け止めたのか?平和の侵略者たる日本が秩序を回復し、民主主義思想を簡単に受け容れる従順な民となるには、いかなるプロセスを辿ったのか?GHQの占領政策、日本政府の対応、経済状況、市井で勃興したサブカルチャーなど、多角的な角度から戦後の検証を試みる本である。
とある出来事が起こった時――とりわけその事象の社会的インパクトが大きければ大きいほど――、そこに暮らしていた人々の感情の変化は見逃されがちである。社会に起こった衝撃を後世の人々が検証するときは、線よりも点で、ミクロよりもマクロな視点で物事を俯瞰的に捉えてしまう。
しかしながら、戦争と平和は決して断絶された個々の事象ではなく、連綿と続く価値観の変容である。この価値観の移り代わりを捉えるのには、やはり「当時そこに暮らしていた人々の息づかいを観察する」ことが、最も適していると言えるのではないだろうか。この本が素晴らしいのは、その変化を機敏に捉え、「困窮の中の混乱」として見過ごされがちな数々の事象を、「戦後という時代性が引き起こしたファクト」として位置づけたことにある。
まだ上巻しか読んでいないが、専門的な内容にも関わらず大変分かりやすく、また挿絵も相まって当時の空気をはっきりとイメージすることができた。
ピュリッツァー賞受賞も納得の出来栄えである。直ちに下巻も読み進めたい。