【感想・ネタバレ】増補版 敗北を抱きしめて 第二次大戦後の日本人 下のレビュー

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Posted by ブクログ

第二次大戦後の連合国占領時代の日本および日本人についての記録の下巻。

本書のハイライトの一つは、第12章・13章の日本国憲法の制定にかかる部分だと思う。GHQ側が示した憲法草案(それは現在の日本国憲法に近いものである)に対して、当時の日本政府側が抵抗を示し、論争と駆け引きが行われる部分である。
書によれば、日本政府側が最も抵抗を示したのは、「誰に主権があるのか」という部分であった。GHQ草案が「主権在民」とし、主権は国民にあるとした草案を示したのに対して、日本政府ははっきりと反対の姿勢を示す。現在の日本国憲法の前の憲法、すなわち、大日本帝国憲法においては、国民は天皇陛下の「臣民」であり、軍隊の統帥権をはじめ、法的には天皇陛下に権力が集中をしている構造となっていた。天皇陛下は国会に優越する存在であり、主権は天皇陛下にあったと言っても良い。この部分を変更すること、主権が天皇陛下から国民に移ることに対して日本政府は最も大きな抵抗を示したのである。
したがって、もし、この部分に関する論争と駆け引きで日本政府側が勝利を収めていたならば、日本という国は、現在とは全く違う国になっていた可能性があるということだ。
その他にも面白いエピソードがある。新憲法案は国会で審議されたのであるが、日本共産党は新憲法に反対していた。その反対の理由が「いかなる国も自己防衛の権利を否定することは非現実的」であるというものであった。

本書は6部・17章からなるが、占領軍下の日本を様々な角度から記述している。
天皇制・憲法制定・GHQによる検閲・東京軍事裁判・戦後の経済活動・戦後の風俗・言論・経済成長、等々。上下巻合わせて800ページ以上に及ぶ大作であるが、読み応えがある。私は、日本の近現代史に興味があり、関連する本を時々であるが、読み続けている。日本の近現代史を理解するのに非常に有益な本でもある。

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2021年08月09日

Posted by ブクログ

最期の1ページまで、貪るように読みました。
本当におもしろかった。

今の日本について、常々不思議に思っていたことの答え、というか、なぜそうなのか原因みたいなものがいくつか書かれてあって、「なるほど、そういうことか」と思った。

たとえば、多くの日本人の中に強くある、戦争の被害者意識。
大人から子供まで、どうしてこんなにも「被害者」としての意識が強いんだろう、と常々疑問だった。海外が日本を見る目と真逆なだけに。
私は、小林よしのりはじめ、「脱自虐」を唱える人たちのキャンペーンの結果かしらなどと思っていたけれど、さかのぼると、GHQと日本の関係、東京裁判のダブルスタンダード、そういったものの結果なのだと分かった。
とても興味深い。

また、最近ネット上でかなり目に余ると感じる歴史修正主義者たちの主張(たとえば、南京大虐殺はでっちあげである、等)や、ネトウヨたちの主張(日本はアジアを帝国主義から救おうとした、等)の根拠も、この本を読んで、初めて理解した。もちろん今もまったく賛成はできないけれど、根拠と論旨は分かった。
今までは全く理解不能だったのだけれど。

自民党とアメリカ、自民党と産業界の結びつきもしかり。
まあとにかくいろいろと腑に落ちました。

しかし一番驚いたのは、なんといっても、やっぱり、憲法9条は、天皇を守るために作られた、という部分。
衝撃でした。

憲法については、マッカーサーの性格とリーダーシップ、担当者たちの理想への思いが素敵な形で結実したわけだけれど、それ以外については、裕仁が退位しなかったことは多くの面でマイナスに働いているように見えた。いろいろと考えさせられた。

特に、戦後GHQが行なった検閲は、たまに言及されることがあっても、戦前の検閲ほどのものではないだろうと思って今まで気にしたことがなかったけれども、こうして検証してみると、それによる不利益はかなり大きかったようで、驚いた。

そして、東京裁判の被告たちが、文字通り「天皇を守る楯となって死んでいった」ところ・・・・
英語圏の人の著書らしく、皮肉たっぷりに描かれているこの部分は、右翼じゃなくてもスッキリしないものを感じる(もちろん右翼の方々の思いとは違う意味で)。
「共同謀議」が行なわれたとされる全期間を通して権力の中心にいたのは、じつは、天皇裕仁だけだったというのに、天皇に責任が及ぶような証言は控えるよう被告たちに裏工作されていたとは!

また、この裁判に関係した判事はじめ多くの人の裁判に対する疑義は、ここ数年、まさに世界で沸騰しつつある人種問題や政治の問題が含まれている。
帝国のダブルスタンダードは今もまだまだ健在だよなぁ、とため息まじりに思う。

マッカーサーの人気が最後に急激にしぼんでいった様子は、申し訳ないけど、笑ってしまった!
愛されていると思ってたのに、チョロイから便利に使われていただけか!と分かってショックを受けるという、大失恋の物語。
日本とアメリカの関係の縮図(今も続く)ですね。

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2021年05月28日

Posted by ブクログ

上巻を読み終わったとき、「どうして日本人にこういう戦後史が書けないのだろう?」と思っていたが、下巻の天皇制を扱った章を読んで、確かにこれは日本人には書きにくかろうと納得した。
天皇は、何らかの形で戦争責任を取るべきであったという筆者の主張は明確だ。そして、なぜ天皇の戦争責任が問われなかったのかということを丹念に検証している。今上天皇の慰霊の旅は、そうした経緯を踏まえてのことなのかもしれない。
日本国憲法の制定に関しても、この著作を読むことでかなり克明にその経緯を知ることができた。憲法改正の動きが活発になりつつある今だからこそ、これらの章の持つ意義は大きい。
「平成」と年号が代わって早29年。「戦後」は本当に終わったのだろうか?それとも、まだ戦後を引きずっているのだろうか?
現在の日本を考える上で、この著作はまだまだその輝きを失ってはいない。

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2017年02月25日

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上巻に引き続き一気読み。天皇制がなぜ維持されたか、なぜ戦争責任を一切負わなかったのか、天皇のために死んだ国民に対する謝罪は、終戦直後の飢えた国民のために天皇家の財産を利用することはなぜなかったのか。占領軍の検閲と情報統制のため、世界が冷戦状態になっていることなどつゆ知らず、非武装がいきなり解除されるなどの「逆コース」が急速に進行、外交とはしょせん二枚舌であり、力のないものは敗者となるのが必然。占領解除後の日本の経済力について「紙ナプキンでも作っておれば良い」

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2016年10月14日

Posted by ブクログ

この大著は、例年の夏のメイン図書と同じく、長期旅行の際に読もうと思って旅先に携行した。
下巻は憲法誕生に至る詳細な過程が描かれる。戦後の民主化と逆コースのまさにはざまに生まれ落ちた奇跡のようなものが日本国憲法であることを知る。日本の保守層が抵抗したのは事実だが、「押しつけ」という評価は当たらないだろう。
東京裁判に関する問題点を明確に描き出している点も大いに参考になった。

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2012年09月12日

Posted by ブクログ

戦後の成長の根幹にある「日本モデル」とは、日本独自の精神的、民族的な土壌より遥かに大きく、日米交配の「非軍事化と民主主義化」という理想を実現するためのシステムに拠する。制度的には30年代初期から52年のGHP廃止に至るまでの権威主義的構造を基盤とし、精神的にはその過程で生じた二律背反的な矛盾、国としての誇りを求める心情を抱えながら。これらの戦後「日本モデル」は89年のベルリンの壁崩壊、バブル崩壊、天皇崩御に終わりを迎えたと著者は結論づける。
戦時中、戦後の言動によっていわゆる日本人的精神のようなものが幻想であったことが明白に描き出される。学校でこうした戦後史を学ばないからこそ、現代人もこうした思想に容易に感化されてしまうのではないか。戦後を支えた「日本モデル」は精神的な風土ではなく社会システムにあった、そうした構造はいまだに解決されていない矛盾や欺瞞をはらんでいる。そうした認識を持つことによってはじめて様々な問題に向き合えるのではないか。

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2010年12月25日

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下巻は、天皇制の維持とアメリカの企図、新憲法制定、GHQによる検閲、東京裁判、など、いまだに議論の多いテーマが取り上げられています。ある意味、下巻は上巻よりもさらに読み応えがあります。

最後にエピローグという章がありますが、これも白眉です。ここで、著者がこの本で言いたかった主要なテーマが、本のタイトルにもした一節を使って明示されています。少し長いですが、引用します。

「21世紀への戸口にある日本を理解するためには、日本という国家が(注:古来より)あいも変わらず連続している面を探すよりも、1920年代後半に始まり、1989年(注:昭和の終わりと冷戦の終わり)に実質的に終わったひとつの周期に注目するほうが有用である。数十年のその年月は短く、かつ暴力と変化に富んだ時期であったが、これを精密に観察すれば、戦後「日本モデル」の特徴とされたものの大部分が、じつは日本とアメリカの交配型モデルというべきものであったことがわかる。... この官僚制的資本主義は、勝者と敗者がいかに日本の敗北を抱きしめたかを理解したときはじめて、不可解なものではなくなる」

最近では官僚が槍玉に挙げられることが多いですが、日本官僚制の起源がこの戦後処理に遡る、とする論旨はひとつの見識ではあるけれども明快で納得させられます。

ちょっと褒めすぎか。敬意も表して星5つ。

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2009年12月26日

Posted by ブクログ

上巻にも共通して言えることだが、外国人が戦後の日本を語っているためにバイアスがないのが良い。自分自身日本人であり当時の話を見聞きする機会は圧倒的に日本人からが多いが、このようにイーブンな目線で戦争ならびに戦後を語られているので読み手も感情を抜きにして当時の様子を理解ができる。「菊と刀」「幸之助論」と共通した読後感があった。

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2023年07月26日

Posted by ブクログ

【本書のまとめ】

1 天皇制の維持
占領軍は、軍部と天皇の間に「くさびをうちこむ」ことで、日本帝国の様々な国策から天皇を切り離し、天皇の新しいイメージ(天皇を再び民の手に)を作り出す作業に加担しようとした。終戦間近の状況においては、天皇の無事が日本の無条件降伏に寄与するし、かつ戦後においては、天皇の責任を問わずに、敗戦後の日本で象徴として機能し続けるほうが有用だと判断したからである。

「くさびを打ち込め」「軍部を悪役にしろ」「天皇を平和主義者にして、天皇制民主主義を建設せよ」というキャンペーンは、公然と大々的に行われた。マッカーサーは、天皇の名においておこなわれた戦争について、裕仁が実際に果たした役割を本気で調査する意思は無く、日本側もそれを望んでいなかった。お互いの利害が一致した形になった。

一方、国民の意識レベルでは、連合国が懸念していたこと、すなわち「天皇廃止は国民の紐帯を失わせ酷い混乱を生む」ほどのことは起こらなかった。聖なる戦争が終わると「現人神」への崇拝も同様に終わり、ほとんどの日本人は天皇制の運命については見物人を決め込むようになったのである。

1946年1月1日に公布された天皇の人間宣言は、草案作りに連合軍が関わっていた。大本の狙いは「天皇の神格の否定」であり、日本人および天皇が他国の人間に優越するという意識を無くし、もって民主主義、平和主義、合理主義に徹せる新国家を建設すべく宣言するものであった。人間宣言の内容にこれについては、当初案で目指していたほどの強い神聖の否定はややマイルドな表現になったものの、長ったらしく難しい言い回しと、古風と伝統を想起させ日本人が納得できるような言葉遣いによって、国内外から好意的に受け取られた。

1946年1月19日、SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)によって極東国際軍事法廷が正式に開設されると、戦争責任を取るための天皇の退位に関してさまざまな意見が起こった。
日本国民の意見に対し占領当局の意見はシンプルであり、「天皇を支えることが民主的な日本を建設するうえで絶対的に必要であるため、退位は強いない」というものであり、同時に東條英機に、「開戦前の御前会議において天皇が対米戦争に反対しても、自分は強引に戦争まで持って行く腹を決めていた」との旨を証言させ、法廷で犠牲になることを求めていた。
国民統合の象徴が消えることで日本国民がバラバラになり、共産主義が勃興するのを恐れたうえでの処置である。また、A級戦犯として起訴された戦犯者たちにも、天皇の責任を証言しないように占領当局との口裏合わせが行われていた。

天皇の退位を巡った駆け引きが展開しているなか、保守派エリートはGHQと協働し、天皇を「人間」へと変身させるコマーシャルキャンペーンを打ち出した。地方巡幸である。
1954年8月に終了するまで165日を巡幸に費やし、全行程は3万3000キロに及んだ。天皇の新しいイメージ(民に近い存在)を定着させ、天皇を「民と同じ目線まで降ろす」ことに大成功したのだった。


2 明治憲法改訂
松本委員会で占領軍に示された新憲法は、あまりに保守的で現状維持的であった。マッカーサーの指示で民政局が憲法改正チームに任じられ、GHQ草案が作られ始める。彼らは強烈な目的意識を共有して仕事に取り組んだ。既存の憲法に修正を加えるというよりも打ち壊して一から作り直していった。
占領軍側は、天皇主権からの急激な転換を示すGHQ草案を受け入れることこそが、天皇に反対している人から天皇の「身柄を守る」唯一の方法であると主張している。
新憲法は主権が国民にあることを明文化していたが、それは実際には天皇自身からの贈り物として国民に与えられたのだ。「上からの革命」と「天皇民主主義」は、この儀礼を通じて融合したのである。

新憲法採択で揺れたのは交戦権規定だ。芦田均は「新憲法の解釈」という本の中で、日本の武力放棄は自衛権までも放棄するものではないと語っているが、吉田茂は自衛権までも放棄の対象に入るという見解を述べている。吉田は、占領終結さえすれば、憲法は修正可能であり、ひいてはアメリカの改革全体も見直しができるという考えを有していたが、一度決まってしまったものを変えるのはそうたやすいことではなかった。
新憲法の神髄は「国民の政府と国際平和」。その単純さゆえに、国民の琴線に触れ、すんなりと受け入れる土壌が整っていたのである。


3 新たなタブー
この国に新たにもたらされた自由は、公の表現活動の隅々にいたるまで、検閲官僚組織によって取り締まられていた。検閲は、1945年9月から日本が主権を回復するまで継続的に実施された。
検閲の対象は複雑で多岐に渡る。大まかには、戦勝国の価値観を否定するようなものはNGであった。また、検閲と同時に、日本の様々な侵略行為を国民に教育することを求められていた。そのため、連合国側から見た戦争が「真実」であり、メディアはそれを、不作為によってだけでなく、すべき行為としても積極的に裏書きして見せなければならなかった。
戦死者を悲劇の犠牲者として扱い、戦争の災禍に涙を流すような表現すら不許可の憂き目に合った。それどころか、日本人が占領国との友好的態度を示そうとする表現ですら、ときには過去の軍国主義を彷彿させるという理由で差し止めにあったのだ。
「占領軍」としてのアメリカは存在しないものとして扱わなければならなかった。この取扱い(特に映画撮影)は非常に困難であり、発禁による経済的打撃を逃れるために自主規制を行う者が後を絶たなかった。

次第に、検閲の主たる標的が「軍国主義」「愛国主義」といった右翼思想ではなく、「社会主義」「共産主義」といった左翼思想にシフトしていった。


4 東京裁判
A級戦犯を裁く裁判は基本的に復讐の営みだった。それは法ではなく政治によるジャッジであり、ゲームが終わってからルールを作る行為である。多くの裁判官がこの裁判を「完全な茶番」とみなし、その意義に疑問を呈するものも少なくなかった。
なにより、いんちきなルールで裁くことに反対だった者たちの真の理由は、自国の闘いを指示した者はすべて戦勝国によって戦争犯罪人として訴追されうる、という前例を作ってしまうことにあった。
特に主要判事であるベルナール判事は、この裁判に天皇が不在であることは甚だしく不公平だと述べ、天皇を「違った基準」で測ることは、被告への訴追の阻害と国際司法の意義の喪失を招くと批判し、天皇を守ろうとするマッカーサーとは逆の立場に立った。
「平和への罪は概念として曖昧である」「戦争は国家の行為であり、国際法上で個人的責任はない」「東京憲章の規定は事後法であり、したがって不法である」という様々に真っ当な批判がなされた。

同時に、誰を裁くかについても政治的恣意性が働いていた。裁かれるべきか疑問である官僚が裁かれたのに対し、侵略国の国民を慰安婦として働かせたことや、捕虜を実験台に生物兵器を開発していたことは見逃され、計画に加担していた将校や科学者たちは訴追を免れた。


5 成長と再建
占領から3年も経つと、外国に統治されることに嫌気がさしてきた日本人が多くなってきたのは明らかだった。それにアメリカも、世界各地で起こる冷戦を見越して、「日本の非軍事化と民主化」にある程度の見切りをつけ始めたのだ。
戦犯容疑で逮捕されていた有力者たちの起訴を取り下げ、経済が巨大資本化や中央官僚の手中に戻っていった。同時に、急進的な左翼が「レッドパージ」の対象となった。
世界では連合国が仲間割れしていた。東南アジアの植民地支配を再現しようとするヨーロッパ、東ヨーロッパの弾圧を行うソ連、共産党との闘いにのぞむアメリカ。勝者と敗者の双方があれほど念入りに培ってきた平和という夢は、数年もしないうちに机上の空論に変わっていった。

朝鮮戦争がはじまると、アメリカは日本の経済再生促進に関心を移していく。
とはいっても、アメリカ側と日本政府側の経済復興の認識にはずれがあった。アメリカ側は、日本は復興してもせいぜい二流経済国止まりであり、安物雑貨と労働集約型製品を輸出する軽工業国というイメージを持っていたのに対し、日本政府側は、戦時に伸びた重化学工業を活用し、化学と先進技術に結びついた付加価値の高い産業の創出を目指していた。軍需生産によって培った技術を民需生産に振り分ける戦略である。
そして、朝鮮戦争を皮切りに、世界経済の変化が起こる。貿易パターンが混乱し、外国による戦争受容がさまざまな日本製品の購買を刺激し、猛烈な成長をもたらした。当時の日本は、工業技術能力に余剰のある唯一の工業国だったのだ。
この新興重商主義国にアメリカは、そんなつもりなどほとんどないまま、実に著しい貢献を果たした。占領軍は民主主義を推進する任務をおびていたのに、実際には、「一部に官僚主義を推進する」結果を生み、その官僚主義的遺産は主として経済に残り続けることになったのだ。


6 再軍備と解放、そして経済復興
冷戦が激化すると、アメリカは完全非武装方針を放棄し、日本政府に「警察予備隊」の創設を命じる。
そこにあるのは一つの分裂した国であった。特に政治的考え方に対して、占領が元来目指した「非軍事化と民主化」の理想を追求するべきなのか、パックス・アメリカーナに組み込まれた「小アメリカ」として軍事化を是とするのかに割れていた。

1952年4月28日に日本国の主権は回復されたが、その瞬間の街はとても静かであった。「日本は独立国家になったか」との問いに「はい」と答えた者は41%しかいなかった。

果たして、日本は変わったのだろうか。祐仁とマッカーサーという二人の天皇が目指したのは、全く異なる道筋であった。裕仁はその存在自体が証明するように、戦中戦後において日本人の価値観に変化はなかったと言った。しかし、マッカーサーは、――例え日本を見る目が植民地支配者の感覚であり、12歳の未成人がやっと自分の足で立つまで成長できたという、発展途上国への見下した意識が根底にあったとしても――日本人が遂げた革命的な変貌を賞賛してやまなかったのだ。

その後、日本は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」として知られるように、経済大国として一定の地位を獲得する。戦後「日本モデル」の出現は、何が原因として見られるべきだろうか?
1970~80年代には、集団の和、縦型の人間関係、個別特殊主義といった「日本人論」が出ては消えて行ったが、それらの「日本モデル」の特徴とされたものの大部分は、じつは日本とアメリカの交配型モデルであった。
日本を貫いていた特徴は、「日本は脆弱である」という絶え間ない恐怖感と、最大の経済成長を遂げるためには国家の上層部による計画と保護が不可欠だという考えが広く存在したことであった。後に日本モデルと呼ばれ、儒教的価値のレトリックで覆い隠されたものの多くは、実は単に先の戦争が産んだ制度的遺産だったのである。
そこに占領軍が加わり、日本の強力な官僚的権威主義をさらに強力にした。占領軍は到着した瞬間から日本の官僚組織を保護し、行政の合理化を進めて、結果的に官僚の権力をさらに少数者の手に集めた。
何より重要なのは、マッカーサー自身が官僚制度の権化であったことだ。司令部が発する命令は絶対であり、透明性は無く、日本の誰に対しても説明責任を負わず、検閲を堂々と行っていた。民主主義を進めるための占領軍は、日本の復興の過程において、一部分を少数者支配に委ねたのであった。

敗北と占領は日本にダブルスタンダードを残した。憲法9条による「非軍事化と民主主義化」と、「国際的責任の遂行」の狭間で、日本はいまだに揺れ続けている。


【感想】

なんという大著。まとめようとしてもなかなかまとめきれず、歴史を簡単になぞる程度の要約になってしまった。
戦後の日本人と旧軍部に起こった思想の変化と、占領軍が、時に日本人よりも情熱を持って日本の復興にまい進していたことが、緻密に記されている。

特に、88ページから97ページの間に綴られている、渡辺清という復員兵を描いた「ある男の砕かれた神」の部分は必見だ。
天皇の戦争責任が消失したことへの困惑。アメリカを敵として憎んでいた人間が、一夜にしてへりくだった態度に変貌したことへの失望。戦争支持者が米国民主主義支持者へとシフトした移り気への嫌悪感。そして、何から何まで嘘と方便によって塗り替わってしまった社会への厭世の気持ちが、一人の男の日記をもってありありと描かれている。
現代に生きる我々は、「原爆を打ち込んだ敵国に、何故こんなにも素早くかつ従順に従うことができるのだろうか?」という疑問を抱くことがあると思う。渡辺はその感情の代弁者だ。
この部分だけでも十二分に読む価値があると言えるだろう。

そして、226~227ページには、「検閲と思想統制が日本人的態度に影響を与えた」という非常に興味深い考えが記されている。

“この検閲民主主義は、イデオロギーを超越した根深い所に遺産を残した。表向き「表現の自由」をうたう中で実施された秘密検閲システムと思想統制は、(略)政治的・社会的権力に対する集団的諦念の強化、ふつうの人にはことの成り行きを左右することなどできないのだという意識の強化である。征服者は、民主主義について立派な建前を並べながら、その陰で合意形成を躍起になって交錯した。そして、きわめて重要なたくさんの問題について、沈黙と大勢順応こそが望ましい政治的知恵だとはっきり示した。それがあまりにもうまくいったために、アメリカ人が去り、時がすぎてから、そのアメリカ人を含む多くの外国人が、これをきわめて日本的な態度とみなすようになったのである”

当時の占領軍の行動は、民主主義を目指しながら言論を統制するという矛盾に満ちたものであった。これが日本人を象徴する矛盾した態度――建前では同意しながら本音では納得しないこと――のルーツである、と考えるのは、さほど荒唐無稽とは思えない。敗戦と占領は間違いなく、国民の意識と国民性までも変えてしまったのだから。

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2021年02月16日

Posted by ブクログ

象徴天皇制と戦争責任、東京裁判、新憲法制定など今尚、議論の対象となりながらも明確な答えを見いだせていない課題とGHQの下で急ピッチで進められた民主主義改革を扱った下巻。
GHQによる徹底した検閲や憲法草案作成の過程など興味深い内容がいくつもある中でも「天皇制」について日本人では踏み込めないような鋭く痛烈な指摘が展開されている。
教科書には載っていない戦後史の真実を知ることができて現在の日本の在り方についても考えさせられる非常に価値ある名著。

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2018年06月17日

Posted by ブクログ

上巻は戦後文化を主、下巻は政治的な背景を描いている。混沌とした時代に生きた人々の希望は民主主義、戦争放棄というまやかし、経済発展のみを拠り所とした悲しいものである。だがそれが功を奏し、日本は先進国の仲間入りをした。日本は運が良かった。運のみで発展をとげたと言っても過言ではない。問題はこれからの時代。明確な政治目標や政策をたてなければ、駄目になる。

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2012年07月06日

Posted by ブクログ

ネタバレ

天皇は何故戦争責任を問われなかったのか。
それは元々占領軍が事前に決定していたことだった。
彼らはもし天皇の戦争責任を追及したり死刑にしてしまったりすれば
日本人は大混乱を起こし、破滅的行動に出るだろうと考えた。
しかし実際は大多数の国民にはそんなことに関心はなく
占領軍の懸念は杞憂だったことが分かる。

他、天皇の人間宣言に関しての逸話、新しい憲法が出来るまで
占領軍による厳しい検閲、東京裁判の実態などの話が進む。

戦後から60年以上が経過したが、我々は本当の意味での
「独立」を果たしたのだろうか。確かに経済発展はした。
物質的な豊かさに関しては世界有数であることは間違いない。
しかしその豊かさに甘え改革を拒否して過剰な保護主義に走る
政治家たちを見ているとその豊かさも長くは続かないのでは
ないかと思えてくる。
この閉塞感を打破するためには本書の描く時代が
そうであったように、もはや外圧しかないのではないだろうか。

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2012年02月18日

Posted by ブクログ

差し当たり上下巻まとめて。記憶に残る論点の箇条書き。

・世界が(そして日本自身も)その「特異さ」に注目した戦後日本の「日本らしさ」は、戦中に官僚組織が作り上げ、戦後占領軍が育てたものであって、東洋と西洋の違いなどの話ではなかった。その意味で、確かに占領軍によって日本は変わった(飛躍的に自由が増した)であろうが、しかし、戦中から保存された傾向も多かったのだ。正に「裕仁が君臨した昭和と云う一つの時代」。

・米軍と戦前エリートとの共同で進められた「不幸にも騙された天皇」像の製作。しかしほんの数箇月前まで、裕仁の名の下に対外的には侵掠を、対内的には驚く程の抑圧体制を敷いていたのである。天皇の扱いには日共ですら錯綜していて、デモ隊を率いていた徳田球一が「天皇に請願する」形を取ったのも事実。

・右派も左派も、揃った様に戦争経験を「加害者の見えない被害」と描いた。具体的には東京大空襲や原爆体験。しかし日本は日本で、記憶に少しながら残る所では中国・朝鮮に対して、殆ど記憶から追放されている所では東南アジア諸国に対して領土的野心を持ち惨禍を齎している。大量の言説を生んだ「被害の記憶」に対して、埋没した「(アメリカ以外に対する)加害の記憶」。奇しくも、保守派が使用する「大東亜戦争」の語は「太平洋戦争」よりも主だった被害を適切に表している。

・日本に真の民主主義を持ち込もうとしながらも、植民地の宗主国の様な立場しか取れなかったニューディーラーたちの矛盾。日本人民の中から民主主義が生まれる可能性もなくはなかったが、これを伸長はさせられなかった。アメリカの主導で行う以上、占領軍に対する批判を徹底して抑える大検閲体制は避けようがなかった。

・アメリカ側の憲法草案”people”を「国民」と意図的に誤訳した日本側プロジェクト員。見事に国内の「外国人」達を法の庇護から押し出した。

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2012年02月18日

Posted by ブクログ

ジョン・ダワー『増補版 敗北を抱きしめて 第二次大戦後の日本人』(下)(2004)を読む。
昭和史を読むと正直、晴れやかな気持ちにはなれない。
殺りく、陰謀、権謀術策、まやかし、扇動などなど
人間社会の負の要素がぎっしり詰まっているからだ。
無論、昭和史に限ったことでなく、世界史・日本史を通読すれば
人類の歴史はおよそそんなことの繰り返しである。

確かに市井の人間が一日仕事をし、
あれこれ愉快でないこともあったが、
風呂につかり、ホッピーを飲んで、気分よく眠りについた……
というのでは歴史にはなりにくい。

いや、そうか?
ブログ、ツイッター、SNS(mixi、フェイスブックなど)を見れば、普通の人間の、普通の一日、
それほど普通でない一日が書かれている。
これからの歴史書はスタイルが変わるかもしれない。
国家や大組織の歴史と、
個人や小コミュニティの歴史が並行して記述される可能性もある。

ジョン・ダワーの著書は大所高所からの視点だけでなく、
庶民の文化や行動にも目配りしている点が想像力をかきたてる。
自分の両親、祖父母たちが
3月10日の東京大空襲で逃げまどっていたのが、
つい65年前のことである。
歴史のトビラが案外僕たちの日常生活のそこかしこにあるのも
少し考えてみればなんら不思議なことではない。
普段はそうしたトビラを見ようとしないから
見えないだけなのだろう。

晴れやかな気持ちにはなれなくとも、
歴史からいまを学ぶことはできる。
人間がダーク・フォースだけでなくフォースをも駆使できることを
静かに教え、諭してくれるのも歴史である。

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2010年05月09日

Posted by ブクログ

日本の占領期における政治経済から大衆文化までの幅広い分野が、昭和天皇やマッカーサーはもちろん、高級官僚、文豪、一般大衆、パンパンと呼ばれる娼婦といったこれまた幅広い人々の視点を通して描き出されている。
よくぞここまで調べ、まとめあげたなぁと言う感じ。東京裁判や占領時の政策における言及では、占領を正当化というか言い訳じみた台詞も見てとれるが、草の根レベルで起こっていたことまで細かく触れられていて、非常に勉強になる本だった。

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2009年10月10日

Posted by ブクログ

大学の授業でしようしたのですが、戦後どのように日本が再建されたのか、憲法制定、アメリカが行った戦後政策の詳細が分かります。長いですが意外にすらすら読めます。

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

増補版といっても加筆ないが大判になって数倍掲載されている写真「三木清全集の発売前夜に書店前で寝袋で泊まり込む十数人」「占領軍兵士を戸外接待する芸者(アサヒグラフ’45Oct表紙」「戸外生活者(神戸三宮駅)」「超満員の買い出し列車」世相を物語る/ダワーは天皇の戦争責任が否定されたを批判する立場だが、戦勝国が「道徳的責任」を言う傲慢に気づいているだろうか/朝鮮戦争を契機としで重工業再建、再軍備化に占領政策は変化し、講和独立にもこぎつけた。 戦後すぐに掲げられてきた非軍事化と民主主義社会構築の理想は左翼の大法螺

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2023年05月29日

Posted by ブクログ

上巻ほどユーモラスな描写もなく、庶民の生活を描いたものでもない。下巻は東京裁判とそれに関係する資料を、どちらかというと米国に批判的な見地から描いたもので、現在日本の戦後史を見直そうとする多くの本は、この本から引用がされているような気がした。ただ、個人的には戦争の悲惨さと不条理さへの憤りばかりが頭に浮かんで、少しネガティブに。疲れているときに読む本ではないと薄々感づきながら、結局全部読み通した。

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2013年05月15日

Posted by ブクログ

日本人は変わっていない。従うものが変わっただけで、従い方は変わらない。マッカーサーは天皇を守ろうとした。それは、天皇がいた方が都合がよいから。

戦争に責任があるのは誰か、そう簡単に割り切れない問題。今までの歴史教育をもう一度考える。戦争は悲しいもの、絶対やってはいけない、だけだった小学生の時。なぜ戦争が起きたかを考えなくてはならないと気付く中学生の時。戦争は必要悪なのかとか、攻め込まれても戦わないかとか、それまでの価値観が崩れだした高校生の時。「また戦争になるのかね」と言った祖母に答えられなかったまま、祖母が亡くなった大学生の時。

どこの視点から見るかとか、色々知る度にわからなくなっていくけれど、やはり考えてしまう。特に夏は。

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2011年08月13日

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