経済学は弱者を切り捨てる傾向があるが、その点を批判し、弱者救済の必要性を誰もが求める「必要」に社会が応えるべきとのアプローチによって話を展開させている。私は、新自由主義が本来あるべき姿だと思っているので、著者の考え方とは違うのだが、多様性の視点は、社会の発展に必要ではあり、何が将来の社会発展に寄与するのかはわからないので、著者の考え方も否定して良いものか考えさせられる。頭に置いておきたい。
「すべてを経済成長で解決していこう、さまざまな「必要」はあるだろうが、それは経済成長による成果を分配することによって解決していくだろう、という考え方は、もはや採れない」p37
「(アダム・スミス)自由競争に反して、ある分野に特別に儲けさせるために、独占権を付与したり、補助金を出したりすれば、社会を富裕化する道を外れることになる。スミスはこのような論理で、市場に恣意的に介入する重商主義政策を批判したのである」p56
「(既得権益)政治権力とのコネクションこそが利益確保の命綱となる。経済活動とは本来、どうすれば顧客に買ってもらえるかを互いに競い、それに買ってこそお金儲けができるというものであるはずだ。会社は顧客の方を向いていなければならない。どうすれば顧客に受け入れられるかを日々、必死になって考えなければならない。しかし、政治的なコネが大切となれば、顧客ではなく政治権力の方を向いて仕事をすることになる。規制があれば安泰だと思っていれば、事業環境の変化に対応する能力も落ちる」p132
「(イギリスの貧民救済(スピーナムランド法))貧者を救う制度があるから怠けるようになるのだ、と言われるようになった。人々は自由競争市場の中で稼げるように努力するべきだ、努力が足りない人々を救う必要はない、むしろ補助を与えることで怠け心を誘発してしまうから本人のためにならない。隣人愛を説くキリスト教の信者であっても、本人のためにならないことはすべきではない、と考えるようになった」p145
「(ポランニー)スピーナムランド法が失敗したのは、補助を成り立たせる地域コミュニティーが壊れてしまっていたから」p148
「(責任の社会的つながりモデル)構造的不正義は、特定の悪者によって引き起こされているのではないので、悪い事態を引き起こした原因者に責任を取らせる「帰責モデル」は機能しない。そこでヤングは、「責任の社会的つながりモデル」を提起する。構造的不正義に立ち向かう政治的責任が誰にでもある(私のせいではない、誰か他の人の責任である、という態度を許さない)とすることで、構造的不正義を多くのプレイヤーが関わる政治の主題にする」p177
「途上国の工場で働く労働者は低賃金で、また劣悪な労働環境下で働かされていた。NGOがこの問題を告発した。ヤングはこの問題を、現場の工場の責任者が悪い、多国籍企業の経営者が悪い、といったかたちで終わらせてはいけないと考えた。問題を生む背景には、さまざまな要因がある。安い製品を求める先進国の消費者、利益至上主義の経営者、先進国の直接投資を歓迎する途上国、等々」p178
「NGOの告発を重大と受け止めたアメリカの市民は、多国籍企業に対して批判的な目を向けるようになった。この問題に適切に対処しないならナイキなどの製品を買わないぞ、という行動を取る者もいた」p179
「(構造的不正義の是正のために発生する負担の分担割合)構造的なプロセスに対する影響力の強さ、構造から特権を得ている程度、それぞれの利害関心の大きさ、集団の力をどの程度活用できるかによって、関与すべき程度、つまり負担の大きさが異なる、とヤングは考えている」p181
「(責任の社会的つながりモデルを実現するための条件)第一は、構造的不正義を是正するために生じる費用を負担するプレイヤーが出てくること。第二は、構造的不正義によって抑圧されている側が持っている切実な「必要」を、社会にわかるかたちで示す仕組みを持つこと」p184
「(負担に対する2つの責任)①企業の利益が、社会的に正当な方法によって得られたことを説明する責任。②企業の富の一定割合を公共の目的のために使用する責任」p185