中村隆之のレビュー一覧
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アフリカには口頭継承とドラミングリズムの文化があった。頭の中だけで文化を継承していかなければならず、即興で歌をつくる文化が発展した。
西欧文化をとりいれ融合していったことで、西欧文化に受容されていったことでブラックミュージックは音楽としてのジャンルを確立していった。メディアによりブラックのイメージを刷新し、かっこいい、美しいというイメージへと変わってきている。
つまり、ブラックミュージックは、アフリカ大陸から連れてこられ、物質的な文化を築けなかった黒人たちがアフリカの口頭伝承と音文化を、西欧文化と融合させながら「変わりゆく同じもの」として継承していったものである。
ブラックミュージックの根底にあるものは、故郷アフリカへの帰還でもあるが、黒人奴隷にとって、それは自分たちを白人に売った人たちの国でもあり、そこに複雑な問題がある。
西欧が残した奴隷制度という爪痕は大きい。その傷はまだ癒えず、賠償されることもなく、そして差別もなくなっていない。 -
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経済学は高校の社会まで株を少しかじる程度の自分には、とても良き入門書だった。教科書レベルの偉人の考えを通じて、良い金儲け/悪い金儲けの観点で富を如何に分け活用すべきかが一貫して書かれている。著者曰く「所有者が主役から降りていく」流れを。
良い金儲けとは、労働の対価であり、雇用/生活水準含めた社会還元であり、悪い金儲けとは、私利私欲、不労所得、社会に貢献しない富の搾取である。ただ、線引きは難しく時代と共に思想トレンドは変わり、その意味で道徳/思想/哲学が非常に絡んでくる。
国富論や見えざる手で有名な資本主義/道徳性/公正さを説くアダム・スミスを原点にして、資本家と労働者の格差が拡がり労働者の隷属からの解放のため組織/会社として道徳的/倫理的な「経済騎士道」精神で成長を説くミル/マーシャルに続き、富の所有者(株主)と活用者(経営者)が分離し、金融経済の行き過ぎた膨張を懸念して実体経済=産業が発展するよう政治介入を説くケインズ、時代は前後するが、資本主義の反社会性/非道徳性の元となる私有を否定、個人的所有を説くマルクスと続く。加えて、著者曰くスミスからの本流に対して傍流だが現代経済の主流として、疲弊した戦後からの脱却には上手く回ってた政治の汚れに伴い、自由主義/市場主義への回帰を主張するハイエク→フリードマンを解説。
強者主導の経済か、弱者救済の経済かのバランス/グラデーションが大事と言えば単純化が過ぎるが、今後の流れに関する著者の見立てについても共感。専門書と違って入門書は著者の思想も盛り込まれて楽しい。 -
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本書は「スミスの挙げた資本主義の道徳的条件を満たすための挑戦として,スミス以後の経済思想史」を平易にだが,本質的に把握しようと試みたものである。
「お金儲けがフェア・プレイの精神とも,社会全体との富裕化とも切れた利潤獲得機械になってしまうことを,いかに抑止するか」という筋で,J.S.ミル,A.マーシャル,ケインズ,マルクスが取り上げられる。
一方,その筋からはずれると著者が考えるハイエクとフリードマンは傍流として位置づけられる。傍流ではあるが,現代の経済政策などに強い影響力をもつ経済思想という位置付けだ。
そして,最後に「組織の経済学ー現代の経済理論における株主の位置づけ」が置かれる。これは,「所有者が主役から降りていく」経済思想史の流れのなかに位置づけられる「経済学の本流」の最前線だからだ。
新書の帯には「一冊で経済学の歴史がわかる決定版入門書!」とあるが,経済学の歴史というよりも経済思想の流れであり,それは「お金儲けの暴走によって邪魔されることなく,庶民の努力を引き出すことが,豊かな国を作り出す本筋」という著者の思想によって紡がれたストーリーである。
しかし,そのストーリーは非常に説得性に富み,示唆に富んだものだと言えよう。 -
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1週間以上も前に読み終わったのに、なかなかレビューできなかった。
というのも、本書が扱う事柄がとても広範に及んでいるから。
今でもきちんとまとめられるか心もとない。
ばらばらにトピックを上げるだけになるかもしれない。
そもそも自分がこの本を手に取ったのは、ブラック・ミュージックのことが知りたかったから。
昨年、クインシー・ジョーンズが亡くなり、今年もスライ・ストーンが亡くなった。
その追悼番組を聞いたりするうちに、自分たちが子どものころから聞いていたポップ・ミュージックの中に、もはや影響がまったくない音楽なんてないのではないか、と思われるような状況だったんだ、と改めて思った。
筆者はフランス語圏のクレオール文学を専門とする文学研究者。
この人にとっても、やはりブラック・カルチャーの入り口は、マイケル・ジャクソンやプリンスなどの音楽だったとのことだ。
ブラック・ミュージックではなく、ブラック・カルチャーというのだから、範囲が広くなるのは当然の流れ。
とはいえ、前半6章までは、ブラック・ミュージックのことをまとめている。
ブラック・ミュージックは、アメリカに奴隷として売られていったアフリカ系の人々の音楽がルーツという話は、本書で読むまでもなく、いつのころからか知っていた。
が、本書ではそのことを「環大西洋」世界の中で、十五世紀から説き起こされていく。
経糸を時間、横糸を空間として考えれば、とんでもない大きな織物になる。
このことが、自分の中で「広すぎてまとめきれない」と思わされた事情である。
アフリカに伝わる口承文芸が、アメリカス(中南米も含めたアメリカ大陸)に伝わって変容する。
たしかに、これはクレオール文化そのものだ。
例えば、自分はレゲエをブラック・ミュージックと思っていなかったが、本書の言う通り、たしかにそうなのだ。
本書は、ブラック・ミュージックを大きな布置に入れて提示してくれたということになる。
「ブラック」、あるいは黒人と言われる人々の間の差異にも気づかされる。
奴隷の生活を生き延び、新大陸に渡った人々。
その一方で、アフリカの人の支配層の中では、人々を売った人々もいある。
奴隷の生活を生き延びる上で、「ブラック」であることを根拠に想像の共同体を作り、故郷アフリカの幻想を心に築き上げていく人々と、現地に残っている人々の間には、たしかに温度差が生まれてきて当然だ。
そんなことにも、これまで気づかなかった。
アフリカ各民族の歴史であれ、新大陸に渡った人々であれ、歴史をまとめることが非常に困難であった事情も知った。
西欧人のつけた呼び名、他民族がつけた呼び名などが混在して、大変複雑なようだ。
もちろん、ここに西欧の植民地主義の影響も加わる。
ブラック・カルチャーの一つである、ブラック・スタディーズには、こうした困難に向き合うものであるということだった。
「ブラック」という呼称についても、差別的な呼称として嫌だと思う人もいれば、差別されてきた歴史をも含めアイデンティティだと思う人もいる。
政治的な問題で、なかなか非当事者としてどうかかわっていいか困惑するところだ。
筆者は、しかし、非当事者として寄り添いたいという立場をとる。
自分なら寄り添えるのか、と思いつつも、そういう考え方があるのかと知ることができたのはよかった。 -
Posted by ブクログ
“Black Lives Matter”がメディアを賑わした際、「まだそんなこと言ってんの⁉︎」と思わず口をついて出てしまった。当たり前のように人種差別の愚かさを学校で習い、「人類みな兄弟」の風潮にどっぷり浸かってきたもんだから、不思議で仕方なかったのだ。
本書を知った時その出来事がフラッシュバックし、気づけば当時感じたモヤモヤもだいぶ大きくなっていた。
著者はブラック・アメリカを専門とするフランス人歴史家。フランスは移民大国で、著者の講義にもかつて領土だったアフリカやカリブ海出身の学生が目立つという。
「生物学的に人種は存在しない。しかし政治的、社会的現実として人種は存在する」
後者の忌まわしき概念が、ヨーロッパ人によってどのように形成・正当化されていったのかを本書は追う。
手間はかかったが、序文→(巻末にある)解説→本編 →再び解説の順で読むと、より理解が深まった。(プラス、各部の最後には結論がまとめられており、長い旅路を乗り切る良いアシストになる)
「こうして、ヨーロッパ全体が目をつむって悪夢のなかに飛び込んでいった」
第Ⅰ部 奴隷制と帝国
黒人の歴史を考える時にまず「奴隷制」を連想しがちだが、そもそも奴隷だったのは黒人だけではない!というところから第Ⅰ部は始まる。奴隷制は結婚と同じくらい古い制度で、起源はB.C.3000年のメソポタミアにまで遡る。奴隷に転ずるのは戦争捕虜だった。
アメリカ大陸の発見以降は先住民が、次第に黒人がターゲットに選ばれるようになる。この経緯まではあっという間だった…。
第Ⅱ部 ニグロの時代
「ヨーロッパ人はアフリカ人を奴隷にしたために人種主義者になった」
16世紀末-18世紀末。
18世紀の大西洋貿易を機に、「白人」「黒人」→「人種」の概念が誕生したようだ。
奴隷貿易はポルトガル商人の独断場と化し、アフリカ交易網の拡大にまで及んだ。1787年に出版された、元奴隷による自伝(!)の一部抜粋は本書で一番生々しい証言だった。
労働の強制及び反逆心を抑制するためにふるわれた暴力も、この頃は「善のための悪だ」と正当化されている…
第Ⅲ部 白人の支配
19世紀-20世紀中盤。
奴隷貿易と奴隷制が(公式に)廃止されるのに反比例して、植民地支配が活発に。「白人優位の物語」は加速し、人種の概念はいよいよ定着し始める。
ちなみに1899年の日英通商航海条約時、日本人は「文明化された国に属する国民」=「白人」として認定されていたらしい。さすがにこれは2-3度読みした。
白人とは、肌が白い人ではなく自分たちの支配的地位の自然さに同意するに至った人達のことだと著者は語る。そう考えると、上記日本人の白人認定も納得がいく。
同時に本書では、社会全体で共生していく関係を「親族性」と呼んでいる。しかし、それを許されない人達は確かにいたし、残念ながら今もいる模様。
「親族性」が人種概念根絶への鍵であるならば、「人類みな兄弟」は決して甘っちょろい考えではない。というか、甘っちょろくなくて良かった。 -
Posted by ブクログ
戦後すぐにユネスコによって否定された「人種」という概念が今なお根強く存在する。本書は人種の起源を奴隷制に置いてその本質を明らかにしていく。
奴隷制は人種差別によって生み出されたのではなく、奴隷制こそが人種概念を生み出した。すなわち、奴隷制が解体される中で支配のツールとして白人、黒人という区別を設けていった。筆者は、奴隷の本質は親族性の否定と言う。そして、黒人は家族や国家の構成員ではないという意味で親族性が否定された下位の人種であり、奴隷と概念的に連続している。
本書は本体の人種に入る前に壮大な奴隷の歴史について論じている。ヨーロッパ諸国が奴隷貿易に関わる前の奴隷制の歴史から始まっていて、直前に読んだ『人間狩り』の奴隷観が表層的だっただけに印象深かった。