藤田正勝のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
「「いき」の構造」を昔読んで、がなんとも面白くて、興味をもっていたのだけど、なかなかそれ以外の作品には触れないまま、忘れていたのだけど、ふと気になって、読んでみた。
なるほど、「「いき」の構造」を読んだ時に感じた、日本文化のクオリティを探求していこうという感覚の繊細さと西欧的な明晰な構造分析の統合みたいなのが、九鬼周造の読みどころなんだなと思え、うれしかった。
そして、九鬼の他の主な著作も全体が見晴らすことができて、今後、なにを読めばいいかわかったのもよかった。
なんか、この人、わたしが問題としているところと近いところで考えているんだなと妙なしたしみを感じた。少しづつ読んでいこうと思う。 -
Posted by ブクログ
「生」「私」「死」「実在」「経験」「言葉」「美」「型」の8つのテーマについて、哲学的な立場から考察をおこなっている本です。
著者は、西田幾多郎などの日本の哲学者についての研究で知られており、本書でも西田をはじめ和辻哲郎や田辺元、三木清といった思想家たちに言及されています。西洋哲学をメインに哲学の諸テーマについてわかりやすく解説している本を期待する読者には、あるいは違和感をおぼえる内容かもしれません。
著者は本書の「序章」で、哲学は普遍的な内容をもつのか、それともそれぞれの文化圏におうじた個性をもつのか、という問いを提起し、異なる文化的背景をもつ思想が相互に対話をおこなう場所として、哲学とい -
Posted by ブクログ
日本独自の美意識である「いき」について哲学的な考察をおこなったことで知られる九鬼周造の生涯と思想を、わかりやすく解説している本です。
主著とされる『「いき」の構造』や『偶然性の問題』のほか、九鬼の回帰的時間論、日本文化論、文芸論などが扱われています。とくに『「いき」の構造』と『偶然性の問題』がとりあげられている章では、単行本にまとめられる以前の九鬼の思索の過程をたどることで、彼が何を問題にしていたのかがていねいに解き明かされています。比較的平明に書かれた本ではありますが、この点では研究書というべき内容をそなえているように思います。
本書と同じような趣旨で書かれた九鬼哲学の解説書としては、ほ -
Posted by ブクログ
著者の藤田正勝氏(1949年~)は、ドイツ哲学、思想史、日本哲学史を専門とする哲学者、思想史研究者。
哲学を専門とする著者が日本文化を考察した本書を記した背景は、近年、世界全体において、それぞれの文化、民族、宗教の間の溝が一層深くなる方向に動き始めており、そうした状況の中で求められるのは、お互いの歴史や文化を認め合い、対話し、尊重することで、その前提として、我々は、日本の文化や思想、宗教が長い歴史の中で生み出し、作り上げて来たものを再認識する必要があると考えたことだという。
そして、西行の「心」、親鸞の「悪」、長明と兼好の「無常」、世阿弥の「花」、芭蕉の「風雅」の5つのキーワードを基に、彼らの -
Posted by ブクログ
著者の藤田正勝さんは、京都大学卒業。だからだと思うが、西田幾多郎や田辺元に関する著作も多い。
彼の哲学に対する姿勢は明確だ。「はじめに」にも、「あとがき」にも書いてあるが、「哲学の問いは、ボクたちの日常生活や経験と深く関わっているものでなければいけない」ということだ。九鬼周造の言葉を借りれば、「生きた哲学は現実を理解しうるものでなくてはならぬ」となる。
たとえば、「善とは何か」、「美とはなにか」、「生とはなにか」、「存在とはなにか」、「死とはなにか」。もちろん大きな問題だが、誰だって考えたことはあるだろう。だが、この本で一番印象に残るのは、ボクにとって「言葉とはなにか」だった。
■私たち -
Posted by ブクログ
西行の「心」、親鸞の「悪」、長明と兼好の「無常」、世阿弥の「花」、芭蕉の「風雅」の五つのキーワードをめぐって、日本文化の諸相を論じている本です。
著者はヘーゲルや日本哲学の専門家で、とくに世阿弥についての考察で、禅からの影響を重視しているところに、京都学派的な日本文化理解の特色が見られるように思います。
また最終章では、西田幾多郎の『日本文化の問題』がとりあげられ、日本文化の優越性を主張する偏狭な国粋主義が跋扈する時代にあって、西田が世界のなかで日本文化の個性を生かしていく方途をさぐっていたことがとりあげられ、現代を生きるわれわれが日本文化をどのように受け取り論じるべきなのかという問題にか