前川直哉のレビュー一覧
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大都市(特に東京)と地方における性的マイノリティが置かれている状況にある乖離にびっくりしたLGBTQへの理解が進みつつある現代でも、生まれ育った地元でマイノリティであることを公にするのはリスクがあるし、東京のように当事者同士が集まれるようなコミュニテイも限られている。
限られているが、特に東日本大震災以後に各県から団体が生まれたのは、震災を経て当事者同士の連帯が一層求められていることを実感したからに過ぎない。
また、ダイバーシティを認めよう!差別反対!と声を上げることだけが地方の性的マイノリティの救いになるとは限らないというのは新しい発見だった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ教員だけでなく、親御さんにもちょっと難しいかもしれないけど読んで欲しいですね。
初めの方の「学校で行われていることは暴力的」っていうあたりは、胸が痛いのですが、教員の自分の経験や、学校教育における改善点など、愛にあふれた本でした。
高校は男子校は「○○高校」だが、女子校は「○○女子高校」と男子校には「男子高校」とつかない。とか全く気づいていなかったです。
以下、ネタバレです。
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・高校は男子校は「○○高校」だが、女子校は「○○女子高校」と男子校には「男子高校」とつかない。(p.10)
・教員は、生徒に恐怖を与え、生徒の自由を奪い、生徒をコントロールするための手段として、様々な暴力を用いていないだろうか(p.21)
・教員は、「成長」を願うが、この成長は教員の価値観で測定されがち。(中略)学校外での「成長」は軽視されがち(p.22)
・男性教員が生徒の心や身体、思考などをコントロールしようとしたとき、体罰に限らず暴力的な手段(大声、バカにする、にらむ、無視するなど)を用いてしまいやすい背景に、男性と暴力の近さがあることは間違いない(p.25)
・子供のこえを聴く、子どもに応答することは、弱い教師の甘い実践に貶められる。それが習慣化されれば、子どもたちは、力関係に敏感になる。できない、わからないと言えなくなり、こえを聞き合って分かりあうことや、関係を結んで協力することを経験できなければ、強い教師に従う家父長制的な価値観が強化され、応答関係や女性を軽視する態度形成が進む(p.57)
加害的な男児の心のほぐしかた
・「人ってされていることを誰かに返しちゃうんだよ。意地悪されると誰かに意地悪したくなるし、やさしくされたら、やさしくなれる。だから、誰かを傷つけたってことは、君自身が傷ついているのではないかと思って心配なんだ。だいじょうぶ?」(p.80)
・性別にとらわれない、とあえて性別に目を向けるのあいだを行きつ戻りつしながら、子供達の尊厳と可能性を守っていく。決めつけない柔軟さ。(p.83)
・教師自身が生徒の前で、悩みや困りを吐露し、表現することが貴重な経験だった(p.143)
・「男性の女性化」と「女性の男性化」は非対称(p.147)
・社会があらゆる人に対して、信頼感をもてるような場にならなければならない。こんな社会に生きるのがいやだ、こんな社会なら生きてもしょうがない、という場になってはならない(p.150) -
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ネタバレ非常に勉強になりました。
大学で様々なジェンダーに関するレクチャーを受けた気分です。
女性はメイクすべきか、男子同士のふざけ、スポーツは男性の方がむいているのか、女性専用列車は男性差別?、家族とは何、などなど。
それぞれに、自分を問い直すワークがついているのも秀逸です。
中でも、一番しっくりきたのは第5章「男性学、ホモソーシャルな絆」です。
男の子同士の「カンチョー」「ズボン下ろし」などの性的なふざけ。女子がやるとすごく怒られるのに、男子なら男の子だからね、みたいな部分があったりしますよね。
”男子間の性的侵害行為”は性被害という認識が働きにくい。
男子の方が攻撃的な”はやし言葉”(殺してやる、ぶっとばす)とかを使いがち。男子の攻撃性は社会から容認されがち。
男同士の異性愛前提の下ネタ、エロ話ができて一人前の男とみなされるのは「ホモソーシャルな絆」という言葉で表現されている。男性を性的主体、女性を客体ととらえる意識を持ちやすい。
これに気乗りしないのに合わせなければならない男子もいる。そして、異性愛主義、男性の攻撃性は認められる文化からから性被害につながっていく。
戦い遊びや性的ふざけの危険性を授業で伝えることは、子どもだけでなく、保育者・教師にも行う必要性がかかれている。
グサっときたのは、
痴漢被害にあいたくなければ女性専用列車を使えば良いという考えがあるが、「女性専用車両があること自体、恥ずかしいことではないだろうか。」という一言。
第14章女性にも「特権」はあるの?
このワークが素晴らしかったです。(p.154)
(1)「特権」に関する以下の項目についてあてはまるものに丸をつけよう
1、あなたの名前は?と尋ねられたら躊躇せずに答えられる
2、友人の親からどこに住んでいるか尋ねられたら、迷わずに答えられる
3、履歴書などの性別欄に、躊躇うことなく性別を言える
4、生理や妊娠、出産のことを考えずに、自分の予定や仕事の予定を考えられる
5、恋人のことを、躊躇うことなく人前で話すことができる
6、運動会では、いずでかの種目に出ることができる
7、家族の構成を尋ねられたら、躊躇なく答えられる
8、親の勤務先を尋ねられたら、迷わずに答えられる
9、家族の世話などを気にせずに、自分の予定を決められる
10、結婚に関して、自分の姓が変わることなど想像しない
(2)あなた自身、社会における自らの位置についてどのように感じただろうか。また、特権を利用するとどんな気分になるだろうか。なぜ、そのような気分になるだろうか、考えてみよう。
見えない世界を言語化されました。勉強になる一冊です。 -
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独身未婚中年男性の自分が読んでみました。
こういう本が出るようになったこと自体は高く評価できますが、いかんせん出発点がリベラル(さらには従来型フェミニズム)だと、かえって問題をややこしくしている感が否めないなと思いました。
自分がフェミニズムを独学で学ぶようになったのは今世紀に入ってからですが、その理由は、自分がいわゆる(心身ともに)マッチョな男性ではなく、生きづらさを感じていたわけで、おそらく女性にとって生きやすい社会は男性にも生きやすいはずだ、という思いからでした。
ところが今世紀に入ってフェミニズムが認知されると、なんだかかえって女も男も生きるのが辛そう・・・。
例えば雇用関係で見ると、結局個々も強者男性(経済界の重鎮)らがやはり一枚上手だったように思います。というのも、本来であれば経済的な男女の平等は、それまでの男性の賃金同等に女性の賃金を引き上げなければいけなかったところを、男性の賃金を女性に合わせて低くしてしまった。また、あくまでも相対的ではあるけれども、どちらかというと男性はシングルタスク、女性はマルチタスクが得意な傾向がある気がするのですが、男性にもマルチタスク(家事も仕事も)を課してしまい、全員が不得手なことを引き受けざるを得ない状況になってしまったことが、戦後日本のフェミニズム、リベラルの失敗だったように思えてなりません。
男子校生徒への性教育が必要なのは言うまでもありませんが、よくヤフー記事になる、私立男子校で「逃げ恥」を題材に考えさせるという話、必ずヤフコメで書いてくださる方がいますが、あれは星野源さんが演じる役が、ハイスペ男子であるという前提があるから成立しているという指摘は、やはり無視できません。女子からしてみれば「ただしイケメンに限る」なのです。
また、男子校は現在はほとんど私立で、進学校の傾向にあると思います。そうすると、男女交際も、相手女性のことを考えるというよりも、「いかに不同意にならないように法的に回避するか」という、自己防衛のことばかり考える方向に行ってしまっている気がしてなりません。
恋愛結婚が前提ならば、本来、好きな人と一緒になりたい、というところが根源的であって、人を好きになれることは素敵なことだと思うのですが(自分はゲイ寄りのアロマンティックでアセクシャルではありませんが、恋愛至上主義が刷り込まれているので、恋愛できる人間に生まれたかったと思っています)、そうした論点がすっぽ抜けて、理論ばかり優先しているのではないのでしょうか。これでは本質的、根本的な性加害・被害を減らすというところには至らないでしょう。
あと、心身ともにマッチョでない男子の生きづらさへの言及はほとんどなかったですかね。この点については、内田雅克先生の自伝的著書が比較的論証にもなっていることが思い出されました。
とはいえ、端緒に就いたばかり。男女はじめ、どの性も生きやすい学校、日本社会、世界になることを願うばかりです。