杉谷和哉のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
饒舌な三人である。by 三宅香帆
抽象度の高い、それでいて個人の生活と密接に接続している話題を縦横無尽に展開させていく語りに魅了される。三人とも芯の通った主張を持っているが、押し付けるのでなく鼎談の中でより拡散させようという気概が感じられるのが亢進症である。
彼らも適宜指摘してるが、この三人のような柔軟な姿勢をどうやってより多くの人に共有し、理解してもらうのかというのが課題である。マジョリティは短絡的なドパガキアダルトたちが占めている世の中で、かなり劣勢な状況なのは間違いない。
個人的な取り組みとしては、「私たちの疲労」というキーワードを参照していきたい。一問一答で論破しあう侃々諤々な対話で決着を急ぐのでなく、同じ空間で時間をある程度かけてうんうん唸りながら一緒に過ごす。ある種のダルさが表れるまで粘ってみる。そのような姿勢が、ネガティブケイパビリティの実践になるのではないか。
最近の思想系書籍の対立軸はSNSや動画サービスになりがちで、本書もその傾向に沿っている。しかし、本書の特徴はそれらをただ糾弾するのでなく、存在する環境を認めたうえでどのように暮らしていけばいいのか、その解決の糸口を探究していく試みと感じた。明確な答えは提示されない。それが本書の狙いなのだ。 -
Posted by ブクログ
人は機械ではないのでデータだけ数字だけでうまくいくとは到底思えない、広くたくさんの有用な情報が集めやすい世の中になったとはいっても溺れてしまっては意味がない。かといってデータ万能主義を全否定するのもおかしな話で何事も極端に走るのは簡単で楽だけどいい結果を生まないのは日本のプロ野球でデータ活用を得意とするはずのIT系のチームが強い方と弱い方両方にいることからもよくわかる。本作での筆者は適切なバランスをとることがいかに大事であるかを伝えようと尽力されている。しかしバランスをとるということは単細胞的にインパクトの強い結論をださないということでもあるから筆者があとがきでいうとおり「結論はいささか凡庸に映るかもしれない」になっている。
ただ、学者やら専門家やら有識者やら肩書をつけられて難しい言葉を使うことで上から目線で自説を啓蒙するがごとき人たちに比べれば、わかりやすい表現で筆者の意図は充分に伝わってくる。現役時代にこの本と出合っていたら後輩に(もちろん相手は選ぶけど)すすめていたと思う。 -
Posted by ブクログ
めちゃくちゃ面白い。
谷川さん、朱さんの著書を齧ってから読んでいるので、各々の研究・思考というベースがあり、それを対談で発揮するとこういう展開になるのかと感動。
『アイデンティティ』『社会秩序』『社会通念』は仮固定的なものであり、いくつかのノイズに晒されながら絶えず己を変化させつつある。という現代思想の立場を踏まえた上で読み解くべき一冊かと思う。
以下、印象に残った箇所。
【対話は自分の能力以上の力を発揮させる】
人間の能力は「脳」単体ではなく、状況や周囲との相互作用の結果のパフォーマンスとして考えるべき。
人との対話の中ではじめて浮かんでくるボキャブラリーもある。
【諍いを生み出す「疲労」、和解や合意につながる「疲労」】
長い会議や紛争を経て合意にたどり着くプロセスでは、当事者同士が「そろそろ手を結ぼうや」と疲労を共有しあう。これを「私たちの疲労」と呼ぶ。
明確な結論が出なくても手を打てる、一種のネガティヴ・ケイパビリティ。
【インテンションとアテンションという対比構図】
アテンションエコノミーからの距離の取り方にスポットライトを当てているが、その具体策は正直示されていない。ここは自分でもう少し詳しく調べてみたい。 -
Posted by ブクログ
あなたがいることでこの会話ができる・この発言ができる。
対話ってこうありたいなと思える3人の会話だった。ボキャブラリー自体を引き出し、引き出される関係で柔軟に展開される語りに非常に引き込まれたり、引き出されて視点を調節しなおしたりされる本だった。本書はネガティブケイパビリティというワードから創発される様々な論点(陰謀論、言葉遣い、アテンションエコノミー、SNS、ethic、中間共同体、観察、エピソード)で自由に話されている。
終盤の、「イベントよりエピソードに焦点を当てる」という話は本当に腑に落ちた。別に目立たなくてもいい、自分自身がそこにアテンションを当てて手触りがある、他の人にはあまりアテンションされない日常に光を当てる。それって大事だよねと再認識させられた。
また、本書の良いところは、単にーという論点が間違っているというマスターアーギュメントに終わらして読者を安易に納得させた気にならず、かといって「試行錯誤って大事だよね」で終わラズ、視点を絶えず導入して、この答えってこの視点では足りていない部分があるとか、絶えず絶えず視点を導入してマスターアーギュメントに終始しないところが非常に良かった。 -
Posted by ブクログ
短絡的な理解、紋切り型の言葉遣い、敵味方思考、バカと言う優越。
この時代をめぐる悪弊の流れに棹さす試み。
たくさんの抜き書きをしました。
願わくば、ネガティブ・ケイパビリティそのものをもっと掘り下げて欲しかった。
しかし、それは自分に託された部分かも知れない。
対話の面白さと限界も感じた。
<ネガティブ・ケイパビリティについての思索>
*どんどん決めて物事を進めていく。進まないのはつらい。ゴールが見えないのもつらい。そんなとき、強権的なリーダーが欲しいと思うが、現れたら現れたで、「自己」への抑圧は本当に苦しい。
*ポジティブ・ケイパビリティの特質を列挙してみる。
・スピード感
・集約的、階層的な組織構造
・太陽と月で言うと太陽
・能動と受動の役割の明確化
*みなで場を分かち合って、決めがたいものに耐え、よいものを生み出していく努力を共有する。それがネガティブ・ケイパビリティでは。高度な忍耐力、自己抑制力が求められる。本書で触れていた「観察」というのは大事な視点かも知れない。相手をのぞき見るのではなく、触れずして触れさせてもらう。そこには良心が発揮され、「待てよ」という言葉が発せられる土壌がある。 -
Posted by ブクログ
ジョン・キーツの「ネガティブ・ケイパビリティ」を書名に冠している通り、安易に結論を出さずに、様々なテーマの多面性に光を当てながら三人の哲学者の鼎談が進んでいく。ポラリゼーションや単純化・効率化の加速に違和感を感じていたためか、とても多くの含蓄や示唆を得られた。
・ファクトフルであることを手放しに称揚する危うさ
個人的には、ファクトや真実への立脚や反証可能性を主張するカール・ポパーやハンナ・アーレントの論につい賛同してしまうが、そうではないものを切り捨てることは「愚かさの批判」であるという著者の警鐘は肝に銘じたい。これは、本書中でも引かれている『社会はなぜ左と右にわかれるのか』を読んだ時にも感じたことだった。議論の妥当性を論理で考えるだけでは見落としているものがある。誰もが弁証法的な西洋的価値観であるわけでもない。当事者の事情や渇望に焦点を当てることが重要だ。そして、誰もが包摂される感覚や言葉が必要となる。熊谷晋一郎が主張する言語の「ユニバーサル化」も大切な論点だ。
・アテンションエコノミーからのデタッチメント
情報量の増大と能力主義の加速はアテンションの必要性をもたらす。インターネット空間、特に SNS では多様性・複雑性やコンテキストが低下するために、これに拍車をかける。本書内では触れられていないが、グローバル化もこの要因の一つなのだろうと外資系企業で働いてきて肌で感じるところだ。
注目を集めなければ大きなうねりや成果は生み出しにくいが、単純化によって複雑性は失われてしまう。
・観察と自己相対化によるナラティブからの解放
「自分のナラティブに振り回されるのではなく、自分のものにした方が良い。」という言葉が最も印象に残った。私たちは原体験や問題意識が言語化されたナラティブには安易に飛びつきがちだ。そしてそれを「正しい」ものだとして信じてしまう。エビデンスや社会倫理など、「正しい」とされている側のナラティブであれば尚更であり、リベラルこそその危うさを孕んでいるとも言えるだろう。安易にこれに飛びつくのではなく、身の回りをこの目で観察して世界の解像度を上げること、そして対話を通じて互いのズレを認識し、どちらかの極へと偏るのではなくバランスをとることが重要だ。(ジョン・ロールズの「正義」の考え方に常に意識的でありたい。)
・何でも自分ごと化しなくていい
既存のナラティブに安易に絡め取られないようにするためには、パブリックとプライベートの間のコミュニティが重要となる。物事を安易に自分に接続せずに、問題を問題としてクールに扱うことも大切だ。SNS やブログサービスが提供する「お題」に過度にフレーミングされないようにしたい。「イベント」ではなく「エピソード」を大切にしながら生活していきたいと思った。 -
Posted by ブクログ
対談形式を読むのが私は苦手なのだが、この本は対談形式だから難しい(私にとって)という訳でなさそうだ。ネガティブケイパビリティの定義がそもそも難しいのだ。ネガティヴケイパビリティは「わからない」と開き直ることでもないし、「考え続けよう」と呼びかけることとも違う。捉えどころのないもので、まさに「不確実性への耐性」という表現がしっくりくる。安易な落とし所で考えを押し付けるのではなく、揺れながら実際に考え続けることであり、それ以上に表現する必要があるのであれば、それぞれの現場で引き取って具体化したり、別の概念と組み合わせたりすることでしか表現できない。
実際この本でも、ネガティヴケイパビリティを陰謀論やSNSといった様々な切り口から表現しようと試みているものの、はっきりした何かが見えてくることはない。このモヤモヤがポイントなのだ。
にしても、ナラティブ合戦とか物語的誤謬とか興味深い話が盛りだくさん。
そして、最後の三宅香帆の解説が印象的。
私は人間を見るとき、「何を言うか」ではなく、「何を言わないか」でしか人を判断しない。何を言いたくないのか、何を言い淀むのか、どんな言葉に抵抗を覚えるのか。言い淀む様子こそ人間らしさが潜む。
本当にその通りだなーと思って、一人で感動していたことは秘密。 -
Posted by ブクログ
思考の共犯者による対談。対話からではなく観察から。
・一問一答的世界観
・信仰と陰謀論
・アテンションとインテンション
・「言葉」に乗っ取られる世界観
金づちしか使えなければ釘に見える
◯(陰謀論やカルトも、フェアネスを求めるリベラルや保守も、区別がつかない)危うさを避けたいなら、「正しきナラティヴへの覚醒」ではなく、自分の体験を吟味する批判的な姿勢が必要となるはずです。自分の経験や行動を、多角的な視点から捉え直し、評価すること、つまり、自己相対化です。
・「観察」の役割
・イベントではなくエピソード
・いつでもどこでも誰とでも成立する言葉ではなく、手触りのある言葉で