上原隆のレビュー一覧
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この本はどこで見つけたのか…それが思い出せません。重松清さんが解説を書かれているからかもしれません。
上原さんはエッセイやコラムを書いてこられたそうですが、この本はノンフィクション・コラムとして書かれた1冊です。
題名は石川啄木の『悲しき玩具』に所収されている詩からつけられたと扉に書かれています。
あとがきに「自分を道端に転がっている小石のようだと感じたとき、人はどうやって自分を支えるのか」という問題意識を手にして、話を聞いてみることにしたと記されています。その通りにさまざまな人生を生きる人たちにインタビューをした20の物語。それを淡々と客観的に書かれているが、ときに自分を重ねたりしながら読みました。
もちろん、理解できないなあというものもあるのですが、根底にあるものに共感して心に残るものもあります。
問題意識の中で「多くの人が自分を支える杖を持っていたことを思い出す」そして、「困難なときに自分を支えるもの、それがどんなものであっても、その人を支えるならば、意味がある」という教訓を得たという著者。
彼を支えるものがこの本、「ノンフィクション・コラムが私の自尊心を支えている」。
私にとって『杖』はなんだろう。そんなことも思いながら、読みました。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「つらいことや悲しいことがあり、自分を道端にころがっている小石のように感じる時、人は自分をどのように支えるのか?今回はつらい場面の描写だけではなく、それを乗り越えた瞬間にパッと輝く喜びの表情を記録したいと思うようになった。」
『小さな喜びを糧に』
二分脊椎症と水頭症を併発して生まれてきた息子について語られた言葉で息が詰まりそうになった。
「なんていうかな、将来のことを考えては今日は生きられないってことなんです」
『ブロンクス生まれのウェイター』
人に親切にすること、お洒落をすること。彼の生活信条は至って単純だけど、その単純な生活信条が日々を生き生きとさせる。
『タイムマシーンに乗って』
「学校でいじめられても、家に帰れば親は普通の子として扱ってくれる。ホッとする。」そうなの。心配されたくないし、気も遣われたくない。ただ普通の子としていられる唯一の場所が家だった。
『ロボットの部屋』
私がミニマリストにならない理由。
「これを持ってるとその時代のことを忘れない。遺産みたいなものです。」
『復讐のマウンド』
まさに七転び八起き。もちろん彼の精神的な強さもあるんだけど、コーチや奥さんあっての復讐劇でもあるよね。周りの人は自分を写す鏡。
「後ろを振り返っても過去はついてこない。前を見て切り開いていこう」
『リコン日記』
翠の心情や行動が生々しくて読むのが苦しかった。でも最後、とても短い一文なのだけれど意志の強さと清々しさと軽快さが感じられて胸にガツンと来る。
『天安門から遠く離れて』
終始イライラしてしまった。でもこれって決して小説の中の話だけじゃなくてこういう視野も心も狭くて人間の器が小さすぎる人っているよね。自分は臆病だしいまの仕事を失いたくないっていう台詞も頭に来たけど、とてもリアル。
『わたしはリカちゃん』
これを否定されたら生きる意欲を失ってしまう、それでも世間は否定的で誰も自分の欲望を肯定してくれない。
『愛想笑い』
ごますりごますり。
『六十八回目の恋愛』
「人の気持ちは努力でつかめないでしょう?」
「メジャーになって、自分のランクが上がって、もうここでイイと思った時に、自分の女を決めたいんだ」最低。
『インポテンスの耐えられない』
ゴメンナサイ。
『実演販売の男』
孤独な杭、かぁ。
『黄昏時』
なんか、いい。残された時間を心地の良い距離でそれぞれが大切に過ごす。
「なるべく、楽しいことは一緒にやろうと思って」
『子殺し』
「つらい体験からテーマをつかみ出し、自分の研究や表現の対象とすることができたら、その時にはもう、人はつらい体験から一歩遠のくことができている。」
最近読んだルポタージュ「聖なるズー」を思い出した。私が目指すところでもある。
『我にはたらく仕事あれ』
お父さんの静かな応援が心に染みます。
『会社がなくなった』
「好きな仕事ができ、仲間を信頼できて、会社を愛せることがどんなにすばらしいことかがよくわかった。失ってはじめてわかることがたくさんある。」
こういう時期だからこそなおさら心に響くお話。
『キャッチ・セールス』
うーん。
『大晦日』
「違うわよ。結婚したい。毎日一緒に暮らしたいわよ。でも、一緒に暮らしたら、あなたはいまのように私を愛してはくれないのよ」
そうなのそうなの。 -
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ネタバレ何度失敗しようが、何度挫折しようが、こうありたいという思いを持ち続けることはできる。
(「うつ病」より)
*****
多分、この文庫本が出てまだ間もない頃。
いつも通る本屋さん、ふと目に付いた本屋さん、いくつかの書店にこの文庫がずらりと並べられていた。
ミーハーなので、すぐ私は手に取る「何?ナニ??」って。
でも、何故か買わず。
月日は流れ、およそ5年、私はこの本を遂に読む。
ジャンルはノンフィクション。
ボブ・グリーンタッチのルポ。
…ぼぶぐりーんとは何ぞや??
アメリカのコラムニスト…などなど、ちょっと調べてみたり。
普段、私はノンフィクションを読むと、色んな意味で考え込んでしまうので、あんまり好きではない。
明るいイメージもなかったりする。
ノンフィクションというと、歴史に残るような事件を取り上げたものだとかが浮かぶけれども、14章から成るこの本の中に出てくる人々はけして新聞に載ってしまうような事件の中心にいたり、誰もが驚きを得てしまうような人生を送っている…というわけではない。
基本的には周りにいてもおかしくない境遇のひとびとだ。
だけれど、みながみな当人たちなりに劇的な日々を送っている。
毎日考えて、悩んで、時には笑って、時には泣いて、生きている。
そういったことがどの章にも顕著に浮き出ていて、何だかほっとしてしまう。
そして、強張らない程度にちょっと気が引き締まる。
自分の毎日が大切で愛おしくなるような、少し切なくもあるような。
不思議な読み心地。 -
Posted by ブクログ
本の印象。タイトルが熱を帯びた投げかけのように感じるのに、文章は淡々とした語り口が続いていく。
だから、ジーンとした心に刺さるものを得るには、読者の側の姿勢に委ねられる。
上原氏もこの本の中で書いていたが、それは鶴見俊輔氏の文章術を引き継いだもの。“なるべく形容詞や副詞は避ける。「美しい」とか「とても」とかは使わない。基本的には名詞と動詞だけで良い”というものが貫かれているからなのだろう。
コペル君が、友達と約束したのに、上級生の理不尽に抗議する友達の雄姿に加われず。そのことを分析した箇所が気に入ったので一部引用します。
〜〜火のそばに手を持っていけば熱いから手を引っ込める。赤ん坊にはそのようにして火の恐さを教えている。それが人間の思想の根本だと私は思う。そういう反射が思想の最も重要なもとになるという気がする。だからリンチが生じるような状況がきても、リンチを避けるような、リンチにくみしないような反射が自分の中にある人たちが大勢いれば、それは食い止めることがあるできる。これは日常的な付き合いの問題であるし、生活の中で自分が自分で育てる感覚の問題なんです。それは思想をどう見るかということとかかわっている。〜〜
【コペル君が何故行動に移せなかったのかの答え】
トゲトゲしい空気の中で行動を起こせる「反射」がコペル君の体の中になかったから。コペル君は自分の意思に反して行動を起こせなかったのだ。
ここからは、この本が引き連れてきた記憶と妄言を書くことにする。
必ずしも、この鶴見俊輔氏の考えには納得したわけではないけれど、こうやって、その原因をつきつめていこうとする姿勢に共感した。そして、自分が若い頃思い悩んだことを思い出した。
それは、『自分は自分より上位職にある者、弁がたつ者の意見にすぐに靡いてしまう』ことへの自己分析だった。
決して自分の意見がないわけではない。だが、意見を闘わせること、人によってはそれによって不機嫌になる人がいてその表情や振舞いを勝手に想像して、“ことを荒だてたくない”とひ弱な自分の姿が他者の意見をまるごと飲み込んでしまっていたのだ。
そうやっているだけなら、“そのひ弱な自分がそこにあるだけだから一人間の問題”だし、それを引っさげた人間の佇まいや振舞い、言動は虚勢では覆い尽くせず周囲の人間の信頼を獲得することはできない。というだけでこれも本人の問題で済ませられる。
でも、許せなかったのが、自分が必死に努力して自分の存在を高めようと努力し、エネルギーを注いでいる日々のもがきが、このことで『無意味に感じられた』瞬間があった。様々な、苦労や経験に耐え忍んでいるのは、「自分が自分として存在するため」なのではないのかと思えてきたし、それはこの世の中にある“正義”という言葉に影響を及ぼすようにおもえてきたのだ。
それから、条件反射的な同意(自分の意見を引っ込める)はしなくなった。自分の意見の裏付けを持てないときは、相手には時間をもらってでも、それを整理して伝えるようにしてきた。
【世の中をうまく生きる】≦【自分を生きる】ことに価値を見出した瞬間であった。
今でも、その指針をもって世の中を生きている。しかしそのことによる葛藤が障害物のように立ち塞がることだらけでもある。
そして、そんなとき呟いている。
「あぁこれが、みんなが口にする“現実”っとやつの正体だな」って。
いつの日か、“世の中”と“現実”の関係を図に示して孫に見せてやらねば。
鶴見俊輔の書は読んだことがないので、読んでみようと思うが、この世代の人は、書物をとおして多くを知ることになるので、生きる姿勢と言動が一直線上にあるのを強く感じた。 -
Posted by ブクログ
300人以上の人と会い、話を聞き、感動したものを書籍にして、5冊。その百近くの話を振り返ったのが本書。これまで語らなかった著者自身の考えについて本書では紙面を割いて述べている。
「つらい話をたくさん書いてきた。
…
こうした話はどれも、気軽に話せるようなことではない。どちらかというと人に知られたくないようなことの方が多い。よく話してくれたものだと思う。
そのような話を原稿にして、発表する前に当人に読んでもらう。そのとき私はいつもドキドキする。『こんなことを書かれたら困る』とか、『私はこんな人間じゃない』といわれたらどうしようと思うからだ。もちろん、修正意見には応じる。しかし、根本から違うといわれたら、もう、私にはその人のことが書けなくなってしまう。
いままでのところ幸いそういうことはない。むしろ、喜んでくれた。」
「人から話をきく。人はそのとき思い出すままに話す。出来事の種類はばらばらだし、長かったり短かったりする。それぞれの時間は前後しているし、関係も原因だったり結果だったりしている。そんな中で、いくつもの出来事がポツンポツンと見えてくる。…
それを家に持ち帰って、じっくりと眺める。そして、私がグッとくるところ、つまり感動するところを見つける。そこを中心に、必要な出来事を並べる。そして出来事と出来事をつないでいく。…
この作業を、私は勝手に『物語化』と呼んでいる。そしてこの『物語化』によって、できあがった文章を読み、当人たちは喜びを感じ、発表しても良いといってくれたのだと思う。
発表しても良いといわせたものは、『物語』の力ではないだろうか。」
「体験の客体化は自分ひとりではなかなかできない。自分にとっては、どの出来事も重要に思えて、体験の中心がどこにあるのかが見極めにくいからだ。私という他人が、感動したところを中心に、出来事を並び替え、ひとつながりのものとすることにより、作品となり、客体化は完成するのだと思う。
それでもやはり浅野の『自己物語はいつでも『語り得ないもの』を前提にし、かつそれを隠蔽している』という言葉を忘れてはいけないだろう。
私の書いたものは、彼や彼女の人生の一部分でしかない。とりあえず彼らの姿だ。作品の外側にはもっと長く、もっと膨大な、もっと重い人生がある。
アルバムをパタンと閉じても忘れられない過去はある。」
「私は、『困難に陥ったときに人はどう自分を支えるのか』という問題意識を持って、人に会い話をきいてきた。それらの中のいくつかの共通点をつかみ出し、この本に書いた。『自分の物語化』や『困難な状況を名づける効果』や『自分を笑う』ことなどだが、そのいずれもが、自分から距離をとる意識の持ち方のことだったと、須原の本を読んでわかった。
困難な状況下の自分を客観視するという方法は、危機回避の方法として人間の脳に仕組まれている一種の認識の仕方らしいのだ。」
「世界情勢を認識しようと、本を読んだり、新聞を読んだりしました。でも、行動できないんです。悩みました。その後、何年か経って、考え方が逆だったと気づきました。世界、日本、学生、そして私ではなくて、私、学生、日本、世界と行くべきだ。私の欲望があって、それを邪魔するものがあり、それと戦うことが日本の問題になり、世界の問題になるというのが筋じゃないかと思いました。」
「困難に陥っている人にごく自然に手をさしのべることのできる人がいる。一方、困難の中にいても、自分を見ていてくれる人がいることを知ったとき、そのことを受け入れ、ありがたいといえる人もいる。
こんな人たちがいること、こんな事実に出合ったときに、私は感動している。
自分の感じたことだけが、自分を内側から変化させる。私に欠けている公共心や道徳を自分なりに作っていくことができるとしたら、こんな場所からだろうと思っている。」
「『隣の芝生』も『自分はまだまし』も『プラス思考』も、それだけを取り出してみれば、社会の原理を説明してくれる考えではないし、人々の行動の根拠を意味づけてくれる倫理でもない。むしろ、他人よりも自分が大切といった考えが強く、良いか悪いかでいったら、あまり良いものではないかもしれない。しかし、私は、彼らの生きるいまを支えていることを重く見たい。そこには、この言葉を必要とする切迫感がある。
私が出会った人で、困難なときに、丸山眞男や加藤周一、カントやフーコーの思想や言葉が支えてくれたというような人はひとりもいなかった。」
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読書録「友がみな我よりえらく見える日は」4
著者 上原隆
出版 幻冬舎
p220より引用
“ 他人はどのようにして自尊心を回復する
のだろうか?
人が傷つき、自尊心を回復しようともがい
ている時、私の心は強く共鳴する。”
目次から抜粋引用
“友よ
登校拒否
職人気質
別れた男たち
リストラ”
ルポライターである著者による、日々を生
きる一般人の人生の一部を記したノンフィク
ション。過去に他社から刊行された作品の
文庫版。
事故で失明した人から会社の嫌がらせでリ
ストラに追い込まれた人達まで、苦境であっ
ても時分を失わないように生きている人達が
記録されています。
上記の引用は、あとがきでの一節。
気持ちが落ち込んだり、誇りを失いそうに
なった時に、それを取り戻そうとすることが、
人であることの証明の一つ、なのかもしれま
せんね。
題名は石川啄木の「一握の砂」の一節から
とられているようです。石川啄木を読んだ事
がありませんが、その気にさせる良い一節が
引用されています。
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