上原隆のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
市井に生きる人々の、人生のごく一部を覗かせてもらったような気持ちになるノンフィクションコラム。
人の数だけ、それぞれの人生のお話があるんだよ、と教えてくれる1冊。
私と全く関わりのない人たちのストーリーなのに、どうしてか共感してしまったり、なんとなく懐かしい気持ちになったり、(その人たちのとっての)幸せを願ってしまったり。 そして、今の自分自身をふと振り返ってしまったり。
本を読んでいる、というよりは私自身も著者と共にその場に同席して話を聞いたり、観たりしているような気分にさせられた。
人は誰しも、ひそやかに胸に悔いやどしつつも、生きていくんだろう。私も、私の家族や回りの友人も、私は名も知ら -
Posted by ブクログ
■大丈夫、ひとりじゃない■
つらい時、さみしい時、上原隆さんのノンフィクションコラムがときどき無性に恋しくなる。基本的には上原氏の他の著書と同じ構成、同じ雰囲気だ。ただ、本書はタイトルが大げさで初めての人はイメージした内容と違うかもしれない。
登場するのは特別な人間ではない。駅前の交差点、公園のベンチやスーパーなど、日常目にする風景のどこにでもいそうな人間を直接取材し、彼らの生活の中に存在する孤独、悲しみ、苦悩、喜びを淡々と描く。その生活は今日もどこかで営まれているのだろう。
そこにスリルや興奮はない。ストーリーが特に面白いわけでもドラマチックなわけでもない。あるのは時に冷酷な、時に温か -
Posted by ブクログ
取材型のエッセイ集、視力を失った友人、離婚したシングルファーザー、見習い女優などざまざまな人に話を聞き、悩みや不安にどう向き合って生きているのかを、鮮やかにまとめている。そこから浮かび上がるテーゼは「人は自分でつちかってきたやり方によってのみ、困難な時の自分を支えることができる」(P19)。と、言えるだろう。
苦しんでいる人に寄り添うのは難しい、苦しいのは本人だけではない。それを見ている他人も目を背けたくなり、酷いことに、本人を怠惰だと責めてしまうことだってある。しかし、著者は結論を出すことに焦らず、一人ひとりの物語を包み込むようにして、教訓ではない作品に仕上げている。 -
Posted by ブクログ
ネタバレこれまでのコラムは、他者を暖かいながらも客観的に淡々と描写することによって「人が困難に直面した時にどう対応するのか」を書き綴ってきた.
今回は、一転して自身の内面をさらけ出し、内面を奥のほうまで掘って掘って掘りまくる.
「良き自分探し」とは内面に向かって自分を掘ること、「悪しき自分探し」とは自分の外側に向けて、どこか別の場所に行けば本当の自分が見つかるのではないかとさまようこと.
62歳とは思えないような、悪く言うと「青臭い」悩みもどんどん開陳してくれる.
人がいざというときに頼りにするのは「限界哲学」いわゆる俗な日常にありふれた言葉であるのは納得がいくものであった.
いかにありふれた言葉 -
Posted by ブクログ
この本はどこで見つけたのか…それが思い出せません。重松清さんが解説を書かれているからかもしれません。
上原さんはエッセイやコラムを書いてこられたそうですが、この本はノンフィクション・コラムとして書かれた1冊です。
題名は石川啄木の『悲しき玩具』に所収されている詩からつけられたと扉に書かれています。
あとがきに「自分を道端に転がっている小石のようだと感じたとき、人はどうやって自分を支えるのか」という問題意識を手にして、話を聞いてみることにしたと記されています。その通りにさまざまな人生を生きる人たちにインタビューをした20の物語。それを淡々と客観的に書かれているが、ときに自分を重ねたりしながら読