信原幸弘のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレタイトルの通り、意識はどこからやってくるのか。
死んだらどうなる、と同様、簡単なようでずっと解けない謎。ただし研究者も手をこまねいているわけではない。
脳をいくら切り刻んでも意識を摘出することはできない。では、どのように意識を捕まえるのか。実際には、脳をごく薄くスライスし、その断面に現れる神経線維を観察し、同じような配線を電子的に作り上げ、脳の働きをシュミュレーションできる、疑似脳、電子脳のようなものを作りそれで研究を重ねる、というプランがあるそう。
また、脳を機能学的に電子情報として読み取り、外部スト―レージに複写してその働きを調べる、という方法も提示される。
本書の中でいくつか仮説が提示されていて、右脳左脳をつなぐ脳梁に電子信号を読み取るチップを挟み、脳のあらゆる情報処理を電子的に読み取れば、脳の働き引いては意識とは何かに肉薄できるのではないか、とする。
本書は、思考実験の塊のような本なのだが、いろいろな仮説をあてはめられるのが楽しい。
「もし、脳の中の情報をすべて電子的にコピーできたとする。そうすると、私と私コピーができることになる。これは両方とも私なのか」。本書では、同時に存在する私は一人だから、コピーの方は偽物、と論じる。別に読んだ量子論をあてはめれば、「あるようでない」「観測しようとすると性質が変わる」「マルチバース」という視点で見れば、別に私が何人いても矛盾はしないのでは、と思う。(複数の同一人格が同じ宇宙にいてはならん、ということか)
また、同時に存在しない、というのは時間的に、という視点からも述べられるのだろうと思うが物理学的には時間は存在しない…。(「時間は存在しない」カルロ・ロベッリ)となると、これはまさに持続する意識を前提にした話ではないか。(意識は連続して存在するのだからそれと矛盾しない時の流れ、を想定せざるを得ない)
意識の問題から、私とは何か、人格とは?生命とは?という問題にもつながる。
コンサルタントのような仕事をしている私が悩んでいる、「どうして人は変われるのか」にもつながる。意識は連続していて、一定の不変性を持っている。その意識を抱えたままで人はどうやって変わっていけるのだろう。若いころと60歳を越えた今、明らかに私は変化しているけど、それは持続した意識と矛盾しないのだろうか。
短い本だが、いろいろな論点、問題が提示される。 -
Posted by ブクログ
哲学と科学の2ジャンルから意識がどう生まれるのかを予想、討論する内容。
思考の内から理詰めでさらに奥を探ろうとする哲学と、外部から脳の仕組みを把握して再現を試みる科学のような感じで、アプローチこそ異なるが近しい所を目指す2人がタッグを組んだ…!みたいな感じでわくわくした。
あるサービスが終了したゲームのクライアントを解析し、有志が遊べるようにサーバーを構築して運用しているケースを知っているが、それと同じようなことを人間の脳でやろうとしているようなので、これはいずれできそうだなと思った。
が、それには解析の精度を高めないとならない。生身の脳はそう調達できるものでもないだろうし、僕らの生きてる時代には到達できなさそうだなとも思った。
全巻を通して、「意識はどこからやってくるのか」への問いには、哲学と科学の間。少し哲学寄りのところじゃないかなと思った。 -
Posted by ブクログ
「肉体的な死」の後に、デジタル空間で「今までと変わらない生活が過ごせる」ことを目指す「マインドアップローディング」という技術を巡り、「哲学者」と「科学者」がそれぞれの立場から語り合う対談本。
哲学的立場、科学的立場から「意識とは何か」「自己同一性とは何か」「デジタル世界における“ウェルビーイング”」といった様々な「“生きる”とは」という問題提起について語られる本書では、なによりも単純に「昨今の恐るべき技術進歩のスピード」に驚いた。
「意識、無意識を含む脳の情報処理の全てを機械に移すことで、その機械に意識が宿り、今生きている世界と同じような形で、デジタル空間で生きていける」という「マインドアップローディング技術」について、その研究を進める渡辺氏が「意識の湧いた機械を作って、視覚的意識を確かめるところまでなら、あと十年くらいでできるのではないか」と話していて、その真偽はともかく、それが荒唐無稽とは言えないレベルまで現代の科学技術が進んでいることにほとんど驚嘆してしまった。
その前提の上で、「そこまでして生き続けたいのか」という、科学領域からはみ出した「生き方」の問題にアプローチし、それぞれが認め合うところ、立場が異なる点などについて深掘りしていく対談となっており、非常に興味深かった。 -
Posted by ブクログ
●マインドアップローディングという技術を主軸に、科学と哲学の両面から、「意識」について探索した本。
●意識はどうやって生まれるのか、人間にしかないものなのかを知りたい。
●本書は、マインドアップローディングという刺激的な技術を切り口に、科学と哲学の境界線から「意識」の正体を解き明かそうと試みる。特に興味深かったのは、自己同一性が「社会の捉え方」によって決まるという視点。青虫が蝶になっても同じ個体だと見なされるのは、社会がそのような変化を「同一性」の範疇に含めているからだという。もし社会が「猫が犬に変身する」ことを受け入れれば、それも同一だと見なされる可能性があるというわけなのだが、自己の定義がいかに脆く、外部に依存しているかを痛感させられる。マインドアップローディング後の欲望や理性がどう設定されるかという議論も含め、技術が進化するほどに「人間とは何か」という根源的な問いが重みを増していくことを実感した。自分の存在がデジタルに置き換わったとき、そこに「生き様」を見出せるのか、深く考えさせられる一冊。 -
Posted by ブクログ
「人間の知能の大まかな全体像」を示す本だとのこと。
構成は、最初の2章は「覚える」ことと「わかる」ことの違いを押さえる。
あれ?これで表題の内容が終わっちゃう? と思われる。
そのあと、臨機応変に対応する知の話に展開する。
さらに、「知的徳」と「批判的思考力」へ向かう。
「徳」の話が出てくるところが意外だった。
それは著者が哲学の人だからか?
そこからテクノロジーが人の知を拡張する未来の話になって終わる。
全体としてびっくりするほど新しい話が出てくるわけではないが、「覚える」ことや「わかる」ことをいくつかの局面に分けて考えていくので、こちらも理解を整理しながら読み進めることができる。
覚えることには、暗記する以外にも、身体で覚えることもある。
そのために、知覚や感覚を磨く必要があり、それによって技術の習得が進んでいくとのこと。
(こういう議論は心理学者の領域か?と思うのだけれど…)
「わかる」こと、物事を理解するとは、それについての知識を獲得することだともあった。
それには内容の理解と、意味(その知識がどう働くか)の理解というレベルがある。
深い理解とは何か、とあったので、自分としてはそこが知りたくて、ちょっと前のめりになったが…
深く理解するとは、内容の理解と意味の理解の両方をよく知っているとうことだとのことだった。
このあたりまでの話は、割とわかりやすいとも言えるし、どこかで聞いたことがあるなあ、とも思えるような内容だった。
それ以降は、状況に応じて対応する「アジャイルな」知の働きに話が進む。
状況を把握するには、知覚と情動が必要だとのことで、人工知能との対比で説明されていた。
情動の次に「知的徳」の話に続く。
さっき書いたように、ここが一番自分にとって驚いた部分だった。
「徳」とは「卓越した性格」のことで、何事にも中庸であるとよいらしい。
何か急に孔子様の姿がちらついたのは幻影か?
真理の探究や課題解決には、知的徳の発揚たる「開かれた心」「知的な粘り強さ」「好奇心」などが関わっているという話になってくると、これは最近はやりの「非認知能力」とか「グリッド」の話か?とも思えてくる。
最終章では、テクノロジによって人間の知性が拡張する未来について、問題提起されて締めくくられている。
この話についてもっと読みたかった。
人工知能の研究者とは違う観点が出てきたら面白いかも、と思うから。