「あいつらにはジャズと呼ばせておけ」これは痺れる。
ジーン・リースについては、英国植民地ドミニカ生まれ育ちの白人に対する、本国イギリス人からの蔑視(こいつらは本物のイングランド人ではない)を抜きにしては語れない。
生まれ育った故郷であるカリブの島では支配層でありながら、母国であるはずのイギリスでは一段下の存在として扱われる。同時に、育った島は白人プランターへの憎悪を募らせてゆき、支配者としての一族は没落してゆく。
どこにも居場所がない感覚、帰属先を失った異邦人。
そしてもう一つは、女性が社会的、経済的に男性の管理下にあった時代への反逆だ。
コーラスガールやモデル(マヌカン)として働いたジーン・リースは、パトロン気取りの男性による、若さや美しさへの賞賛の裏に、女性の知性や下層階級への嘲りが併存することを鋭敏に察している。
「あいつらにはジャズと呼ばせておけ」にも、これらの要素が盛り込まれている。
肌の色の差別、階級差別、女性蔑視、貧困と飲酒癖に飲み込まれて、足場を失いずるずると“堕ちてゆく”ような生活。
でも、僕が痺れたのは、逆境への反抗、不屈といった文脈ではない。
白色/有色、富裕/貧困、男性性/女性性、これらは相対性の概念に過ぎない。
主人公の内にに呼び覚まされた歌は、相対性で象られた世界と壁を飛び越えて、その外へと繋がっている。
カテゴライズやレッテルは、鮮やかに無効化される。
彼女を取り巻く人びとの悪意も、得た金の出どころも、狭量な社会規範も、もはや彼女を傷つけ、損なうことはない。
だからこの短編を、民族的アイデンティティの発露とは読まない。黒人奴隷の歌/白人のジャズ、ほんもの/にせものといったレッテルもまた、無意味なカテゴライズだろう。
もはや、どこかに属すことなど求めない。その孤高と不遜なまでの逞しさ。
“もしトランペットであれを吹いたとしても、たとえわたしが望むように、正しく吹いたとしても簡単に崩れる壁などない。「だから、あいつらには、ジャズって呼ばせておけ」と私は思う。間違ったまま吹かせておけばいい。それはわたしが聞いた歌を傷つけることはできない。”
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“あの嫌なじいさんは、自分がむしろ好かれているのだと知ったらなんと言うだろうか。包み隠さないあの憎しみや侮りはむしろ気晴らしになるのだ。新聞記事の行間や本の表紙で蛇みたいな声をあげている憎悪に比べれば。ずるい笑みの奥に潜む憎悪に比較すれば。女? ああ、女か。 女はこうしなければ、女はそうしたいだろう、女はこうするだろう。”