小砂川チトのレビュー一覧

  • ゾンビ回収婦

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    流石芥川賞、よく分からなかった。
    でも上司から愛されたい。働かざる者食うべからずという潜在意識によって労働しなければという脅迫観念は良くわかる。
    AIに仕事を取られるか分からないけど、ゲームに費やす似たような光景が広がるヨドバシの土曜日の昼さがり。

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    2026年10月03日
  • ゾンビ回収婦

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    ネタバレ

    あらすじを全く知らずに読み進めていたので、物語がどのように展開しているかは、当分わからなかった。ただ読み進めていくうちに、主人公はVRにのめり込んで現実と仮想空間の境目が曖昧になっていることがつかめた。自分もゲームのやり過ぎには気をつけないと笑

    主人公は臓器や肉体の破片を集めていく過程で、自分自身にストイックな一面が多々みられた。完璧こなさなくてはいけない、働く物食うべからずなど。
    もしかして、この刷り込みって最後の方に出てくる父親の嫌味ったらしい呪文のせいだったりしないだろうか。しかし最後らへんに体のパーツ=自身の信念として表現されていたのがよくわからなかった。

    またVRをプレイする前はAIに対して過剰に毛嫌いしていたものの、ゲーム中に出てくるAI(実際にはミーシカ)のクマに弱音を入っていたのが少しカオスで面白かった。

    一周読んだ後に斜め読みをしてみたが、やっぱりまだわからないことが多いので、一度期間を空けて再度読もうと思う。

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    2026年10月03日
  • ゾンビ回収婦

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    AIに職を奪われた現実世界からVI世界への移行。ロールプレイゲームでゾンビ回収の仕事に邁進する主人公の世界がどんどん現実を侵食して、その不可解な世界に平安を見出す。また、その悩みは現実世界でもあったような、どんどん混沌としていく。

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    2026年09月26日
  • ゾンビ回収婦

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    死んで別の世界で新たな人生をやり直す、そんな転生系の小説が流行っているが、本書は形を変えたそれではないだろうか。
    主人公は生きていているが、社会的には死んだようなものでVRゲームの世界に逃避という希望を見出している。
    だた、転生系は新世界で前の世界の不幸を帳消しにするように活躍し、幸せになっていくが、それとは逆にVRゲームの世界にのめり込むほど死に近づき世界が混沌としていく。
    そんな、2つの世界で揺れ動き現実と虚構がわらなくなっていく様が怖くもあるが、惹きつけられてもしまう。

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    2026年09月25日
  • ゾンビ回収婦

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    ネタバレ

    これは「私の価値と仕事」を主軸に描かれていると思うので、それについての感想を書きたいが、なにせそことはあまり関係がない部分が一番印象に残ったので、まずはそちらについて。

    印象に残ったのは以外。

    かれのプレイするゲーム画面を眺めてあれこれ言いながら晩酌をする時間がわたしはきらいではなかったが、かれがゴーグルを装着するようになると見る間に、わたしたちの次元と空間とは完全に隔たってしまった。プレイ中の夫は、虚空にむかってぽかんとまぬけに口をひらいて、舌のうえになにかが落ちてくるのをいまかいまかと待ちかまえているみたいに見えた。その光景はどこか不気味でもあり、なぜだかかすかに不快でもあった。

    この描写に強く共感した。私は家族がスマホに釘付けになっていたり、夫がショート動画やソシャゲに夢中になっていることに激しい嫌悪感がある。餌を待つだけの肉になった印象だ。本当に気持ち悪い。こうなったら人間終わりだとすら思っている。人間と呼ぶのは烏滸がましい。肉である。私はこうはなりたくない。しかし、同じようにスマホに釘付けでも、たとえば真剣に漫画を読んでいたり、泣きながらRPGゲームをしていたとしたら、それが数時間続いても気持ち悪いとは思わない。

    これについて、私はたびたび考える。何がトリガーとなって気持ち悪く感じるのか。もしかしたら、理性がない、欲望が剥き出しになっている様に嫌悪感があるのかもしれない。私は人が食事を貪る様子も醜悪だと感じるときがある。コアになる部分は同じように思う。普段はその人の奥にあると思っている理性、意志、目的といった層が薄くなって、刺激→反応→刺激→反応という生物的な回路だけが表面に出てくると、失望してしまうのかもしれない。

    ただ、この感情を的確に表現する言葉が見つからない。「肉になった」以外にこの嫌悪感をどう表したらよいものかと考えている⋯⋯。

    それはさておき、この本の中核の中で印象に残ったのは、「人間はなぜ、そんなに進歩し続けなければならないのか」という問いだった。

    主人公は「これ以上発展したくない、このままでいたい」と言う。これはとてもわかる。現状維持でいいのに、社会はそれをなかなか許してくれない。

    しかも厄介なのは、社会だけではなく、人間自身も他人に進歩を要求してしまうことだ。「もっと勇敢になってほしい」「向上してほしい」と願うことは、一見すると相手のためを思っているようでいて、実際には「今のあなたでは不十分だ」という否定にもなる。愛や心配という名目で、相手を自分の望む形に改革しようとしてしまう。その描写はかなり身に覚えがあった。

    仕事についての描写も印象的だった。「生きていくには仕事が必要」と考える一方で、本来仕事は、生きるためのお金を得る手段の一つにすぎないはずでもある。それなのに、いつの間にか働けること、役に立てること、成果を出すことが、そのまま自分の価値になってしまう。

    現代では「こいつは仕事ができない」という言葉がかなり強い悪口として使われているように思う。本当に仕事が私を構成するいち要素でしかないなら、「料理が下手」とか「足が遅い」といった悪口と並んでいるべきなのに、仕事だけは別格だ。

    私も「仕事ができない」と言われるのは嫌だ(「料理が下手」もかなり嫌だけど)。自分では「私、仕事できないもの」と言っているくせに。きっと本当はそんなこと思っていない。

    なので、主人公が口では「称賛なんて必要ない」と言いつつ、心のどこかでは誰かにその矜持を見つけてもらいたがる気持ちがよくわかった。能力を褒められれば謙虚に否定したくなるのに、本当に誰からも気づかれなければ、それはそれで寂しい。「評価なんていらない」と言いながら、実際には自分がこだわった部分まで誰かに見つけてもらい、そのこだわりごと評価してほしい。言葉と思いが正反対だ。ああ、なんて面倒くさい。

    だからこそ、作中の「細部」や完璧主義についての話も刺さった。時間をかけて細部まで作り込んだからといって、それに気づいてもらえるとは限らない。むしろ多少粗くても早く世に出したもののほうが歓迎されることさえある。「拙速は遅巧に勝る」と頭ではわかっていても(本当は孫子はそんなこと言っていないらしいが)、時間をかけた以上は傑作でなければならない、と思ってしまう。このあたりは創作に限らず、仕事全般にかなり通じる話だと思った。

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    2026年09月25日
  • ゾンビ回収婦

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    最初から世界観に引き込まれて、文体も読みやすくサクサクと読み進められた。

    子供の頃から感情を抑圧されながらも、周りを見回して努力して、最後には認められたいと思うのは自然なことだと思う。
    自分より強い存在から向けられた言葉が身体に刻まれてしまうのも分かる。

    そんな自分であっても、はっきりとした言葉ではなくても相手を思い通りに動かしたいと思うことってあるよなあと思った。

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    2026年09月22日
  • ゾンビ回収婦

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    第175回芥川賞受賞作である。著者は3作連続で芥川賞候補となり、3度目にして受賞に至ったらしい。まあ、芥川賞とはそういうものだし、何度も候補になりながら結局受賞できなかった作家も大勢いる。だからというわけではないが、本当にこの作品が賞にふさわしいのかどうか、ぼくには判断がつかない。
    そもそもゾンビものが大嫌いである。そして設定が意味不明だ。ゲームと現実が融合した世界のNPCとなってゾンビの残骸を清掃する? なんだそれ?
    『SAO』をはじめ、こうした題材に抵抗感はないはずのぼくだが、本作は受け入れられなかった。

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    2026年09月21日
  • ゾンビ回収婦

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    ネタバレ

    最初、平仮名が多く読みにくい文体で元々このような文章を書く方なのかなと思っていたが、主人公が家族に現実世界へ連れ戻されてから文章がしっかりとしてきて、VRに侵食されていた表現なのかと思うと怖くなった。
    最後、ずっと空想の世界で働き続け、更に同じような人たちが何人も病院に溢れ返っているのかと思うと恐ろしかった。

    仕事は好きではなかったけれど、AIに仕事を奪われたと怒り、自らが機械のようになってしまい、働いて認められることを求めてしまう。AIを使っているのに進化ではなく退化に感動してしまう、そんなアンビバレンスさが人間味なのかなと思った。

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    2026年09月21日
  • ゾンビ回収婦

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    む、難しかった…けど、理解できない虚構にいると思えば?楽しめたかも…。むしろ現実とVRの世界がごちゃごちゃと混ざっていき自分が肉体含めてどちらの世界で生きているのか分からなくなる。仕事とプライベートどちらの世界が本物か分からなくなるような感覚と同じかもしれない。こ、怖い…

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    2026年09月20日
  • ゾンビ回収婦

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    ネタバレ

    ゾンビ回収婦

    著者:小砂川(こさがわ)チト
    文藝春秋2026年9月号
    初出:群像五月号(2026年)
    第175回(2026年上半期)芥川龍之介賞受賞作品

    30歳前半ぐらい?の夫婦がいて、2人は同じ職種だけれど、今は競合会社にいるような関係だが、2人、ほぼ同時期に失業してしまった。どちらもAIにとってかわられてしまった。上司がAI信奉者のようである。夫は口数が少ないタイプで、いつもVRのゲームを1人でしている。家具に傷がつくからと注意をすると、自室に入って続けている。妻はその逆のタイプ。妻がこの小説の主人公。

    失業して、ある日の朝、夫は書き置きをしていなくなった。演奏旅行に出ます、とあったが、演奏旅行ってなに?楽器できるの?と意味不明だった。
    妻(私)は、夫が夢中になってしていたVRをしてみる。そして、何日も没入することになる。妻はその世界にある「ザ・グランド・口唇期ホテル」でゾンビ回収婦をして働く。NPC(ノン・プレイヤー・キャラクター)としてのゾンビ回収婦である。これは、ゲームの制作者がプログラムしたように動くキャラで、ゲーム参加者ではない「その他」のキャラ。街の人だったり、店の店員だったり・・・

    どんなゲームか、意味不明のナラティブが展開していくのであまり想像できないが、どうも参加者がゾンビで、戦争をするようである。そこで死んだゾンビの死体を回収する仕事のようだが、ゾンビは元々死んでいるので、戦闘で撃たれても死なないはずだが、ある程度までいくと本当に死ぬようである。ゾンビゲームをしたことがないのでよく分からない。

    ゲーム部分の展開がなにがなんだかさっぱり分からないが、この小説のテーマは案外分かりやすい。口唇期ホテルの支配人による彼女への評価、批判、こき使われ方・・・いろんなことが、現実の社会でのありかたに通じていて、例えばリアル社会でのどんなシーンのことを言っているのか、よく分かるのである。いろんな名前や物質が出てくるが、そのひとつひとつが何を意味するのか、なんのメタファーなのかは1度読んだぐらいでは分からないが、分からなくてもまったく問題ない。AI失業が現実味を帯びているなかで、これまでAIなんてなかった社会で働いてきた自分、いくら男女平等とはいえ、若い女子が会社のなかで戦力として働く場合の行きづらさ、そんなこんなが伝わってくる。

    書いてあることは意味不明でも、言いたいことが伝わってくる。著者はなかなかの名文家じゃないかとも思う。

    彼女がVRのなかでなんとなく恋心を持ってしまうのは、アラスカというゾンビである。それが、リアル社会での夫とダブらせているのかどうかは、まだちょっと理解できないが、なぜアラスカなのか、終盤に種明かしもある。このゲーム(AIへのプログラミング者)の作者が言う。
    なあきみ、イヌイットって知ってるか?
    アラスカに住んでる先住民族。かれらがかれら自身のことを自称するとき、こんなふうに名乗るのだ。
    なあ。俺がきみに与えた最初の言葉。なんだと思う?
    【人間らしく(イヌクティトゥット)】

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    2026年09月18日
  • ゾンビ回収婦

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    【ゾンビ回収婦】

    AIの登場によって仕事をクビになった夫と主人公。夫は演奏会旅行に出かけ、主人公はVRゲームの世界に逃避する。
    人は無意識のうちに必要とされたいという感覚があるというけれど主人公の労働に対する考えもここに行き着くのかなと

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    2026年09月13日
  • 家庭用安心坑夫/猿の戴冠式

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    どちらも作品も、「自分とは何なのか」という問いを、現実と幻想、自己と他者の境界を曖昧にしながら描いている作品だと感じた。
     『家庭用安心坑夫』で、まず印象に残るのはやはり「ツトム」という存在。「家庭用」「安心」「坑夫」と分けて考えると、ツトムは単なる父親の代用品ではなく、父親のいない小波の家庭に「父親がいる」という安心を供給するための存在だったのではないかと思う。つまり小波は、自分に欠けているものを想像によって作り、その想像を現実として受け入れることで自分の心の空白を埋めていた。ところが、その幻想が大人になった小波の現実に入り込んだ途端、今度は耐えられないものになる。ここがこの作品の最も生々しく、怖いところだと思った。幻想の中では愛せたものが、現実に持ち込まれると異物になる。自分を守るために必要だったものが、いつの間にか自分を縛るものへと変わってしまう。
     人間は自分の中にある欠落や満たされないものを、記憶や想像、物語によって補いながら生きることがある。この作品では、その「心が作り出したもの」がツトムという具体的な存在になっているように感じる。だから最後に小波がツトムを捨てることは、単に父親を捨てるということではなく、幼い自分を支えるために作った「父親の物語」そのものを手放すことだったのではないかと思った。
     そして、この「自分の内側にあるものを外側の存在に託す」という構造が、形を変えて『猿の戴冠式』にもつながっているように感じた。『猿の戴冠式』のしふみは、競歩選手として、また一人の女性として、社会からさまざまな意味を与えられている。「いい選手」「悪い選手」「いい子」「悪い子」といった評価によって、自分が何者なのかを決められてしまう。一方のシネノも、単なるボノボではなく、人間の言葉を理解する「特別な猿」として、人間から価値や意味を与えられ、その視線の中で生かされている。ここが非常に面白いと思った。シネノは「猿だから閉じ込められている」というだけではない。むしろ「特別な猿」として扱われ、価値を与えられている。それでも、その「特別さ」はシネノ自身が選んだものではなく、人間によって与えられたものでもある。しふみも同じで、評価されないことだけが苦しいのではなく、「あなたはこういう人間だ」と他者によって意味づけされることそのものから逃れられない。だから、しふみがシネノに自分を重ねていく過程は、単なる動物との交流ではなく、「他者を通して自分自身を見る」という心理の描写にも見える。シネノが本当に昔の「おねえちゃん」なのか、二人の間に本当に精神的な交信があったのかを完全には確定させないのも、謎を解くためというより、しふみとシネノ、自分と他者、現実と幻想の境界そのものを曖昧にするためなのではないかと思った。
     そして最後の「冠」が、作品全体をひっくり返す。誰かから「いい子」と認められて冠をもらうのではなく、自分で自分に冠を授ける。つまり、他人から与えられた評価によって自分の価値を決めるのではなく、自分自身に意味を与えるということなのだと思う。「猿の戴冠式」というタイトルも、特別な猿として人間から価値を与えられていたシネノや、社会から評価を与えられていたしふみが、その評価そのものから一歩外へ出ることを象徴しているように感じた。

     こうして2作品を並べてみると、『家庭用安心坑夫』では「自分の欠落を埋めるために自分が作り出したもの」に支配され、『猿の戴冠式』では「他者から与えられた自分」に支配されているように見える。どちらも、人間が自分自身を理解したり支えたりするために作ったものが、いつの間にか「自分そのもの」になってしまう怖さを描いているのではないか。そして、だからこそ小砂川チトさんの作品は、単純に「自分らしく生きよう」という話にはならないのだと思う。むしろ、「自分だと思っているものは、どこまでが自分自身で、どこからが他者や過去や想像によって作られたものなのか」という、もっと不穏な問いを残していく。その問いに明確な答えを与えないまま、読者自身に考えさせるところも、この二作品の魅力なのだと思う。読み終わった直後よりも、しばらく経ってから「あれは、もしかするとこういうことだったのではないか」と考え始めたときに、作品の輪郭が少しずつ変わっていく。そういう、後からじわじわと意味が染み出してくる作品だった。

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    2026年08月31日
  • 家庭用安心坑夫/猿の戴冠式

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    家庭用安心坑夫について。
    現実と妄想が入り乱れる主人公の狂気が描かれていく。幼い頃の経験に基づく秋田の鉱山の炭坑夫人形への異常執着。この小説の意図をすべては理解しきれていないように思います。

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    2026年07月05日
  • 家庭用安心坑夫/猿の戴冠式

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    ネタバレ

    『家庭用安心坑夫』
    ところどころひらがな表記を使用してる。主人公、小波はおそらく受動的な人間。母の死、父の介護を半ば強引に強いられていた過去があり、それを記憶から抹消している。このひらがな使いは、成熟しきれてない小波を表現しているのかな、と感じた。

    内容について。
    コロナ禍によって仕事がなくなり、無意識下でけろっぴのシール、そしてツトムの幻影を見始め、そこから過去に囚われ、過去に向き合う為に実家に戻るという話運び自体は、既視感が否めない。
    だが、そのツトムが廃坑テーマパークのマネキンで、昔、母親から父親だと言われて育ったというエキセントリックな設定が斬新で良い。
    前半の少し不穏な空気から、小波がツトムを盗もうとする展開以降は、バカみたいなドタバタ感と不穏さが同居して、面白く読んだ。盗んだ後の謎のおじいとツトムとの鍋での団欒シーンは、バカバカしさすらあって良い。

    母が作った虚像に向き合うも、やはりそれは虚像でしかなく、自分自身と向き合ったとはならない。ラストやや後味の悪さを感じ、そこも僕の好みだ。

    個人的には、合間に挟まれるツトムの話が、もっと小波の話とあざといぐらいリンクしちゃっても良かったんじゃないかなと感じた。あの塩梅の理由もなんとなく分かるが。

    『猿の戴冠式』
    好みとしては、『家庭用安心坑夫』より好きだったかもしれない。
    読み始め、なんて変な事に挑戦してるんだろう、と驚いた。元実験体とされていたボノボを語り手に据えるなんて、思いついてもなかなか出来ない。いや、そういった小説は存在するのかもしれないが、僕は知らない。この作家さんは、だいぶチャレンジャーさんだなと感じる。

    話は言ってしまえば、とある問題を起こした競歩アスリートが、幼少の記憶の片隅にいた、実験台のボノボを自身と重ね、少しだけ前進するだけの話だ。
    これを、まずボノボのシネノ目線、そしてしふみ目線にグラデーションしていく話運びも面白く読んだ。双方の語りの中、二人がシームレスに重なり、シネノなのにしふみで、しふみなのにシナノになる所など、集中して読んでないとこんがらがりそうで読むのに多少苦労したけど、僕は素直に凄いなと感嘆した。

    ラストの盛り上がり、だいぶ高揚しながら読んだ。二人が並走し、「ありがとう」「どういたしまして」の場面、素直に熱い。勿論これはしふみの妄想の中での話なのだが、ここに至るまでの文章の密度も濃い為、しふみの混沌とした感情の渦の中に入り込みながら読み進められた。
    すこーしだけの前進。僕の好みだ。

    ただ、小砂川さんの作品はまだこの2作しか知らないが、設定の奇抜さとは裏腹に、物語自体はとてもありふれたものだ。これは別に良い悪いとかではなく、ここにもう一つ真新しい視点が欲しいなぁ、と読者として欲が出てくるのは確か。

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    2026年06月19日