カトリーン・マルサルのレビュー一覧
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この本の1番お気に入りのポイントは?
経済学を全く知らない人でも、経済学のこれまでであったり、今の考え方を知ることができるところがすごく良かったなと思う。
この本を選んだきっかけ
女性と経済ってあまり結びつくところがないイメージだったが、どういうふうに結びつけているのか関心が湧き、手に取った。
この本を他の人に勧めるとしたら理由はなんですか?
経済学に全く触れなかった人にまず読んで欲しい。
この本があなたの視点や考え方を変えた部分はなんですか?
いまの経済構造のまま発展していくことが、多くの人を豊かにすると言う考え方であることに疑問を感じるようになった。
普段私が感じた違和感を感 -
Posted by ブクログ
ネタバレ【身体を持たない経済人、人間社会全体を語れない経済学】
母親を視界から消した結果、アダム・スミスの思想から大事なものが抜け落ちてしまったのではないか。
アダム・スミスは、
市場経済の「見えざる手」で有名ですが、
実はその言葉は彼の著書『国富論』に一度しか出てこない。
でもそこから端を発し、新自由主義のロジックが社会を支配するに至っているとも言えるので、
とにかくこの強固な経済理論がいかに男性という人間を想定して作られているか、
順を追って述べられています。
・・・
経済の第一原理、利己心が世界を動かす。
人間の原動力としての利己心は尽きないし、信用できる。
一方、愛は、みんなに -
Posted by ブクログ
このタイトルを思いついただけで勝ちでしょう。
本書の骨子は「経済人」偏重の市場経済に女性の存在が無視されているという、社会のあり方に異議を申し立てる。フェミニストは上野千鶴子のようなもっと狭義のジェンダーの違いから受ける不利益にフォーカスするものであるという先入観があったので、経済との関連で論じるものはとても新鮮。新しい社会のあり方、寛容さへの期待みたいなものを感じる。(今ちょうど観終わった「不適切にもほどがある」と共通するテーマ)
少し具体的なところでは2008年金融危機への解説が秀逸。デビット•ボウイの逸話との絡め方と専門用語なしの人間の情動的な反応による説明が、腹落ち度高い。ここだけ -
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アダム・スミスの夕食を作ったのは彼の母親だった。母はアダムの行くところにはどこでも付き添い、生活を支えていたという。しかし、アダム・スミスの思想からは経済を支える「母」あるいは「ケア」の視点はすっかり抜け落ちているように見える。それはなぜか?それは問題ではないのだろうか?この本はそのような問題意識を出発点にしている。
男性と女性、精神と肉体、論理と感情、競争とケア、など西欧の社会は世界を二項対立で捉え、どちらか一方に高い価値を置いてきた。女性は、自分たちに伝統的に充てがわれてきた低い価値の役割から高い価値の役割への転換を試みてきたが、この挑戦は正しかったのだろうか?
結局、二項対立のどちら -
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経済学が前提とする「経済人」ー合理的な選択をし続ける抽象的な人格ーはこれまで女性が期待され、抱えてきたもの、すなわちケアの観点が抜けている。そして経済学はケア労働を生産性のないものとして透明化してきた。
筆者はケアや共感、感情といったものが「個人の自由な選択」という名の下に押し付けられ、そして価値のないものとしてラベリングされてきたと指摘する。
最近は「女性活躍」の名の下に女性の労働参画が進んではいるものの、経済学が作り上げてきた男性中心社会に女性を「入れてかき混ぜれば」解決するわけではなく、そこでも結局ケアの問題が残る。
そのような「経済人」神話にしがみつく私たちと現代社会を皮肉を交えなが -
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「我々が食事を手に入れられるのは肉屋やパン屋の善意のおかげではなく、彼らが自分の利益を求めた結果である」というアダム・スミスの、そして現在経済理論の根幹に対して「ところで、そのステーキは誰が焼いたんですか?」という極めてシンプルかつ衝撃的な問いで始まる本書は、長年に亘って無視されてきた経済における女性の存在に目を向ける。
子育てを含む主婦労働をサラリーマンの給与にすると年収二千万円に相当するというような記事が出回った時期があったが、金額の多寡は別にして、それだけの労働と生産が GDP にも編入されず、経済理論にも登場せず、したがって経済政策にも反映されないというのは確かにおかしな話だ。結果と -
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ネタバレ性別役割分担の解消について語るとき、〜男性が「まともに取り合ってもらう」ために花柄の服を着るべきだ、と主張する人は見かけない。〜でもビジネスの世界で活躍する女性に対しては、控えめな格好をすることが未だに求められている。〜ニュートラルな服装、つまり、男性っぽい服装だ。男性の身体に合わせてつくられた世界に、女性は自分を合わせなくてはならない。
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ところが男の子の服装については、なにもいわれなう。ピンクのバレリーナみたいな服装に顔をしかめる保育士も、男の子がサッカー選手の格好をするのは問題ないと考えているようだ。
p.210-211
すごい。目から鱗が落ちた。少し読みにくいところもあったけど、 -
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シカゴ学派やゲーリー・ベッカーが「人のあらゆる活動は経済モデルで分析できる」として、女性は非生産的だから賃金が低い、女性の稼ぎが少ないのは、女性は高い賃金に値しないからと、堂々巡りの論を展開し、賃金の少ない女性が家事を担当するのは当然だと、偉そうに言うところ、腹立たしく読んだ。
しかし、全て数式で生産性は割り切れるわけはないと、ゲーリー・ベッカーを喝破してくれるので、腹立ちもカタルシスとなってクセになる(笑)
当たり前だが、全て数式で生産性は割り切れるわけはないのだ。
世の中は全て合理的にできているから市場は常に正しいとするシカゴ学派が新自由主義を生み、今もなお、多くの国の経済を低迷させ、格 -
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アダム・スミスが研究に勤しむ間、身の周りの世話をしたのは誰!?女性不在で欠陥だらけの経済神話を終わらせ、新たな社会を志向する、スウェーデン発、21世紀の経済本。格差、環境問題、少子化――現代社会の諸問題を解決する糸口は、経済学そのものを問い直すことにあった。
アダム・スミスは経済学の授業で習ったけれど、そこにジェンダーの問題を組み合わせて考えたことは一度もなかった。でも言われてみるとここまで女性の存在が無視されていること・主に女性や貧困層が担っている『家事労働』の価値が非常に低いことは経済学者たちが定義してきたことで、根本的に変えていく必要がある。具体的にどうしたらいいのか、この本が書かれた当