窪田啓作のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレ死刑を宣告された直後のムルソーがとても印象的。
昔父親が死刑執行を見に行き、胃の内容物を吐いたことを思い出すムルソー。そして彼は死刑執行場面をたくさん見てら、吐きたいと考える。そうできることを想像し、喜悦の波に飲まれる。
彼は母親の葬儀で泣かなかった。このことからムルソーは、一般的な感情が欠けた異質な存在と捉えられてしまった。でも彼に感情がないわけではないと思う。何度かママンの言葉を思い出したりもしてるし。
私にはムルソーが、「一般人」たちの共感性や迎合性、演技のできるさまを羨ましがっているように見えた。
だから「人と同じように死刑執行を見て吐きたい」と思ったのかもしれない。
ぼんやりとしたムルソーがラストで神父に向けて感情を爆発させるのも、「あなたのために祈ります」って言葉に腹が立ったからかな。「祈るな」と怒鳴ってるし。共感していないのにしていると軽々しく嘯いたのが赦せなかった?
「正しく共感できない自分は間違っているのかも」という考えが、彼にとっては苦痛だったんかな。だから自分の正しさを確信した後で「自分は幸福だ」と思えたのかな。
……いや、だとしたら最後の「私の処刑の日に大勢が憎悪の声をあげたら嬉しい、孤独じゃないと感じる」ってのが分からんな?
太陽が眩しかったから、という特徴的な殺人の動機も、ただ「おかしなやつ」という描写に留まらない気がする。太陽は何かの暗喩じゃないか? 例えば「自分で自分を正しいと思える人」のような。眩さに腹が立つような、憎いほど羨ましくなるような何か。
何度でも読みたくなる深い物語だ。
また読んで色々考えたい。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ名作にはやはり、名作と言われる所以がある。
いや〜〜〜思ったよりも全然読みやすくて、
そして嫌いじゃない。むしろ好き。
なんだろう………
苦しい&暗い気持ちにならない名作って
意外にも少ないんだよなぁと改めて感じつつ、
この作品はなんでだかかなり前向きな気持ちになる。
勿論、ムルソーの考えや動機の全てを受け入れるという訳ではないけれど、少なくとも納得や共感する部分があって、
さっぱりしたというか…そんな感じの気持ち。
カミュの『ペスト』をずっといつ読むか…
と思いながらなかなか踏み出せずに、
短めな今作を読んでみたけれど、
より他の作品も読んでみたい!!と思った!
ちなみに、ワンちゃんと老人のシーンは
マジで心が痛かったぜ……
主人公と関係ないところで心痛めたぜ…
-
Posted by ブクログ
ネタバレ大学生のときにゼミで扱った短編集。どれも文学的に工夫がこらされた作品ばかり。カミュがこの短編すべてを書ききるのに10年以上かかった。というのも異邦人、ペストでの成功後、自分の才能の枯渇を覚えたからだ。タイトル通り追放から王国までを綴ってある。この後ノーベル賞を受賞し、遺作となる「最初の人間」を書いたまま交通事故で他界してしまう。なんとも哲学的で悲しくも美しい作品集。
難解だが歴史や哲学を知っていると読み解くことが出来る。「背教者」は、キリスト教の伝道者が未開の地に赴くが、逆にその地にある宗教に暴力によって改宗させられてしまう。伝道師はすっかり心を奪われ次に訪ねてくる伝道者を叩き潰すように待ち構えるという話である。
この伝道者はカミュが当時論争をしていたサルトルをモチーフに描かれている。サルトルは当時、目的のためなら暴力も止むを得ないという思想を持った共産党員となった。そのことをカミュは風刺したのである。伝道者は、現地の未開人に舌を引き抜かれてしまうのだが、舌はフランス語でラングと言い、また言葉という意味も持っている。つまりカミュはサルトルが言葉を失い、暴力に染まったことを描いたのである。
また未開人たちが崇めている金属の偶像があるのだが、この偶像は当時鋼鉄の男と言われていたスターリンを表している。このように歴史的な文脈を知っているとまた違う読みの楽しみが味わえる。 -
Posted by ブクログ
ネタバレL'Étrangerは異邦人でなくよそ者とも略せるらしい。物語のサマリーを読んだときの主人公ムルソーに対して持った感想はちょうどよそ者というか、社会の通常の感覚から逸脱した男性という感じだった。他の読者の感想を読んでいると、読み終わっても物語の結末は不条理とは呼べず、ただ単に殺人鬼が処刑されただけだと受け取る人もいるようだ。
しかし、読み終わった後わたしがムルソーに抱いた印象は「素直」だった。検察官の主張する「この男の不感無覚を前にして感ずる恐ろしさ」は本当に死刑に値するものだったのだろうか。ムルソーが死刑執行までの残された時間でママンの教え、養老院での暮らしに思いを巡らすシーンがある。また、司祭を追い返す際には「サラマノの犬には、その女房と同じ値打ちがあるのだ」や「セレストはレエモンよりすぐれてはいるが、そのセレストと等しく、レエモンが私の仲間であろうと、それが何だろうか?」という発言がある。実際、ムルソーは母の死に対して涙を流さなかったが、それは間違った感情だったのだろうか。当たり前だが、悲劇を前にして自分がどのような感情になるのかはそれが起こった際にしか分からないものである。もしかしたら案外何も変わらなかったことに驚くかもしれないし、次の日に海水浴に行くこともあるかもしれない。素敵な女性と再会したら彼女の希望する喜劇を見に行くだろうし、欲望が沸かないといえば嘘だろう。印象的なアラビア人を射殺するシーンでは、太陽の光から逃れるように一歩ずつアラビア人に近づいていく様子が丁寧に描写されている。そしてムルソーは法廷で行為を呼び起こした動機について問われた際には、そのまま「太陽のせいだ」と答えるのである。廷内では笑い声があがるが、ムルソーの心の中で動く感性と発言は何一つ乖離していない。なぜ、自分の運命がかかった場面で彼は演技をしなかったのだろうか。完全に不感無覚な人間は死を前にママンや友人、恋人に対してここまで考えるだろうか。私はムルソーという人間について陪審員に上手く伝わらないまま死刑判決が下ってしまっているように感じた。
つまり、ムルソーの以下の主張について私は共感を覚えた。「要するに、確実性に基礎を与えた判決と、判決が言い渡されてからの、その冷酷な施行とのあいだには、滑稽な不均衡があったからだ。判決が十七時にではなく二十時に言い渡されたという事実、判決が全く別のものであったかも知れぬという事実、判決が下着をとりかえる人間によって書かれたという事実、それがフランス人民(あるいはドイツ人民、 あるいは中国人民)の名においてというようなあいまいな観念にもとづいているという事実、
――――こうしたすべては、このような決定から、多くの真面目さを、取り去るように思われた。 それでも、そうして宣告がなされるや、その効果は、私が体を押しつけているこの壁の存在と同じほど、確実な、真面目なものになることを、私は認めざるをえなかった。」少なくとも私はこのように感じたことが、死刑と言っただいそれたもので無いにしても多々あるのだ。確かにムルソーが太陽の光に耐えかねて弾丸を5発も撃ち込んだことは不可解である。だが、意図していなかった殺人に対しての批判が人格否定にまで及ぶのは納得出来ないものがある。そういった些細なことであれば誰しもがマイノリティになりうるのではないだろうか。よそ者にならないように振る舞うことはとても難しいことに思える。
-
Posted by ブクログ
ネタバレ難しい…。この世界の何ごとにも意味はないとして、自分に関するすべてを宙吊りにして流れに委ねるような、世界から距離をとるようなムルソーの生き方はペシミズムのように思える。でも最後、ムルソーは他の誰よりも自分を信じていて、自分に根付いているみたいだった。死に近づいて初めて感じる解放。世界の優しい無関心。
ママンの埋葬の日やアラビア人を殺害した浜辺での太陽の光の強さはなにかのメタファーなのかな。最近とっても暑いから、小説世界の暑さがよく想像できた。暑くて眩しくて、木陰の泉の安寧を求めていき、それを邪魔するアラビア人を銃殺した。人間世界の怨みのようなものはムルソーにはなくて、ただ自然の光と暑さが目にしみてムルソーを襲う。
太陽光や、養老院・バルコニーでの人工灯の光への嫌悪は、どこからくるんだろう。
ムルソーでも死に対する恐怖や死から逃れたいという感情はあるのだなと思った。
実存主義の文脈を理解しないと半分も理解できない気がした。いろいろ学んでみたい。でも何も知らないで読んでも、思ったよりずっと面白かった。